虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第117話 Prism of 《ARCUS》

 やはりというべきか、わかっていたことだが――デュバリィは強かった。

 今までに何度か剣を交えたことはある。そのいずれもが、途中で横槍が入ったり、不測の事態で立ち会いが中断されたりで、双方が納得いく形での勝敗はついていない。

 煌魔城のいずこかのフロア。純粋な力と技のぶつかり合いが勝ち負けを決める、遮蔽物のない平面のフィールドだ。

「……やりますわね」

 二足一刀の間合いを取り、こちらの喉元に剣先を据えたまま、デュバリィは言った。この戦いが始まってから、初めて彼女が発した言葉だった。

 世辞でも嫌味でもなく、思ったことをそのまま口にしたのだろう。

「そちらも」

 大剣を正眼に構えるラウラは、一言そう返した。これも素直な気持ちだ。

 本気の切り結びは互角だった。

 ラウラは神速の名に違わぬデュバリィの連撃を捌き切り、デュバリィはラウラの繰り出すアルゼイドの剛剣を手数で押し返す。お互いが仕掛けるフェイントにもかからない。心理の読み合いでも相手を出し抜けない。経験則の直感でさえもリードは許さない。

 絶対に負けられない戦いで勝ち筋を見出せないのに、しかしラウラに焦燥はなかった。

 あるのは敬意だ。敵味方の立ち位置など度外視して、ただ単純に剣士としての敬意。

 一撃一撃に積み重ねた研鑽が感じられる。攻撃動作以外の所作も丁寧で、なにより立ち姿勢が綺麗だ。一朝一夕で身に着けられる振る舞いではない。剣に対して真摯に向き合ってきた人だとわかる。剣を単なる武器として扱っておらず、自身を形成する一部として捉えている。

 それがわかるのは、私もそうだから。そうして生きたつもりだから。

 おそらくデュバリィも自分に同じものを見ている。故に先ほどの言葉が出たのだろう。

「ですが、私が勝つでしょう」

 デュバリィは淡々とした口調で告げた。

 これは驕りや慢心ではない。事実だ。まったく正しいと、ラウラは彼女の見解を受け止めた。

 剣筋では競り合っている。厄介なのは分け身という技だ。

 結社特有の技術なのか、鉄機隊特有の体術なのかはわからない。ありていに言えば分身だが、速さで見せる残像の類ではなく、三つに分かれた個々がそれぞれ独立した動きを取ってくる。さらには炎、氷、雷の属性を付与した斬撃も織り交ぜてきた。ユーシスが使う魔導剣とは別種の能力のようで、溜めがなく、迂闊に攻め込めない大きな理由の一つだった。

 後方に控えるアイネスとエンネアが加勢してこなくとも、実質は三対一。

 フェアでない、とは思わない。戦いにおいて自らの技能を使うのは当たり前のこと。とはいえ対応できない事実は事実。少しずつ、しかし確実に追い詰められていた。

「そのようだ。が、(いさぎよ)く頭を垂れるつもりはない」

 通常よりも足幅を広く取ると、ラウラは腰に密着させるようにして剣を構えた。上半身のひねりで柄と刃を正面から見せない脇構えの一種。

「……重心を落としてからの、半身を引き絞る構え。今から大技を撃つと宣言しているようなものですが。ああ、いえ、覚えがあります。オーロックス砦で戦った時に使おうとしていた技でしたか」

「名を《獅子洸翔斬》という。父ヴィクターから伝授されたアルゼイド流の奥義が一つだ」

「自ら明かすのは、私を刺激して一撃勝負の舞台に引き上げたいから。なぜならこのまま戦い続けてもジリ貧になるのは目に見えているから。裏を返せば、一手で形成を逆転できるほどの威力だということ」

「いかにも」

「あっさり認めるのですわね」

「言葉での駆け引きは不慣れだ。当たっている以上、ごまかす理由がない」

「私が誘いに乗らなかったら?」

「困る」

「ど、どういうことですの、それは」

 たぶんデュバリィは乗ってくる。理由は明快。彼女が剣士だからだ。

 たとえば相手が策を弄する軍師なら、効率と戦果のみを考え、戦法は変えることなく私の力を削り続けるだろう。

 だが私たちは違う。結局のところ、剣士は己の心に従う。剣を動かすのは例外なく手で、手を動かすのはいつだって心だから。

 父から奥義の伝授をされた際の、“剣に心は必要か”という問答をふと思い出した。

 プライドや面子やこだわりだって大事なのだ。それを蔑ろにしてまで勝利をつかもうとする者は、戦士としては正しくて、剣士としては外れている。

「受けますわ」

 デュバリィも大剣を構え直した。

「あなたの誘いに乗ります。その上で私が勝つ。これから撃つのは《プリズムキャリバー》という現状で私が扱える最強の剣技」

 奇しくもオーロックス砦戦の再現となった。

 ちりちりと空気がこすれるような音がした。互いの剣を伝う闘気が伝搬して、空中でぶつかり合っている。

 ラウラは気づいていた。蒼耀剣に限界が来ていることを。

 これはカスパルが見繕ってくれた、自分にとって最適の剣。剣自体が抜きん出て強力というわけではなく、あくまでも普通の剣だ。デュバリィの猛攻を完全に凌ぎきるには、刀身の強度が及ばなかったのだ。

 柄の内側にひびが入ってしまったのだろう。インパクトの際の締め込みに違和感があって、力が十分に剣先まで伝わっていない。

 そしてそのことを、デュバリィは見抜いている。

 こちらにそれを指摘しないことは、決して卑怯ではない。己の得物の不具合に気づけないのは、そもそも使い手の技量の問題だ。

 引くのが正しい選択だとは理解している。だが……引ける戦いと引けぬ戦いがある。

 あと一撃でいい。あと一撃だけ耐えてくれ。

「行くぞ」

「わざわざ言わなくてもいいです」

 息遣いが聞こえなくなる。代わりに脈の鼓動が明瞭になった。

 刀身にまで血が通うような感覚。世界に己と相手しかいないような錯覚。一秒後には死んでいるかもしれない恐怖と緊張と、そして高揚が心の内にたぎる。

 煌魔城のどこか遠くで轟音がした。Ⅶ組の誰かが戦う音かもしれない。小さな地鳴りが足元を震わせた。天井からパラパラと塵が落ちてくる。

 差し挟まれた微弱なノイズ。ほんのわずかに傾く意識の向き先。

 それが膠着を破る合図になった。

 ラウラとデュバリィは同時に前に出た。

 全ての力は蹴り足に注ぎ、体を加速させる。丹田を中心に上半身と下半身を連動。体軸のブレを打ち消して、加速で生み出した力を逃さず剣に乗せる。初動の体裁きは互角。

 技の出はデュバリィが早かった。輝く縦一閃。速い。疾い。刃鳴りが認識できない。それは音さえ置き去りにする神速の一刀。

 研ぎ澄まされた死生の刹那で、ラウラはさらに踏み込んだ。石の足場がばきりと割れる。轟く横一閃。それは大気を撃ち抜く獅子の咆哮。

 《プリズムキャリバー》と《獅子洸翔斬》が真っ向から打ち合う。十字に重なる剣が衝撃波を拡げる。強力無比の力と力がせめぎ合った。

 極限の集中が、体感時間を緩慢にする。その永遠の一瞬に、ラウラは不思議に思った。

 デュバリィの太刀筋には邪念がない。磨き上げられた錬の剣。どうして彼女は剣を振るうのだろう。研鑽の根底には何があるのだろう。

「恩義と憧れです」

 デュバリィは言った。――いや、口は動いていなかった。言葉は発していない。しかし何万倍にも引き延ばされた一秒という時間の中で、デュバリィとラウラは確かに会話をした。

