虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第114話 決戦の時

「もうやめて下さい! あなたは自分で何をしているかわかっているのですか!?」

 強い非難の声が、広い空間に響き渡る。怒りをあらわにするエリゼに、カイエン公爵はあくまでも慇懃に接した。

「何をというが、君こそ今何が起こっているかをわかっているのかな」

「それは……」

 言われるまでもなく、状況の全てを理解してなどいなかった。

 セドリック皇子の護衛としてカレル離宮から同行してきたエリゼは、セドリック共々にバルフレイム宮の地下深くへと通された。地の底まで続いているかのような人工的な縦穴を、昇降機でひたすらに降下する。皇城にこのような装置と場所があったことを、セドリックでさえ知らなかったらしい。

 そうしてたどり着いた最奥の間に、それはいた。緋色の装甲を全身にまとい、静かに佇む甲冑の巨人。

 エリゼにはそれがヴァリマールと同種の存在であるとすぐにわかった。カイエンはそれを《緋の騎神》と呼んだ。

 異変はここからだ。

 どこからか歌声が聞こえてきたと同時、《緋の騎神》を中心に周囲の景色が歪む。抗えない圧倒的な目まいの中で、エリゼはまた時計の針らしき(、、、)音が進むのを聞いた。

 まともな視界が戻ってきた時、そこはすでに今までいた場所ではなかった。空間ごと組み変わり、最下層に位置していたはずの場が、最上層の天守に転移してしまったのだ。

 《緋の騎神》を取り巻くように螺旋状の足場が構築されている。いつの間にか立ち位置も変わり、エリゼたちはその足場の上――騎神の腹部前にまで移動していた。

 呆然としていたのがまずかった。カイエンはすかさずエリゼの後ろ手を拘束し、さらにはセドリックの手首も同様に縛る。皇太子を物のように扱う荒い手際だった。

 エリゼの抗弁に意味はなく、セドリックは簡素な椅子に座らされ、短刀で指を傷つけられた。

 床に滴る血が、ぼんやりと淡い光を滲ませる。一滴、また一滴と流れる血液に呼応するように、《緋の騎神》は不気味な脈動を始めた――

「何をしようとしているかはわかりません。ですが、あなたが不敬極まりない行為をしていることはわかります!」

 エリゼは手を縛られたまま、セドリックの横に立っている。腕は背中に回されているので、ろくに動くこともできない。

「やれやれ。君を椅子に拘束しないだけ感謝して欲しいものだが。皇族に対するその忠誠心に敬意を表して、皇太子殿下のとなりに控えることを許しているのだよ。だが儀式の邪魔をするようなら、その限りではないと言っておこう」

「儀式……?」

「そうとも。必要な手順だ」

 《緋の騎神》を復活させようとしているのは、ここまでの流れで察していた。

 だがヴァリマールの覚醒時とは事情が違うらしい。“試し”という試練を受けて、騎神に認められるものだと聞いている。少なくともリィンは血を捧げるような真似はしていない。

 いずれにせよ、カイエンには何を言っても無駄のようだ。儀式とやらが終わるまで、セドリックを解放するつもりはない。

 いや、逆に全てが終われば、何をしでかすか。

 殿下を助けないと。

「どうして殿下に血を流させるんです。あなたの血ではダメなのですか?」

「ふむ、私の血か。できなくはないかもしれんが、やはり純正のアルノールの血のほうが確実でね。七体の騎神の中でも、その機体だけは群を抜いて特殊なのだよ」

「七体……アルノールの血……?」

 重要な話に思えたが、これはあくまでも気を逸らすための会話だ。

 カイエンの視線に注意しつつ、エリゼは袖の内側に仕込んでいた折り畳み式の小型ナイフを、手首をねじりつつそっと抜き出した。

 《ARCUS》を返してもらった時に、万が一の備えにとリゼットが密かに渡してくれたものだった。小道具は役に立つ場面が多いとは彼女の弁だが、まさかこんなこんな用途で使うことになるとは。

 指の先で細い柄を挟み、エリゼは刃を縄に押し当てた。手先の器用さには自信がある。金属製の錠でないことが幸いだった。

 まずは自分の拘束を解かなければ、セドリックの救出はできない。

 しかしその後はどうする。こんな小さなナイフ一つでは、脅しにすらならないだろう。《ARCUS》は隠し持っているが、それで形勢逆転できるものだろうか。

 それに逃げるにしても、どこへ?

 最上層は広く、見晴らしもいい。離れた位置に《蒼の騎神》とクロウも待機している。セドリックと二人だけで脱出できるとは思えない。

「まもなくだ。まもなく宿願が叶う……」

 カイエンは《緋の騎神》に目を奪われていた。エリゼは慎重にナイフを上下に動かし、縄を削っていく。

 望みがあるとすれば、やはりⅦ組だ。

 バルフレイム宮の内装が大きく変わったのだから、おそらくは外装にも変化があるだろう。禍々しい変容だ。

 ここに至る情報を、カレイジャスがどこまで持っているかは知らない。だがそれでも彼らが来るという予感があった。

 きっと兄様は来てくれる。

 それまでに、私もできる限りのことを――

 

 

《――決戦の時――》

 

 

「ムフォオオオッ!!」

 落ち続ける高度。すでに地上の悲鳴さえ聞こえてくるほどの距離。

 墜落のカウントダウンが進むパンタグリュエルのブリッジに、薔薇の乙女の雄叫びがこだまする。その音圧だけで、壁に亀裂を生じさせていた。

 影縫いで動けないアンゼリカの前をドスドスと横切り、マルガリータはブルブランへと猪突する。

「ヴィンセント様にぃ!」

 剛腕が振り下ろされる。飛び退いて避けるブルブラン。彼のすぐ後ろにあった何らかの制御パネルが、彼女の拳を受けて紙細工かのようにひしゃげた。

「何やったって聞いてんのよおおっ!!」

 マルガリータは止まらない。金属製の筐体を引き裂きながら、そこに埋まった太腕を噴き出させ、ラリアットの形に持っていく。大量の破片を撒き散らして、たくまし過ぎる二の腕がさらにブルブランを襲った。

 大振りの肉鎌を、彼はかろうじて回避する。代わりにそばにあったオペレーター席の固定椅子が、一瞬で粉々に消し飛んだ。

「こ、これは何者かな!?」

 予期しない襲撃者に、さしものブルブランも焦った様子だ。

 自信もたっぷりに、アンゼリカは言う。

「彼女の名はマルガリータ・ドレスデン。美を語るぐらいなのだから、ドレスデン家の薔薇の逸話は知っているだろう」

「かのグランローゼか!? 確かにその名、蒼の騎士からも聞いてはいるが……」

「ああ、クロウも彼女とは色々あったからね。まあ、その辺りは彼の名誉の為にも黙っておこうか」

「待て、アンゼリカ嬢! 私をたばかったな。彼女が本物の美を体現する者などと! 無秩序の破滅の中に生まれるものが一点の美であって、無軌道な破壊とは意味がまったく異なるのだ! それを君ははき違えて――」

