虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第115話 選択の先で未来を

 アラームの音がけたたましく重なっている。どれが何の不具合を示す警報なのか、もはや判別もできない。

 赤色灯に切り替わったブリッジの中、トワはコンソールパネルに突っ伏していた上体を起こした。

 首は回る。腕は上がる。足は動く。打撲箇所は多いが、奇跡的に軽傷と呼べる域だった。

「う……みんな、大丈夫……? 殿下は……」

「わ、わたくしもなんとか……」

 通信席のアルフィンも一応無事のようだ。他のメンバーも同様に、それぞれの席でふらつく頭を持ち上げている。

 まだ気は抜けない。状況を把握しないと。トワは自分の頬を叩いた。

「わかる範囲でいいから、誰か損害報告を」

 手元の端末は反応がない。メインスクリーンも割れ、画面がブラックアウトしている。他の席も似たようなものだ。

 ブリジットのコンソールがまだ生きていた。彼女はパネルを叩き、拾えるだけの情報を引き出そうとする。

 その最中に外部から通信が入った。

『――リッジ、ブリッジ! 聞こえる? こちらサラ・バレスタイン。ブリッジ、応答を――』

「こちらブリッジ、トワです」

『よかった。繋がった……』

 こちらの様子を伝えると、ひとまずサラは安堵したようだった。

「艦内の状況は調べているところなので、怪我人や損傷率は不明です。サラ教官はご無事ですか?」

『無事……と言いたいところだけどね。着地の衝撃の受け身が取れなくて、足を派手にやっちゃったのよ。痛みが強いわ。右足が折れてるかもしれない。一人じゃ十分に動けないと思う』

「そんな……」

 Ⅶ組が煌魔城に転移してから、パンタグリュエルは急旋回。ほとんど不時着の格好で、マーテル公園に着陸した。近くでこの巨船を降ろせる場所はそこしかなかったのだ。封鎖されていたらしく一般人はおらず、人的な被害が出なかったのは幸運と言える。

 その不時着の衝撃で四つのアンカー全てが外れ、カレイジャスはパンタグリュエルから投げ出される形になった。危うく引っくり返りそうになりながら敷地内を横滑り、船体で盛り上げた土をブレーキ代わりにして、どうにか艦は停止してくれた。生きた心地はしなかった。

 パンタグリュエルはカレイジャスの離れた後方に位置し、もうもうと黒煙を噴き上げている。サラがいるのは、その前部甲板だろう。

「そういえばルーファス興は?」

 ぎりぎりまでサラはルーファスと交戦していた。彼も近くにいるはずだ。

『いないわよ。マーテル公園に降下する直前に脱出したわ。甲板に横付けしてきた揚陸艇に飛び乗ってね』

「……そんなにタイミングよく揚陸艇が?」

『どこまでを見越していたのかはわからない。ただパンタグリュエルに執着はないみたいだった。あと気になるのは、彼が乗った後の揚陸艇は煌魔城には向かわなかったことかしら』

「ではどこに?」

『それもわからないわ』

 行動が不可解だ。正規軍と貴族連合の戦闘は、ヘイムダルの近郊でいまだ続いている。彼の立場なら総指揮を担うはずだが、単独で動いているように思えた。ルーファス・アルバレアという人間の思惑が見えない。

『とにかくパンタグリュエル内にいる制圧班を、一度カレイジャスに引き上げさせなさい。大なり小なり負傷しているはずよ』

「わかりました。ではサラ教官のところにも救護を向かわせます。その場所からの撤退を」

『あたしのことは後回しでいい。学生たちの安否確認と安全確保を最優先に』

「で、ですけど」

『敵兵はとっくに戦意を喪失してる。この期に及んで積極的に交戦なんかしてこない。とはいえノロノロ歩く手負いを見逃す間抜けでもない。お荷物になって下手に動くよりも、あたしはここに留まる。状況が落ち着いてから迎えに来てちょうだい』

「それでも――いえ、わかりました。物陰に身を潜めていてください。なるべく早く行きますから」

『了解。交信終了』

 サラとの通信を終える。ブリッジの大窓からパンタグリュエルを見ると、散ったクモの子のように貴族兵が逃げ出しているところだった。敵の指揮官はブルブランに倒されてしまっている。混乱の中で統率者を失えば、まあこうなるだろう。

「損害確認できました。報告します」

「うん、お願い」

 ブリジットがカレイジャスの状態を読み上げる。

 が、破損個所が多すぎた。それら全ての緊急修繕は不可能だ。ならば第一優先は――

「機関部はどう?」

「機能不全を起こしています。飛行能力に支障が発生している模様。原因の特定は現場でないと……」

「だったら僕が行こう」

 ジョルジュが言った。左腕を押さえている。つなぎ服に血がにじんでいた。着地の際に席から投げ出されていたらしい。

「ケガを……!」

「利き腕が動けばどうとでもなる。もう一度カレイジャスが空を飛ばなければならない局面が出てくるかもしれない。必ず直す。僕に任せてくれ」

 引き留めることはできなかった。苦渋の思いで「……お願い」とトワは告げた。

 船倉に向かおうとするジョルジュは、トワの横で足を止める。そっと彼女の手に何かを握らせた。

「これは?」

「《リベリオン》というマスタークオーツだ。能力はステルス――使用者の透明化」

 ステファン救出のためにルーレ工科大へ潜入した折、彼はアルフィンとマキアスと一緒に女子トイレに隠れる場面があった。警備員をやり過ごす際に『あれを持ってくればよかった』と《リベリオン》を指してつぶやいたそうだ。アルフィンから『女子トイレでそれを言うのはどうかと思います』という旨の報告は受けていたので、トワもその存在は知っていた。が、そのくだりには触れずに、