「それはアリアンロード……リアンヌ・サンドロットへの?」

「私はあの方に救われました。お傍で仕えるに恥じない者で在りたいのです。剣を以て恩を返し、剣を以て憧れに近づく。妄信だと思いますか?」

「献身だと思う。そなたが強い理由、わかった気がする」

 柄を握るデュバリィの手の内に視線が向く。血豆ができては潰れた古い痕がいくつも見えた。積み重ねた稽古の証であると共に、あれは素人の証だ。

 熟達した剣士であればあるほど、手の内に豆はできない。常に柔らかく柄を持ち、必要な力を必要な瞬間にしか使わないがゆえに、無意味な摩擦を発生させないからだ。

 おそらく彼女に優れた剣の才能はない。もしかしたら剣とは縁遠い世界に生きていたのかもしれない。それでも血のにじむ努力の果てに、ここまでの力を手に入れたのだろう。

 ああ、負ける。

 直感と同時に、蒼耀剣が砕けた。ついに負荷限界を超えたのだ。透き通る泉のような刀身が、眼前で砕け散っていく。

 崩れるラウラの体勢。デュバリィは剣を止めない。反撃の手段も、回避のすべもなかった。

 リィン。すまない。せめてそなたの無事だけは祈って――

 

『それに告白のちゃんとした返事もらわなきゃだしね~』

 

 あまりにも場違いな安穏とした声が脳裏によぎる。これはコレットの声。

 出撃直前に友人たちから呼び止められた時の会話だ。なぜ、いま思い出す。

 

『――立ち止まらないで。最後まで剣を振り抜いて。きっとそれが一番ラウラらしいと思う』

 

 ブリジットの言葉だ。

 皆が私を案じてくれて、声をかけてくれた。八割はリィンとの関係に言及してきた内容だったが――最後に私はなんと言って彼女たちと別れた? 覚えている。照れ隠し半分で、こう言った。

 続きは帰ってからだ、と。

「あきらめはしない! 私は!」

 反射的に踏み止まる。

 約束だ。私は最後まで、この剣を振り抜く。

 誰の為に? リィンじゃない。友人たちでもない。皆にもう一度会いたいという、自分の為にだ。

 揺らがぬ想いが刃に伝わる。蒼耀剣の崩壊が止まった。落下するはずの刃片が、淡い光に繋がれて、剣の形を保っている。これができたのは二度目。ローエングリン城で奥義の伝授を受けた時以来だ。それはまるで父――《光の剣匠》のように。

 ぐんと崩れた体勢をそのまま回転。遠心力を乗せて、ラウラはデュバリィに再び立ち向かう。

「っ!?」

 デュバリィは虚を突かれ、しかし即座に技を変える。分け身だ。三人に分かれたそれぞれが、刃に三種の属性を宿す。一斉攻撃が来た。氷と炎と雷が嵐と化す。

 防ぐつもりはない。アルゼイド流は剛の剣技。押し込み、蹴散らし、打ち払い、仲間の道を切り開く。代々の継承者たちがそうしてきたように、私も――

 極大の一閃、《洸刃乱舞》が放たれる。奥義格の中で、初めて覚えた技だった。

 剣圧が大渦を生み、分身の全員を巻き込んだ。

「うっ……!」

 分け身が本体の一人に戻り、デュバリィが吹き飛ぶ。地面を何回も転がりながら、彼女は伏した。

 ラウラも片膝をつく。今度こそその手から、ぼろぼろと蒼耀剣が朽ちていった。

 ややあってデュバリィはよろよろと身を起こした。まだ立てるのか。

「……ふん。まあ、その、なんていうか……。引き分け……ですわね」

 鼻を鳴らし、歯切れ悪く言う。彼女の大剣も刀身の中程から折れていた。

「剣の損傷でいえば、そなたに分があると思うが」

「気持ちの問題です。私が勝ったと思えなければ、それは勝利ではありません」

「面倒な性格だと言われるであろう」

「はあ!? 言われませんけど!?」

「私はそういう性格の方が好きだ」

「う、うるさーい! 黙りやがれですわ!」

 デュバリィのじだんだに、こつこつと別の足音が近づく。

「私は面倒な性格だと思ってるわよ?」

「そうだな」

 エンネアが笑い、アイネスが相槌を打つ。「えっ、うそ」となんだかショックを受けたらしいデュバリィが、しゅんと顔を伏せる。犬だったら耳としっぽが垂れていそうだ。

「でも、そういうところが好きというのは同意ね」

「だな」

「よ、よかった――じゃなくて! あーもう! からかうのも大概にして下さい!」

 間の抜けた光景ではあるものの、ラウラは気を抜いていなかった。続けてこの二人と戦うことになれば……

「何をしていますの? とっとと行ってください。この先に上層に繋がる転移陣がありますから」

「え?」

「私にあなたを止める力が残っていない以上、見苦しく立ちふさがることはしません。もしかしてアイネスとエンネアと連戦になるとでも邪推していますか? 彼女たちはこの決闘の立会人。それこそあり得ませんわ」

 確かに二人とも、ハルバードも弓も携えていない。武人としての矜持があるなら、その言葉は信じられる。

「では遠慮なく行かせてもらう」

「どうせまた相まみえることになるでしょう。あなたがマスターに会うというのなら」

「《槍の聖女》は私にとっても憧れだ。子供のころから、ずっと。真実はいつか自分の目で見定める」

「その前には私たちが控えていることをお忘れなく。易々とたどり着けるなどと思わないことです」

「承知した。ではその時に」

「そういうあっさりした態度が気に入らないのです」

 再三の鼻息を背に受けつつ、ラウラは歩を進めた。武器はもうない。おまけに体中が痛みに悲鳴を上げていたが、そんなことはおくびにも出さずに、堂々と鉄機隊の三人の真ん中を通り抜ける。

 見栄を張るのも、時としては剣士の大事だ。

 ふとどこかで、この三人の誰でもない四人目の甲冑の音が聞こえた気がした。

 

 ●

 

 圧倒的だとか異常だとか、そういう表現は違う。異質、というのがマクバーンの存在を示すに相応しい言葉に思えた。

 その異質を身に内包し、異形の姿へと転身したマクバーンは、荒ぶる炎を尽きることなく撒き散らしている。

「みんな、下がって!」

 エリオットはアーツを駆動させた。岩肌を突き進む氷塊がマクバーンに迫る。全力で放った《クリスタルフラッド》は、しかし目標に到達する前に熱波に阻まれ蒸発した。

「凄まじいな。まるで近づけない……」

 ガイウスのうめきを聞き留め、エリオットもこらえきれない嘆息を吐き出す。

 そう、接近ができないのだ。こちらの攻撃がそもそも届かない。槍はもちろん、ショットガンでもダメージは期待できなかった。唯一の希望はユーシスの魔導剣だが、動きを止めてチャージする時間が作れていない。

 ここは一本の柱に支えられた円形の石板の上だ。特異な力場によって形成されているフィールドらしいが、足場の縁がどこにも接していないから、逃げ場所が限られてしまっている。

 それでも炎を回避しつつ、エリオットは水や氷のアーツを使い続けた。少しでも温度を中和するためだ。申し訳程度の効果はあった。

 だがそれも限界が近い。魔導杖の持ち手が熱せられて、まともに握れなくなってきている。

「ああ、面倒くせえな。まだ生きてやがる。とっとと消し炭になっちまえ」

 陽炎の向こうで、マクバーンが苛立たしげに言った。

 ぐんと頭上に突き出した腕の先に、赤黒い火球が膨れ上がっていく。いったい何千度あるのか、あんなものに飲み込まれれば骨さえ残らないのは確実だ。どんな水属性アーツをぶつけようと無意味だろう。