「はき違えているのはそちらだ。お前の哲学に合わせた美など、私の感性は持ち合わせていない。先にも言った通り、マルガリータ君の美は本物。お前と対極に位置する本物だ」

「戯言を……!」

「ムフォオオオ!!」

 二人の会話など知ったことではないらしく、マルガリータは尚も突進する。倒れた敵味方さえ関係なく、彼女の進路上にあるものは、ひとつ残らず蹴散らされた。不運なことにクレインとロギンスが撥ね飛ばされていった。

 闘牛と闘牛士さながらに立ち回るマルガリータとブルブラン。ブリッジは散々たる有様だ。

 絶え間ない猛攻を凌ぎながら、しかしブルブランは笑った。

「ようやくわかってきたよ。つまりこういうことか。私はマルガリータ嬢の愛する男を手にかけた。その仇を討つために、我が身を顧みず彼女は今必死に戦っていると。なるほど。それなら確かに美の一つと呼べよう。いささか使い古されたチープさは否めないがね」

「自分の型枠に無理やりはめて、理解した気にならないでもらいたいな。そんな遠回しな理屈じゃない。もっとシンプルな心の在り様だ。だから美しい」

「もったいぶる……! はっきり言おうか。断言だ。彼女のどこにも美などない!」

 繰り出される一発を、ブルブランはかろうじてかわした。が、彼の動きが不自然に止まる。

「ぬっ!?」

 ひらめく白マントの端が、マルガリータの薬指と小指の間に挟まれていた。ぎちぎちと体をひねったマルガリータは、力任せにブルブランを投げつける。

「がはっ!」

 大窓に激突。ブルブランの体は大の字でそこに半分近く埋まり、(はりつけ)の状態になった。ブリッジの一面を覆う強固な防弾性特殊ガラスが彼を中心にへこみ、広範囲に深いひびを何重にも走らせる。

 ダメージは大きいはずだが、なぜか彼は勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 マルガリータの影にナイフが数本刺さっている。アンゼリカの動きも止めた影縫いだ。投げ飛ばされる瞬間に仕掛けていたのだろう。戦闘力はやはり執行者か。

「チェックメイトだ。君たちの健闘を讃えよう。それでもだ。それでも私の用意した舞台の結末は動かない!」

「グゥムウゥ……ッフォオオオオーッ!!」

 咆哮を上げて、しかしマルガリータは動いていた。

 縫いつけられた床の建材ごと破砕しながら、圧倒的な力でめきめきと足を上げ、鬼神のごとき形相で一歩一歩、磔になったままのブルブランに向かって前進する。その都度にぶしっと腕や腿から血が噴いたが、それらは彼女を取り巻く高熱によって、すぐに赤い飛沫と化して散っていく。さながら揺らめく炎に煽られて、無数の薔薇の花弁が舞い踊るかのようだった。

「は、は……?」

 ブルブランは口を半開きにしている。呆けたのも一瞬、この相手が常識の埒外にいる相手であると理解したようだった。

「ははは! どうやら私も見識を改める必要があるかもしれない。いいだろう。ここは君たちに有終の美を飾らせるとしようか!」

 マルガリータは足を進め続ける。

「どうしたのかね。君たちに勝ちを譲ろうと言っているのだ。早く――」

「勘違いも甚だしい」

「なっ、なぜそこに?」

 アンゼリカはマルガリータの後ろについていた。

「私から意識が完全に外れていたな。影縫いとやらの効果が切れていたぞ」

 ブルブランの前で、マルガリータが腕を限界まで引き絞る。その肘に、アンゼリカは自分の手のひらを添えた。

「ここで思わせぶりなセリフを吐いて、一応の体裁を取り繕ってから綺麗に退陣したいつもりかな。そんな虫のいい話はない。私は珍しく本気で怒っているよ。ただでは済まさない。今からマルガリータ君の一発を寸勁状態にする」

 マルガリータはこと戦闘に関しては、実は素人だ。技術も理合もあったものではなく、ただ強大な膂力で敵を圧砕しているに過ぎない。ゆえに体裁きに無駄があって、伝わるべき力が正しく対象に伝わっていないのだ。それで大半の片が付くから、問題ないと言えば問題はないが。

「インパクトの瞬間に逃げて放散していた力の流れを私が受け止め、彼女の背筋から拳まで押し戻す。おまけにこの磔の状態。逆にお前は正面から来る力を受け流せない。わかるな?」

「や、やめたまえ。やめろ……!」

「最後に教えておく。虚構の美で己を塗り固めるお前の美と違って、彼女が持つ本当の美しさの何たるかを」

「やめ――」

 鉄塊のごとき拳が風を切った。

「飾らないこと。それが彼女の美だ」

 炸裂する大輪の一撃。

 衝撃の波動が突き抜けた。今度こそ防弾ガラスを木端微塵に破り、ブルブランは流星よろしく遥か彼方へと消え失せる。気障な捨て台詞など一言たりとも口にさせなかった。

 まだだ。まだ息をつく場面ではない。

「私はもう腕が上がらない! マルガリータ君が代わりに操舵を――」

「ああはあん! ヴィンセント様あん! 怖かったわあん!」

 意識なく横たわるヴィンセントを、マルガリータはぎゅーっと抱きしめている。感動的な愛の抱擁だ。彼の背骨がバキバキと砕ける音がする。白目をむいて、口からはよだれを垂らしていた。多分これから女神の御許に旅立つのだろう。

「それでこそ君だ」

 体の激痛は無視して、アンゼリカは自ら操舵席に走る。基本操作はカレイジャスと同じらしい。

 いくつかの装置の中に、浮上用のレバーがあった。しかしロックされていて――いや、たった今ロックが解除された。レバー横の赤いランプが緑色に切り変わる。ミントたちが間に合わせてくれたのだ。

 満足に動かない腕の代わりに、足を振り上げる。かかと落としで、レバーを上昇位置に移動させてやった。

 間に合え。上がれ。

 

 

 アガートラムが展開したエネルギーシールドだけでは、ルーファスの放った強力なアーツを防ぎ切れないかもしれない。そう判断したエマは、そこに霊力による防護壁を重ねて展開した。

「ミリアムちゃん、全力で!」

「りょーかいだよ!」

 Ⅶ組の全員を覆うようにして、光の盾が広がる。だがユーシスだけは盾の外だ。自分たちを守るように前方で立ちはだかっているので、どうしても防御の効果範囲内に入れれない。

