虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第118話 虹の軌跡

 少し時間をさかのぼる。

「あれは……? ヴァリマール、高度を落としてくれ」

 煌魔城を目指すリィンが、マーテル公園の上空に差し掛かった時だった。地上の様子を映すメインモニターに、赤い船体がちらりとよぎった。

 間違いない。カレイジャスだ。公園の広大な敷地の中腹に、不時着したような格好で停まっている。その少し離れた位置にはパンタグリュエルも見えた。こちらも巨大な船体を傾けての不時着だ。

 ドライケルスに視せられた光景の中で、カレイジャスが煌魔城に向かったところまではわかっている。そのあとで墜ちたということだろうか。だが墜落にしては損害が軽微だ。

 訝しげに思いつつ、リィンはカレイジャス横にヴァリマールを降り立たせた。

 ややあって後部デッキの扉が勢いよく開く。

『リィン君!? リィン君なの!?』

 転げるようにトワが飛び出してきた。

「トワ会長!」

 ヴァリマールの外に出て姿を見せようとしたが、寸前で思いとどまる。

 さっきオズボーンと会った時がそうだった。(ケルン)から降りた途端に体の苦痛が増大したのだ。なけなしの霊力を俺に回して、ヴァリマールが生命維持の負担を軽減してくれているからだろう。多分、俺はもう騎神の外に出られない。

 だから音声だけでの会話になった。

『良かった……本当に良かった。でも大丈夫なの? 体の容態は?』

「ご心配をおかけしました。……体は、大きな問題はありません。ヴァリマールが治癒してくれましたので」

『治癒って、どの程度の?』

「完治とはいきませんが……戦える程度には」

 不安そうなトワの顔がモニターにアップになる。自分で操作はしていない。おそらくヴァリマールの抗議だ。

 本当のことを告げろ。この顔に嘘をつくのか。

 そう言われている気がした。

 勘弁してくれ、ヴァリマール。ここで言えるわけないだろう。

『そう……。止めても行くんだよね。お願い。無茶だけはしないで。ちゃんと帰ってくるんだよ』

「……はい」

 即答しようとしてしきれず、リィンは胸の詰まる思いを味わった。

 それからトワはここまでの経緯を教えてくれた。無茶だけはしないでという彼女こそ、ずいぶんと無茶な作戦をやったらしい。

 パンタグリュエルにカレイジャスで乗り付けて、ブリッジを占拠してしまうとは。

 ブルブランの妨害にあったりと、予想外のアクシデントは多かったそうだが、それでも彼らは全てをやり遂げ、Ⅶ組のみんなを煌魔城に送り出してくれた。

 だがそのみんなは、強大な敵に立ち向かい、今まさにこの瞬間に危機に瀕している。俺も早く後を追わなくては――

『ヴァリマール』

 集音システムが、足元から別の声を拾う。船倉から出てきたクララが、すぐそばまでやってきていた。

『主任。怪我ハナイカ。……ム、打撲箇所ヲ多数確認』

『勝手に人の体をスキャンするな。いらん心配だ。ゼムリアストーンの太刀のことを伝えに来た』

『デキタノカ?』

『まだだ。完成していない』

 クララは擦り傷だらけだった。目の下にはひどい青あざもある。

 艦が戦闘機動を取るたびに、何度も転げ回ったのだろう。まさかずっとゼムリア鉱石を打っていたのか? それほど激しい作戦行動中でも、ほとんど墜落のような不時着の最中にも。

『あとは物打ちの重心調整だけだ。すぐに最後の仕上げに取り掛かる。待つか?』

 リィンは逡巡する。剣は必要だ。しかしⅦ組の皆は、すでに貴族連合の協力者たちと交戦している。すぐにでも加勢に行かなければ――いや、行きたい。

『先ニ煌魔城ニ向カウ』

 リィンよりも先に、ヴァリマールがそう言った。

『わかった。剣は作っておく』

『私ハ、ソノ剣ヲ受ケ取レナイ』

『なぜだ』

『主任ノ問イニ、私ハ答エヲ出セテイナイカラダ』

『……『自分は人か機械か』というお前に、私は『人と機械の違い』を答えろと、そう言ったな。そして『その答えが出た時に剣を渡す』とも』

 リィンは驚いていた。そんなやり取りがあったのか。それよりも、ヴァリマールはそんな疑問を持っていたのか。

 クララはヴァリマールを眺めていた。

『お前はもう、その答えを出している。これ以上ない明確な答えを、すでに私に見せている』

『……? 私ニ、ソノ自覚ハナイ』

『帰ってきたら教えてやる。剣のことは心配するな。必ず送り届ける。私はこうも言ったはずだ。この剣はお前が手にして完成なのだと』

 カレイジャスは不時着の衝撃でエンジントラブルを起こしていて、一時的に飛べなくなっているそうだ。現在はジョルジュが突貫で復旧作業を行っているらしい。

 クララは船倉の中へと引き返していく。会話はヴァリマールとだけで、特にリィンに声をかけたりはしなかった。偏屈で有名な彼女なのに、一体いつから二人はこのような話をするようになったのだろう。

 その時、通信が入った。《レイゼル》からだ。ということは――

『――シュバルツァー。聞こえるか? 君が来たと聞いて、通信をさせてもらった』

『パトリックか。どこにいる?』

『ドックでレイゼルに待機している。事細かに体の状態など問い質してやりたいところだが、急ぐのだろう? 用件だけ言わせてもらう。預かった剣を返す。これを持っていくといい』

 カレル離宮奪還作戦の時に、ヴァリマールからレイゼルに託した騎甲兵用ブレードだ。

『それは持っていかない。動けないカレイジャスに貴族連合が攻めてくる可能性もある。その剣を使って、みんなを守ってくれ』

『だがそれでは、君が……』

『……俺はいいんだ。大丈夫だから。頼んだぞ』

 多くは語らなかった。結局、パトリックもそれ以上は聞かず、『わかった。約束する。武運を』とだけ返して、通信が切れる。

『リィンさん』

 もう一人、リィンに声をかけた者がいた。

 後部デッキ。トワのとなりにアルフィンが立っていた。走ってきたのだろう。肩で息をしている。

「アルフィン殿下……!? この作戦に殿下が乗艦したままなのですか?」

『えっと、一応降りるようには言われたのですけど、ヴァンダイク学院長の隙をついて乗り込んじゃったんです』

「あ、あったんですか? 学院長に隙……」

『なかったので作りました。下剤入りのお茶で。まあそれは良しとして』

 良しとされてしまった。

『どうしても最後まで来たかったんです。聞いてください、リィンさん。煌魔城にセドリックがいます。エリゼもそこに』

「二人が……?」

 そうだった。カレル離宮で撃たれる直前、そこにエリゼたちはいなかった。自分たちが踏み込むのと入れ違うようなタイミングで、煌魔城に移動していたのだ。

『エマさんから聞いた通り、カイエン公爵はセドリックを――“アルノールの血”を利用して、《緋の騎神》を目覚めさせようとしているみたいです』

「……エリゼが同行しているのは、おそらく護衛のつもりでしょう。エリゼの性格ならセドリック殿下をお守りしようとするはずです」

 パンタグリュエルでカイエンに会った時、エリゼは彼の態度に憤り、強く警戒していた。バルフレイム宮にセドリックを連行しようとすることに、何かしらの不審を覚えたというのはあり得る話だった。