 エリオットの横で、マキアスがくずおれた。深くうなだれ、手のひらを石の地面につけている。

「マ、マキアス。しっかりしてよ。まだ戦いは……」

「まともにやって勝てる相手じゃない。……わかりきっていたことだ」

 聡明な彼だからこそ、速く、そして正しく状況を理解したのだろう。かける言葉もないようで、ガイウスは無言だった。

 ユーシスがへたり込むマキアスを見下ろして、口の端を上げた。

「下手な演技はやめろ。目が死んでない。策があるなら早く言え」

 マキアスは手のひらで地面をさすっている。まるで何かを確かめるように。

 おもむろに手を離すと、いつものようにメガネのブリッジを人差し指で押し上げた。

「決まっているだろう。まともにやって勝てない相手には、まともにやらずに負けない方法で行く。好機は生まれないし、勝機もない。それでも僕らはマクバーンを突破する。今から全員でやるのは、細い綱の上を渡りながら、針の穴を通すような真似だ」

 それをマキアスは手短に説明した。およそ策とは呼べない代物だった。だが他に代案などなく、反論する余地もない。

「ここからは――いや、ここからも誰も欠けてはいけない。一人でも倒れたら終わりだと思ってくれ」

 こちらの打ち合わせが終わるのを、敵が待ってくれるはずもなかった。なんらもったいぶることもなく、マクバーンはあっさりと破滅のトリガーを引く。

「ジリオンハザード」

 終末を告げる言葉そのものだった。臨界に達した業火が一直線に放たれる。

「来たぞ!」

 マキアスが叫ぶ。これを凌ぎ切らなければ、続く手も何もない。

 エリオットはガイウスと、マキアスはユーシスと戦術リンクを繋ぐ。

 この土壇場で、マキアスとユーシスの《ARCUS》が強く光り輝いた。

『オーバーライズ!!』

 二人の気勢が弾ける。リンクラインの光軸が明度を増し、激しく瞬いた。導力伝達速度がスペック限界を超え、魔導剣の駆動時間をゼロにする。

「おおおおっ!」

 ユーシスが魔導剣《スレイプニル》を振り下ろす。

 最大にまでブーストアップされた《エアリアル》が指向性を得、烈風の刃と化して《ジリオンハザード》に切り込んだ。力が足りない。ビルのワンフロアを丸々両断できるほどの威力の斬撃なのに、炎の表面を弾くにとどまってしまう。

「まだだ!!」

 切り返し、さらに放たれる風刃。一撃目に追いついた二撃目が炎塊を散らそうとする。勢いはまだ陰らない。こちらまで届く熱波が皮膚を焼く。炎が物理的な圧を放ち、まともに目も開けていられない。

 身じろぎさえせず、ユーシスはまだ魔導剣を構えていた。ほとばしる雷光が刃を青く染める。

 発動する《ジャッジメントボルト》――荒ぶる龍のような稲妻が先陣の烈風と合わさり、その顎で赤黒い炎を喰らわんと猛る。荒れ狂う災禍は凝縮された天変地異だった。

 息つく間もない拮抗の果てに、《スレイプニル》の三連撃が、ついに《ジリオンハザード》を切り裂いた。

 二つに分かたれた炎の壁が、四人の傍らをなぶっていく。それだけでも致命的な炎症は免れない。エリオットは前もって駆動待機にしていた氷属性のアーツを前面に発動させた。すぐに蒸発。まさしく焼石に水だ。しかしそのわずかな間に、炎は後方に過ぎ去った。五体満足のまま、耐えたのだ。

「ああ?」

 首を傾けるマクバーン。大技が外れたからといって、それで手を引いてくれる相手ではなかった。炎の矢が絶え間なく降ってくる。

 すかさずエリオットは前に出た。走りながら駆動。自分にしかできない十八番だ。

 火矢の雨あられを潜り抜けながら、なおも水、氷属性のアーツを地面に走らせる。《アクアブリード》《フロストエッジ》《ハイドロカノン》《クリスタルフラッド》《グランシュトローム》

 もうマクバーンを狙えてもいない。氷と水が入り乱れ、炎と熱にかき消され、派手な水蒸気を巻き上げる。

 ムービングドライブを覚えていなかったら、とてもここまでの立ち回りはできなかっただろう。トヴァルの言葉通り、エリオットは前衛でのアーツ使いを担っていた。

 水蒸気を裂いて襲ってきた炎の矢の一つが、魔導杖の核を貫いた。導力収束の要である水晶が粉々に割れる。

 それでもいい。やるべきはやった。次は――

「マキアス!」

 

 爆発的に押し広がった白い皮膜が視界を濁す。

 マクバーンは動じないだろう。そして性格上、動きもしない。元の立ち位置のままだと想定できる。

「行け、ミラーデバイス!!」

 ここに来て温存はなしだ。マキアスは残っていた鏡面装置を放出した。大小の弧を描く軌道で、水蒸気の中へと送り込む。

 あっという間にデバイスが見えなくなった。

 頭をフルに使う。僕にできることなんて、これしかないんだ。チェス盤をイメージしろ。クレア大尉との特訓を思い出せ。並列思考と未来予測だ。個々の機器が、今どこにあって、これからどう動くのか、秒単位で予測、把握してやれ。

 マキアスは目を閉じた。どのみち何も見えはしない。しかし躊躇なくショットガンの筒先を持ち上げる。銃身の一部が回転。レーザー照射モードに切り替わる。僕が狙うべきは、そこだ。

 トリガーを引く。吐き出された一発の光弾が、まぶしい軌跡を描いた。

 同時に自分自身も特攻。ショットガンは投げ捨てる。もうこれは使わない。白霧を隠れ蓑にマクバーンに全速力で接近した。

 いける。近づける。彼が常に体にまとっていた熱気が薄れている。ジリオンハザードを撃たせたおかげだ。相手の力も無尽蔵じゃない。

 見えた。人影。マキアスは飛び掛かるようにマクバーンの腕に組みついた。

「熱っ!」

「なんだァ!?」

「ぬぐううう!」

 焼けた鉄にしがみつくに等しい行為だった。苦痛を無視して、その腕に巻いていたブレスレットを力づくで奪い取る。怪しげな宝玉の埋め込まれたブレスレット。

「て、てめえ!」

「その反応、当たりらしいな」

 結社の連中が使う転移術は、エマのそれとは異なる。それぞれが会得している術とも思えない。であれば技術。怪しげな工房が技術提供に協力しているとも聞いている。

 そしてマクバーンがこの場所に現れたのは自分たちのあと、突然にだ。

 だから転移を可能にする代物を、必ず身に着けていると思っていた。最初にブレスレットに目を付けたのは、ただの勘だが。

「それ使って撤退ってか? 逃がさねえよ、一人もな」

 白黒反転した目がマキアスをにらむ。

「逃げる? 単なる移動手段として欲しかっただけだ。どのみちお前を下さなければ、これを使う時間もない」

「大口叩くじゃねえか。一瞬で塵に変えてやる」

「お前は絶対に許さない。僕の怒りは恐怖を超えている。執行者No1? それがどうした。反吐が出るな。一生呪い続けてやるぞ」

 マキアスはジャケットの裏に手を入れた。べたりとした感触が指先に伝わる。

 最後の一つだったのに。大切に取っておいたのに。女神の加護に匹敵するお守りだったのに。

「クレア大尉の手作りチョコが溶けてるんだよ! お前の熱のせいでなあ!!」

 絶叫と同時に水蒸気を抜けてきた光弾がマクバーンに襲い掛かる。何度も何度もミラーデバイスを反射し、その度に導力供給を受け、威力を最大にまで高めたリフレクトショットだ。

