虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第119話 天を灼く者

 緋の騎神《テスタ=ロッサ》を背後に従え、エリゼ・シュバルツァーは立ち尽くしている。荒々しい覚醒とは打って変わり、周囲は不気味なほどの静寂に包まれていた。

「お、鬼の力……なのか?」

 雨に濡れた雪のような銀髪に、血がたぎるような紅の両眼。まるで自身の鏡映し。その異能を行使した時の己の似姿に、リィンは困惑するのみだった。

 隠せない動揺がヴァリマールの機体越しにも伝わったのか、カイエンは満足気に笑う。

『そうではない。忌まわれた力には違いないが、君のそれとは根本が異なると思うよ。強いて言うなら“竜の力”だ』

「竜? 暗黒竜のことか?」

 かつてテスタ=ロッサに血の呪いをかけた、長きに渡り帝都を瘴気で覆った災厄の竜。その名は《ゾロ・アグルーガ》。黒き血の呪怨を身に浴びたことで、緋の騎神は呪われた存在と化してしまった。

『ほう、かの竜の子細を知っているのかね? ということは“裏”の歴史もだな。そうやすやすと知れる真実ではないはずだが……いったい誰の入れ知恵があったのやら』

 カイエンは細くした目をヴィータに向けた。彼女が独自に動いてエマと接触したことを、どうやら察しているらしい。

 その視線に気づく素振りもなく、ヴィータは驚嘆と得心が混ざった表情で、エリゼの変貌を眺めていた。

『……これが彼女から始まった歪みの到達点。これが黒の史書が燃えた理由。つまりこの瞬間にあるべき未来が書き変わったということ……?』

 ヴィータが口走る言葉の意味を、リィンはほとんど理解できなかった。

 ただ暗黒竜がエリゼを起動者に選んだという事実だけがある。しかしなぜエリゼが? 

 アルノール家の遠縁にあたるシュバルツァー家。その直系の長女であれば、確かに皇族の血の残滓は流れているのだろうが、果たして理由はそれだけか?

 エリゼはこれからどうなる。何が起ころうとしている。

「カイエン公。あんたは何者だ。目的はいったい何なんだ」

 有無を言わさぬ声音で問う。四大名門の一角を統べる者、などという肩書だけでは説明のつかない狂気は、いったいどこから生み出されているのか。それを知らねば、話は前に進まない。

 カイエンは全員に首を巡らせた。

『ふむ……ここに来てまで隠す必要もなかろう。目的は一つ。祖先の宿願を果たすためだ』

「祖先?」

『オルトロス・ライゼ・アルノール。公爵家出身の第二妃の子として生まれ、後に偽帝の汚名をかぶる者だ』

「その名前は……!? マンフレート皇子を暗殺して、獅子戦役を引き起こすきっかけを作った……!」

『失礼ではないか。史上では暗殺の犯人は断定されていない。誰が飲み物に毒を混入させたかなんて、今となってはわからん話だよ』

「正確な死因は諸説あって不明だ。なんで毒殺と言い切った」

『ははは。なんでだろうね。所詮は250年前の些事。子供一人が死ぬ理由などいくらでもある。だがまあ、これで私の素性もわかってもらえたかな』

 ドライケルスに敗北したオルトロスの子孫がカイエンということだ。

『ならば、なぜ公爵家の地位が残ったままでいるのです?』

 その疑問は同じ四大名門のユーシスの口から出た。彼はマキアスに肩を支えられている。

『獅子戦役の終結後に、真っ先に家格の剥奪や取り潰しの対象になりそうなものでしょう』

『戦乱の膨大な後処理の中、さしものドライケルスもこれ以上大貴族と事を構えたくなかったというのが、我ら一族の認識だよ。生来は穏便な性格とも伝わっているし、もしかしたら親族に対する情もあったのかもしれん。だとしたら屈辱極まりないがね。勝者の寛容ほど苛立たしいものはない』

 一族への温情を屈辱と吐き捨てたカイエンは、唇をいびつに歪めた。この男は駄目だ。心の芯からねじれている。優勢だった頃のパンタグリュエルで見せていた余裕ぶりこそ、今しがた自分で苛立たしいと言った勝者の寛容から生まれる態度ではなかったか。

 内側の傲岸と外側の傲慢こそが、この男を形成する全てだ。こんなやつにエリゼが……

『獅子戦役に勝利してさえいれば、私の一族こそが正当な皇家となっていたはずだ。あの戦いはまだ終わっていない。オルトロス帝の無念を引き継ぐ私がいる限り。故に帝都の象徴たる緋の騎神と煌魔城を手にして、再び支配の頂点に返り咲くのだ! その暁にこそ貴族制度を敷き直し、帝国をあるべき姿に変えて見せよう!』

「そんなことの為に内戦の手引きをしたのか! お前のせいでエリゼも!」

 モニターに映るエリゼは動かない。さっき払いのけられた手の感触が、まだ残っている。

 彼女はまるで人形のように佇み、視線も定まっていない。意識が虚ろなのか? とにかくカイエンと緋の騎神のそばから引き離さなければ。

 カイエンは尚も笑い声を高くした。

『そう、そのエリゼ君だよ! こうなることは私にも予想外だったが、ずいぶんと素直になってくれたようだ。これからは立派な傀儡として、私の力になってもらおうじゃないか』