『お願いします。セドリックとエリゼを助けてください』

「元よりそのつもりです。セドリック殿下を引き金にして騎神を蘇らせるなんてことがあってはいけない。殿下のおそばにいるのなら、エリゼもそう思っているはず。必ず二人とも助けます」

『二人ともわたくしの大事な人ですから。……もちろんリィンさんも。どうかご無事で』

 そして最後にトワが言った。

『リィン君。私からは一つだけ。クロウ君のことを――』

「わかっています。その為にここまで来ました」

『うん。アンちゃんもジョルジュ君も、同じ気持ちだから』

「届けてきます」

 ヴァリマールはスラスターを噴かした。再び機体が上昇する。トワやアルフィン、他の学院生たちも見送ってくれた。

 カレイジャスが遠ざかる。別れの言葉は――やはり言えなかった。ヴァリマールも直接は何も言ってこない。

 赤い街並みの上を飛び、いくつかの区画を越えた先で、ようやくリィンは目的地に到達した。

 かつての様相を完全に失い、禍々しく変容したバルフレイム宮殿――エレボニア帝国に根付く因果の集約点たる煌魔城。

 リィンは機体の高度を上げた。最初から天守に突入するのが手っ取り早い。

 唐突にヴァリマールのモニターに強いノイズが走る。入り乱れる衝撃波に、凄まじい熱だ。発生源を特定。天守の一つ下の階層だった。

 誰かが戦っているのか? しかしこれほど莫大なエネルギーを放射するなど、尋常なことではない。

 確認するべきだ。

『待テ。障壁ヲ感知シタ』

「……結界か」

 煌魔城を茫洋とした紅い光が覆っている。相当に強力な結界だ。正面からの突破は、まず不可能だろう。

 やれる。

 しかしリィンは自然とそう思った。自分の思考を疑問にも思わなかった。

「合わせろ、ヴァリマール」

『応』

 結界に向けて、腕を突き出す。煌めく霊力が、かざした手の先端に集まっていく。

 紅い障壁がぐらりと揺れ、そして爆ぜた。

 

 

《――虹の軌跡――》

 

 

 漂う塵芥を吹き散らし、ヴァリマールがオルディーネに特攻した。ダブルセイバーの斬撃を腕で無理やりに弾き、相手の喉輪を片手でわしづかむ。

『おおおっ!!』

 スライド展開する背部バインダー。収縮した霊力が、推力と化して一気に放たれる。スラスター光の塊となったヴァリマールは、フルブーストのまま壁面にオルディーネを押し付けた。数十アージュに渡って、派手に岩壁が砕けていく。

『調子に乗んじゃねえ!!』

 クロウが吼える。瓦礫にまみれながら、オルディーネは体勢を戻してきた。位置を入れ替えると同時に、ヴァリマールに痛烈な膝蹴りを見舞う。さらに空中で回転し、かかと落としの追撃。灰色の装甲が割れ、無数に剥落していく。

 ヴァリマールは止まらない。双眸に光をたぎらせ、アッパーでオルディーネの顎を打ち抜く。のけぞるオルディーネは、しかしそれをバネにして頭突きで反撃してきた。かち合い、激しく散る火花。ヴァリマールの頭部装甲にヒビが入る。

 さらにダブルセイバーの縦一閃。ヴァリマールは閃く刃を両手で挟んで受け止めた。一歩間違えれば両断される、肝の冷えるようなタイミングの白刃取りだった。

 そのまま武器を奪うつもりか。違う。へし折るつもりだ。みしみしと圧をかけられたダブルセイバーがわずかに軋む。察したオルディーネが腹部に蹴りを入れ、ヴァリマールを吹き飛ばした。床に激突。轟音と共に、大量の石の削り粉が宙に舞う。荒ぶ粉塵の中で、尚も雄叫びを上げながら灰色の巨体は立ち上がる。

「これが騎神の戦い……!」

 眼前で繰り広げられる巨人たちの死闘に、エマは生唾を呑み下した。

 ヴァリマールとオルディーネの戦闘なら、ユミルで一度目にしている。だがあの時は、まだリィンも霊力の扱いに慣れておらず、終始クロウの優勢で終わった。

 熟達した起動者同士が駆る騎神での戦いが、これほどまでに熾烈を極めるものだとは。

 しばし圧倒されていたエマは、はっとして顔をそちらに振り向けた。ヴィータ・クロチルダだ。彼女もまた、二人の戦いを見守っている。

 ヴィータは正面から目を逸らさないまま言った。

「あなたと戦う気はないわ。ここからの主役は彼らだから。私たちが導いた……ね」

「姉さん……?」

 “見守る”というよりは“見届けている”という感じがした。見届ける? 勝敗を? それ以外の何かを確かめているようにも思える。彼女が見ているのは、この戦いそのものではなく、その先にある何か――

 その時、地面に光陣が浮き立った。転移陣から姿を見せたのは、フィーとミリアムだった。

「ここどこー?」

「天守だったらいいんだけど」

「フィーちゃん、ミリアムちゃん!」

『わぷっ』

 駆け寄り、思い切り抱きしめると、胸の中の二人が苦しげにうめいた。

「あ、圧力」

「暴力」

「なんの話ですか?」

 彼女たちはゼノとレオニダス、そしてアルティナと交戦していた。そして見事乗り切ってきてくれたのだ。

 フィーたちを皮切りに、次々と皆が転移してくる。

 ラウラが、マキアスが、ガイウスが、ユーシスが、エリオットが、アリサが、みんな無事で――いや、ユーシスだけが違った。

 マキアスに肩を支えられる彼は、ひどく顔色が悪く、呼吸の音もおかしい。マクバーンとの戦闘で、勝負の決め手になったのがユーシスだった。最後の接近戦で何かがあったのか? エマから見た映像の限りでは、詳細はわからなかった。

 訊こうとして、全員の視線が一点に集中していることに気づく。

 アリサが最初に口を開いた。

「オルディーネとヴァリマールが戦ってる……? 乗ってるのはリィンなの!?」

「はい。さっき煌魔城の結界を破って突入してきて……」

「ま、待て。体はどうなのだ?」

 ラウラが焦ったように重ねた。

「……わかりません。すぐにオルディーネとの戦闘に入ってしまったので、確認はできませんでした。けど……」

 誰しもが不安に表情を曇らせて、なお続くその激戦を見ていた。

 重要な血管や神経を損傷させながら、胸を貫通した銃弾。霊力による治癒で一命を取り留めたとはいえ、一日二日程度で完治するなどという冗談はない。かろうじて傷が塞がっている程度ではないのか。少なくとも戦える体ではないはずだ。

 その見立てとは裏腹に、リィンの戦い方は激しい。

 ほとんど守りをしない攻めの姿勢を貫いている。力のペース配分など完全に無視して、被ダメージを一切顧みない猛攻は、およそ彼らしくない気がした。

 まるで後先を考えていない。いや、後がない……?