「えっと、そういえばベッキーちゃんから購入したんだっけ? でも、どうして私に?」

「ここまで不測の事態の連続だった。ここからも何が起こるかはわからない。サラ教官は敵の戦意は失せていると言ったが、たとえば貴族兵の残党がカレイジャス内に潜伏していて、意趣返しを画策している者がいないとも言い切れない。他にも考えられるリスクはたくさんある。まだ危機が去ったわけじゃないんだ。万が一の時には――」

 ジョルジュは他のクルーには聞こえない小さな声で、トワにささやいた。

「この《リベリオン》の能力を使って逃げてくれ」

「それは私だけがって意味?」

「そうは言わない。けど僕たちは君を失うわけにはいかない。トワがいれば立て直せる盤面もある。組織の頭としての役割、わかっているはずだ」

「………」

「トワの性格は知ってるつもりだ。仮にそんな事態(・・・・・)になった時、まず罪悪感が君の心を苛む。強い抵抗も覚えるだろう。それでもだ。命の優先順位は自分自身に設定しておいてくれ」

「………」

「酷なことを言っている自覚は……あるよ」

「………」

「自分を犠牲にして誰かを助ける行為は、少なくとも今の君の立場では正しくない。……すまない。こんな言い方しかできなくて」

「……ううん。釘を刺してくれてるんだよね。……そうだね。何か大切なものを守るためだったら、私はとっさに自分の身を盾にするかもしれない。リィン君みたいに」

「トワ」

「大丈夫だよ。それは……しない。変なの。アンちゃんもジョルジュ君も、もしかしたら私より私のことわかってるんじゃないかなあ」

「親友だからって答えでいいかな。きっとクロウもそうさ」

「うん」

 ジョルジュは笑った。ブリッジを出て、船倉へと走っていく。エレベーターはワイヤーが断線していて動かないから階段だ。

 いざという時は、私一人が逃げる。意味も意義も重要性も理解していた。

 預かったばかりの《リベリオン》を握りしめる。硬く冷えた感触が、言い知れない後ろめたさを与えてきた。

 

 

《――選択の先で未来を――》

 

 

 無風だ。空気の動きがない。温度も感じない。言うなればそれは、夢幻回廊をさまよっていた時の感覚に似ていた。

 曇天で霞がかった空。渇き、ひび割れた地平に突き刺さる無数の剣。それらの剣の一つでもあるかのように、リィンは荒廃した台地に立ち尽くしている。

 虚構か現実か、いずれにせよこの世界には二人しかいなかった。

「自己紹介が必要か?」 

 眼前の青年は口元を緩めた。精悍な顔立ちで、上背がある。しかし威圧感の類はなく、むしろ不思議な引力があった。人を引き付ける、何かが。

「ドライケルス・ライゼ・アルノール……でしょうか」

「いかにも。ああ、堅苦しい敬語は好まんから、やめてくれ。どのみち、ここには私とお前だけだろう。気兼ねする必要はない」

「……わかった。そうさせてもらう」

 本人か? そう問いかけて、そうではないと直感した。

 夢幻回廊で視た250年前の記憶の一端。そこで彼は、こんな言葉を口にしていた。『私の意識の残滓をヴァリマールに送る』と。

 つまり今ここにいるドライケルスは、当人であり、それでいて本人ではないもの。彼の欠片と称すべきか。

 同時に察する。こうしてドライケルスの意識と邂逅できるということは、ここはやはりヴァリマールの中なのだろう。彼が問うていたらしい“お前の剣はどれだ”という声は、そういえばヴァリマールの核にいる時にしか聞こえたことがなかった。

「少し違うな。ここはヴァリマールではなく、お前の世界だ。内なる心象を騎神の霊力で具現化している」

「俺は何も言ってないが……?」

「私とお前は繋がっている。だから感情の揺らぎや、言わんとしたいことが伝わる。それにしてもだ――」

 ドライケルスは周囲をゆっくりと見渡した。

「今にも壊れてしまいそうな世界だ。いや、すでに崩壊は始まっているのか」

 景色の遠くが、その一部が白み、薄れるようにして消えていっている。遅々とした速度ながら、しかし着実に。これが俺の内なる世界というのなら、この場が消失する理由はただ一つ。

「俺が終わるからか……」

「そうだ。お前の命はまもなく尽きる」

「……長い夢を見ていた気がする。なんだか疲れたな。もう……疲れたよ」

 リィンはしゃがみ込んだ。うつむいて、手のひらを眺める。

 世界が消えるにつれ、自分の記憶も消えていく。思い出が散っていく。自分という形が保てなくなっていく。闇のトンネルの向こう側に体が引かれていく。永遠の無音の中での、夢を見ない黒い眠り。これが死か。