 ルーファスが撃ってきたあれは《クリスタルフラッド》。ただし威力は桁違い。指向性を与えられた暴力的な冷気が甲板を走る。

 ユーシスに防護壁の中に下がるように言うべきだったかもしれない。わずかに逡巡したエマだが、結局それを声に出すことはできなかった。

 絶対に後退などしないと、あの背中が語っている。私たちを守る以上に、自分の意地を曲げたくない。そんな意思が見えたからだ。

 ユーシスが魔導剣を突き出した。ほとばしる閃光。視界を埋めるほどの鮮烈な光が、レーザー砲のごとく刀身から放たれる。それは向かい来る巨大な氷塊に突き刺さり、真正面からその威力を撃ち抜いた。爆発四散した氷のつぶてが、大気中に煌びやかに散る。

 光軸はそこで止まらず、甲板の表面をえぐりながら、さらにその向こうまで加速した。

「……これが、そなたの剣か。なんという……」

 ルーファスには直撃しなかった。かすったマントに焦げ跡が残っている。ポーカーフェイスがわずかに崩れたのも一瞬、彼は再び剣を構えなおした。

「魔導剣《スレイプニル》といいます。特性は見ての通りです」

「アーツを剣に宿すのか。非効率な仕様を度外視できるほどの力だ」

 ルーファスは焦げたマントを一瞥したあと、ユーシスに視線を戻した。

「今のは《ルミナスレイ》だな。初級アーツだ。私の攻撃を相殺するには十分な威力であったと思うが、あえて聞きたい。なぜもっと強力なアーツを使用しなかった?」

「魔導剣はアーツをブーストアップさせますが、上級アーツだと倍加した力に剣自体が耐えられないからです。中級アーツまでしか魔導剣では駆動できません」

「ならば、なぜ中級を使わなかった。初級でこれほどだ。中級なら私ごと仕留められたのではないか?」

「それは……」

「ためらったな」

 ルーファスが切り込んできた。反射的にユーシスは魔導剣で受け止める。二人の眼前で散る火花。

「当たり前でしょう! なぜ兄上を本気で――」

「私は本気だった。そなたなら凌げるという見込みで、あのアーツを放ったわけではない。後ろの仲間たち共々、確かに倒すつもりだったよ」

「……!」

「先ほど、状況がわかっているのかと私に問うたな? 逆に問おう。なぜこの状況で私を討とうとしなかった。一度その剣の能力を見た以上、次は易々と使わせはしない。今のは千載一遇の好機だったはずだ。己の使命と肉親の情、どっちつかずのままではいずれ重大な判断を誤るぞ。どちらが優先事項だ?」

「どっちもです!」

 ユーシスが相手の剣を押し返していく。

「俺は兄上のようには割り切れない。たとえば父上のことも……切り捨てようとは思えない。それは自分の甘さだと自覚しています。使命も情もどちらも大事です」

「どちらも選べないということか」

「どちらも選ぶということです」

「そうしてどちらも取りこぼすのだ」

「そうならない方法を探します」

 その時、足元が大きく揺れた。

 全身を軋むように身震いさせ、パンタグリュエルが再浮上を始める。艦底が住宅街を圧し潰すほとんど寸前のタイミングだった。

『Ⅶ組の諸君、聞こえるか? こちらアンゼリカだ。艦の操舵を奪取した。この戦艦が帝都に落ちることは、もうない』

 パンタグリュエルのブリッジにいるのであろうアンゼリカから、全員の《ARCUS》に一斉通信が入った。カレイジャスにも音声は繋がっているようだ。

『このままパンタグリュエルを煌魔城へ向かわせる。だがこの巨体だと城前で着陸はできない。城の外壁にぎりぎりまで接近するから、そこから飛んでくれ。やれるか、エマ君』

 名指しを受けて“飛ぶ”の意味を理解したエマは、もうそこまで近づいてきている紅き魔城を正面に捉えた。外敵の一切を阻むような威圧を放ち、歪な棘のごとき尖塔を無数に掲げる禍々しき容貌に、かつてのバルフレイム宮としての荘厳な面影はもはやない。

 あれが最終決戦の場。宿命と因果の帰結点。息を飲み下しつつ、エマは答えた。

「やれます」

『幸運を。君たちに未来を託す』

 学院の皆が奮闘してくれたおかげで体力は温存できた。大きなアクシデントはあったものの、結果として最短距離でここまでたどり着いた。

 ついに回ってきたのだ。自分たちの――特科Ⅶ組の出番が。

「皆さん、私の近くに集まってください! ――ユーシスさんも早く!」

 すぐに仲間たちがエマの周りに集合した。転移陣を発動させる。しかしただ一人、ユーシスだけがこちらに戻れない。ルーファスの執拗な追撃を振り切れないでいる。

「兄上……っ!」

「物わかり良く、ここで剣を引いてもらえると思っていたのかな」

「くっ!」

 地力の差が出ている。どうやっても抜けられないと判断したらしく、ユーシスがエマに向かって叫んだ。

「俺は無理だ! 代わりにここで兄上を押さえる! お前たちだけで行ってくれ!」

「それでいい。あの場所に行けば、そなたも無事では済むまい」

「え……」

 その刹那に、転移陣から飛び出した者がいた。一瞬で間合いを詰め、剣撃の一閃をルーファスに見舞う。

 二人の横合いから切り込み、ユーシスをルーファスから引き離したのはサラだった。肩代わりして相手の剣を受け止め、ブレードに紫電をまとわせながら彼女は言う。

「ユーシス、あんたは行きなさい。ここはあたしが引き受ける」

「し、しかし」

「全員そろってⅦ組でしょ。誰ひとり欠けずに挑んで、誰ひとり欠けずに戻ってきなさい」

 パンタグリュエルと煌魔城の距離が狭まる。時間がない。躊躇はわずか、ユーシスは踵を返した。

「アルバレアの屋敷から出奔を決めた時もそうだった。サラ教官には背中を押されてばかりいる」

「それが私のいる意味よ」

 サラのウィンクを受けて、ユーシスは走った。彼もエマの転移陣の中に滑り込む。

 剣を交えたまま、ルーファスが吐息をもらす。

「紫電殿が相手で近接戦は、少々分が悪い。私でもここを切り抜けるには骨が折れそうだ。しかし良いのかな?」

「なにが?」

「あなたがここに残れば、彼らの戦力低下は否めないだろう。それが致命的になる場面もあるかもしれない」

「あたしが残るかユーシスが残るかの二択なら、ユーシスが行った方がいいわ。それはマイナスじゃない。あの子たちの力が単なる足し引きでしかないのなら、きっと今日まで戦い抜いては来られなかった」

「信用か」

「信頼よ」

 双方に隙が無く、重なる刃は微動だにしない。

 エマは転移術の発動を止めていた。どうあれ、この土壇場でサラが抜けるのは大きな痛手だ。「教官、戻れませんか!?」と念押しの確認をするも、「見ての通りよ!」とサラはルーファスの剣を弾いた。