「リィンさん……!」

 ヴァリマールがオルディーネを捉えた。強く組みつき、スラスターを全開にして急上昇。輝粒の尾を引いて、天井へと垂直に駆け上がる。天板に激突しても推力はさらに増し、ついには天井をぶち抜いた。

 降り注ぐ石材と瓦礫の雨の中で、騎神たちの姿が最上層へと消えていく。

「私たちも追いましょう。転移します。皆さん、私の周りに集まってください」

 ヴィータも一足早くに最上層へと移動したようだ。

 エマは魔導杖もなく、霊力も尽きかけていたが、短距離の転移術くらいはどうにか使えそうだった。

 それぞれの無事を安堵しあうのはあとだ。負傷の状態を看るのもあとだ。リィンは今、戦っている。Ⅶ組の全員がその場(・・・)にいなくては意味がない。

 彼らは天守に飛んだ。

 

 

 分厚い岩盤の層を抜けた先で、煌魔城の最上層にたどりつく。組み合いを解いたヴァリマールとオルディーネは、互いに距離を取った。

「ここが――」

 首を巡らせ、リィンは周囲を見る。広い空間だ。騎神同士の戦闘でも支障はないほどの。

 石造りの壁が、ぼんやりと赤く光っている。濃くなったり、薄くなったりと、一定周期で明滅するその光は、壁を伝って一か所に集約されていた。

 天守の中央。そこに巨大な台座みたいなものがある。さらにおびただしい数のパイプが台座の周りを何重にも取り囲んでいた。その奥に眠る一体の巨人を守護するかのように。

 紅い甲冑をまとう巨人。一目でわかる。あれが《緋の騎神》だ。

 緋の騎神の腹部の辺りに、キャットウォークのような足場が組まれていた。そこに三人いる。不敵に立つカイエン公爵と、椅子に座らせられているセドリック皇太子と――

「エリゼ!!」

『兄様!』

 身を乗り出すエリゼ。

 その横でセドリックは目隠しをされていた。おそらく緋の騎神に力を送り続けているのだろう。首を垂らし、明らかに消耗している。

「二人とも、今助ける!」

『やれるもんならな』

 オルディーネが目前に迫ってきていた。反応が遅れた。懐に入られる。俊敏なダブルセイバーの切り上げ。身をひねってかわすも、右肩の装甲に深い切り傷が刻まれた。

 牽制しなければ。しかし叩きこもうとした拳は届かず、その腕に鋭利な刃先が突き下ろされる。

「うあああっ!」

 腕を貫通した激痛が、騎神のフィードバックによって搭乗者にも伝えられた。

 続けざまの追撃。豪快に回転する双刃が旋風のごとき唸りを上げ、無防備になったヴァリマールを滅多打ちにする。

 容赦なくはぎ取られ、削られていく装甲。腕部と左腰部、それと右膝の内部フレームが露出していた。

 ダメ押しの一撃が胸部に入る。ヴァリマールは背中から床に叩きつけられた。

「がっ」

 リィンの視界に鮮血が散る。自分の口から血がこぼれていた。吐血――いや、喀血だ。胸に手を当てる。熱く、べったりとした感触。皮一枚で繋がっていた傷口が開いてしまったのだ。腿を伝ってしたたり落ちた血液が、足元に血だまりを作っている。

『リィン。モウ止メロ。コレ以上ハ、ヤハリ看過デキナイ』

 核の中だけにヴァリマールの声が響く。

「遅かれ早かれって話だっただろう。最期まで走らせてくれ」

『ダガ、ソレデハ、私ハ……私ノ気持チハドウナル?』

「ヴァリマール……?」

『お前、剣はどうした?』

 そこでクロウが言った。ヴァリマールの前に降り立ったオルディーネが、こちらを睥睨している。

「見ての通りだ。持って来ていない。今まで使っていたブレードは、カレイジャスを守るために置いてきた」

『素手でやり合えると思ってんのか。艦の防衛に自分の力を削いで、俺と立ち会えると本気で思ってんのか』

 クロウが怒っている。彼にとっても待ち望んでいたであろうこの邂逅に、全力をもって応じていないことに対しての怒りだ。

『なめられたもんだぜ』

「俺は全力だ」

『じゃあ素手で俺に勝てるってんだな』

「勝つとか負けるとかだけで、この戦いには臨んでいない」

『それが舐めてるっつーんだよ!』

 首をつかまれ、ヴァリマールは引き吊り立たされる。そのまま片手で持ち上げられ、つま先が浮いた。

『ったくわかってねえな。俺がどんだけ――』

「わかってないのはお前だ。舐めてるのもお前だ」

『なに?』

 仲間たちがモニターの端に映った。転移術で天守まで上がってきたらしい。全員がそろっている。

「俺たちがどれほどの想いでここまで来たと思ってる。何を背負って、何を託されて、お前の前に立ってると思っている」

 自分の首に伸びるオルディーネの腕を、ヴァリマールは両手でつかんだ。振りほどくことはできなかった。

『背負うもの? 託されたもの? それはお前が勝手に背負って、受け取ったもんだろう。俺に関係があるのか?』

「トワ会長が、アンゼリカ先輩が、ジョルジュ先輩が! どんな気持ちでいたのか、考えたりはしなかったのか!?」

『はっ、そういうことか。お前らしいな。バリアハートでトワには会った。その時にもう、別れは告げてる』

「それで別れられたと思ってるのは、お前だけだ!!」

 発露する怒りが指先にまで伝わる。オルディーネの腕の装甲がメキメキと陥没した。

『ちっ!』

「あああ!!」

 首を絞める腕を力任せに引きはがし、固めた拳で思いっきり横っ面を殴る。

「わかるか!? 先輩たちがどれだけ傷ついて、悲しんだか! 俺たちだって!」

『なんでも知ったような口を利くんじゃねえ! じゃあお前には俺のことがわかるのかよ!?』

「わからない! 俺たちはクロウのことを何も知らない! だからわかりに来たんだ!」

『この期に及んでそれか! 甘い! 何もかもが甘いんだよ!』

 オルディーネがヴァリマールを殴り返す。ダブルセイバーは床に突き立て、手放していた。

 戦術も技をあったものではない。ただ殴り合っている。装甲が潰れ、壊れる破砕音と、金属同士が衝突する甲高い音が何度も入り混じる。

 それは煌魔城で相まみえる騎神同士の宿命の対決――などではなかった。もっと単純な、たとえば学院の屋上で取っ組み合いのケンカをする、感情をむき出しにした学生のようなぶつかり合いだった。