「カイエン……!」

『呼び捨てとは無礼にも程がある。まずは君から消えてもらおう。さあ、エリゼ君。何をするかはわかるね?』

 エリゼの視線がカイエンに向く。それだけの動作だった。

 瞬間、カイエンが燃えた。

『なっ!? ひぎゃっ――』

 業火の柱が渦を巻いて屹立し、瞬く間に炭が崩れるようにして人型のシルエットが消滅する。断末魔でさえも聞き取れなかった。

「そ、そんな……」

 誰しもが戦慄した。

 彼女が行使した圧倒的な力がではない。

 たとえ相手が誰であっても、あのエリゼがなんの躊躇も見せずに、人間一人を葬り去ったことに対してだ。無感情で無感動な目。まるで道端の塵を見流すような目。

 その緋色の瞳が、リィンたちに向けられた。

 

 

《――天を灼く者――》

 

 

 クレインやアンゼリカを始めとする、パンタグリュエルに送り込んだ制圧班の学生たちは、ほとんどがカレイジャスに帰艦していた。

 現在、整備班は総出で艦内の補修に取り掛かり、救護班は負傷者の手当てに追われている。

 どうやら貴族連合の反撃はなさそうだ。パンタグリュエルから逃げ出した敵兵は、すでにマーテル公園からも撤退してくれた。

 この状況なら、負傷したサラの救護に向かえるかもしれない。

 トワはブリッジの大窓の向こうに見えるパンタグリュエルの甲板に目を凝らした。

 不時着の折、サラは足を痛めている。今は敵艦のデッキのどこか、物陰に身を潜めているはずだった。

「領邦軍と正規軍の戦闘状況がわかりました。直近の情報です。正面モニターに戦局図を映しますのでご確認を……あら?」

 通信席のブリジットはそう言い、しかしモニターに画像は映らなかった。深い亀裂の入ったメインスクリーンは、いつまで経っても反応がない。重要な基盤まで損傷したのだろう。すでに機能が死んでいる。

 どうしようもないことだ。トワは手元のコンソールを引っ張り出した。

「こっちのモニターで見るよ。ブリジットちゃん、私の席に回線を繋げられるかな?」

「了解しました。急ぎます」

 艦長席には小さなモニターが備え付けられている。本来は艦内の様子などを確認するためのものだ。

 これにも傷は入っていたが、ややあってディスプレイに画像が表示された。

 更新されたばかりの最新の戦局図。ステファンが正規軍の端末にアクセスし、上層部にしか閲覧権限のないデータを抜き出してきたのだ。仮にも軍属の在り様を学ぶ士官学院生が、こんな真似をしたとばれたらどうなってしまうのか。考えるのも億劫だった。

「この場合、実行犯がステファン君で、私が扇動犯になるのかな……」

「ん? 呼んだかい、トワ君」

「ううん、なんでもない。気にしないで? 気にしたら負けだよ?」

「ま、負け?」

 自分の席から振り返るステファンに苦笑いを返しつつ、トワは画面に目線を向け直す。ヘイムダル近郊の両軍の配置を確認した。

 拠点の分布を見るに、開戦当初は拮抗していた勢力が、今は正規軍がわずかに押している。第三機甲師団と第四機甲師団の突破力が、戦線の中央を切り開いたのだ。対機甲兵用戦術もうまく噛み合っているらしい。パンタグリュエルが墜ちたとの報告が領邦軍に入れば、さらに指揮系統は混乱するはずだ。勝ちの目は正規軍にある。

 だが究極的な話をすれば、両軍の勝敗にこだわる意味はあまりない。

 《緋の騎神》が蘇ってしまえば、その力でどれほどの大部隊だろうと一息で薙ぎ払われるからだ。250年前のオルトロス軍勢とグンナル軍勢の戦いの顛末と同じである。

 つまるところ煌魔城に突入したⅦ組が、今後の展開を左右する局面にいるのだ。

 リィンが煌魔城に飛び去ってから、三十分近くが経った。心配だ。体の具合を聞いた時、彼は問題ないと言ったが、強がりであることは明白だった。私に余計な心配をさせまいと思ったのだろう。

 いつもいつも、そうやって自分の苦しさをみんなに隠して。そのこと自体が新たな心配の種になるとも気づかずに。帰ってきたら最大にして最長のお説教をしなければ。そう、帰ってきたら――

「そんなに難しいお顔をなさらないで下さい」

 柔らかな声がかけられる。すぐ横に優しげに笑むアルフィンが立っていた。

「も、申し訳ありません、殿下。なるべく表情には出さないようにしていたのですけど……」

「大丈夫ですよ、きっと大丈夫。ちゃんと皆さん、無事に戻ってきてくれますから。もちろんリィンさんも、セドリックも、エリゼも。私たちは私たちにできることをやりましょう」