 弾いただけで、間合いを切れたわけではなく、すぐさま切り結びを再開する。とてもこちらまで帰還できる余裕はなさそうだった。

「やむを得ません。転移を開始します!」

「エマ、待って!」

 制止をかけてきたのはアリサだ。彼女の視線の先、サラとルーファスの傍らを一人のメイドがこちらに向かって駆けてくる姿があった。

「シャロン!? なんでここに!?」

「カレイジャスに守りはもう必要ありません。わたくしがⅦ組の皆さまに同行します。サラ様、どうかご承諾を」

 迷って、一秒。

「あんたを信頼(、、)する。あの子たちの力になって!」

「……! 確かに承りました」

 すれ違いざま、二人の手のひらがパチンと打ち合う。

 シャロンが転移陣に入ると同時、パンタグリュエルが煌魔城に最接近した。船首を回頭させながら、その外壁すれすれをかすめ飛ぶ。今しかない。

 思い出したように、ミリアムが焦った声を上げた。

「そ、そういえば転移術って見たところと見えてるところしか行けないんじゃないの!? 煌魔城の中なんて入ったことないよ!」

「そこは問題ありません」

 煌魔城の元はバルフレイム宮。ルーレで帝国解放戦線を撃退したあと、エマを含むⅦ組は皇帝への謁見で皇城を訪れている。仮に中身が変貌していたとしても、どこかにその座標は存在しているはず。

「行きます!」

 転移術発動。陣から光柱が立ち昇り、一同の姿がその中へと溶ける。しかし光の道筋は、煌魔城に到達する寸前でかき消された。

 転移を中断され、城の中腹付近で全員が空中に浮いた状態になる。青白く輝く光に、彼らの体は絡め取られていた。

「これは姉さんの結界……!」

 ヴィータ・クロチルダが張った煌魔城全域を覆い尽くす障壁だ。内側への侵入を許さず、異物を弾こうとしてくる。このままではこの高度から皆が落下してしまう。かといって、仕切り直すという選択肢はない。

「突破します! 可能な限り、近くの人をつかんで下さい!」

 それぞれが手繰り寄せるようにして、そばにいた仲間と手をつないでいく。

 エマは魔導杖を掲げ、ヴィータの障壁と真っ向から対抗した。干渉点に激しいスパークが乱れ咲き、何度も弾かれそうになりながら自分の霊力を押し込んでいく。

 なんて強固な結界。これが深淵の魔女の力。

 でも姉さん。私だって――

 エマのかざした手の先、虚空に小さな亀裂が生まれた。綻びは少しでもあればいい。これで十分だ。だが反発の効果は依然として強い。みんなを一固めにすることはできなかった。

「分散されます! 天守で合流を! 霊力の集約状態からして、おそらく《緋の騎神》はそこにいます!」

 各々が目で了解を返してくる。それを告げたのが最後だった。

 障壁を突き破った転移の光は五つに分かれ、煌魔城の中へと吸い込まれていった。

 

 ●

 

 夢を見ていた。

 一年前だ。トワとジョルジュとアンゼリカと過ごした、あの学院にいた頃の夢。

 あいつらの輪の中に踏み込もうとしなかった俺に、いつもゼリカが突っかかってきて、でも俺は軽く流して、またゼリカが気に食わないという顔をして、そしてジョルジュとトワが俺たちの仲を心配して、フォローしたり、時にはたしなめたりしてくる。

 そんな仮初の日々の幻影が、どこまでも、いつまでも――

「………あ」

 ――目を覚ます。

 クロウは辺りを見回した。昏い灯が広大な空間を照らしている。煌魔城の最上層だ。

「あら、お目覚め? この状況でよく眠れるものだと感心したわ」

 近付く足音に続いて、澄んだ声音が耳に届く。

「ヴィータか。昔から寝つきはいい方でな」

「それにしてもねえ」

 ヴィータ・クロチルダは苦笑した。

「そんなところに座り込んで。何かいい夢でも見ていたの?」

「ああ……」

 穏やかに流れていた時間、身を包んでいた温かな日差し、他愛もなく何気ない語らい。輝いていた日々。失ったはずだった――もう手にすることもないと思っていた日常。

 トワ達と出会った。リィン達と出会った。たくさんのことがあった。当たり前の世界に身を置くことができた。けれど歯車は止まらなかった。止めるつもりも、なかった。全ては自分の意志でなしたこと。後悔はない。

「夢には違いねえな」

 今となっては全てが遠い。

 だから、それらは本当にいい夢だったのだろう。

「……そう」

 ヴィータは視線を移し、クロウもそれを追う。

 フロアの最奥にて脈動する《緋の騎神》。

 獅子戦役より遥かな昔、かつてヘイムダルを救った《巨いなる緋色の騎士》。しかし“彼”は暗黒の竜の呪いを受けて、今や《千の武器を持つ魔人》――忌まわれた存在と化した。

 すでに心の欠片も残っていまい。昂ぶることも、憂うこともなく、ただ目覚めの時を待つ力の塊。

 その騎神の前にカイエン公爵が立っている。

 横には椅子に座らされ、アルノールの血族として、己の意志とは無関係に騎神に力を注ぎ続けるセドリック皇太子。

 そして、その横にもう一人――エリゼ・シュバルツァーがいた。

「……あいつがこの場にいる必要はねえだろう。あんたの力で外に出せないのか?」

「外よりはここの方が安全よ。多分ね」

 想定外のことだったが、考えようによっては都合がいいとも言えた。ヴィータの言う通り、身の安全を優先するなら、とりあえずはここでいい。カイエン公も無用な害は与えないはずだ。大人しくしていればの話だが。

 その時、大きな揺れがあった。この最上層まで届く程の。

「……来たか」

「私が張った結界にかかったみたい。エマが無理やり突破したようだけど」

「委員長が? 灰の騎神じゃなくてか?」

「温存のつもりかしらね。さて、と」

「行くんだな」

「時間はかからないと思う。すぐに戻るわ」

 ヴィータは歩き出す。数歩進んだところで、彼女は闇に溶けるようにして消えた。

「俺は――」

 立ち上がり、自分が今まで背もたれにしていたものに振り返る。

 片膝を付いて静かに控える《蒼の騎神》オルディーネ。

「俺は待つぜ。……なあ、リィン」

 迫る約束の時。紅い瞳を揺らがせて、クロウは紺藍の機体を見上げた。

 ギデオンもヴァルカンもスカーレットも、もういない。構成メンバーの残党ですら、誰ひとり残ってはいないだろう。帝国解放戦線は俺が最後だ。

 ギデオンはクロスベルで、ヴァルカンは黒竜関で、スカーレットはオーロックス砦で、各々の信念を貫き通し、全員が散った。

 ならば俺で締めくくるのが筋というものか。ようやく順番が回ってきたらしい。

 不意に思い出す。

 ヴァルカンが最期に遺したボイスレコーダー。大破したゴライアスのブラックボックスに保護されていたものだ。

 それを回収して以降、クロウは技術班に復元を依頼していたのだが、その結果がパンタグリュエルを経つ直前に出た。

 彼の言葉は――残されていなかった。

 機体の爆発の方が早かったのだ。復元とか解析以前に、ヴァルカンはレコーダーに声を吹き込めていない。『お前は――』とこぼしたあの一欠片が、正真正銘の彼の最後の言葉だった。