「全部、嘘か?」

 リィンは叫んでいた。

「お前と出会ってからの出来事は。俺たちに向けた笑顔も、先輩たちと導力バイクを作った時に流した汗も」

『ああ?』

「ルビィの飼い主を探し回った日々があった。夜の学院で幽霊探しをした。一緒に女子の料理を食べて死にかけもした。屋台の売り上げ勝負だってやった。ユミルの温泉ではお前のせいで殺されかけた。教会で子供たちに向けて演劇をした。学院を罠だらけにされて命からがら駆け回った。あの体育祭ではみんなが死力を尽くした。俺が知らないだけで、お前とみんなとの関わりは他にもあったんだろ! その時に見せていた表情は、発した言葉は――」

 忙しなくドタバタして、けれど確かに輝いていた毎日は――

「全部、嘘か!?」

『そうだ! 何度も言ったはずだ。俺は帝国解放戦線のリーダー。その本分は《C》だと!』

「本分なんか聞いてない!」

 《ARCUS》が熱を帯びていた。Ⅶ組の仲間たちを見る。同じだった。みんなの《ARCUS》も光り輝いている。共鳴の波紋が広がっていく。

「俺たちが知りたいのは本心だ、クロウ!」

 “――過ごした時間はなくならない。育んだ絆はなくならない――”

 いったい誰から聞いたのか、不意に心中に結実した言葉を胸の奥に留め、リィンは全員の姿を視界に収めた。

 この瞬間の為に、俺たちはここにいる。

 光がほとばしった。

 リィンを起点に伸びた光軸はアリサに届いた。アリサからラウラへ、エリオットへ、ガイウスへ、マキアスへ、ユーシスへ、ミリアムへ、フィーへ、エマへ、バトンのように繋がっていき、そして再びリィンへとリンクラインが届く。

 十人での重奏リンクだ。数多の色が重なり合い、ヴァリマールを中心に虹色の輪を形成する。それはオルディーネをも包み込んで――

『オーバーライズ』

 一つにそろう全員の意志。

 強い輝きが立ち昇った。煌魔城の天守に鮮やかなプリズム光が満ちる。まるでオーロラのカーテンのように、どこまでも、どこまでも広がっていく思惟の燐光。

『――じいちゃん』

 そのたゆたう虹色の光の中に、銀髪の少年の笑顔が見えた。

 

 

 窓から差し込む日差しが、こじんまりしたリビングを暖かく照らす。吹き込む微かな風が、日焼けしたカーテンを柔らかくはためかせていた。

 木板の張られた床は、歩く度にギシギシとへこんで心許ない。一つだけしかない食卓テーブルは、ちょっとがたついている。家具も必要最低限。戸棚の中には二人分の食器。

 唯一多かったのは本だ。ジャンルは様々。史学、政治、経済、雑誌。書籍の置かれた棚だけは、いつだっていっぱいだった。

「……俺の、家だ」

 クロウはそのリビングの真ん中に立っていた。

 記憶のままの情景が目の前にある。匂いもかつてのままだ。久しく思い出すことさえなかった、家の匂い。

「お前ら、いったい何をした?」

 振り返ると、リィンがいた。リィンだけじゃない。Ⅶ組の連中がそろい踏みだ。

「詳しい原理はよくわかってない。ジョルジュ先輩が言うには、《ARCUS》のリンクが性能限界を超えた時に起こる、感情を主軸にした記憶の映像化らしい。俺たちはオーバーライズって呼んでる。戦術オーブメントの戦闘機能の強化が主で、この現象はあくまでも副産物的なものだそうだが」

「そんなことがあり得るのか?」

「最初に経験したのはユーシスとマキアスだ。それを元にした仮説だけどな」

「幻……とは違うみたいだな」

 感情を主軸にした記憶の映像化。ややこしい言葉だが、要するに俺の主観が多分に入り混じった過去の再現だということだろうか。

「オーバーライズの発動と同時に、三人以上を繋ぐ重奏リンクを全員で発動させてる。そこにクロウを巻き込ませてもらった。俺たちがここにいられるのは、その効果のおかげだろう」

「いつもいつも、お前らは想像の斜め上を飛んでいきやがる。これが俺の過去を知るってことか?」

「強引な手段だとは承知してる。思い出に土足で踏み込むような真似だというなら、これ以上は――」

「いいさ。面白いもんは見られねえと思うけどな」

 俺がこの現象の核だからだろう。なんとなくわかる。俺が本当に他人に知られたくないことは、こうした映像再現はなされない。つまり、俺の心が『こいつらなら、まあいいか』と思っているのだ。

「ん? おい、なんだ二人とも。俺のぼろ家がそんなに珍しいかよ」

 ユーシスとマキアスが、きょろきょろと周りを見回している。

「い、いえ。僕たちが経験したオーバーライズの光景は、ここまで明瞭なものじゃなかったんです。セピア色の世界だったというか、あくまでも外側から映像を見ていたというか……」

「重奏リンクも使っているからだろう。現象を引き起こし、維持する力が増幅されているのかもしれん」

「というかユーシス。体は……?」

「今は問題ない。現実の世界ではないからかもな」

「……そうか」

 マキアスは心配そうにユーシスを眺めていた。

 その一方で、リィンは自分の胸をしきりに確認している。しかし特に問題はないようで、何やら納得したように一人でうなずいていた。そしてアリサとラウラに問い詰められ、しどろもどろに弁解している。

 こいつら、人の記憶の中で何やってんだ。

『あー、腹減ったー!』

 扉が勢いよく開いて、銀髪の少年が駆け込んできた。十歳に満たないくらいの子供だ。頭にはその頃からのトレードマークであるバンダナがしっかりと巻いてあった。

「あ、もしかしてちっちゃい時のクロウ?」

「ボクより背、低いかもね!」

 フィーとミリアムが言う。ミリアムよりは高いに決まって――いや、同じくらいか。

「はっ、いかにも悪ガキっぽい感じだ」

 自分から見てもそう思う。

 子供の俺は玄関で靴を脱ぎ散らかして、忙しなくリビングまで入ってきた。走ってきたせいで、喉が渇いているらしい。水道の蛇口をひねって、コップに水を注いでいる。

『クロウ。先に手を洗ってからにしなさい』

 遅れて玄関から聞こえたその声に、思いがけず息が詰まった。脱ぎっ放しにした靴を整えてから、その人もリビングまでやってくる。

 後ろに撫でつけた白髪の髪色。しわの入った優し気な目じり。ピンと張った背すじは、実年齢よりも若く見えた。

「……じいさん」

 あの日の姿の祖父が、目の前で笑っている。

『じいちゃん、かけっこは俺の方が早いな!』

『ははは、さすがに追いつけん』

『じゃあ次はゲームで勝負! カードでもボードでも、なんでもいいぜ!』

『そっちではまだまだ負けんよ。ただ夕飯の後でな』

『え~!? 今がいいって』

『腹が空いたと言っていただろうに』

 二人の姿がすっと薄れて消える。

 どこかためらいがちに、リィンが言った。

「今の方は、クロウの……?」

「おう、じいさんだ。ジュライの市長を務めてた人でな。気も回るし、頭も切れる。ゲーム事は大体じいさんに教わった。俺の唯一の肉親だ」

「し、市長? ジュライ特区の?」

「ジュライ市国だ。当時はな」

「す、すまない」

「別に気にしてねえって。あと市長なのにこんなボロ家なのかってツッコミはなしな。改築するくらいの蓄えはあったと思うが、そのあたりには無頓着な人でよ。……懐かしいな、まったく」