「……そうですね。仰る通りです」

 まずは艦の機能を早く復旧させなければ。肝はジョルジュが担当するオーバルエンジンだ。あれが動かなければ、カレイジャスは飛ぶことさえできない。

 しかしジョルジュなら必ず直してくれる。問題は時間だった。修理にどれくらいかかるのかは検討がつかない。早ければ二十分と言われたし、遅ければ二時間とも言われた。

 焦る心を抑え、トワはブリッジから北の方角を見つめた。距離は遠いものの、煌魔城の天守がかろうじて視認できる。

 そこで訝しげに首をかしげた。

「え……なんだか空の色が……?」

 赤く染まっている。さながら炎に炙られた夕焼け空。それも煌魔城の上空だけ。

「あぅっ!」

「殿下!?」

 急にアルフィンが胸を押さえてうずくまった。

「ど、どうなさいました?」

「か、体が熱いです……。まるで血が……血が、燃えてるみたいに……」

「誰か殿下を医務室に! 早く――」

「複数の計器に反応! 異常値です!」

 リンデの報告が、出しかけた指示に重なった。アルフィンを支えながら、トワは聞き返す。

「異常値の詳細を。なんの数値がおかしいの?」

「そ、それがよくわかりません。マニュアル外の反応なんです。計器類は故障していないはずでしたが、これは一体――」

霊力(マナ)の波動よ、今のは!」

 ブリッジに黒猫が駆け込んできた。セリーヌだ。大きなケガもなく、彼女も無事だったようだ。

「霊力?」

 だとして、アルフィンが苦しんでいることに関係があるのか? さっき血が熱いと言っていたが……。血。アルノールの血が反応した?

 まさか緋の騎神が復活したのか? セドリックの救出が間に合わなったということか?

 答えの出せない疑問だけが湧き、そしてそれ以上を考える時間は与えてくれなかった。ブリッジの大窓にへばりつくようにして外の様子を見ていたステファンが、震える声で言った。

「か、隔壁を閉じるんだ。すぐに、早く!」

「ステファン君、どういうこと?」

「こっちに接近してきている……。くそ、なんでこんな時に!」

 こちらの声がまともに聞こえていない。アルフィンを椅子に寄り掛からせてから、トワも操舵桿側の大窓まで走ってステファンの視線の先に目を合わせた。

「あれは……魔煌兵!?」

 ずしん、ずしんと重厚感のある足音を響かせて、怪しげな光を全身に滲ませる黒い巨体が、カレイジャス目指して歩を進めている。

 一体ではない。その数、実に四体。

 なぜよりにもよって、今。

 早く指示を出さなくては。攻撃か。防衛か。エンジンの復旧はまだなのか。せめて空に飛べさえすれば。

「とにかく隔壁閉鎖を。動かせる隔壁はもちろん、防塵シャッターも全部閉じて! トワ・ハーシェルより緊急艦内通達! 総員、第一種戦闘配備!」

 マイクに吹き込んでから、馬鹿げた命令だと理解した。戦闘配備? あんな相手にどう立ち回る。

『戦闘配備了解。隔壁の閉鎖は僕が出たあとにして下さい』

 すぐに応答があった。ブリッジに通信を入れてきたのはパトリックだった。

「出るって、もしかして」

『レイゼルで出撃します』

「相手は機甲兵じゃなくて魔煌兵だよ。ユミルでは初戦だったとはいえ、ヴァリマールでも苦戦した相手って聞いてる。しかもそれが四体。いくらレイゼルでも分が悪すぎるよ!」

『アリサ・ラインフォルトならいざ知らず、ですか?』

「そうじゃないよ……パトリック君!」

『この機体を託されたのは、皆を守るためです。ここで出なければ、僕がいる意味がない。戦わせて下さい』

 パトリックの誇りと皆の命。何よりパトリック自身の命。今の状況。

 切り捨てていいものなんて何一つない。

 何一つとしてないのに――全てを天秤に乗せ、またトワは困難な選択を迫られた。

 逡巡、葛藤。

 決断。

「――船倉のハッチ解放! レイゼルの発艦後に速やかにハッチを閉鎖! 整備班は引き続きシステム復旧急いで! ブリッジクルーは全員で彼のバックアップを! 万が一に備えて救護班はいつでも動けるように待機して!」

『感謝します』

 手元の小モニターに船倉の映像を呼び出す。

 開いていくハッチの前に、すでにレイゼルは立っていた。差し込む光を段階的に反射した朱色の装甲が、さらに鮮やかな輝きを放つ。

 リィンから預けられた機甲兵用ブレードを携えて、紅翼の守護者が進み出た。

 

 ●

 