 戦地にはオルディーネで駆け付けたものの、クロウはわずかに間に合わなかった。あの瞬間、機体越しにヴァルカンと目が合った気がしたから、自分に向けた言葉だったように思えたが――状況を考えれば、コックピットにまで乗り込んできたリィンに何かを伝えようとしたのだろう。

「言い切れよな、そんくらい……」

 たまらずにクロウは嘆息した。ヴァルカンとは喧嘩別れになってしまっている。まともに会話をすることなく別離が訪れた。

 レコーダーなんぞに執着したのは、だからかもしれない。だがその続きを知る方法は、永遠に失われた。

 別に俺は死にたいわけじゃない。わざわざ死んでやるつもりもない。

 けれどお前の最後の言葉を知るには、お前と同じ場所に行くしかないんだろう。

 

 ●

 

「ここが煌魔城……?」

 転移の光を抜け、視界が戻ったフィーは周りを見る。

 城の中と言われれば、確かにそうかもしれない。しかし以前に訪れたバルフレイム宮とは造り自体が異なっていた。

 通路や階段にカーペットは敷かれているも、ずいぶんと劣化し、あちこちが破けている。一応照明はあるが、落ちてくる光はどことなく赤みがかって気味が悪い。クロスの剥がれた石の壁面のところどころに飾り旗も見えたが、エレボニアを象徴する黄金の軍馬は描かれていなかった。

「あ、フィー!」

 後ろから抱きつかれる。ミリアムがすりすりと腰に顔をうずめてきた。

「安心したよ~、一人じゃ心細かったんだ」

「私も。ミリアムでよかった」

 転移の寸前、フィーと手を繋いだのはミリアムだった。他の誰かもつかもうとしたが、結局腕が届かなかった。

 仲間たちも分かれて、この城のどこかにいるのだろう。

「ねえ、ボクたちがいる場所ってどの辺りなのかな?」

「さあ、外が見えないからなんとも。とりあえず委員長の言った通り、天守――最上層を目指そっか。それに……」

 据えた空気に混じって、魔物の気配もする。それもかなり強いものばかりだ。いつまでも二人だけで戦ってはいられない。早く皆と合流しなければ。

「同じところに留まるのはまずいかも。とにかく移動しよう」

「フィーも気配とかわかる人になったんだ?」

「なんとなくだけどね。空気の動きが教えてくれる感じかな」

「じゃあ委員長にばれないようにお菓子をゲットできるね!」

「無理。委員長はいきなり転移術で背後に現れるから」

 二人して煌魔城の回廊を進む。魔物の気配はなるべく避け、遠回りしながらも確実に歩を進めた。

 なんというか空気が濃い。呼吸のたびに肺が熱くなっていく気がする。長居できる空間じゃない。

 しばらく行くと、広い場所に出た。大きな石の扉が行く先を阻んでいる。

「これは……私たちで押しても開けられないかな。ミリアム、お願いできる?」

「おっけー!」

 ミリアムはアガートラムを呼び出した。いきなり問答無用のパンチ。扉ががらがらと音を立てて砕けていく。

「別に壊してとは言ってないんだけど。アガートラムで押せば普通に開いたんじゃない?」

「あはは、結果オーライってことで」

「いやー、えらいド派手に登場してくれたなー」

 フィーは瞬時に双銃剣を引き抜く。

 その軽い声。独特の口調。崩れた石扉の向こうの間に、彼らの姿があった。

「よっ」

「たどり着くとは思っていた。壮健そうで何よりだ」

 《西風の旅団》――ゼノとレオニダスだ。彼らはすでにブレードライフルとガントレットハンマーを装備している。

 扉の破片を踏み越えて、フィーとミリアムは二人の元へ近づいていく。床は平面の石畳。広さはおよそ60アージュ四方。遮蔽物はなし。天井は吹き抜けで、どこまでも高さがある。

「ええで、ええで。地形の把握は第一優先や。ちゃんとしとるやないか」

「それを教えてくれたのはゼノでしょ。罠は仕掛けてないんだ?」

「最初からは無粋やろ」

「その言葉自体が罠って可能性もあるし」

「ははっ、ごもっとも」

 おそらく本当にトラップの類は仕掛けられていない。それはわかっていた。フィーたちは二人と距離を開けて足を止めた。もう互いの間合いの中。ブレードライフルと双銃剣の射撃が届く位置。

「今はちょっと時間がない。先に最上層に行きたいんだけど、ダメ?」

「まー、そりゃダメやな」

「うん、一応確認しただけだから。ただどっちみち、その先には行かないといけない。どうせ聞きたいこともあるしね」

「聞きたいことか。バリアハートでのことやな」

「そう。団長を取り戻すために動いてるって言った真意。ここから先は猟兵の流儀だとも言ってたよね」

 フィーは静かに双銃剣の引き金に指をかける。その挙動に合わせるように、傍目から見てわからない程度に、ゼノとレオニダスは腰の重心を落とした。

「勝てば道も開くし、知りたいことも知れる。一石二鳥」

「勝てればの話やろ」

 いつぞやのユミルの時とは違う。本気の二人とやり合うのは初めてだ。

 けどチームの相性としては悪くない。二対二。力技でも張り合えるミリアムはレオニダスを、風読みとスピードで攪乱できる私がゼノを。

「なるべく援護もできるようにする。ミリアムは隙を見て、大きい一発を撃てるように準備しといて」

「任せてよ。パパッと終わらせて、天守に一番乗りしちゃおう!」

「させません」

 第三者の声と共に、飛来した黒い影がミリアムに襲い掛かる。

「わわっ!? アーちゃん!?」

「私とあなたの決着もここでつけます」

 アルティナを抱えたクラウ=ソラスが突進してきた。とっさにアガートラムはミリアムを腕でかばう。激しくかち合う黒と白の巨躯。

 そのままもつれ合うようにして、二体は中空へと舞い上がった。

「ミリアム!」

「そっちの心配しとる場合とちゃうぞ」

 素早く正面に目を戻す。ゼノとレオニダスが戦闘の気を発していた。

「二対一やが、容赦はせえへんで」

「耐えてみせるがいい、フィー」

「……耐えるだけじゃ意味がない」

 ここはまだ通過地点だ。勝たないと、先に進まないと。今日までに得た力を最大限にぶつける。

 フィーは床を蹴り、先制の銃撃を仕掛けた。

 