 忘れたつもりはなかったのに、こうやって記憶をたどってみると、思い出すことの方が多い。

「クイズだ。ジュライ市国だった頃の情勢を答えてみな。ほれ、マキアス」

「ぼ、僕が? ええと――」

 あたふたとマキアスは口を開いた。

「人口は15万人程度で……他国との交易を中心に栄えていた都市国家ですよね」

「おう。相変わらずそのメガネは伊達じゃねえな」

「知識がメガネに詰まっているような言い方を……」

「それなりに豊かで、平和な国だったらしいぜ。……けど、ある日起こった異変が、全てを変えちまった」

「“ノーザンブリア事変”ですか」

「正解だ。俺が生まれる八年くらい前だから、当時の混乱は聞いた程度にしか知らねえが。現地はそりゃもうひどい有様だったそうだ」

 《塩の杭》と呼ばれる謎の物質によって、ノーザンブリア大公国の国土の大半が塩と化した。人も物も区別なく。この異変によって、ノーザンブリアと交易を行っていたジュライの経済は衰退を始めてしまった。

「まあ、昔に比べて衰退したって言っても、俺自身は昔を知らないわけだ。贅沢じゃねえけど、普通に生活はできてたからな。ガキの俺には世界情勢なんてわからなかったし、どうでもよかったよ。毎日が楽しけりゃ、それでよかったんだ」

 そうさ。だから。

「鉄道網拡張政策の一環として、エレボニアからジュライへの鉄道開設の申し入れがあったことも、どうだってよかった」

 

 景色が移り変わる。天気は快晴。昼下がりの日差し。

 整然とした植林と、いくつかの遊具が設置された市内の公共公園だ。そのベンチスペースの一角を陣取って、カードゲームで遊ぶ子供が二人。

『つーわけでさ、帝都とジュライが直通したから、たったの一年で経済状況がぐんと良くなったってこと。わかるか?』

『わかんない』

 そんな話をしながら、少年のクロウはカードを出す。対面する子供は表情をしかめた。

『また負けちゃったよ。クロウ兄ちゃん、強いな~』

『たりめーだろ。こちとら、じいちゃんに直接指導を受けてんだから』

『兄ちゃん、そればっかりじゃん。よっぽど市長のおじいさんの事が好きなんだなー』

『違げーよ。でも、そうだな。いつかじいちゃんにも勝つつもりだぜ、俺』

『うんうん、兄ちゃんにならできるよ。じゃあもう一勝負!』

『あいよ』

 二人の少年のやり取りを、クロウたちは後ろで見ていた。

「……昔はこうやって毎日遊んでばっかだった。そいつはなんでか俺に懐いててさ。どこに行くにも俺の後ろをついてくんだよ。年下の弟分みたいなもんか」

 名前は確か――スタークだった。

 スタークは慣れない手つきでカードをシャッフルしながら、またさっきの話題を持ち出した。

『でも鉄道が増えたら、なんで良いことも増えるの?』

『物の行き来が増えるからだろ。そしたら商品一つあたりの単価も落ちる。だからみんなが物を買う。金の動きが活発になる。ますます流通が潤う。大人たちの仕事も増える。そりゃ市議会も飛びつくわけだよなあ』

『へえーすごいや! さすが兄ちゃんだ』

『お前、わかってないだろ?』

 俺もじいちゃんの請け売りだけど、と少年のクロウは小さくつぶやいた。

 カードゲームは続く。やっぱり優勢なのは兄貴分だった。

『どうした、スターク。長く考えたって、結果は変わんねーぞ』

『列車の音がうるさくて集中できないんだもん』

『今日の言い訳はそれかよ……』

 市中だから、公園の近くにも鉄道が走っている。ヘイムダル行きの列車が通るたびに、走行音が二人の会話をかき消していた。

『ま、なんにせよ。俺の勝ち――』

 決め手のカードを場に置きかけた時、唐突に爆発音が轟いた。近くではない。離れた場所からの轟音。公園の木々の向こうから、もうもうと黒煙と火柱が立ち昇っている。

 Ⅶ組はぎょっとして、その方向に目を凝らしていた。とっさにスタークをかばう少年の自分を見据えたまま、クロウは顔を振り向けることさえしない。

 この瞬間にそれが起こることを知っていたから。

 快晴は崩れ、いつの間にか仄暗い曇天が広がっていた。

 

『じいちゃん、飯作ってきたぞ。食ってくれよ』

 場所が変わっていた。家の寝室だ。

 クロウがトレイに乗せた食事を運んでくる。寝ていた祖父は身を起こし、ベッド横の簡易テーブルに向かって座りなおした。

『ああ、頂こうか』

『調子は?』

『今日はいいぞ』

『よかった』

 野菜をたくさん入れた雑炊を、しかし祖父は半分も口にしなかった。幾分丸みを帯びた背中が、疲れを感じさせる。

 クロウは嘆息した。

「さっきの光景な。ジュライとエレボニアを繋ぐ鉄道線路が爆破された時のやつだ。犯人は未だに特定されていない。ないが――すぐに帝国はこう言ってきた。『ジュライの安全保障はあまりにも脆弱』ってな。帝国資本を全て引き上げられ、そこに経済状態を依存していたジュライは大混乱に陥った」

 近代史にも載っている話だ。リィンたちは黙って聞いている。

「その混乱の渦中に、ギリアス・オズボーンがジュライに乗り込んできた。あいつの提案はこうだ。『鉄道の復旧と今後の警備は帝国正規軍が全て受け持とう。その代わり、ジュライは栄えある帝国の一員となり、《経済特区》としてさらなる発展を遂げてもらいたい』だと」

「それは……」

 複雑そうにリィンが何かを言いかけ、結局何も言わなかった。

「タイミング良すぎるだろ? つーか出来過ぎてる。仕組んだ人間は考えるまでもない。ガキの俺でも察しがついたんだからさ。けど……帝国に疑いの目を向けるリスクと、経済特区になった場合の特権。この二つを天秤に乗せた議員連中と市民総勢は、その事実から目を逸らした」