「よくわかんねえが、知ったこっちゃねえな」

「うっ!?」

 マクバーンが襟首をつかんで、自分の前にマキアスを引き寄せる。

「お前が受けろ。あと腕輪も返してもらうぜ」

 起死回生の一撃が、マキアスの胸に直撃した。衝撃に背すじが反る。しかしメガネの奥の瞳は、敵をにらみ返していた。

「いいや、受けるのはお前だ」

 マキアスに命中したはずの光弾が急に角度を変え、マクバーンの大腿を撃ち抜いた。

 彼の手にあったのはミラーデバイスだ。一枚だけは手放さず、隠し持っていたのだ。自分を囮に使い、かつ至近距離で己を最後の反射板にすることが、もっとも危険で――確実な方法だったからだ。

 マクバーンがよろける。手も襟から離れた。その隙を逃さず、マキアスは飛びのく。

『いつか敵わない相手を前にして、成す術のない窮地に陥ることがあるでしょう。その時こそ策を巡らして状況を打開し、あなた自身の手で仲間を救って下さい』

 かつてクレアはそう告げ、マキアスにミラーデバイスを託した。パンタグリュエルでエリゼの身と引き換えに全員が離脱し、何の救出策も思いつかなかった自分を責めている時に彼女から言われた言葉だ。

 大尉、最後まで僕はあなたのようにはできませんでした。傷だらけで、(すす)だらけで、全然スマートじゃない。それでも、少しは――

「ガイウス!」

 

 水蒸気が晴れていく。マクバーンの体勢が崩れた。マキアスの一発が命中したのだ。

 その光景をガイウスは空中で見ていた。

 魔導杖が壊れる寸前に、最後のアーツをエリオットが駆動させてくれていた。足元から氷の柱が突き上がり、ジャンプ台よろしくガイウスを高く打ち上げたのだ。《ARCUS》のリンクだからこそできた、完璧なタイミングでの跳躍だった。

 マクバーンはこちらに気がついていない。今なら一撃必中を狙える。

 ノルド伝来の十字槍を逆手に構え、勢いよく降下。

 マクバーンがこちらを見た。風を切る音で気づかれた。ぎろりと苛立ちを乗せた視線が刺さる。

「どいつもこいつも、羽虫みてえに鬱陶しいんだよ……!」

 火球を投げつけられた。ジリオンハザードほどの威力はないが、人ひとりを飲むくらいの大きさは優にある。

 空中だ。回避はできない。業火がガイウスを包んだ。

 その刹那に柄を鋭く回転させ、穂先に風をまとわせる。向かい来る炎の渦の方向と、風の巻く向きを一致させた。

 突破。目の粗いやすりのような熱波が肌をこすりつける。火の粉を全身にかぶり、炎を散らしながら、ガイウスは一気に宙を駆け抜けた。

「はああああ!!」

「ちっ」

 落下の勢いで、大地を穿つ《サベージファング》を繰り出す。全身全霊の打突をマクバーンはかわした。炎だけがこの男の能力ではない。身体能力も一級品だ。

 外れた穂先が焼けた岩肌に突き刺さる。

「消えやがれ!」

 マクバーンが振るう手から、溶岩のような火が流れ出る。ガイウスは即座に離れ、その場に刺さったままの槍はものの数秒でドロドロに溶け崩れた。

「はっ、どうした。これで終わりか」

「ああ、終わりだ」

 槍が刺さっていた一点の傷が、ビキビキと音を立てて拡大していく。またたく間に円状の岩場全域に、何重もの亀裂が走った。

 物質である以上、必ず構造上の脆弱点である“石の目”は存在する。だが巨大で強固なものであればあるほど、その結合は強靭で、容易には貫けない。

 しかしこのフィールドは傷んでいた。マクバーンが高熱であぶり続け、その度にエリオットが氷系のアーツで冷却を続け、繰り返し高低の温度差を与え続けることによって、ヒビの入りやすい状態になっていたのだ。

 《ジリオンハザード》を凌いだ後にエリオットがアーツを使い続けたのは、目くらましの水蒸気を発生させるためだけではなかった。

 そしてバリアハートで出会ったウォレスの助言のおかげでもある。

 あの森の中での立会いの時、彼には『視野を広く持て』と言われた。『お前の技術で、俺の他に貫けるものはなかったか?』とも。

 その言葉があったから、マクバーンとの戦闘中でも、フィールド内に発生したわずかな脆弱点を見逃さずにいられた。

 岩場の崩壊が連続する。相手の足元も崩れた。マクバーンが落ちていく。もちろん自分たちもだ。

 あの殺意に満ちた目。敵はまだこちらを仕留めるつもりでいるだろう。だから――

「ユーシス!」

 

 落下するマクバーンの両手に炎が灯る。攻撃の意志が消えていない。このままではおそらく、マキアスが転移道具を使用する瞬間に反撃を受ける。

 ユーシスは崩れていく岩場の一つを蹴り、マクバーンに向かって飛んだ。

 電光石火の一撃。マクバーンの体に乗りかかるようにして、その胸に魔導剣を突き刺す。

「ぐっ!」

「この程度で倒せるとは思っていない。そうだろう」

「当たり前だ。今の俺は火炎そのものみたいなもんだからな。たかが剣一つで――」

「承知している」

 魔導剣が赤く輝く。《イグナプロジオン》が爆裂し、マクバーンの体内に破壊をまき散らした。

「がああああ!!」

「ずっと考えていた。お前に何が有効なのか」

 相反するは水と氷。しかしこれは劫炎の前には通じない。土も風も、上位三属性も、決定打と言えるダメージを与えられるイメージがわかなかった。

 だから火を選んだ。同種の力で上回れるなら、貫ける可能性があるかもしれないと思ったのだ。 

「炎で俺とやり合おうってのか。なめられたもんだな」

 冷ややかな目をしたのも一瞬、空中で上体を起こしてきたマクバーンが、ユーシスの首をわしづかんだ。

「うっ……かはっ」

「俺は落ちても死なねえよ。お前は落ちる前に死ね」

「ユーシス!」

 マキアスが叫ぶ。彼も落下中だ。腕に奪ったブレスレットをつけていた。転移するつもりか。

「ダメだ、使うな……!」

 かろうじて声を絞り出す。今転移すれば、密着しているマクバーンも連れて行く可能性が高い。引きはがしてからか、あるいは俺を置いていけば――

「ふざけるな! なんとかしてみせろ!」

 マキアスが激昂する。オーバーライズ状態は継続している。感情が伝わり、考えを察せられたのだろう。

 わかっている。いちいち吼えるな。うるさいやつめ。

 《イグナプロジオン》では届かなかった。ならば最後の手段しかない。

 ぎりぎりと首が絞められる最中、ユーシスは魔導剣に力を込める。再び赤い輝きが刀身からあふれ出した。それはこれまでで、もっとも強い光。

「今さら何をやろうってんだ?」

「教えてやる義理はない」

「そうかい」

 マクバーンは全身から黒い炎を噴き出した。直感する。これは吸ってはいけない。しかし先ほどから首を絞められ、苦しさが限界にきている。それに呼吸をしなければ、これ以上の力が注げない。