 エリゼがしなやかに手をかざす。優美さを感じさせる仕草とは逆に、邪魔者を片付けろという明確な意志がそこにはあった。

 背後に控えていたテスタロッサが、エリゼを飛び越えてⅦ組に襲い掛かる。

「やめろ!」

 間髪入れずに間に割って入ったヴァリマールが、テスタロッサの凶行を防いだ。両の手を組み合い、足元の岩盤を踏み砕きながら、どうにかその場にとどまってみせる。

 信じられない。まったくためらいもせずに、生身の仲間たちを狙った。確信する。エリゼの中に、エリゼの意志は存在していない。

「正気に戻ってくれ、エリゼ!」

 お前を連れて帰ると約束した。父さんにも、母さんにも、アルフィン殿下にも。

 やっとここまでたどり着いたんだ。クロウとの戦いにも区切りをつけられたんだ。それなのに、こんなことってあるか。

 《ゾロ=アグルーガ》の呪い? そんなもの跳ね返せ。

「エリゼ!!」

『……兄、様』

 悲痛に叫んだ時、エリゼが小さく口を動かした。

『わ、私は……兄様が……だめ……もう、私を……』

 熱にうかされたうわ言のようにつぶやく。紅かったはずの彼女の瞳が、右目だけ空色に戻っていた。

「気を強く持て! 大丈夫だ! 一緒にユミルに帰ろう! 父さんも母さんも待ってる!」

『父様……母、様……? うぅ……』

 リィンだけではなく、Ⅶ組の皆も口々にエリゼの名を叫んでいる。

『兄様……私を……消して、下さい』

「馬鹿を言うな!」

『違いました。消えるのは兄様でした』

「がっ!?」

 ヴァリマールの左大腿が、後ろから槍に貫かれていた。巨大な槍。いきなり虚空に現れたのだ。

 エリゼの右目が、赤色と空色に交互に明滅している。

『に、逃げて――逃がさない』

 再び槍が、そして剣が、矢が、煌魔城の最上層に次々と顕現されていく。それらがいっせいにヴァリマールに殺到した。

 嬲り殺しの攻撃だ。ミリアムがアガートラムでバリアを発生させて、衝撃の余波から仲間を守る。膨大な粉塵が吹き荒れた。

 もうもうと滞留する土煙が晴れた時、ヴァリマールの前にはオルディーネが立っていた。

『生きてるな、リィン』

「あ、ああ。守ってくれたのか……?」

 ダブルセイバーを回転させて、襲い来る武器の数々を迎撃してくれたのだ。が、完全には防ぎきれなかったようで、オルディーネの装甲にもダメージが見て取れる。

『制限のない物質精製。これが“千の武器を持つ魔人”の異名の元になった能力か。とんだおてんばお嬢様になっちまったもんだな』

「元に戻す方法はあるのか?」

『俺が知るわけねえだろ。だが――ヴィータ。お前ならわかるか?』

 ずっと何かを思案していた様子のヴィータは、おもむろに首をうなずかせた。

『……まだ完全に暗黒竜の意志には呑まれていない。今すぐに緋の騎神から引き離せれば、あるいは。ただ“《ゾロ=アグルーガ》の呪い”と“起動者としての契約”はおそらく別物よ。正気に戻ったとしても、テスタ=ロッサの起動者である事実は覆せないかもしれない』

「今はそれでもいい」

 リィンは言った。

 まずはエリゼの正常な意識を取り戻すことが先決だ。

『手を貸してやる。エリゼをこっちに引っ張り込んでやろうぜ』

「いいのか?」

『いちいち聞いてくんな。先の話をしようにも、今の状況をなんとかしねえことには無理だろ』

「……ああ、まったく同感だ」

 クロウから『先の話』という言葉が出たのが嬉しかった。

 テスタ=ロッサと相対して、ヴァリマールとオルディーネが並び立つ。

「エリゼ、すぐに助けるからな」

『兄、様……ダメです、このまま、では……うっ、ああああ!』

 かきむしるように頭を押さえ、エリゼは苦しんでいる。

 心の内で戦っているのだ。強大な黒い力に屈しまいと。しかし明滅していた瞳は、再び赤く染まってしまった。銀髪を揺らし、ゆらりとその顔を上げる。

『未来を、見ました。決して動かない未来を』

 エリゼの体が淡い光を放った。

 察したクロウとリィンは同時に駆け出すも、間に合わなかった。光は彼女を包み込み、緋の騎神の核へと吸い込まれていく。

 起動者を身に宿したテスタ=ロッサの双眸に赤光がほとばしった。

「しまった……!」

『関係ない。拘束して吐き出させりゃいい。ある程度のダメージを与えるが、そこは割り切れよ』

「……わかった。みんなは巻き込まれないように下がっていてくれ」

 仲間たちを後退させ、リィンは拳を構えた。

 すまない。お前と戦う日が来るなんて、考えもしなかった。すぐに終わらせてやる。それまで耐えてくれ。

「行くぞ!」

 呼吸を整え、一歩を踏み出しかけた瞬間、背中に衝撃が爆ぜる。黒煙に巻かれながら振り返ると、砲塔が浮いているのが見えた。連続して火球を撃ち出してくる。打撃武器だけじゃなく、こういうのも創れるのか。

『止まるな、間合いを詰めていけ!』

 ダブルセイバーで火球を弾きつつ、クロウが叫ぶ。ヴァリマールとオルディーネは左右に分かれて疾走した。

 狙いに乱れなど生まれなかった。続々と創造される砲塔が、視界を埋め尽くすほどの密度で双方に射撃を加えてくる。一発の威力は戦車砲より強い上、連射速度は機銃にも匹敵する。流れ弾が仲間の元に向かわないよう立ち回るだけで精いっぱいだった。