 むやみに論争を吹っかけても、その先がどうなるかなんて目に見えてる。やむを得ない判断だったと、そこまでなら理解もできる。

 そこまでなら。

「ただ一人。じいさんだけが帝国資本に頼り切ることを反対していた。そしてまもなく、じいさんは鉄道爆破の嫌疑をかけられた。発言力と影響力があるから邪魔だったんだろうよ。裏でそうなるよう手を回したのはオズボーンだった」

 背後のリィンたちから息を呑む気配が伝わってきた。

「もちろんそんなわけがない。潔白の証明だってやろうと思えばいくらでもできた。今まで積み重ねてきた実績と人脈もある。……でも、誰もじいさんをかばわなかった。弁護をしようとはしなかった。それをすると自分の立場が危うくなるから。嫌疑の目を自分にも向けられるかもしれないから」

 ジュライの文化を誰よりも愛していた市長だったのに。身を粉にしてジュライの為に尽くし、その人生を捧げてきたのに。

「そんで市議会から追放された。ジュライの帝国への帰属が決定したのは、じいさんが辞職した当日だった。あからさま過ぎて笑えるよ。そっからさ、こんなふうに寝込む日が増えたのは。外出もしなくなっちまった」

 クロウの自虐の笑みに続く者などいなかった。視線を再び祖父に向ける。彼はまた床に伏していた。少年のクロウはその横に座る。

『なあ、じいちゃん。俺、わかってるよ。じいちゃんは何も悪くない。元気だしてくれよ。気分転換にさ、カードゲームしようぜ』

 祖父は静かに首を横に振る。

『じゃあさ。なんか他に食べたいもんあるか? 買ってくるから』

 外に出たら、俺も白い目で見られていた。道をすれ違う時に、爆破犯の孫と揶揄されたこともある。真実がどうあろうと、弱者の立場を虐げる心無い人間はどこにでもいた。でもそんなことはどうでもよかった。どうにかして、じいさんの笑顔を取り戻したかった。

『あ、あとは――』

『クロウ。すまない』

『……なんで謝んだよ』

『守りたいものを、守れなかった』

『ジュライのことか』

『お前のことも』

『俺はいいよ』

『いつかお前は、守りたいものを守れるようになりなさい。私の願いはそれだけだ』

 俺が守りたいのは、じいちゃんだ。

 その言葉を、とっさには言えなかった。かすかにうなずくだけしかできなかった。

 それから半年後、祖父は静かに息を引き取った。

 

 景色が歪んで変わっていく。

 街の外れにある集合墓地だ。一つの墓石の前に、黒い喪服に身を包んだ少年のクロウが花を供えている。少しだけ背も伸びていた。

「葬儀のすぐあとだ。参列者は驚くほどいなかったな。来られても逆に困るから、別に良かったけどよ」

 リィンたちは胸に手を添えて、瞑目している。

「気を使うなって。どうせ記憶の中の墓だ」

 雨が降っていた。昏い空。冷たい雨。寒い風。

 変だな。葬儀の日は、雨なんか降っていなかったはずだが。

 誰かが近づいてきた。

『クロウ兄ちゃん』

『よう……久しぶり』

 スタークだった。彼も横から花を添える。

『家まで何度も行ったんだよ。呼び鈴鳴らしても出て来てくれなかったし』

『あー、うちのベル、壊れてたから』

『大声で名前も呼んだ』

『寝てたかも』

『兄ちゃん?』

『……わりい』

 そう言って、立ち上がる。

『来てくれて、ありがとな。でももう帰れ。お前にまで変な噂が立つと良くないだろ』

『そんなの気にしない』

『そっか。じゃあ俺が先に帰るわ』

『兄ちゃん、ジュライから出ていくの?』

『なんでそう思う?』

『なんとなくだけど……もうジュライが嫌い?』

『俺は……』

 じいちゃんがいるジュライが好きだったんだ。じいちゃんが好きなジュライが好きだったんだ。

 だから、俺には、許せない相手ができた。

『俺も兄ちゃんについていく! なんかやるんだろ! 俺、力になるよ!』

『ダメだ。お前はここにいろ。普通に生きろ』

 この時点で、これから何をしようと決めていたわけじゃない。ただもう、普通に生きられない道を歩むことは漠然とわかっていた。だからスタークにそんなことを言ったのだと思う。

『けど――』

『これやるよ』

 カードを束にして、その手に押し渡す。じいさんの形見のつもりで、胸元にいれていたカードゲームのセットだ。

『ま、待って。これ大切なものじゃ……』

『腕磨いとけってこと。また勝負しようぜ。そん時には俺に勝てるようになってろよ』

 スタークと再びカードゲームに興じる日など、二度と来ないと知っていた。これは俺にとっての区切りであり、儀式だった。

 自分の過去を置き去りにするための。

『元気でな』

 その言葉を最後に少年たちの姿は消える。

 雨の降りしきる閑散とした墓地には、Ⅶ組とクロウの姿だけが残されていた。

「このあと俺はオルディスに向かった。貴族の多い町なら、オズボーンの政策を良く思わない人間もそれなりいる。ノープランだったが、とにかく足掛かりを作るつもりだった。そこからは運だな。偶然にカイエン公と知り合い、当時から公爵家に出入りしていたヴィータと出会い、その導きを受けて《蒼の騎神》の起動者になった。オズボーンを憎む同志を集めて《帝国解放戦線》を結成して――そこからはお前らの知る通りだ」

 クロウは軽い口調で言った。

「ま、こんな感じか。なんつーかな。別にオズボーンを悪だと思ってるわけじゃないぜ。ただ、じいさんは師匠でもあったからな。弟子としてけじめはつけさせてもらうっつー、そんだけだ。これでわかったか?」

「うそだ」

 リィンがまっすぐにこちらを見ていた。

「それは口だけだ。ごまかそうとするな。本当は恨んでる。とても怒ってる。おじいさんが不遇の扱いを受けることになった元凶を」

「なんでお前にそんなことがわかる」

「わかるさ。俺だけじゃない。みんながわかってる。……ここはクロウの感情が伝わる場所だから」

「あー……くそ」

 頭をかきむしる。これがオーバーライズか。《ARCUS》戦術から派生し、かつ戦闘とは無関係のリンク機能の極限。

「……そうだな。容認できなかった。俺にとってあの男は悪で、紛れもない敵だった。けじめとかそんなんじゃない。じいさんの無念を思うと悔しさで眠れねえ。これは敵討ちで意趣返しさ。たとえそれをじいさんが望んでいなくても……な」

「クロウ……」

 そろいもそろって、なんて顔をしてやがる。

 こいつらの感情も伝わってきていた。どうして俺を責めない。お前らを裏切ったんだぞ。自分のエゴで関係ない多くの人の生活を滅茶苦茶にした。言ってみれば、鉄血宰相といっしょだ。