「なぜお前の命が尽きかけているのか、覚えているか」

「……?」

 覚えていない。大事なことのはずなのだが。

 まだ思い出せる。確か――そうだ。

 カレル離宮の奪還作戦を実行したんだ。セドリック殿下とエリゼを助けるために。

 仲間たちは正面から敵を引き付けてくれて、俺だけは別ルートで離宮を進んで、やがて最奥の迎賓の間にたどりついた。でも二人はいなくて――そこで強い殺気を感じた。

 大窓の外から、ライフルが向けられていた。途中で交戦した女性兵士だ。トリガーが引き絞られるのがわかった。銃口が狙う先も。

 だから俺はとっさにアリサを突き飛ばして――

「アリサ……!」

 アリサは無事か。意識が途絶える前に、ラウラからも何度も名前を呼ばれた。二人からこぼれた涙が、俺の頬を伝った。その感触を覚えている。

 他のみんなは? あれからどうなった?

「知りたいのならば知るがいいだろう。お前と縁の糸で繋がりし者たちの今を」

 ドライケルスが手をかざすと、頭の中に光景が浮かんだ。場面が切り替わりながら、映像が走馬灯のように流れていく。

 高らかな歌声にいざなわれ、禍々しい変貌を遂げたバルフレイム宮。

 帝都へと飛ぶ《紅き翼》。行く手を阻む白き巨船。空を駆けるカレイジャスがパンタグリュエルに着艦する。そのまま帝都上空へ進入。街を潰さんばかりに高度を下げるも、持ち直してそのまま煌魔城へと向かう。

 パンタグリュエルから放たれ、分かたれた五つの光が、敵地へと吸い込まれていく。Ⅶ組のみんなだ。

 分断された彼らが戦うのは――

「っ!? 俺も行かないと!」

「なぜ立ち上がる。お前は疲弊し、眠りにつこうとしていたはずだ」

「だけどみんなが戦ってる。このままじゃ……」

「訊き方を変えよう。お前が行って何かが変わるか? 誰かを救えるか? 自分一人さえ救えないのに」

 辛辣な言葉だった。

 反論もできず、口をつぐむリィンの前に渦を巻く闇が現れた。その深い闇の彼方で、昏い意志が手招きをしている。気持ちの悪い嗚咽が喉の奥から込み上がってきた。

「それはお前が目を背け続けてきたものだ。鬼の力と呼んでいたな」

「俺を蝕んでいく元凶だ。見たくはないし、触りたくもない。当たり前だろう」

「その力があれば、仲間たちを守れるとしてもか?」

「そうだとしても、どのみち俺には扱えないんだ。何度も試してはみた。でも結局は心が呑まれて、俺が俺じゃなくなってしまう」

「自身の根源にありながら、お前がそれを認めようとしていないからだ。自分のものではないと思っているものを、どうして己が手で扱うことができよう」

「根源? 鬼の力が? やめてくれ」

 いつの間にか、声が荒いでいた。

「俺は苦しめられてきた! 叶うものならそんな力は捨てたいんだ! 制御だって本当はしたくない。怖いんだよ。それがあるから、俺はいつだって自分を好きになれないでいた。特別な力なんて一つもいらない。ただ普通でいたい。……みんなと同じでいたい……」

「やっと本音を言ったな。まったく……」

 歩み寄ってきたドライケルスの手のひらが、自分の頭にぽんと置かれた。

「私とお前は、似たもの同士なのだろう。いついかなる時も前を向き、物わかりがよい振りをする。本当は自分を殺しているだけなのに」

「つらいことが、あなたにもあったのか?」

「私とて無敵の男ではない。大切な何かを失って尚、鋼鉄の意志をもって平然と乗り越えていくのが獅子の心というのなら、少なくとも私は持ち合わせていなかった。周囲の偶像化なのだろうな。獅子心皇帝などと、私自身が名乗ったことは一度たりともないよ」

 彼は笑う。リィンはそこに皮肉めいたユーモアを感じた。

「自分を傷つける異能を忌み嫌うのはわかる。だがな。お前は大切なことを忘れている。なぜその力が根源なのか。本当にお前を苦しめるためだけのものなのか。もう一度向き合ってみるといい――」

 また何かが流れ込んできた。

 どくんと大きく心臓が脈打つ。

 今度は周囲の景色ごと変わった。どこかの家だ。横たわる自分に覆いかぶさる誰か。そこに混じる優しい匂いと血の臭い。

 パチパチと熱で木が割れる音。天井に火が回ってきた。

 これはヴィヴィに逆行催眠をかけられた際にも見た光景だ。しかしあの時よりも遥かに鮮明だった。

『カーシャ! リィン!』

 リビングの扉を蹴破って、誰かが駆け込んできた。

『なんと……なんということだ』

 血に塗れた剣を落とし、男はかたわらに膝をつく。

『すまない、カーシャ。君を守れなかった。だがこの子は、リィンだけは助ける。必ずだ。私の何を犠牲にしても』

 そのあと、男は何者(・・)かと会話をしていた。会話の相手は見えない。内容も聞こえない。そもそも人ではないのかも知れなかった。ただ彼にとって、ひどく苦痛を伴う会話であるようだった。