「うっ!?」

 砕けて跳ね上がる無数の瓦礫の向こうに、鋭利な剣先が隊列を組んで並んでいた。浮いた瓦礫が落ちるのを待たず、それらを粉砕しながら猛然と剣の群れが押し寄せる。

 防御は不可能だ。リィンは飛び上がり、機体を上昇させる。その先の空中に、ヴァリマールの体躯より大きな斧が待ち構えていた。まるで処刑台。振り下ろされる重い一撃。うめく間もなく、地面に叩きつけられる。そこに追撃の火球が迫った。ブーストを併用した横ロールで急速回避。一秒前まで自機があった位置に火柱が上がる。

『リィン! ぐああっ!』

 こちらに気を取られた刹那の隙に、オルディーネに強固な鎖が絡みついた。生き物のように蠢くそれは、さながら獲物に巻きつく蛇だ。動けないオルディーネに集中砲火が見舞われる。真っ赤な爆炎が蒼い機体を覆い尽くした。

「クロウ! くそっ、この物質精製だけでも止められれば――」

 態勢を戻したヴァリマールの前に、テスタ=ロッサが立ち塞がる。突き出される腕の先に、光が収束していった。まばゆい光の中から現れたのは、炎のように紅いレイピアだ。

 レイピアを手にし、テスタ=ロッサは半身に構える。エリゼの構えだ。所作も動きの癖も、彼女そのものだった。

「本当にエリゼなんだな……」

 今さらに理解した頭に絶望が染み、血の滴る胸が現実の痛みと心痛に締め付けられる。

 電光石火の一突き。反応もできなかった。細剣がヴァリマールの右肩を刺し貫く。さらに赤熱するレイピア。焼けつくような痛みが、フィードバックを受けたリィンの身にも伝わってきた。

「うあああ……っ!」

『離すな! そのまま押さえとけ!』

 実体化した鎖を引きちぎり、オルディーネが黒煙の尾を引いて猪突する。すばやくテスタ=ロッサの後ろに回り込むと、背中から脇を固めて拘束した。

『やれ! 核ごと引き抜いちまえ!』

「っ! ああ、任せろ……!」

 レイピアを抜くことはせず、リィンはそのまま前に出た。騎神の核は胸部にある。装甲をはがして、力づくで――

『そう、未来を見たんです』

 澄み渡ったエリゼの声に、リィンは戸惑う。

『手を止めるんじゃねえ、リィン!』

『兄様が――兄様たちが打ちひしがれる未来を。回避はできない。奇跡も起きない。絶望の未来を、私が招くから。どうか、その前に、私を、せめて、兄様の、手で……――』

 エリゼの声が途切れていく。

 どっち(・・・)だ。これはエリゼ自身の言葉か。それとも暗黒竜の呪いに浮かされた意志か。あるいは両方か。

 なんにせよ、千載一遇の好機。その胸に手をかけたと同時、しかしテスタ=ロッサの核に異変が起きた。

 強烈な波動が駆け抜ける。何重にも放たれる灼熱の波紋が、ヴァリマールとオルディーネを押し返した。

「ぐっ!?」

 耳鳴りがする。近づけない。足を前に出せない。

 テスタ=ロッサの足元から火炎が揺らめき昇り、その姿が異形のものに組み変わっていく。深紅の装甲は厚く、大きく、溶岩のような熱を帯び、赤黒く変色した。足には太い鍵爪が伸び、石の床を踏みしだく。束ねた長髪にも似た白い放熱索がたなびくと、その背に一対の翼が広がった。羽先が幾重にも分かれた、禍々しい放射状の翼。蝙蝠でも鳥のものでもないそれは、既知の存在には当てはまらない気がした。

 直感が告げるは竜の羽根。

 そう、人工物と生物を融合させたようなその意匠は、生物の部分にどこか竜を思わせる。

『エリゼ・シュバルツァーに――アルノールの血の欠片しかもたない彼女に、そこまでの事態を引き起こせるはずが……! まさか復活させるなんて……!』

 ヴィータのひどく焦った声が耳朶を打つ。

 その姿を見たエマの表情も硬くこわばり、ヴィータの言葉の先を継いだ。

『姉さんに視せられた光景の中と同じ……あれは、あれは……《エンド・オブ・ヴァーミリオン》!』

 魔王が再誕の雄叫びを轟かせた。

 それは物理的な衝撃と化し、周囲全てのものに破壊を撒き散らす。煌魔城の天守が木っ端微塵に吹き飛んだ。ヴァリマールとオルディーネはⅦ組のそばに駆け寄り、崩落する天井の岩盤から彼らを守った。

 続けて空間が激しく歪曲する。有無を言わさぬ強制転移だ。

 ねじ曲がっていた視界が正常に戻った時、リィンたちは煌魔城の上空に移動していた。

「なんだ……ここは」

 何も見えないが、足場はあるらしい。騎神でも立っていられる。

 ぼんやりと緋色に光る床は透けて、遥か下方まで見渡せる。天守を失った煌魔城も、眼下にどこまも広がる赤い街並みも一望できた。

 頭上では巨大な火球が渦を巻いている。太陽の顕現とも思える炎の球は、しかしこの世のものとは思えない凶兆を孕んでそこにあった。

 そして業火の照り返しを受ける《エンド・オブ・ヴァーミリオン》が、正面に異形のシルエットを浮き立たせていた。

 どんな敵だろうとエリゼを助けてみせる。その意志は変わらないつもりだった。だがその存在はあまりにも圧倒的だった。

 騎神二体でやれるのか。

 不意に波立つ不安に、リィンは汗ばんだ手のひらを握りしめる。

 帝都ヘイムダルの空。最後の戦いのフィールドに、《紅き終焉の魔王》の影が揺らめいていた。

 