 彼らはテロ行為の数々を認めているわけではなかった。ただ想いに寄り添っている。

 同情じゃない。同調だった。

 なんでだよ。なんでお前らが、俺と同じ気持ちになってんだ。

 なあ、じいさん。俺はどうすればよかったんだろうな。

 自分の大切なものを守れと言われた俺がしてきたことは、他人の大切なものを壊すことだけだったよ。

 

 

 虹色の光が収束していく。オーバーライズの効果が消えたのだ。霧散していく煌めきの向こうに見えるのは、立ち尽くすオルディーネだった。

 リィンは自分の胸を見る。やはり血は止まっていない。痛みが指先を震えさせた。

「クロウ……」

『……なんだよ』

 お前が引き金を引いた理由を知った。どういう想いでいたのかを知った。本分ではなく、本心を知った。

「俺たちといっしょにいた日々が偽りじゃないって、わかった」

『おいおい、学院に入ってからの記憶は出てなかったじゃねえか。それに事実として騙していたわけだ。それは偽りだろ』

「だったら、なんでリンクブレイクを起こさない」

『は?』

「学院にいた頃、俺たちは重奏リンクを二回使っている。もっとも、その時はそんな呼び名はつけてなかったが」

 一回目は入学オリエンテーション、旧校舎の地下でガーゴイルと戦った時だ。不完全ながらも、リンクラインは全員とつながった。

 二回目は学院祭の初日。旧校舎の異変を解決すべく、全員でその戸口に立った時。この時はその場にクロウもいて、彼とも繋がっている。

「学祭の数日後には内戦を引き起こし、学院を離れるって決めていたんだろ。本心からの裏切りを考え、俺たちを仲間だと思っていないって言うのなら、本来ならあの時点でリンクブレイクを起こしているはずだ」

『それは……』

「そして今もまた、重奏リンクの輪に入った。これが全てだ」

 重奏リンクとオーバーライズを同時使用するという案をマキアスが出した際、クロウとのリンクブレイクは発生しないと予測した根拠がこれだった。

『違う。心に嘘をついただけだ。機械仕掛けのオーブメントを騙すなんて、簡単なことだった』

「《ARCUS》は欺けない。それは俺たちが身をもって知っている」

 入学早々に持たされたこれは、トラブルと諍いの元だった。扱いづらく、不安定で、その時の対人関係に左右されて、機能を発揮できないことも多々あった。

 けど、《ARCUS》があったから、皆が繋がったのだ。今も、こうして。

「戻ってこい、クロウ。帰ろう。先輩たちと一緒にお前を卒業させる」

『馬鹿か。俺の立場とやってきたことは消えない。もう普通には生きられない』

「じゃあ死ぬのか?」

『わざわざそんなことするか。……ただまあ、やることやったなら、それも選択肢の一つにはあったと思う』

「楽に死のうとするな。苦しんで生きろ。お前の居場所はなんとかする。してみせる。確かに罪は消せない。償いだってしなくちゃいけない。それでも、いつかは歩ける道が見つかると信じるべきだ」

『甘ちゃんじゃあねえなあ……。お前、厳しいぜ』

 少しの沈黙の後、クロウは言った。

『それもいいかもな』

「そうだろ。ただ、けじめはつける」

 ヴァリマールがオルディーネの脳天に拳を振り下ろした。勢いなどない。ふらふらの拳骨が、ごんっと鈍い音を響かせる。

 オルディーネは膝をついた。

 それだけのことで、戦いは終わった。

 

 

 良かった、本当に。

 兄様たちの気持ちが、クロウさんに届いたのだ。

 虹色の光の繭を傍から見守っていたエリゼにも、その想いは伝わってきていた。とても温かい。もう彼らが戦う必要はないのだろう。

「茶番だ……!」

 穏の空気に冷えた感情が差し込まれる。オルディーネが膝をついた光景を見やったカイエンが、吐き捨てるようにそう言った。

 千載一遇の好機が来た。カイエンの目も、意識も、完全にこちらから逸れている。自分の手首を拘束していた縄は、リゼットがくれた仕込みナイフのおかげで、先程外せたところだった。

 だけど、セドリックまでどう助ける。

(エリゼちゃん、声を出さずに聞いて下さい)

「……!?」

 頭の中に直接エマの声がした。つい反応しそうになるのをこらえて、目線だけをエマに向ける。表情も見えないくらいの距離があったが、確かに彼女もこちらに視線を合わせていた。

(念話という術です。頭で思えば会話ができます)

(そんなことができるなんて……あ、できました)

(細かな話はあとにしましょう。今からエリゼちゃんとセドリック殿下を救出します)

(ど、どうやって)

(転移術です。あなたたち二人を、私たちの元に移動させます)

 魔女の術とはすごい。少なくとも一緒に行動していた頃には、彼女は転移も念話も使っていた記憶はなかった。最近になって習得したのかもしれない。

(《緋の騎神》は覚醒の臨界まで来ているようですが、これ以上アルノールの血を供給しなければ復活はしません。ただ……位置がよくないですね。このまま転移陣を開くと、カイエン公も入ってきてしまいます。どうにか機を見て――)

(では殿下を公爵から引き離します)

(できるんですか?)

(やります。エマさんはいつでも私たちを転移させられるようにして下さい)

 エリゼはナイフを順手に持ち替えた。カイエンに悟られないよう、そっとセドリックに近づく。彼は椅子の背もたれの後ろで、両手を縛られている。自分と同じで、金属の手錠ではなく縄だった。

 結び方は複雑だ。ほどくなんて出来そうにない。一息に結び目を切断しなければ。まごついていたら、簡単に再び拘束されてしまうだろう。この状況では人質にもされる。

 カイエンの視線は外れたままだ。意を決して、エリゼは動いた。

 あくまでも素早く、静かに。息を止め、気配を殺し、セドリックの後ろへ。大丈夫。まだカイエンはこちらを見ていない。

 結び目にナイフの刃を当てる。中心から一気に切り下ろす。はらりと二つに分かれた荒縄が落ちる。

 セドリックの意識は朦朧としていた。消耗具合を確認したかったが、直接声を出すことはできない。その腕を自分の肩に回して、支えながら立ち上がる。

(お、重いっ……)

 セドリックは小柄だが、体重の全てを自力で支えるとなると、エリゼには相当な負担だった。崩れかけた体勢を立て直そうとしたとき、彼の足が当たって椅子がずれてしまった。

「ん!? 何をしている!?」

 その音をカイエンが聞き留めた。直後、三アージュほど前方の床に光の紋様が現れる。あれが転移陣か。

 セドリックを背負い、転移陣を目指すエリゼ。その背後にカイエンが迫る。

「エリゼちゃん、急いで!」

 エマの叫び声が聞こえた。念話ではなく、現実の声だ。

 着いた。セドリックを先に転移陣に押し込む。自分も続こうとして、その肩を後ろからつかまれた。カイエンに追いつかれた。

 こうなればやむを得ない。カイエンごと転移だ。リィンたちの陣営に行けば、どうとでもなる。

 転移が発動した。光が膨らむ。

 一瞬の浮遊感があったが、視界が戻ってきた時、エリゼはまだ《緋の騎神》の前にいた。

「え!?」

 転移陣の中から引き戻されたのだ。セドリックは――あそこだ。エマたちの元に移動している。

「あと一歩だったというのに……おのれ!」

 やってくれたな、とカイエンは低く喉をうならせた。

「かくなる上はやむを得まい。お膳立ては済んでいるのだ。あとは私の血でも……。しかしそれをすれば私が起動させてしまうことに……」

 彼の血でも緋の騎神は目覚めるのか? なぜ? 