 そして彼は自分の胸を短剣で穿った。刺し傷からしたたる血が俺の胸に落ちてくる。

 父さんなんだろう。俺の、本当の。

 その血が俺の胸に吸い込まれていく。止まりかけていた心臓が再び脈動を始めた。いや、心臓そのものが別のものになったような、そんな感じがする。

 その時だ。闇が俺の中に混じってきたのは。

 父さんの意志じゃない。もっと異質で邪悪な存在が、父さんを利用しようとして――

「思い出したか?」

「あっ!?」

 過去から引き戻され、リィンはドライケルスの前にいた。胸に手を添える。痛みは収まっていた。

「……ああ。全てじゃないが……俺の、この……力は……。それよりも、今の顔は……?」

「“彼”にとっては予期せぬものだった。そうなるとは思っていなかった。何を引き換えにしても、死なせまいと必死だったのだ。わかるか? 結果としてそれはお前を苦しめる呪いとなったが、根幹にあるのはお前を生かしたいという願いだった」

 渦巻いていた闇が凝縮され、剣の形となって、地面に突き刺さった。

 世界の崩壊は止まらない。少しずつ、地平が削れていく。

「私という意識の欠片はまもなく消える。そしてお前の命も。残念だが、それは動かない事実だ。お互いにもう時間が残されていない。その上で訊こう。お前はどうする?」

 その通りなのだろう。きっともう、どうにもならない。

 でもまだ、ほんの少しだけでも時間があるのなら。

「行くよ。それでも行く」

「止めることはしない。……お前は最期にもう一度だけ、この場所に戻ってくることになるだろう。その時にこそ、答えを出すがいい。闇の剣を抜くか、否か。それがお前の旅路の果てだ」

「わかった。ありがとう」

「なぜ礼を言う」

「ん……、なんでかな。急に言いたくなった」

「そうか。すまなかった」

「なんで謝るんだ?」

「わからん。私はドライケルス本人というわけではないからな。急にそう言いたくなった」

「……ヴァリマールの起動者になったこと、俺は後悔していない。あなたを恨んだりはしない」

「その言葉が聞けて、良かった」

 ドライケルスの姿が光に薄れ、膨れ上がった光がリィンをも包んだ。

 

 目を開けると、そこは騎神の(ケルン)の中だった。なんの明かりも灯っておらず、薄暗い。

『目覚メタカ』

 ヴァリマールの声が響いた。

「ああ。起きたよ。ずいぶん眠っていたみたいだ」

『マダ起キテ欲シクハナカッタ。回復ガ追イツイテイナイ』

 体の感覚が戻ってくる。さっきまではなかった痛みがリィンを襲った。

 自分の胸を見る。穴の開いたジャケットには、血がべったりついたままだ。

「ヴァリマールが俺に霊力を注ぎ続けてくれていたんだな。自分の修復にも充てずに」

『何ヨリモ優先スベキコトダ』

「状況は把握してる。力を貸して欲しい」

『リィン。私ハ戦闘ヘノ参加ヲ推奨デキナイ。動ケルヨウナ体デハナイノダ。次ニ戦エバ、オソラク――』

「わかってるよ。自分が一番わかってる。でも時間の問題なんだ。残された命が消えてしまう前に、やらなければいけないことがある。いや、やり遂げさせてくれ」

 当然だが、撃たれた傷は完治していない。皮一枚でかろうじて塞がっているくらいだ。血液の循環も正常ではないのだろう。刻一刻と命のろうそくが短くなっていくのが実感できる。

 ヴァリマールは沈黙した。長い無言のあとで、

『了解シタ。最後マデ、共ニアロウ』

「ありがとう。相棒」

『応』

 リィンは操縦桿代わりの水晶球に両手を添える。

 小さな鳴動が核を巡った。メインモニターに光が宿る。機体の状態が示された。

 ぼろぼろだった。装甲はひび割れ、フレームにもダメージが残っている。霊力もわずか。カレル離宮奪還作戦の時点で残り一回と宣告されていた霊力残量のほとんどを、俺の治癒に使ってしまっている。