 マキアスが血相を変えた。

「やめろ! ダメだ!」

「やれと言ったり、やめろと言ったり、いつもお前は勝手なことばかり言うな」

 首をつかむ手を力づくで振り払い、ユーシスは息を吸い込んだ。黒い炎が身の内に入ってくる。体が何かに蝕まれていくのがわかる。毒よりもおぞましい何かが――

 マクバーンがにたりと笑んだ。

「吸ったな、俺の炎を」

「お前を倒す代償だ。――受けろ」

「!?」

 膨張する強大な光球が視界を染めた。発動させたのは《サウザンドノヴァ》――それは上級(・・)アーツだった。

 アーツの威力を格段に底上げする仕様上、魔導剣は中級アーツまでしか扱えない。上級アーツだと刀身自体がもたないからだ。

 ただ、その表現は少し違う。正しくは“魔導剣が消滅する代わりに、上級アーツを一度だけ使える”だ。

 数々の戦いで勝利を収めてきた魔導剣が、木っ端微塵に散っていく。

 しかし白銀の剣はまだ死んでいない。無数に砕けた刃の欠片には、増幅された導力が宿ったままだ。それら一つ一つが爆弾となり、マクバーンにダメージを与え続けた。

 連鎖する真っ赤な爆炎が、どす黒い爆炎を吹き散らす。

「がはっ……」

 腕をだらりと垂らしたマクバーンから炎が消えた。幾重もの黒煙にまみれて、火焔魔人が奈落へと落ちていく。

 ユーシスは爆風に打ち上げられていた。

 マキアスがブレスレットを掲げる。四人は転移の光に包まれた。

「てめえら……顔を覚えたぜ。灰の小僧じゃなくても俺の期待に応えてくれそうなやつらだ。……だが金髪、てめえはもう、どうあがいても無理だ。残念だな、本当に」

 せっかく楽しめそうだったのによ。

 そうつぶやいて、マクバーンは闇の深くへと消えていった。

 

 ●

 

 意識の戻らないシャロンを引っ張るようにして、アリサは柱の裏にどうにかして逃げ込む。

「はっ、はっ、はあ……」

 胸と口を押さえ、肩で息をする。巨大な怪鳥と化した《グリアノス=アウラ》は、何本かの柱を隔てた向こうにいる。幸いにもこちらを見失っている様子だ。

 とはいえどう考えても、こちらの攻撃手段で通じるものはない。気配を殺して、身を潜めるしかなかった。

「お、嬢様……っ」

 シャロンが目を覚ました。とっさに出かかった安堵の声をこらえて、アリサは静かに問う。

「大丈夫? 体はどんな感じ?」

「手足は動きます。ただ背中に強い痛みが。すぐには立てそうにありません。お嬢様は?」

「大きなケガはないわ。あなたが守ってくれたおかげよ」

「安心しました」

 笑顔を作ろうとして果たせず、シャロンは苦痛に唇をゆがめた。彼女のこんな顔は初めて見る。

 背中。すぐに診断を受けて適正な処置をしなければ、最悪は後遺症が残る可能性もある。なんとかここから逃げて、シャロンだけでもカレイジャスに送る方法はないだろうか。

 アリサは周りを見渡した。

 ドーム型の高い天井と、いたるところに乱立された円柱が特徴的な場所。おまけに薄暗く、外から差し込むかすかな光だけが視界の頼りだ。

 柱の陰からそっと顔だけをのぞかせる。こちらを探し回るグリアノスのさらに向こう、遠くに小さな通路が見えた。

 どこに繋がっているかもわからないものだが、あそこまでいければ、少なくともグリアノスの巨体では入って来られない。

 広い空間だ。通路まで100アージュはあった。しかも途中にはグリアノスが待ち構えている。シャロンを抱えたまま、これだけの距離を走り切れるものだろうか……。

「お一人なら可能でしょう。わたくしを置いていって下さい」

 シャロンがそんなことを言う。そして、そんなことを言うだろうとは想像していた。

「できるわけないでしょ」

「どうか合理的な判断を。二人いっしょに倒れては元も子もありません。シャロンのお願いです。最初で最後のわがままです」

「そんなつもりなら、余計に聞かない。たとえその合理的な方法を選んだところで、あとで私が後悔するのは目に見えてる」

「お嬢様」

「どうせ二人いっしょなら、倒れるも助かるもいっしょがいいわ。任せて。だてにラクロス部で鍛えてないから」

 シャロンに肩を貸して、よろめきながら立ち上がる。シャロンを引きずり、必死で逃げ回ったのだ。アリサにも体力は残っていなかった。

「あら……ちょっと太った?」

「帰った後でお嬢様にお話が」

「帰ってからね」

 その時、ぶわりと空気が震える。グリアノスが両翼を広げていた。これはさっきと同じ――

「伏せてっ!」

 悪寒と確信は同時だった。直後、大きな羽ばたきが突風をまき散らす。狙いをつけない全方位の暴風だ。さながら風の爆弾とも呼ぶべき威力が、円柱のことごとくを破壊した。

 アリサたちが隠れていた柱も同様だった。砕け、瓦礫と化し、頭の上から降り注ぐ。

「お嬢様!」

 シャロンがなおもアリサをかばおうとする。

 そんな傷んだ体でなんてことを。私の方が守らなきゃ。アリサはとっさに位置をかえて、シャロンをかばい返した。彼女の上から覆いかぶさる。

 風にあおられ、破片を叩きつけられながら、二人は床の上を転がっていく。

「う……」

 もう起き上がれなかった。シャロンもだ。近くで倒れている。

 ベリルの死の予言が指していたのは、やっぱり私だったのだろうか。そうだとしたら。

 精一杯の力を使って、アリサはシャロンに手を伸ばした。さっきは倒れるも助かるもいっしょだと言ったけれど、自分が無理なら、それでもシャロンだけは逃がしたい。

 リィンにもう一度会いたかったな。せめて無事を確かめたかった。悔いはそれだけ。いや、うそだ。会いたい人は他にもいる。

 母様。

 もう少し、あなたと向き合う時間が欲しかった。そうすれば何かを変えられたかもしれないのに。

 伸ばした指先がコツンと硬いものに触れた。

 石の破片にまみれて、懐中時計が落ちていた。

 父様が母様のために作った懐中時計。壊れていたものを私が直したのだ。

 直らなかったらいらないと言い捨てたとイリーナから、ルーレの修理屋で半ば奪うようにして回収したものだった。

 ずっと胸元に忍ばせておいたのだが、転がっている内に外に飛び出してしまったのだろう。

 アリサは懐中時計を取ろうとする。その拍子に時計横のつまみに爪がかかり、カチカチとネジが回った。

 ろくに見ずに触ったから、いつもとは逆の方向に動かしてしまった。なのに、なぜか回っている。

 二枚貝のように、勝手に懐中時計が開く。オルゴールが流れた。もの静かで、柔らかな旋律。気持ちが落ち着いてくる。この曲、初めて聞くはずなのに、どうしてか懐かしい。

 グリアノスがアリサを睥睨した。胃の腑が浮き上がるような足音を立てて、ゆっくりと近づいてくる。 

 自身の置かれた状況も忘れて、アリサは手繰り寄せた懐中時計をさすった。衝撃を受けたせいか、秒針台がわずかに浮いている。壊れた? 違う。二重構造だ。前に修理した時はまったく気づかなかった。