 いや、考えるのは後でいい。その事実を知ったのは私だけだ。すぐに止める。

 不慣れにナイフを構えるエリゼを、カイエンは忌々しげに睨んだ。

「君のせいだな。たかが従者の家柄の分際でよくも……!」

 この男の仮面がついに外れた気がした。激昂を隠そうともせず、怒りに頬をひくつかせ、眉間に深いしわが寄っている。が、一転。「ああ……そうか」と底冷えする声音をもらすと、その顔から感情というものが消えた。

「そうか、そうか、そうか、そうだった」

 大股で歩み寄ってきて、エリゼの腕を強引につかみ寄せる。カイエンはその手のナイフを奪うと、すかさずエリゼの手のひらに切り傷を付けた。

「うっ!?」

 そしてその手のひらを、《緋の騎神》の腹部――核に押し付けた。

「シュバルツァー家はアルノール家の遠縁。故に男爵家ながら従者としての役割がある。つまりだ――」

 張り付けたような酷薄な笑みが、にんまりと口元に浮かぶ。

「薄まった一滴ほどでもいい。君にも確かに流れているのだろう? アルノールの血が」

 どくん、と自分の中の何かが反応した。

 脈打つ血液が沸騰するほどに熱くなる。まるで体の内側を炎で焼かれているみたいに。

「あっ、ああああっ!?」

『エリゼ!?』

 悲鳴を受けて、事態に気づいたリィンがヴァリマールを走らせる。《緋の騎神》の前面に紅い障壁が発現した。こちらまでは到達できず、押し返されたヴァリマールがたたらを踏む。

 エリゼは核に触れている手を離そうとした。まるで磁石。得体の知れない重力に吸い寄せられている感覚だ。それでも無理やりに離れようとする。苦痛が隠せないその顔を、カイエンが無遠慮にのぞき込んできた。

「苦しそうだね? うーむ、やはり可哀そうになってきたぞ。もうやめようか、こんなことは。あー、しかし困ったなあ……思い出してしまったよ」

「な、にを……」

「君とパンタグリュエルで初めてあった日だ。覚えているだろう。私は君にこんなことを言われてしまったんだよ。ほら、あれだ。部下たちがいるブリッジで『あなたは主催者ではなく首謀者です』とね。ははは、あの時はねえ。……実に腹が立ったよ」

 離れかけていた手のひらを、カイエンが上から押さえつけた。

「ああああっ!!」

「ははは! いいぞ、もっと苦しめ、泣き喚け! 小娘ごときが私に無礼を働いたことを悔いながら、骨の髄まで呪われろ!」

「ううぅ……!」

「いやはや、ここまで抗うとは。気丈と言うか強情と言うか、健気とも言えるね。だが抵抗など無意味だ。呼びたまえよ、その名(・・・)を。君にはもう視え始めているんだろう?」

 暗くなった目の前に、ぼんやりと文字が浮かんでいた。見たこともない文字のはずなのに、なぜか読めてしまう。歯の根を鳴らしながら、エリゼは必死に口を閉ざした。

 呪われろ? いったい何から? 

 その問いがよぎったと同時、がちりがちりと頭蓋の内側であの音が反響する。これまででもっとも響く、背すじの凍る異音だった。

 リゼットと出会い、幻獣を倒した夜から聞こえるようになった、時計の針が進むような音。

 最初は、かち、かち、と小さく鳴っていて、最近では、がち、がち、と大きく鳴り出して、この幻聴は時計のそれとは違うのではと疑問を持ち始めていた。

 今ならわかる。感じる。見える。おぼろげだった輪郭が像を結び、音の主の明確なシルエットを浮かび上がらせている。

 やはり、これは、時計の音、などでは、なかった。

 暗く、深い、闇の底から、黒い竜が、首を持ち上げて、じっと私を見つめている。

 それは《ゾロ=アグルーガ》という存在だと、なぜか知りもしない名前を理解した。

 そうか。私はずっと呼ばれていたのか。この場所に誘われていたのか。音は大きく聞こえるようになったのではない。それとの距離が縮まりつつあったから、はっきりと聞きとれるようになっただけだ。

 この、がちりがちりという、私を見定めた暗黒の竜が、牙を軋る音を――

「起きなさい、《テスタ=ロッサ》」

 強大な黒い意志が、自分の意志とは無関係にエリゼの口を開かせた。

 禍々しい力の奔流に、侵食されていく自我。抗うことは、もうできない。

 思考が異質なものに塗り替えられていく。魂の根幹に邪悪な異物が混ざっていく。

「いやあああああ!!」

 エリゼの最後の絶叫とカイエンの高笑いが重なる。

「おめでとう。これで君が《緋》の起動者だ」

 エリゼはがくりとうなだれた。

『エリゼ! エリゼ――ッ!!』

 腕が砕けるのも構わず、ヴァリマールは赤い障壁をこじあけた。

 突破し、走りながら、エリゼに手を伸ばす。

 緋の騎神の双眸に光が宿った。台座を破壊し、身を取り巻く無数のパイプを引きちぎりながら、荒々しく覚醒する。

 うつむいたまま、すっとエリゼがヴァリマールに手をかざす。それは救いを求める手、ではなかった。

 その意志を受けたテスタ=ロッサが腕を振るう。まるで主を守るようにエリゼをかばい、ヴァリマールの手を払いのけた。

『エリゼ!? 俺がわからないのか!?』

「わかっていますよ、兄様」

 ゆらりと顔を上げるエリゼ。彼女を中心に鳴動が起きた。空色の瞳が深紅に輝き、紺色の髪が銀髪に染まっていく。

『鬼の力!? いや、違う。こ、これは――』

 カイエンは嗤い続けている。

「これは傑作だ! 大切に想い合う者同士で存分に殺し合うがいい! 何もかも狂ってしまえ!」

 鬼の混じる兄と、竜に魅入られた妹が、騎神を従え対峙する。

 互いに伸ばした兄妹の手が触れ合うことはなかった。

 

 

 ――つづく――

 


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