 

 ラウラは一人だった。転移の瞬間、誰との位置も遠かったためだ。

 大広間というべき空間に彼女はいる。

「私の相手はそなた達か」

 蒼耀剣を正眼に構え、相対する敵を見据えた。甲冑を身にまとった女性が三人、ラウラの前に立ちはだかっている。

 鉄機隊の三人。ハルバードを持つ長身がアイネス。柔和な表情で弓を携えるのがエンネア。そして自分と同様に大剣を構えるのがデュバリィだ。

「私たちを過小評価しているのか、自分を過大評価しているのかは知りませんけど、相手は私一人ですわ」

 デュバリィは不満そうに鼻を鳴らした。

「正直、アルゼイドの剣をこの身で受けてみたかったが……やむを得まいな」

「筆頭隊士様のご命令だものねえ」

 アイネスとエンネアはデュバリィの後方へと下がった。

「剣士の戦いに横槍は不要。そもそもあなたごとき、私一人で十分です」

「そうか」

 それが慢心や油断から来ている台詞なら苦労はしないのだが、幾度となく剣を交えたからわかる。彼女の実力は本物だ。

 むっつり顔でデュバリィは言う。

「……オーロックス砦で戦った時はあなたの不意を突く形になってしまいましたしね。どちらが剣士として格上か、邪魔者がいない立ち会いではっきりさせたかったのです」

「不意? ……ああ」

 《身喰らう蛇》の第七柱、アリアンロード。相まみえたことはないが、彼女たちがマスターと呼び、畏敬してやまない人物。デュバリィはそのアリアンロードが、かの《槍の聖女》リアンヌ・サンドロット本人だと言った。

 その言葉がラウラの動揺を誘い、結果としてデュバリィの一撃を受ける要因となった。

「あれは私の未熟さでもある。どのような理由であれ、勝負の最中に取り乱した方が悪い。そなたが気に病むことではない」

「べっ、別に気に病んでなんかいませんわ!」

「それに本当のことなのであろう。使途の七柱がリアンヌ本人というのは」

「……なぜそう思うのです」

「そなたが私を惑わすために虚言を言うとは思えない。だから真実の話だ」

 もちろん経緯も事情も知らない。そもそもが250年前の人物だ。

 戸惑ったのは事実だが、もう気持ちに折り合いはつけてある。

「いずれ私はその人物と会う。会ってこの目で確かめる。それで全てがわかる。今思い悩むことではない」

「マスターに会うなどと、軽々に口にしないで欲しいものですわ。マスターの前には私たちが控えているのですよ」

「ならばそなた達を退けて進むのみ」

「何様……!」

 アリアンロードはおろか、ここを越えていかねば天守にもたどり着けない。

「……いいでしょう。出し惜しみはしません。あなたがそうであるように、私にも研鑽に費やした時間と教えを乞うた人たちがいます。その全てをもって、あなたを切り伏せます」

 デュバリィは剣を地に突き立てた。瞬間、その姿が左右にぶれる。三重の残像――違う、これは――

「《剣帝》より会得せし、動の剣技。見切れるものならやってみせなさい!」

「参る!」

 蒼耀剣を振るい、ラウラは強く踏み込んだ。

 

 

「敵の姿はないみたいだけど……」

 ひとまずいきなりの交戦は避けられたらしいと、アリサは胸を撫でおろした。

 広い敷地にはいたるところに円柱が立ち並んでいる。その円柱のいずれもが天井の半分にも到達しておらず、数十アージュの高さで無秩序に屹立しているだけだ。

「どういう部屋なのよ。部屋って言うには広すぎるけど……」

「用途はわかりませんわ。そもそもが相違次元からの顕現。意図をもった設計ではないのですから、あるいは用途など最初からないのかも知れません」

 そう答えたのはシャロンだった。転移の瞬間、アリサは彼女の手をが取り、またシャロンもそうしてきた。

「ですが、煌魔城の中でも上層に位置している方だとは思います」

 ここにはいくつかの窓があった。おかげで薄闇をほのかに晴らしてくれている。窓というもののガラスは張られておらず、石の壁に破孔が開いた程度のものだが。そこから差し込む光も日光というほどでもなく、暗鬱とした申し訳程度の明るみだった。

 その窓から外の様子を確認する。なるほど。眼下に赤い街並みが小さく映る。シャロンの言う通り、私たちは上層に転移してきたのだろう。

「運がいいってことかしら。とにかくシャロン、このまま上に急ぎましょう」

「はい――いえ、お嬢様お待ちください。残念ながら幸運というわけではないようです」

 鋼糸を指に付け、シャロンは警戒した。彼女の視線の先は上方――円柱の一つに向けられていた。

 その柱の上部には、蒼い鳥が一羽。宝石のような不気味な瞳で、じっとアリサ達を見下ろしている。見覚えのある鳥だった。

「あれはヴィータ・クロチルダの……」

「ええ。彼女の使い魔、グリアノスです。……偵察のつもりでしょうか」

 グリアノスは羽を広げ、円柱から飛んだ。一度空中で旋回したかと思いきや、甲高い鳴き声を響かせる。

 途端、その姿が光に包まれた。

 膨れ上がる閃光を破るようにして、一対の巨大な翼が闇を裂く。美麗ながらも荒々しく逆立つ全身を覆うサファイアのような羽毛。さらに鋭さを増した双眸と(くちばし)。床を踏み砕く鋼鉄のフックのごとき鍵爪。激しい着地の轟音はその質量をうかがわせた。

 主からの膨大な霊力供給を受けた蒼き怪鳥――《グリアノス=アウラ》が威圧の塊と化したその巨体を身じろぎさせた。

「な、なによ、これ……」

 圧倒的だ。格が違う。これまで戦ってきたどんな魔獣や魔物よりも。矢など通用する相手ではない。アーツだって同じだ。シャロンのサポートをしつつ、どうにか切り抜けられれば。

「お嬢様!」

「きゃあ!?」

 わずかな思考の時間に、グリアノスが動いていた。ぶんと大きな翼を振るわれる。正面からの突風――いや、暴風。近くの円柱の数本が根元から倒壊するほどの。

 堪えることなど不可能だった。体ごと浮かされ、アリサは背後の壁に叩きつけられた。

「かっ、は……」

 ずるりと床に倒れ込む。だがかろうじて立ち上がれた。ダメージが思ったより少ない。なぜ。はっとして、後ろを振り向く。

 シャロンが横たわっていた。私をかばってくれたのだ。代わりにその衝撃の全てを身一つで受けて――

「シャロン!? シャロンってば! ねえ!」

 返事がない。体をさすると、彼女の口の端から鮮血がこぼれた。背中を強打している。応急処置しなければまずい。手遅れの可能性もある。早く安全な場所まで移動しないと。

 地響き。グリアノスが近づいてくる。

 手元には弓矢だけ。レイゼルさえあれば。最悪の状況だ。戦う手段が、逃げる手段が、一つもない。

 