 おそらくまともに戦えはしないだろう。

 これが最後の出撃。

「どうせならもっと格好良く行きたいところだったな。お互い傷だらけだ」

『傷ヲ負ッタ分ダケ、守レタ相手ガイル。傷付クコトカラ逃ゲナカッタコトヲ、誇リニ思ウベキダ』

 トールズ士官学院、その旧校舎の前。始まりと終わりが帰結する場所で、ヴァリマールは静かに立ち上がる。

 スラストバインダー展開。噴き出す輝きが虚空に散る。

「楽しい日々だった。俺はこの学院と、ここにいるみんなのことが大好きだ」

『私モダ』

 周囲の木々から一斉に鳥たちが羽ばたいていく。力強く地を蹴り、学び舎を背にヴァリマールは飛翔した。

 学院を越え、リィンはトリスタの街を眼下に捉えた。ライノの花びらが舞う並木道を抜けて入学の門をくぐったのが、遥か遠い過去のように思えた。

思い出の巡る街を過ぎ行き、まっすぐにヘイムダルを目指す。

『進行ルート上ニ、正規軍ト貴族連合軍ノ戦闘区域ガアル。迂回スルカ?』

「いや、進路はそのまま。最短距離で上空を行こう」

 霊力は少しでも温存したい。強制回復という手段もないではなかったが、今は時間と、それをするだけの体力がリィンに残されていなかった。

 ここからヘイムダルまでは近い。妨害を受けなければ、すぐに到着できる。

「ん?」

 トリスタ街道の中腹に、一機の軍用飛行艇が停まっていた。正規軍ではない。貴族連合のものだ。

 不自然だ。戦闘が繰り広げられているこんなタイミングで。

 あたかも俺を待っているかのような――

「……! 降りてくれ」

『イイノカ? 了解シタ』

 ヴァリマールはすぐに降下した。

 核から降りたリィンは、軍用艇の前に立つ二人の人物と相対した。

 ルーファス・アルバレアと、その横から歩み出たギリアス・オズボーンと。

 もちろん当惑はあった。わからないことも多い。最たるは革新派と貴族派の二人が、なぜ一緒にいるということだが。

 だが不思議と『どうして生きている?』という疑問は出て来なかった。その予感が心のどこかにあったのだ。

 もうわかっていた。ドライケルスに視せられた記憶の中で、はっきりとその顔が見えていたから。年齢の差はあれど、面影が重なり一致している。

「……父さん」

 脈打つ心臓を押さえ、我知らずつぶやいていた。

 オズボーンはかすかにあごをうなずかせる。

「父としての立場で対面するのは、ユミルの雪山以来となるか。久しいな、我が息子よ」

 

 ●

 

 空中に舞う剣と剣が衝突し、そしてエマの剣だけが砕け散る。形象崩壊を起こしたそれは、無数の光のつぶてとなって薄闇に放散した。

「これはイセリアルエッジ――いえ、その上位術にあたるイセリアルキャリバーね。扱えるようになったの? すごいじゃない」

 ヴィータは感心したように吐息をつく。その余裕の態度は自分の優位を疑っていないがゆえのものだろう。事実、彼女は格上だった。

 絶望も落胆も見せない。見せれば、彼女はその心の隙間に入り込む。魔導杖を振るい、エマは深淵の魔女と向き合った。

「ふふ、強気な目をして。でもあまり無理はしない方がいいわよ。さっきから術を使い過ぎてる。疲れてるでしょ」

「まだやれるわ。奥の手もあるもの」

 強がってみせたものの、膝は震えていた。ヴィータの言う通り、霊力の使用過多による疲弊だ。こんなにもフルパワーで、しかも連続で魔女の術を行使したのは初めてだった。想像していたより遥かに精神と肉体の消耗が激しい。

「なら尚のこと、もうやめた方がいい。短時間のうちに己の限界を超えて霊力を酷使し続けた時、私たちに何が起こるか知ってる?」

「……魔女の力を失う。おばあちゃんから聞いているわ」

「そう。見る限り、あなたは自分の上限に達しかけてる。まさかこんなにも私と張り合ってくるとは思わなかったけど、これ以上はちょっとまずいわよ」

 実感としても、そのことはわかっていた。魔女としての人ならざる力には、源泉のようなものがある。使えば減り、時間を置けば回復し、しかし枯渇すれば二度とは戻らない。

 泉の大きさと深さが、保有できる霊力の多さに直結する。すなわちそれが魔女の資質ということ。

 習得していた全ての術を何度も駆使し、そしてその全てを同じ術で相殺された。あたかも実力の違いを見せつけてくるように。

 同じ分だけの術を使ったはずなのに、ヴィータに疲れは見えなかった。

 これが私と姉さんとの、現状の差なのだろう。

「それでも負けられない……!」

 魔導杖を床に突き立てる。石畳の上に大きな紋様が描かれた。ヴィータを囲むように現れた六つの光陣のそれぞれから、紫光をまとう巨塔が現れる。

「ロードアルベリオン。顕現した塔からの一斉射による広範囲殲滅術。戦闘における奥の手として婆様から二人で教わったわね」

「最初、私は自分の身長程度の小さな塔を一つ作るのが精いっぱいだった。姉さんは最初から大木みたいな大きな塔を四つも出せた。本当にすごいって思っていたの」

「感慨深いわ。相当修行したのね。あのエマが、こんなに立派な塔を六つも出せるようになっていたなんて」

 エマに倣うように、ヴィータも杖を床に立てた。

「魔女の能力は、七耀の分類でいうと認識を司る幻属性に近い。自分のイメージを視覚として相手に与えるの。その伝達の強さこそが、術の強さとなる」

 鮮烈な光が走った。輝く床から立ち昇るのは、フロア全域を覆い尽くすほど巨大な劇場。絢爛豪華なオペラの舞台だ。

 エマの作った巨塔は一瞬で飲み込まれ、抵抗の間もなく吹き散らされた。

 幻のステージの中央で、青いドレスがふわりと波打つ。

「私は煌びやかな舞台で光を浴びる歌姫。あなたは古びた塔に閉じこもる眠り姫。目覚めも開花もない。私を追い越すつもりでいる? できるものなら、やってごらんなさい」

「あ、ああ……」

 のしかかる強大な圧に、ついにエマは膝を折った。へたり込み、首を垂れる。

 格が、桁が、違い過ぎた。

「私たちの差は理解してもらえたかしら」

 ヴィータは術を解いた。やがて虚構の劇場は失せ、静寂と薄闇が戻ってくる。

「私とあなただけじゃない。どこもこんなものよ。絶対に覆らない状況に陥っている。顔を上げなさい、エマ。見せてあげる(・・・・・・)