 開くと、古ぼけた写真が入っていた。タキシードの父とウェディングドレスの母。結婚式で撮ったらしい。二人とも幸せそうだった。

 それをめくると、下からもう一枚の写真が出てきた。

「あ……」

 赤ん坊を抱くイリーナだった。世界の全てを慈しむような、優しい笑顔を浮かべていた。その笑顔が向けられている赤ん坊は、私だ。

 写真には小さくこう書かれていた。『Our Precious Treasure』――私たちの大切な宝物、と。

 そうか。このオルゴールの曲。私を抱いて、母様がいつも口ずさんでくれていた。自分にとっての子守歌だ。

「……わたくしは、思うのです。アリサお嬢様はお母様似だと。性格がそっくりですから」

 震える声でシャロンが言った。伏したまま、こちらを見ている。

「はじめて言われたわ。私自身が似てないって思ってるのに」

「イリーナ様がその時計を修理に出していることに違和感を覚えませんでしたか? あれほど分刻みで生きていて、あのあとすぐに商談も控えていると言っていた方が、自ら修理屋まで足をお運びになっていたことに」

「そ、それは……でも、なんで」

「何よりも大事な時計だったからでしょう。だから人には任せられなかった」

「お、おかしいわよ。だって直らなかったら、もういらないって」

「だから、似ていると申し上げるのです」

 シャロンは笑った。

「お嬢様もそうでしょう。自分が恥ずかしいと思うことは、とっさに真逆のことを仰ったりしませんか? 素直な態度が取れなかったりはしませんか?」

「まあ、心当たりは多分にあるけれど……」

「似て当然ですわ。母娘なのですから」

 ずっと忘れていた記憶が、脳裏によみがえってくる。

 父様が亡くなったあとも、母様は時折そのメロディを口ずさんでいた。仕事人間になってしまって、デスクの前でしかその姿を見なくなってからも、その旋律を奏でていた。いつだって、とても寂しそうな顔で。

 きっと机の下で、私の見えないところで、今の私みたいに、懐中時計をさすっていたのだろう。

 ああ、母様は父様を忘れてなどいなかったのだ。

「帰りたい……。急に母様に会いたくなったわ。シャロンは?」

「ええ、私も帰りたい。お嬢様といっしょに、イリーナ様のもとへ」

 お互い、あなただけは無事で、とは言わなかった。二人で戻る。その強く純粋な想いが繋がっていく。

「シャロン、《ARCUS》は持ってるわよね」

「もちろん。一般に出回っていない試作段階のものとはいえ、これはラインフォルト社製品ですから」

「ユーシスとマキアスにできたんだもの。私たちにできない理由はないはずよね」

「ええ」

 リンクが繋がる。それだけでは留まらなかった。光が何度も瞬く。明るく、激しく。グリアノスが歩みを止めるほどに。

 穏やかに、無意識に、二人は声を重ねた。

『オーバーライズ』

 光がアリサとシャロンを包む。

 きっかけがなかったというだけで、そこに至る土台は誰よりも早くできていたのだ。ノルドでシャロンが結社の執行者だったことを知って、アリサは彼女と仲違いを起こして、そしてそれを乗り越えた時に。

 不可思議な現象が起こった。

 光のもやの中で、アリサの視界に見知らぬ光景が広がっていく。

 父――フランツが研究所と思しき場所にいた。その彼の前に、シャロンが立っている。今よりも幾分幼い顔立ちだ。彼女はナイフを構えている。

 シャロンが何をしたわけでもない。フランツが急に苦しみ出した。研究室の一角が爆発する。黒煙が広がり、そこで何が起きたのか、それ以上は見ることができなかった。

「い、今のは」

 現実の視界が戻る。

 これがマキアス達が言っていた“感情が映し出す主観の映像”か。つまりはシャロンの……? なぜシャロンが父様に。あれはいつの出来事?

「ユーシス様たちはそれぞれが違う光景を見たそうですが、私は多分お嬢様と同じものを視ました。お察しの通り、フランツ様の死に私は関わっています」

「………」

「申し訳ありません。真実を話すことが……今はまだできません」

「薄々感づいてはいたしね。シャロンがうちに来たのと父様が亡くなったのが、ほとんど同じだもの。後々に結社のエージェントって聞いて、何もないと思う方が不自然でしょ」

「……はい」

「別にいいわよ。話したい時に話してくれたら」

「本当にそれでよいのですか?」

 アリサはうなずいた。

 オーバーライズ時に見える映像が全てではないことは知っている。伝わってくる相手の感情の方が重要なのだ。シャロンから届いたのは後ろめたい悔恨と深い罪の意識と、それ以上の感謝だった。

「逆に私から伝わったものもあるはず。どう? 私は怒ってる? あなたを恐れたり、恨んだりしてる?」

「いいえ。その、本当に……もったいないことに……お嬢様はわたくしのことを……家族だと、そう思って下さっています。……そのように感じました」

「《ARCUS》で届ける気持ちだけは偽れないの。さあ、シャロン。色々とあるけど、まずはここを切り抜けてからよ」

「承知しました」

 シャロンは立ち上がった。オーバーライズの効果で、多少なり回復してくれている。

 目配せは一瞬、二人は何も言わずに反対方向へと駆け出した。

 わずかに迷い、グリアノスはシャロンを標的に定める。シャロンは鋼糸を振るい、敵の意識を自分に集中させた。翼とかぎ爪を駆使し、グリアノスはシャロンの攻撃を防ぐ。

 今だ。

 アリサは弓に矢をつがえ、よく狙って射つ。シャロンを相手取りながらも、グリアノスが反応した。巨体を素早くよじって回避する。外れた矢は形を保っていた円柱の一つに刺さった。

 それでもアリサは何度も矢を放った。ほとんど見もせずに、攻撃が避けられてしまう。魔女の使い魔というのはこれほどに手強いのか。

 結局、ダメージを与えられずにシャロンもそばまで戻ってきた。

「鋼糸は使い切りました。お嬢様は?」

「残った矢は一本だけね」

 グリアノスの目が鋭い光を帯びる。この一撃で仕留める気だろう。

 再び翼を広げようとして、しかし急にびくりと止まった。その羽に切り傷がついている。翼をたたみ、今度は前に出ようとして、また止まる。後ろも横も同じ。

 どうやら気づいたようだ。自分がすでに檻の中にいることに。

 グリアノスは鋼糸に囲まれていた。鋼の糸は矢を起点に張り巡らされている。もともとアリサはグリアノスに当てるのが目的ではなかった。狙いは周囲の円柱。そして射る瞬間に、シャロンが鋼糸を矢にくくりつけていたのだ。

 事前の打ち合わせなどしていない。ただ望むことが伝わっただけだ。グリアノスの囮になりながら、彼女はそこまでのことをやり遂げてくれていた。

「やっぱりね。見えてないんでしょ」

 グリアノスは自分たちが十分に視認できていないのではないか。アリサがそう思う根拠は、ここまでにいくつもあった。 

 たかだか柱の裏に隠れた程度で、自分たちを簡単に見失うものだろうか。余計に位置が分かりにくくなりそうなものなのに、暴風での全方位攻撃に移るのも早かった気がする。

 私たちが姿を見せてからも、接近してくるのはオルゴールが鳴ってからだった。先の矢も見ずにかわせたのは、音で判別していたからだろう。

 セリーヌがそうであるように、使い魔はその姿形に性質が寄るところがある。ありていに言えば、『猫扱いするんじゃないわよ!』と言いながらも、セリーヌは猫っぽい仕草と習性が隠せていない。