 “この中の誰かが、命を落とすわよ”

 

 なぜか今、あの言葉を思い出した。リィンがベリルから告げられ、自分も通路の端で聞いてしまっていた死の予言。

 所詮は同学年の占い程度。気にはなっていたが、最初はそこまで深刻には捉えていなかった。けれどリィンが撃たれ、それが現実味を帯び、予言は回避できなかったと思い、詮無い後悔もした。

 しかし彼の死は確定していない。現状、誰も命を落としてはいない。

 元を正せば、リィンが撃たれたのは私を守ろうとしたから。そうだ。凶弾に狙われたのは私だった。

 もしもあの時で何も終わっておらず、誰かの死の未来へ向けて因果が進み続けているのだとしたら、予言が指す対象者は、まさか――

 

 

「いたた……全員無事か?」

 着地に失敗してぶつけた頭をさすりつつ、マキアスは一緒に転移してきた仲間に目をやった。

「うん、僕は大丈夫」とエリオット。

「俺も問題ない」とガイウス。

「そもそも無様に顔面から落ちたのはお前だけだ」とユーシス。

 全員が男子だ。結界にかかった時、たまたま彼らは近くにそろっていたのだ。ひとまずは煌魔城に潜入成功。一息つく一同の中、しかしユーシスだけが不服そうにマキアスに言う。

「俺はラウラをつかもうとしたのだ。転移の瞬間に一人だったからな。それなのにお前が反対側から俺の腕を引っ張るから、もう少しのところで手が届かなかった」

「そ、そうだったのか? 僕の位置からは見えなかった。……それはすまなかった」

「反省したなら、割れ」

「割るか!」

 何を、と問うことさえなくコンマ一秒で憤慨するマキアスをなだめつつ、エリオットは周囲の様子を確認した。

「……変な場所だよね。どうなってるんだろう」

 足場は岩盤でできていて、円状のフィールドに形成されていた。しかし円の端はどこにも接しておらず、10アージュ以上は離れた位置に、360度ぐるりと城の内壁が取り囲んでいる。まるで平たい岩場が浮かんでいるかのようだ。

「んん~……? この岩場は逆三角錐の形をしているみたいだな。で、逆三角の下てっぺんから石柱が一本、下に伸びてるようだ。というか、それだけでこの岩場を支えてるのか!?」

 岩場の端から頭だけを出して、マキアスが確認できた限りの詳細を口にする。真横から見れば、ちょうどカクテルグラスのような形状になっているのだろう。

「その支柱の根元は見えるか? 他のフロアはありそうか?」

 そう訊いたのはガイウスだ。マキアスは目を細めて、

「いや……根元は視認できない。完全に吹き抜けになっていて、落ちたら最下層まで真っ逆さまって感じだ」

「どうにも妙だな。本当に煌魔城の中なのだろうか?」

 ガイウスは首をひねる。

 規模としても、造りとしても、外から把握していた煌魔城とは異なっている。最上層に向かおうにも、ここから動きようがない。首を上げても、天守らしき場所は見えなかった。

「ああ、安心しろ。間違いなく煌魔城だ」

 声だけがした直後、フィールドの中心が歪曲し、そこから一人の男が姿を現した。

 気だるげに長髪をかき上げ、マクバーンが首を緩慢に巡らせる。《劫炎》の名を冠する、結社の執行者No1だ。

 一瞬で全員が警戒した。いや、警戒では足りなかった。即時臨戦態勢となったマキアス達は、各々が武器を構える。

 マクバーンはさして気に留めた様子もなく、淡々と続けた。

「詳しいことは俺も知らんが、空間が独立してるんだとよ。魔城っつーだけあって、当たり前の場所じゃねえってこった……ん?」

 顔をしかめる。

「灰の小僧はどうした。一緒じゃねえのか」

「リィンのことか? 彼はここには来ていない」

「あ?」

 マキアスがそう答えると、にわかに空気が変わった。ちり、と熱気が走る。

「おいおいおい、なんでだ。話が違う。第二柱の魔女が言うにはな。結界を無理に通り抜けようとしたら、縁のある相手の近くに飛ばされる仕様ってことだ。だから俺のとこには灰の小僧が来ると思ってた。なのに、なんでてめえらなんだよ。……いや、待てよ。そこの金髪以外はどことなく見覚えがあるな……」

 マクバーンはマキアス、ガイウス、エリオットに順に視線を這わす。

「ああ、くそ。思い出してきた。お前ら、ユミルで俺と戦ったメンバーの中にいやがったな。紫電の女と高速駆動の男の後ろで、なんの役にも立ってなかった奴らだ。あの程度の会戦で縁だと? はっ、魔女の術も当てになんねえな」

 熱気が荒れ始めた。マクバーンから発せられた熱波が、四人の肌をなぶって過ぎていく。呼吸さえままならない高温だ。そこに乗るのは、明確な怒りと失望。そして据えどころのない苛立ち。

「ふざけやがって。灰の小僧と、あいつが駆る騎神とまともにやり合えるかと楽しみにしてたのに、外れクジもいいとこだ。とんでもねえ肩透かしだ。……お前らさ……目ざわりなんだよ」

 マクバーンの手元の空間がねじれた。その渦の中心から、一振りの剣が這い出てくる。禍々しさを押し固めたような、瘴気をまとう黒き大剣。

「《アングバール》って銘でな。《ケルンバイター》の対となり、外の理で生成された魔剣だ」

 マクバーンは柄に手掛けると、アングバールを一息に引き抜いた。それだけで威圧がほとばしり、マキアスたちは足を引く。

「外の理……?」とガイウスが聞き留めた言葉に、「理解しなくていいぜ。俺もあんまり覚えてねえからよ」とマクバーンは嘆息をつく。

 間髪入れず、マキアスはミラーデバイスを展開させた。対空する鏡面装置が、彼の周りを旋回する。

「逃げる道もない。どうにかして突破する!」

「そのどうにかを教えて欲しいものだな……!」

 押し迫る熱波に耐えつつ、ユーシスは魔導剣を駆動させた。導力の伝搬を受け、白銀の刃が鳴動する。

「隙を作れるように、僕がムービングドライブで立ち回るから。一点突破、任せるよ」

「最初から狙っていく。必ず貫いてみせる」

 魔導杖を手に身をかがめるエリオットの横、ガイウスは二槍を豪快に回転させた。

「やる気か。めんどくせえな。時間潰しにもなりゃしねえのによ」

 マクバーンの顔に茨のような紋様が浮き立つ。白目は黒に、黒目は金に染まり、その身から立ち昇る赤い炎に闇が混じった。

 陽炎に揺れる景色の向こう側で、火焔魔人と化したマクバーンが歩み出る。

「塵も残さず焼き尽くしてやる」

 