 ●

 

 フットペダルを踏み込み、ランドローラーを最大速度へ。

 マーテル公園の中腹。丁寧に手入れされた芝生を豪快に蹴立てて、レイゼルは迫り来る四体の魔煌兵へと突撃した。

 体形と言うべきか、相手の形状はそれぞれ違う。人に見立てるなら、普通型、長身型、短身型、太身型だ。おそらくは有する能力も異なっているのだろう。

「マーカー設定は、これか」

 アリサに教わった通り、パトリックは複数の敵の登録を手早く済ます。モニターに映る魔煌兵に、A、B、C、Dとアルファベットが割り振られた。

 まとまっていた敵が、レイゼルを包囲するように散開していく。どうやら敵と認識してくれたらしい。

 ありがたい。お前たちはこちらを集中撃破したいのだろうが、こちらはお前たちを各個撃破したいのだ。

 さあ、どう戦う? まずは――

「――お前だ!」

 機体を急転回。ノーマルタイプの魔煌兵Aに向きを変える。とにかく数では不利。先に一体でも仕留める必要がある。

 敵の得物は鉈のような大剣だった。背格好もレイゼルとほぼ同等。とりあえずこいつで力の差を測る。

 魔煌兵Aが大剣を振り回してきた。剣閃をかいくぐって懐に入る――のは怖い。機甲兵でそんな人間じみた動きをやってのけるのはアリサぐらいだ。

 パトリックはブレードを縦に構えて防御した。刃と刃が打ち合い、派手に火花が弾ける。

 敵が振りかぶった。二撃目が振り下ろされる前に、レイゼルは前に出る。ブレードを持ったままの手で、相手の顔面を殴りつける。魔煌兵Aはよろけ、態勢を崩した。

 今だ。足裏のホイールを高速回転させて、敵のすねに遠心力の乗った痛烈なローキックをぶつける。魔煌兵Aの片足はちぎれ、芝生の上を転がっていった。レイゼルは止まらず、もう一度機体を回転。うなだれる形となった魔煌兵Aの首裏に、鋭い斬撃を食らわせる。ゴトンと切断された頭部が地面に落ちた。

「や、やった。よし、次だ――」

 後続の敵に向き直ろうとした時、片足と頭を失った魔煌兵Aが、レイゼルの足にしがみついてきた。

「う、うわっ!?」

『核を潰して! そうじゃないと何度でも復活してくるから!』

 上ずった悲鳴に重なるように、ブリッジからトワの通信が入る。核? 腹の球体のことか。

「最初に言っておいて下さいよ……っ!」

 悪態をつきながら、パトリックは腹這いになっている魔煌兵Aにブレードを突き立てた。背を破り、腹部を抜けた剣先が核を破壊する。

 紫色の光が放散し、魔煌兵の姿は消えた。

 息をつく間もない。

 長身型の魔煌兵Bと、短身型の魔煌兵Cが、レイゼルの目前まで距離を詰めて来ていた。その二体の向こうで、太身型の魔煌兵Dがカレイジャスに迫っている。

「なんなんだ、お前たちは! こんな時に……!」

 焦燥と苛立ちが言葉となって口から吐き出されたが、それで魔煌兵から答えが返ってくるはずもなかった。

 舌打ちをしつつ操縦桿を繰り、パトリックは再びブレードを構えた。

 小柄な体躯の魔煌兵Cが、両腕を空にかざす。空間が一瞬ゆがんだかと思った直後、レイゼルの手からいきなりブレードがすっぽ抜けた。

 ブレードは魔煌兵Cの頭上まで飛んでいくと、宙に浮いたまま動かなくなってしまった。まるで見えない紐にでも縛られているかのように。

「くそっ、魔煌兵ってやつは妙な能力を使うんだな!」

 すかさずデータ解析。温度、湿度、風力に異常なし。その他の異常も特に――いや、三次元グラフの中で、磁力値だけが突出している。あの小さいのは磁場を形成しているのだ。それも機甲兵用ブレードを絡め取るほどに強力な磁場を。