「え……」

 エマとヴィータとの間の空間に歪みができた。歪みは増え、虚空に四つの“窓”を形成する。遠隔で映像を投影する秘術、《幻想の唄(ファンタズマゴリア)》だ。

「これは偽物の光景でもなんでもない。今、同じ時間に起こっている現実のこと。彼らを助けられるのはあなただけ。決断の時が来たわ。どうするのかは、自分で選びなさい」

 エマは一つ一つの窓に視線を転じていく。最初は――

「……フィーちゃん、ミリアムちゃん」

 

 クラウ=ソラスとアガートラムが空中で幾度も交錯し、その都度に火花を散らす。

 互角に思えたが、勢いがあるのはクラウ=ソラスだった。その腕に抱えるアルティナの意志に従い、ミリアムを追い込んでいく。

 ミリアムは変則トランスで応戦するも、力押しで攻められ、自分のペースでの戦いができていない。

 クラウ=ソラスが形状を変化させた。一対の鋭利な翼を持つウイングボードだ。その背に乗り、アルティナが特攻をかける。同時に赤いレーザーを一斉照射。ミリアムの退路を断つ。

 必中のタイミングだ。ミリアムを守ろうとしたアガートラムを容赦なく刺し貫いた。

 アガートラムの体の半分が裂け、ミリアムが宙を落ちていく。

 

 その遥か下方では、フィーがゼノとレオニダスと戦っていた。

 嵐のような怒涛の攻撃を、持ち前の速さと風読みの技能も駆使しながらどうにか回避している。だが攻勢に転じることはできない。

 西風の二人は旧知の間柄だといって、容赦する様子はまるでない。ライフルは完全に当てるつもりで撃っているし、マシンガントレットも躊躇なく振り抜いている。

 双銃剣の応射も追いついていない。徐々に間合いを詰められ、フィーにも疲れが出始めていた。

 その時、フィーの動きが鈍った。隙は見逃さず、ゼノがライフルを撃つ。とっさに防御した刃が砕け、双銃剣の片方が吹き飛んでいった。

 そこに迫るレオニダスがマシンガントレットを振り上げて――

 

「……ラウラさん」

 

 鉄機隊は全員がそろっているようだったが、ラウラと切り結んでいるのはデュバリィだけだった。

 だからといって、それで優位というわけではない。

 残像なのか分身なのか、三体に分かれたデュバリィが炎、雷、氷と、三種の属性斬撃でラウラを追い詰めていく。その全てにかろうじて刃を振るえているのは、彼女にとって剣体を一致させられる蒼耀剣のおかげなのだろう。

 だがあれは、宝剣の類ではない。カスパルが見繕った、あくまでも普通の武器だ。

 デュバリィの本気の剣撃に耐えるには、まるで強度が足りていなかった。何度も打ち合う最中で、蒼耀剣の刀身に微細なひびが生まれている。

 ラウラは剣を構え直した。見たことのない構え。あれがアルゼイド子爵から伝授されたという奥義なのか。

 だが彼女は眼前の敵に集中し過ぎていて、自身の剣のひびに気づいていない。

 ディバリィも大技の構えに入っている。互い必殺の打ち合いだ。

 いけない。あの剣では攻撃どころか、防御も不可能だ。叫びたかったが、エマの声が届くはずもない。次の一撃でラウラは確実に沈む――

 

「マキアスさん、ユーシスさん、ガイウスさん、エリオットさん……」

 

 結界を突破した際の転移で一固めになってしまったらしい。男子たちはみな一緒にいた。

 円形のテーブル状のフィールドで彼らが戦うのは、結社の執行者No1《劫炎》のマクバーンだ。

 炎をまとうマクバーンは異形の姿と化し、その手に黒い魔剣を携えていた。

 一振りごとに、強烈な火炎が荒び、男子たちの姿が見えなくなる。

 エリオットが何度も水属性のアーツを地面に放ち、熱を中和しているようだったが、それは文字通り焼石に水程度の効果しか出ていなかった。

 マキアスの繰るミラーデバイスはことごとく破壊されている。鏡面が熱で溶けて、その機能を失っているのだ。もっとも相性の悪い敵と言えるだろう。

 ガイウスは必貫の槍を狙っていた。しかし黒い炎の向こうには行けずに、口を手で覆っている。あの炎は絶対に吸い込んではいけないとわかっているのだ。

 ユーシスは魔導剣に受け渡す導力の溜め時間が確保できないでいた。エリオットのムービングドライブと異なり、チャージの時間は止まっていなければならない。その間は致命的だった。いや、たとえチャージができたとしても、あんな魔人相手に何が通じるというのか。