 おそらくグリアノスだってそうだ。多くの鳥類がそうであるように、グリアノスも暗いところでの夜目が利かない、いわゆる鳥目なのだ。だから鋼糸を見逃した。

「翼は封じた。下手に動けば裂かれるから、ろくに身じろぎもできない。マキアスに倣って言うなら、チェックメイトよ」

 最後の一本を弓で構える。導力弓の前面に赤い光陣が何重にも描かれていった。それはスコープの役割も果たし、アリサは矢じりの向きをグリアノスの胸に定める。

 グリアノスが嘴を上下に開いた。風の塊が収束していく。凄まじい破壊力だと肌でわかる。あれが敵の最終手段だ。発動は相手の方が速い。来る。

「シャロン」

「はい」

 張り巡らされた鋼糸に電撃が爆ぜる。のけぞるグリアノス。シャロンがアーツを伝わせたのだ。それはアサルトラインとブレイズワイヤーを組み合わせた、いわばレイゼルの戦法。さらにオーバーライズの効果が生むゼロ時間駆動だった。

 グリアノスが放った一撃はアリサを際どく逸れ、煌魔城の外壁に風穴を開けた。

 同時にアリサも放つ。浮き立つ赤い紋様を貫き、加速した《ジャッジメントアロー》が紅蓮の尾を引いて飛ぶ。狙いは寸分たがわず、グリアノスの胸の中心を穿った。

 甲高い断末魔を上げて、巨鳥の姿が失われていく。元の大きさに戻ったグリアノスは、ひどく不格好な飛び方で、自身の開けた破孔から外へと逃げ出した。

「逃さないわよ!」

 言いつつも、矢は尽きていた。

「ど、どうしよう。また戻ってきたら」

「大丈夫です。今のうちにあの階段のところまで行きましょう」

 シャロンが奥の通路に視線を向ける。

「ただ、これ以上は私は足手まといです。オーバーライズの効果もまもなく切れると思います。ここからはお嬢様一人でお進みください」

「シャロンを放ってはいけないわ」

「通路にいれば仮にグリアノスが戻ってきたとしてもやり過ごせます。無茶はしません。お嬢様といっしょに帰ると約束しましたから」

「……うん」

 それ以上の言葉はいらなかった。

 

 

 煌魔城の外壁に沿いながら、グリアノスは主の元を目指して飛んでいた。

 ヴィータは天守の一層下のフロアにいるとわかった。魔女と使い魔のリンクだ。そこまでたどり着けば、霊力の供給を受けられる。

 そうすれば再び《魔徒の演舞(サヴァント・ヴァルス)》を使い、戦うことができるのだ。

 もう少しで――

 羽ばたくグリアノスは上を見上げた。くすんだ空の高くに、大きく旋回する鷹が見えた。

 その鷹と目が合う。

 緩やかな飛行から一転、鷹はグリアノス目掛けていきなり急降下してきた。獲物を襲う際の直下降。その速度は時速300セルジュを超える。

 弱ったグリアノスに避けるすべなどなかった。

『お前たちが討ちもらした敵は私が討とう』

 Ⅶ組にそう告げた意志の通り、その鷹――ゼオは鋭い爪を立てた。

 蒼い羽が散る。

 

 ●

 

 《幻想の唄(ファンタズマゴリア)》の作り出す“窓”が、向かい合って立つエマとヴィータの間で消えていく。

「ま、まさか。信じられない……こんな。マクバーンまで……グリアノスの反応も……?」

 “窓”が映し出していたそれぞれの戦いの顛末を見て、ヴィータは呆然とつぶやく

 もちろん無傷とはいかなかった。明確な勝利と言えない者もいた。けれど、誰しもが立ちはだかる壁を突破した。一人も欠けることなく。

「だから言ったでしょう。みんな、なんとかするって」

 エマは膝を立てた。踏ん張り、歯を食いしばり、立ち上がる。

「まあいいわ。全員が満身創痍。大した脅威にはならない。それにね、一つ忘れていることがあるんじゃないかしら」

「忘れていること?」

 首を横に振り、ヴィータはあざ笑った。

「なんとかならない人間がひとりいるでしょう。あなたよ、エマ」

 ずんと重く大気が打ち震え、鳴動がヴィータを中心に広がっていく。彼女の手のひらに何かが輝いていた。

 宝珠だ。

 銀色に輝く大剣がずらりと虚空に顕現されていく。《イセリアルエッジ》にも似ていたが、そこに注がれている霊力は桁違いだ。一本一本が単体で戦艦を墜とせるほどの、常軌を逸した破壊力を有している。押しひしげられるような圧迫を受けた全身が総毛立ち、冷たい汗が吹き出した。

 これは以前、ユミルでも使われかけ、自分が懇願して止めさせた尋常ならざる魔の息吹――

「失われた太古の魔術――名づけるならばロストアーツ。私が発動させたのは《ロストオブエデン》という力よ。抗う気も失せるでしょう?」

「……姉さんはその宝珠をどこで手に入れたの?」

「あら、言ってなかったかしら。ローエングリン城よ。厳密に言えば、あなた達が倒してくれた幻獣の跡地で」

「幻獣が……?」

「幻獣は息絶えるときに、自身を実体化させていた異界の力を塊に変えるの。それがこの宝珠。ふふ、おいしいところだけ持って行っちゃってごめんなさいね」

「そういうこと……わかったわ」

「いい子ね。さあ両手を床について謝りなさい。そうすれば――……?」

 エマの周囲が紅く揺らいでいた。灼熱をまとう波動が、ぐらりと立ち昇っていく。

 光があふれる拳を、エマは開いていく。ヴィータの目が驚愕に見開かれた。

「どっ! どうして!?」

「奥の手ならあるって、ちゃんと言っておいたわ。あれは苦し紛れの強がりじゃない」

 エマの手に赤く輝くのは、ヴィータと同じ宝珠だった。

「な、なんでそれを持ってるの!? あなた達の動向はある程度把握していた。少なくとも、ローエングリン城以降では幻獣を倒していないはず……!」

「さあ? 本当の経緯は私にもはっきりとはわからない」

「……!?」

 ルビィの首にくくられていた白い毛糸で編んだ小袋。その中に折り畳まれた手紙と一緒に、この宝珠が入っていたのだ。

 よほど時間がなかったのだろう。手紙には走り書きで、こう記されていた。

『私には使えませんでした。託します』と、一言だけ。

 それを読んだエマは、この宝珠はエリゼが自分に宛てたものだと理解した。

 なぜなら毛糸の小袋はお守り代わりにと、エマがエリゼに贈ったものだったからだ。

 そのお守りがルビィの首にあれば、最初に気づくのは間違いなく自分であり、同時に疑問も持つ。必ず調べると踏んで、そこに宝珠を隠したのだろう。

 ただそれは、不確定な賭けだったはずだ。お守りをルビィにつけた時点では、《紅き翼》がカレル離宮に乗り込んでくることを想定していたとは思えない。仮に想定していたとしても、時期の予測まではしようがない。

 私の目につかないまま終わる可能性もあった。むしろ敵方に発見されてしまうリスクだってあった。

 それでも彼女は一縷の希望に賭けて、宝珠を手放したのだ。そして希望は確かに自分の手にまで届いた。

「姉さん。私たちは個人ではそんなに強くない。多くの人たちに支えてもらわなければ、ここまでは来られなかった。私たちの力はいつだって繋がること。《ARCUS》に象徴されるように」

 煌魔城の各フロアを突破した仲間たちだってそう。きっと誰もが、誰かから受け取った何かを最大限に活かして、激戦を駆け抜けたのだ。

 それは武器かもしれないし、技かもしれないし、想いかもしれないし、言葉だったのかもしれない。

 私も同じ。

 エリゼがどのようにして宝珠を手に入れたのかはわからない。彼女が一人で幻獣を倒したというのは想像しにくいことだった。だが現実にそれは、ここにある。

 けれどあのお守りを贈っていなければ、どの道この受け渡しは実現しなかった。いや、順にさかのぼるなら、内戦が始まった時にセドリックがカレル離宮にルビィを連れ出していなければ、あるいは体育大会の日にルビィの貰い手がアルフィンでなければ、そもそもあの夏の日にルビィとⅦ組が出会っていなければ――この瞬間の一手には繋がらなかった。