 コックピット内に熱源感知のアラーム。左方からだ。反射的にレイゼルを後退させる。黒いレーザー光が擦過し、レイゼルの胸部装甲に焦げ跡を残して過ぎた。

 魔煌兵Bの攻撃だった。指鉄砲のように人差し指をこちらに向けている。指の先が熱線の照射口になっているらしい。磁場とレーザー、どちらも面倒だ。

「やってくれたな……! この機体を傷つけたら、僕は反省文レポートを五枚書かなくてはならないんだぞ!」

 傷一つにつき、五枚だ。提出先は言わずもがな、アリサ・ラインフォルトである。

 矢継ぎ早にレーザーの追撃。今度は五指の全てから黒い熱線が放たれる。

 レイゼルは腰部にマウントされているアサルトライフル《オーディンズサン》を装備した。回避運動を取りつつ、扇状に弾をばらまいて牽制射撃。

 レイゼルの機動性がなければ、とっくに穴だらけにされている。このまま避け続けて、どうにか間合いに入り込めれば。

 急に機体の動きが重くなった。魔煌兵Cの片腕が、こっちに向けられている。磁力に囚われたのだ。

「しまっ――」

 動作が鈍くなった隙を見逃さず、撃ち出されるレーザー。

 とっさにヴァルキリーブースト起動。莫大な推力が背部に爆ぜ、一気に加速。敵の能力の及ぶ拘束区域から力づくで脱出した。レイゼルに命中しなかった五軸のレーザーが地面を深くえぐる。

「うぐぁっ……」

 正面からの加圧に、肺が潰れそうになる。やってしまった。ヴァルキリーブーストは僕には扱えないから、使わないようにしていたのに。このブースターの瞬間加速の衝撃は、オートバランサーで姿勢制御ができる範囲を超えているのだ。

 転倒だけはしてはいけない。暗転しそうになる意識の中で、パトリックはマニュアル操作で機体のバランスを持ち直そうとする。腕を振って重心の位置を変え、脚部より胴体が前に出ないように。

 踵のフックを地面に差し込んで、それでも50アージュ近くは滑りながら、どうにか踏み止まることに成功した。

 今のでわかった。先に叩くべきは、魔煌兵Cだ。

 えづきながら、パトリックはレイゼルをさらに走らせた。弧を描くルートで、魔煌兵Cに向かう。また手をかざしてきた。横っ飛びに避けてみる。力場は見えないが、うまくいったようだ。機体の動きに影響は出ていない。ブーストは使わず、ランドローラーで間合いを詰めていく。

「これは不得手だが……!」

 レイゼルが右腕を振るう。アサルトラインが射出された。機体を回転させつつ、四本の鋼糸を魔煌兵Cにからみつける。すぐにリバースロール。ミシミシと敵が異音を発し、鋼糸の巻き戻る力で体を複数に切断した。核は――切っている。

 ばらけた魔煌兵Cの体は、さっきの敵と同じで紫光を立ち昇らせながら消えていく。磁力から解放されたブレードが落ち、地面に突き刺さった。

 これで二体目。勢いのまま、レイゼルは魔煌兵Bに特攻。レーザーを撃たせる時間は与えず、魔煌兵Cと同様にアサルトラインで長身細身の体躯を切り裂いた。

「三体目! あとは!」

 カレイジャスに接近している魔煌兵Dだ。

 しかし熱源感知のアラームが鳴る。レーザーの雨あられが、進路を阻んできた。

 ばらばらにしたはずの魔煌兵Cのパーツが宙に浮いていた。さらに両手の指の一本一本が分離し、計十個の砲口と化して広く展開し、多角度からレイゼルに狙いを定めている。

 いかにレイゼルでもこれは避けられない。核を切り損ねていたのか。

 十の指先に黒い光が収束していく。核はどこだ。探せ、早く。無数に浮いている残骸の、どこにも見当たらない。

「だったらそこだろう!!」

 勘だった。一番大きな胴体部に向けて、左腕を向ける。ブレイズワイヤー発射。

 ずどんと胴体を貫通した鋼鉄のアンカーは、その後ろに隠れていた球体の核までをも貫いた。だがダメージが浅い。まだ砲口はこちらを狙ったままだ。撃ってくる。

 青白いスパークがワイヤーを光らせた。アンカーまで通った電撃が、核を粉砕する。魔煌兵B撃破。

 呼吸を整える間も惜しい。パトリックは最後の敵に向かう。

 ずんぐりとした体躯の魔煌兵Dだ。なぜカレイジャスを狙う。いったい何をしようとしている。考えたところでやはりわからないが――

「やめろおお!!」

 その機動力で魔煌兵Dの前に回り込み、どてっ腹に思い切り蹴りを入れた。相手はまったく動じない。見た目通りのパワータイプだ。

 敵は巨大な手斧を携えていた。それを脳天から振り下ろしてくる。ブレードで受けたかったが、あれは地面に刺さったままだ。回収しないで、こちらに来てしまったのだ。

 歯噛みしつつ、機体をひねって一撃をかわす。凄まじい力だった。地面に亀裂が走り、土くれがレイゼルを覆うほどに爆散する。

 砂埃をかぶりながらも即座に前に出て、レイゼルは斧の柄を全力で踏みつけた。一度、二度、三度目で、魔煌兵Dの手から斧が離れる。

 空いた両手が、すかさず首元に迫ってきた。こちらも応戦。そのままレイゼルと魔煌兵Dは組み合う形となった。

「ぬっ、ぐぐぐうう!」

 異常加圧のアラームが鳴り響く。コックピット内の照明が赤に切り替わった。人間でいう腰椎に該当するフレームに、対荷限界の二倍近い圧力がかかっている。このままでは機体が真っ二つに折れてしまう。