 

「ようこそ、宿業渦巻く魔の城へ。歓迎するわ」

 姉も同然に同じ時間を過ごしてきたヴィータは、昔と変わらない笑顔を浮かべている。余裕でいられるのは、格上だという自覚があるからだ。そしてその認識は正しい。対峙するエマは、あくまでも平静を崩さずに言う。

「歓迎というなら、結界は外しておいて欲しかったわ」

「そう言わないで。あなたと二人で話せる場を作りたかったのよ。それに足止めの仕掛けもしないまま一気に最上層まで行かれちゃったら、さすがにカイエン公に怒られそうだしね」

「他のみんなは?」

「城内のどこかよ。空間隔絶の場に入り込んだ人もいるでしょうけど。それぞれがお出迎えを受けているんじゃないかしら」

 分断されるのは予想外――いや、予測しておくべきだったかもしれない。

 Ⅶ組の強みは《ARCUS》を主軸にした多人数での連携戦だ。チームごとの人数が減らされれば、個性の組み合わせは限定され、戦闘におけるアドバンテージも失せる。全員を城内に転移させることに必死だったから、誰と誰が同じ場所にいるかの把握まではできていない。

 さすがは姉さんというべきなのか。こちらがされて困ることを的確にやってくれる。

「ここは最上層の一つ下のフロア。つまりこのすぐ上が天守よ。そこに《緋の騎神》がいるわ。ああ、そうそう。セドリック皇太子と一緒に、リィン君の妹さんもね」

「やっぱりエリゼちゃんもここに……!」

 すでに騎神復活の準備は進めているだろう。あとどれほどの時間が残されているのかわからない。

「行かせないわ、誰ひとりね。もちろんあなたも。もっとも、そこを目指す必要もなくなるかもしれないけれど」

「どういう意味?」

「エマが私の仲間に、《身喰らう蛇》に入るということ」

「それは断るって言ったわ」

 初めて言われたのはユミル。二回目はバリアハート。いずれの勧誘も、エマは応じなかった。

「そうね。たとえば今すぐもう一度誘ったとしても来てはくれないと思う。でもすぐに考えが変わるわ。バリアハートで話したこと、忘れてはいないわよね」

「………」

 無論、覚えている。彼女は《黒の司書》を見ながら、こう告げた。

 エマたちは立ちはだかる相手を乗り越えられない。煌魔城の中に救援もこない。大事な人を失いたくなければ、自分の下に来い。そうすれば少なくとも、Ⅶ組の命は保証できる。それは妹を想う姉としての善意であると。

「それぞれの転移した場所で、戦いは始まっている頃。絶対に五体満足では済まない。その状況で、本当にあなたは私の提示する選択を拒み続けられるかしら」

「それは――」

 言葉にはできなかった。喉を詰まらせるエマに、ヴィータは「強制はしない」と押し重ねた。

「確かに選ぶのはあなた自身だから。でもね。意地と後悔は紙一重の境界。本当に大切なものは何かを考えなさい。……ただ、まあ、わずかな可能性に賭けるだとか、希望を最後まで捨てないだとか、そんな夢見がちな浅い妄信で、あなたの判断を鈍らせたくないのも本音のところ」

 ヴィータは微笑んだままだ。しかし笑みの質が変わった。口元だけ笑んだ酷薄な表情。それは《深淵の魔女》としての冷徹さを孕ませて、エマに鋭い視線を注いだ。

「まずはどうあがいても覆せない力の差を知ってもらう。身をもって実感した方がわかりやすいでしょう。あなたが――あなた達が、どういう相手と戦っているのか。その上で最後の三回目を問うことにするわ」

「姉さん。私は、それでもⅦ組を離れない」

「離れたくない、が正解ね。子供の駄々にも似た願望なのよ、それは」

 蒼いドレスを波打たせ、ヴィータは艶やかな魔杖を手の内に顕現させた。先端に掲げられた瑠璃色の水晶に強大な霊力が満ちる。無数の光の剣が空中に生み出された。

 エマも魔導杖を振りかざし、同じく光剣を生成してみせる。数は――互角。

「あら、やるじゃない」

「……いつだって、私は姉さんの背中ばかり追いかけていた。遠くて、遠くて、いつまでもその距離は縮まらなかった。だけど――」

「そうよ。きっとこれからもそう。でも私と一緒にくれば、いつかは肩を並べて歩いていける。エマは努力家だもの」

「いいえ、姉さん。私は追い越そうと思ってる」

「生意気。いじめたくなっちゃうじゃない」

 互いに刃を向け合い、一斉に舞い飛んだ姉妹の剣が宙で激突し合う。

 

 ● ●

 

 体の感覚がなかった。鉛のように重くもあり、綿毛のように軽くもある。要するに曖昧だ。

 自分の体のことだけではない。身を取り巻く環境の全てが、虚ろに感じる。すすけて、ぼやけて、何一つ定まらなかった。

 眼を閉ざしているから、実際に周りがどんな状況なのかはわからない。ただ陰鬱な世界であろうとは想像ができる。

 思考さえ泥の中に溶けて崩れていくようだ。

 あれからどうなったのだろう。――あれとはどれだ。

 みんなはどうなったのだろう。――みんなとは誰だ。

 俺はどうなったのだろう。――俺とはなんだ。

 何か大切なものが光の粒となって目の前を零れ落ちていく。すくいあげようとしたその手をすり抜けながら。

 ああ、俺はいつもそうだった。本当に守りたい大事なものを、守り切れたことなどあっただろうか。

 疲れた。ひどく眠い。もうこのまま、泥の底へと沈んで――

 

 ――ずっとこうして会いたいと思っていた

 

 誰かの声がした。低いノイズが意識を乱す。会う? 俺には会いたいと思う人なんて……いた、と思う。けれど思い出せない。誰ひとりとして思い出せない。

 

 ――そのまま沈めば、二度とは戻れない。自身が何者かも知らぬまま

 

 俺は死ぬのか? 消えるのか?

 

 ――まもなくお前という存在は消失する。その瀬戸際にお前は立っている。残された時間はあまりにも少ない。

 

「最後に話をしよう。魂の手綱を引け」

 現実の声が頭蓋を揺らし、閉ざされていた瞳が持ち上がる。

 灰色の視界を埋め尽くすのは、寒々しい荒野に突き刺さるおびただしい数の剣の死骸。

 おぞましい光景だ。まるで墓標。直視したくない。目を背けかけた彼の前に、一人の男が立っている。

 いつか見た顔――夢幻回廊の記憶の世界で見たことがある。

 異界の戦場の中心で、リィン・シュバルツァーはドライケルス・ライゼ・アルノールと向かい合っていた。

 

 

 ――つづく――

 

 


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