 マクバーンは手を上へかざした。そこに超高熱の火球が生み出される。陽炎がマキアスたちの姿を屈曲させていく。

 “ジリオンハザード”

 苛立ちも露わに、彼はそうつぶやいた。

 

「……アリサさん、シャロンさん」

 

 倒れたシャロンを、アリサが懸命に守ろうとしていた。動けないシャロンを引きずるようにして、巨大な怪鳥から逃れようとしている。

 あれはグリアノスか。《魔徒の演舞(サヴァント・ヴァルス)》を使ったのだろう。膨大な霊力を注ぎ込むことで、一時的に使い魔の能力を飛躍的に高めることができる術だ。

 シャロンを連れたアリサはどうにか円柱の裏に隠れ――その円柱があっけなくグリアノスに粉砕される。降り注ぐ瓦礫から、それでもシャロンを守ろうと身を盾にするアリサだが、とうとう彼女も力尽きて倒れた。

 立ち上がる体力も残されていないようだった。

 グリアノスの蒼い双眸が不気味に浮き立ち、アリサを睥睨する。強力な攻撃などもう必要ない。その(くちばし)の一突きで、全てが終わる――

 

「さあ、どうするの?」

 ヴィータが言った。

「私なら攻撃の停止を一瞬で全員に伝えられる。消化不良の人たちもいるでしょうけど、この命令には絶対に従ってもらう。私だけが、あなたの大切な仲間を助けることができる」

 ささやくように諭す声音が、胸の中をかき乱す。

 上げた視界の中に差し出される白い手のひら。

「私と一緒に来なさい。結社に入りなさい。そうすれば戦闘は終わる。これが三回目の、最後の勧誘。あの日の予言の通りよ」

 今日のこの場面を否定し続けてきた。けれどヴィータのいうことは正しかった。

 救援は来ない。自分たちの力が及ばない。窮地に陥る。

 そして突き付けられる二択。

 跳ねのけられるつもりでいた。どれだけ細く拙くても、希望はあると思っていた。一縷の望みを捨ててなどいなかった。

 けれど現実を目の当たりにさせられて、仲間の命を天秤に乗せられては、もう――

 自分の感情を殺して、皆を生かすか。自分の感情を優先して、皆を殺すか。

 考えるまでも……なかった。

「……姉さん」

「ええ」

「私、結社に――」

 この時が来てしまった。滲んだ手汗がひどく冷たい。吐きそうなほど、胸の奥が苦しい。

 きっとみんな、怒るでしょう。でもみんなより大切なものなんて、やっぱり私にはないんです。

 今までありがとう。ごめんなさい。

 もう一度だけ、“窓”を見る。まだ仲間と呼べるうちに、最後に見たかった。だから。

 一人一人の顔を、見てしまった。

「入らない」

 うつむいたまま、そう言った。

「……聞き取れなかったわ。もう一度言ってくれる?」

「私は結社には入らない。姉さんとは行かないって言ったの」

 小さなため息。

「本気で言ってるの? 私は脅してなんかいないわよ。このすぐあとに、悲劇は必ず訪れる。そうね。もしかしたら全員じゃないかもしれない。でも見たでしょう。何人かは本当にどうにもならない。くだらない意地を張るのはやめなさい」

「意地なんかじゃない。みんな、きっとなんとかする。私はそう信じる」

「呆れた。心底呆れた。そんなの子供の駄々以下じゃない。願望と妄信が入り混じって、何も見えなくなってる。失ってから我に返って、自分のせいで失ったとも理解して、耐え難い後悔に苛まれるわよ」

「違う」

「違わない」

「違う!」

 自分でも驚くほどの大きな、そして涙声だった。

「私たちには重ねてきた時間がある。築いてきた関係がある。託されて育んできた力がある。たとえその力が及ばなくても、潜り抜けてきた試練で培った知恵がある。まだそれらを出し切ってない」

「そんなものを信じるの? 誰かを失うことになっても?」

「誰も失わない未来を信じるわ。そう決めた。私が信じなくて誰が信じるの? だって私は――」

 爪が皮膚に食い込むほどに拳を握りしめる。

「Ⅶ組の委員長だもの」

 身を裂かれるような苦痛の決断だった。しかもその選択は正しくないのかもしれない。恐怖はいまだ、心の中にある。

 でもこれでいい。

 私が彼らを大切に想うように、彼らも私を大切に想ってくれている。

 私が去ることで皆を救えたとしても、私が去ったことを彼らはきっと納得しない。そういうものだと、今さらながらにわかった気がする。

 最初から誰かが欠ける前提の判断をすることが、そもそもの間違いだったのだ。 

「愚かしいわ……! だったらこの先を見なさい。すぐに現実がわかるから――……?」

 《幻想の唄》で生んだ窓の光景を見やったヴィータの言葉が不意に止まる。

 その異変は、フィーから始まっていた。

 

 

 もちろん知ってはいたが、ゼノとレオニダスのコンビネーションは一級品だった。

 距離の取り方も、間合いに合わせた攻め方も熟知している。

 フィーの速度をもってしても、かわすのが精いっぱいだった。

「どうしたんや、フィー! そんなもんか!?」

 ゼノのライフル射撃。挙動を先読みして、射線から逃れる。空中で体を半回転しながら、フィーは即座に銃口を向けなおした。同時にトリガーを引く。外れた。狙いが追いつかなかった。イメージの中では命中していたのに。