 連立式オーバルエンジン出力全開。強大な膂力をもって、魔煌兵Dに競り合っていく。

 使いたくないヴァルキリーブーストを起動。爆発的に押し返して、敵の巨体を背中から倒れさせた。胸を足で押さえつけ、青天になった魔煌兵Dの腹部に、ライフルの銃口を押し付ける。

「僕たちの邪魔をするなあ!!」

 全弾を打ち尽くすゼロ距離射撃。砕けた黒い装甲の破片が大量に飛び散り、核をハチの巣にされた魔煌兵Dも消滅した。

「はあ、はあ……なんとか、なったな……」

 どうにかカレイジャスは守り切った。

 警戒体勢に移行したパトリックは、そこで気づいた。煌魔城付近の空の赤みが、先ほどよりも増している。ここからでも視認できる火球が、おどろおどろしく渦を巻いている。

 状況は不明だが、尋常ではない事態が起きているのは確実だ。

 あそこにも敵がいるのなら、要になるのは間違いなく騎神の太刀だろう。いまだにリィンは丸腰のはずだ。いずれにしても、早くカレイジャスを動けるようにしなければ。

『ブリッジへ。こちらパトリック。魔煌兵四体を撃破した。これより帰艦する。レイゼルの整備、及び弾薬補充の準備を――』

 唐突に悪寒が走った。否応なく噴き出た汗が、制服の背に冷たい染みを拡げる。

 悪寒もあるが、これは実際の冷気だ。殺意さえ混じるその気配の発生源に、パトリックは強張る首を振り向けた。

「うっ……!?」

 そこにもう一体、魔煌兵が立っていた。

 大鉈のような剣を胴体から生やした四本腕のそれぞれに携え、その背に魔法陣の光輪を展開させている。

 知っている。カレイジャスに合流してから、経緯報告書で読んだ。特徴が一致している。こいつがそうか。

 氷霊窟に現れたという最強の魔煌兵。ヴァリマールを通して伝えられたこの存在の名前は――

「《イスラ=ザミエル》……!」

 氷霊窟の最奥、ゼムリアストーンの前に立ちはだかりながらも、何をするでもなく引き下がった魔煌兵が、なぜここで再び現れる。

 リィンからの報告書には、こんな記述もあった。《イスラ=ザミエル》が消えるとき、こちらに意志を告げてきた。それを受け取ったヴァリマールが変換した言葉は、“今、この時ではない”となったらしい。

 理由はわからないが、魔煌兵は騎神を敵対視している。

 だがここにヴァリマールはいない。しかしヴァリマールのもっとも大きな力となるものなら、ある。

 ゼムリア鉱。騎神。力。敵対。

 思いつく言葉をつなぎ合わせ、パトリックは直感した。

 さっき倒した四体の魔煌兵は、地水火風の霊窟で出現したやつらだったのか。それらを率いてきたのが、この《イスラ=ザミエル》だ。

 こいつらの狙いはカレイジャスじゃない。その奥で精製されているゼムリアブレードだ。

 その剣を破壊に来た。あるいは己のものとするべく奪いに来た。確実に灰の騎神の力を削ぐ為に。

 ただの鉱石の塊であった時点で“今、この時ではない”というのなら、剣としての形を成し、ヴァリマールの手に渡る前のタイミングこそが――

「“今、この時”というわけか!」

 《イスラ=ザミエル》の鉄面が、青い冷気にゆがめられ、にたりと嗤ったように見えた。

「ブリッジ、状況はわかっているな。敵の目的はおそらくゼムリアの太刀だ。太刀の完成を急ぐと共に、エンジンの復旧を最優先に! 空へ逃げろ! 僕が時間を稼ぐ!」

 そう、勝てなくともいい。カレイジャスが飛べるようになるまでの間を保たせるのだ。

 オーディンズサンに残弾はない。ブレードは敵の向こう側。近、中距離で効果的なアサルトラインを主力にして立ち回るしかなさそうだ。

 《イスラ=ザミエル》から立ち昇る冷気が濃くなった気がした。何か仕掛けてくる。相手の力は未知数だ。先手を譲らせるわけにはいかない。

 アサルトラインの射出を――

「え?」

 振ろうとした右腕が反応しない。いや、レイゼルの右腕がない。肩口から外れ、地面に転がっている。攻撃の要たる右腕が。

 透けるほどに薄く、しかし鋭利な氷の刃が、レイゼルの足元から突き上がっていた。切断されたのだ。一瞬で。衝撃も感じなかった。

 操縦桿を握る手が震える。エマ・ミルスティンいわく、魔煌兵は“人の手では決して倒すことのできない存在”だと言い伝えられているという。

 納得だ。反論の余地がない。先の四体とは格が別次元だ。

 それでも引けない。僕の後ろには多くの仲間たちがいる。学院の補修とは違う。壊れたら、もう元には戻せないんだ。

「絶対にカレイジャスに手は出させない。剣だって渡さない。必ずあいつの戦う場所まで届けてみせる」

 守り切るぞ、レイゼル。その為にお前がいて、僕がいる。

 パトリックは歯を食いしばり、体の震えを己の意志で止めた。

 

 

 ――つづく――

 


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