 全ては小さな出来事の積み重ね。けれどそうやって重ねてきた取るに足らない一つ一つが、大きな力となって今、結実した。

「やめなさい。すぐにロストアーツとの接続を切りなさい。あなたに扱える代物じゃない。限界を超えて霊力を酷使したら魔女の力を失うと、そう話したばかりよ」

「やってみないとわからないわ」

「愚か……!」

 エリゼも試したのだろうが、発動にも至らなかったのだろう。どうやら宝珠には使い手との相性があるようだ。

 学院でルビィのお守りに気づき、そのあとすぐに作戦開始となったから、エマにとってもこれはぶっつけ本番だった。

 宝珠を握りしめる手で、魔導杖にも力を注ぎ続ける。シャフトがひび割れた。広がる亀裂が先端の魔玉へと向かう。ロストアーツのエネルギーを受け止め切れていないのだ。

 魔導杖が破損した。魔玉も割れ飛び、杖本体が壊れていく。

 同時に発動。大渦を巻く巨大な火炎がエマの頭上に生まれ、煌々とフロア一帯の闇を晴らしていく。

 マクバーンの炎とは質が違う。それは創成の焔。太古の力が結集された太陽の顕現だった。

「エマが本当にロストアーツを……! だったらこちらも本気を出させてもらう。もう手は抜かない」

 ヴィータは自身の杖をエマに振り向けた。滞空する銀色の剣が、明確な敵意をもって彼女を狙う。

「古の力に命じる。――消し飛ばせ」

 空間さえ捻じ曲げるほどの剣圧が一斉に襲い来る。

 エマは静かに手をかざした。

「古の力に命じる。――焼き尽くせ」

 意志に呼応した炎が鮮烈に爆ぜた。

 《ソル・イラプション》の名を冠するロストアーツが、《ロストオブエデン》と激突する。

 波打つ炎を切り裂いて舞う、破滅を体現する光の大剣。裂かれた先から再生し、巨人の咆哮がごとく荒び猛る紅の炎。

 対峙する姉妹は両者一歩も引かない。お互いの力を打ち消し合おうと、激しい衝撃が絶え間なく入り乱れた。

 光の剣が業火に飲み込まれ、一つ、また一つと消滅していく。しかし剣も閃光を放ち、強大な炎を蹴散らしていく。

 太陽が薄れていく。剣も残るは一つ。最後の衝突。拮抗は刹那、光と熱が広範囲に弾けた。

 ヴィータが膝をついた。

「ぐっ……相殺された……? この私が……」

 エマも膝を折って、倒れ込む。

 魔女の力は――大丈夫。自分の中に、かろうじてまだ感じる。しかし戦う力までは残っていない。

「認めるわ。さっきの一瞬、確かにあなたは私と互角だった。けどね、やっぱり私の方が上よ」

 へたり込んだまま、ヴィータは一本の光剣を生み出した。温存していたロストアーツの残り――ではない。ただの《イセリアルエッジ》だ。それもひどく弱々しい、絞り出すようにして作った一つ。

 だとしても勝敗を決するには十分だった。エマにはもう何もできない。

「結局、エマは全部が中途半端。魔女としての力も、己の使命への向き合い方も。私といっしょに来れば、変わるものもあったのに。三度に渡る誘いを断ったこと、後悔なさい」

「後悔はしないわ」

「所詮は一時の感情のことよ。未熟なあなたなんかに導かれたリィン君が可哀そうに思えてくるわ」

 その言葉には反応する。

 しかし反論はできなかった。未熟であるのは自分が一番わかっている。Ⅶ組としての自分と魔女としての自分で揺れ動いていた時期があったのも事実。そのせいでリィンに十分なサポートができなかったとも自覚している。中途半端と言われるのも仕方ないことだった。

 惨めさと屈辱が身を苛み、エマは奥歯をかんだ。

「そういえば、さっきの映像の中にリィン君がいなかったわね。彼はどこにいるの? 《紅き翼》に待機して、機でも窺っているのかしら?」

 リィンの状態をヴィータは知らないようだった。

「無駄よ。煌魔城はあなた達を異物と認識し、先ほど自身で結界を張ったみたい。さらに私の結界も重ね掛けしてる。転移術で入ってきた時とは、次元が違う強固さになっているわよ」

「リィンさんは――」

「なにかしら?」

 エマは顔を上げた。

「本当は……もう戦ってほしくない。傷つき過ぎてる。体も心も。もう剣を置いて、休んでいて欲しい。眠っている内に、私たちで全てを終わらすつもりだったの。それがⅦ組の――私たちの気持ち」

「……なんの話?」

「でもリィンさんは優しいから。強いから。どこまでもお人よしで、自分のことは後回しにしてしまうから。だから――」

「力を使い過ぎて、意識が混濁してるの? もういいわ」

 ヴィータは光剣に手をかざした。

「あなたを動けない状態にしてから、無理やり連れて行く。最初からこうすればよかった」

 姉さんはいら立っている。脅しではない。これは本当に撃ってくる。伸ばした人差し指が自分に向いた。剣が宙を飛ぶ。こちらに向かって、まっすぐに。

「――私が導いた彼は、私たちがどんなに戦わないことを望んでも――」

「いい加減、黙りなさい!」

「必ずここに来る」

 近くの壁面が爆発したかのように内側に砕け散る。噴煙の中から突き出された大きな腕が、光の剣からエマを守った。

 立ち込める噴煙に、巨大な人影が揺れる。双眸が強い光を放ち、スラスターが勢いよく土煙を晴らすと、陽光を浴びる灰白の装甲が照り輝いた。

『エマ!』

「リィンさん!」

 傷だらけのヴァリマールが煌魔城に降り立ち、リィンの声を響かせた。

 ああ、生きていてくれた。でもやっぱり、彼は来てしまった。

 嬉しいのと、悲しいのと、安堵と、不安が入り混じって、それ以上は何も言えなかった。

「灰の騎神……! この結界を素手で!?」

 ヴィータがうめいたと同時、天井の一部――すなわち最上層の床を突き破って、何者かが猛スピードで飛来してくる。崩落する無数の岩盤と瓦礫に紛れて見えるのは、傷一つない紺藍の装甲。

『やっと来たかよ、リィン!』

『クロウ!』

 ブーストを全開にしたヴァリマールが拳を固める。

 ついにこの時が来た。それぞれの魔女に導かれた二人が、《灰》と《蒼》を駆り、宿業の地にて相まみえる。

 猪突するオルディーネが、ダブルセイバーを閃かせた。

『始めるとしようぜ! 俺とお前の最後の戦いを!』

 

 

 ――つづく――

 

 

 







――大反省会――

リィン「エマ!」
 エマ「リィンさん!」

アリサ「いやいや、ちょっと待って。え? そっちいっちゃう?」
ラウラ「カメラとめろ」
アリサ「おかしいでしょ。こっちもこっちで死にかけてたんだけど。今までのイベント、脳内リセットしたの?」
ラウラ「委員長から名前呼びにも昇格してるしな。申し開きはあるか?」
リィン「あの、その、アリサかラウラのどっちかに行くのって、なんかあれかなって。いわゆる第三の道を……」
ア&ラ『あ?』
リィン「パパボーン! やっぱり僕を不死者にしてよ!」

そんな展開も頭をよぎりました。

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