 体勢を戻して着地。制止は死を意味する。膝のばねを柔らかく使って、硬直時間は極力短く、

「っ!?」

 足が動かない。疲労の蓄積だ。「隙ありや!」とゼノがまた撃ってきた。今度は避けられない。フィーは双銃剣を盾にした。強い衝撃が肘まで痺れさせる。

 眼前で刃が砕け、手から離れたグリップが飛んでいった。やられた。手数が少なくなると、フィーの場合は極端に不利になる。

 相手もそれはわかっているのだろう。レオニダスが肉薄してきた。巨体の割に、彼は速い。

 思考は止めない。左手に残った双銃剣を右手に持ち変え、牽制射撃。

 二アージュを越える大きさのマシンガントレットに銃弾が弾かれる。

「ここで我らに倒されるならば、それまでということだ。団長の元にはどのみちたどり着けまい」

 繰り出される一撃。とっさに飛びのいたが、牽制で前に突き出していた銃口の先端が剛腕にかすってしまった。

 その威力に双銃剣が叩き落される。マシンガントレットはそのまま床にめり込んだ。爆薬を仕込まれた鉄鋼がスライドし、路面を派手に粉砕する。その中心部にあった双銃剣は跡形もなく消し飛んだ。

 まさに破壊獣(ベヒモス)だ。頭の後ろでまとめたドレッドヘアが波打ち、サングラスの奥の黒い瞳がフィーを見据えた。

 追撃が来る。衝撃に浮き上がった無数の石片が落ちるよりも早く、レオニダスが前進してきた。マシンガントレット再装填。スライド部にがちんと火花が散る。

「団長にたどり着けないって。相変わらず意味はわからないけど。ねえ、いつか私は会うことができるのかな?」

 フィーは迫りくるレオニダスに言った。彼は肯定も否定もしなかった。

 ルトガー・クラウゼルを取り戻すために動いているという言葉。ことこの二人においては私を惑わすためだけに、そんな虚言を吐いたりはしない。

 どんな経緯があったかなど想像もつかない。あの日、彼は確かに死んだ。それでもルトガーは、きっとこの世界のどこかにはいるのだろう。

 私に名前をくれて、家族にしてくれた人が。

 私の、お父さんが。

 その人に、会うためには。

「うん。やっぱり負けられないね」

 上から下へと振り下ろされる二撃目のマシンガントレット。

 その流れに逆らうように、下から上へと鋭い閃光が走る。

 足元の岩盤を砕いた鉄鋼の表面に、深い切り傷が刻まれていた。

「工房特注の装甲に、傷が……!?」

「な、なんや。屋内やのに風が逆巻いて……」

「二人が相手なら、手に馴染んだ武器の方がいいかと思ってたんだけど、やっぱり甘い考えだったみたい」

 フィーは一対の新たな双銃剣を携えていた。自分の手のひらの大きさに合わせたグリップ。指の長さに適応したトリガーの位置。重量と重心とバランスの調整。完全なオーダーメイドだ。そして何より、その刀身は――

「その刃の輝き……ゼムリア鉱か!」

「なんちゅーもん持ち出して来るんや。そうそう作れるもんでもあらへんぞ!?」

「カレイジャスには有能な先輩がいるからね。最近は寝不足で死にかけてたけど」

 双銃剣を中心に風が渦巻いていた。

 軽い。動きの邪魔をしない。望む反応を返してくれる。

「――いい感じ」

 足で強く地面を蹴る。風に背中を押されたみたいに、流れるような軌道で最大速度を出せた。これまでの直線ではなく、曲線の動き。

 一瞬でゼノとレオニダスの背後を取る。

「むっ!?」

「大気を操るんか! はっ、《西風の妖精(シルフィード)》の大復活ってとこやな」

「私はもう猟兵じゃない。その名を名乗ることは、この先二度とない。私はトールズ士官学院一年の特科Ⅶ組で、園芸部所属のフィー・クラウゼル」

 二人はその言葉に目を細めた。多くの感情が混じった表情だった。

 レオニダスが三度(みたび)マシンガントレットを稼働させる。

「猟兵じゃない、か。ならばお前は猟兵じゃないまま生きて行けるのか?」

「そんな私であり続けるために、こうして戦ってる」

「それは矛盾……ではないな。いいだろう。仕切り直しだ。その力、示してみせるがいい。さっきは不意を食らったが、そう何度も背中に回れるとは――」

 俊足が弾ける。言葉の最中に、フィーはまた背後を取っていた。

 目を見開き、ゼノもレオニダスも一歩遅れた反応で振り返る。

「多分、今の私、《西風の妖精》って呼ばれていた時より速い。それとまだ慣れてない武器だから加減が利かない。あんまり侮らない方がいいと思う。それじゃ――」

 フィーは身をかがめ、双銃剣を胸前で交差させる。十字に輝く刃。渦巻く大気が烈風となった。

「行くよ、《ゼロス・ウィンド》」

 

 

 ――つづく――

 

 


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