『パンタグリュエル制圧戦、開始!!』
激しく揺れる視界の中で、トワからの艦内放送が響く。
ついに始まったのだ。船倉のカーゴハッチが開いていく。アリサは《レイゼル》のコックピットから出て、床に飛び降りた。
「こっちに急げ! 私たちが出次第、ハッチは再び閉鎖される!」
Ⅶ組はいつでも走り出せる体勢だ。そう呼ぶラウラに「すぐに行くわ!」と返し、アリサはそばにいたパトリックに振り向いた。
「ふざけた設定は解除しておいたわ。必要があればいつでも《トールハンマーバレット》は撃てるから」
「あの前口上を僕が言わなくて済むのなら、それは非常に助かるが……」
開戦の一発なのにラブ・シューティングスターと声高らかに叫んでしまったのだ。シャロンに文句の一つでも言いたかったのだが、すでに船倉から彼女の姿は消えていた。
「……僕がこのレイゼルを……」
「あとはお願い。もう行くわ」
「ま、待て!」
「さっきも何か言いかけてたみたいだけど――なんだっていい。この機体でみんなを守って」
作戦中、レイゼルは潜在的な脅威として艦内に待機することになっている。パンタグリュエルに機甲兵が残っているかは不明だが、こちらがレイゼルを出せば、向こうも迷わず投入してくるだろう。
甲板で巨人同士が暴れれば、双方の艦へのダメージは深刻なものになる。しかも高度は2800アージュ。できるなら対人戦だけで勝負をつけたい。
機甲兵戦はなりふり構わない状況になってからの最終手段だ。
「……わかった。“紅翼の守護者”の名にかけて、カレイジャスを最後まで守り抜く」
「家の名にはかけないの?」
「ハイアームズ家に宣言してどうなるものでもないだろう。誓う誇りは僕自身にだ」
「あなた、変わったわ」
傲慢で高慢だったパトリックが、同じ高さの目線で皆を守るだなんて。だが不思議な信頼感がある。
トリスタに戻って気がついたことだ。彼は周囲の人間に頼られていた。自分たちが不在の間に起きた出来事は知らない。だがその時間は、彼の内側を確かに変えたのだ。
その変化は、レイゼルを託すに値すると思えるものだった。
パトリックに後を任せて、アリサは走った。他の仲間とも合流し、サラを含めたⅦ組はハッチを飛び出して、パンタグリュエルの甲板に降り立つ。強い横殴りの風に吹き飛ばされそうになった。
「止まらずに走れ! 混乱している今を逃がすと移動が目立つ!」
強風にかき消されない大声で、先頭を行くユーシスが言った。
敵旗艦と揚陸艇に阻まれている以上、カレイジャスを煌魔城の近くに着陸させる余裕はない。
だからⅦ組を除く学院勢でパンタグリュエルのコントロールルームを制圧。こちらの操作でパンタグリュエルごとヘイムダルの門前に強制着陸させ、そこからⅦ組は市街を陸路で抜けて煌魔城を目指す。
それがトワの立案したプランだ。
可能であればヘイムダル内に降下できるのがベストだったが、ここまで巨大な艦ではそのスペースは確保できない。空港の空きさえわからない状況では、ぎりぎり帝都の外に着陸というのが最善策だった。
そして着陸と同時の迅速なヘイムダル潜入を実現するため、この騒動に乗じてⅦ組はパンタグリュエルの船首側に移動し、その時まで身を潜めることになっていた。
「派手にやってくれたおかげで、私たちには誰も気づいてない。貴族兵はパンタグリュエル船内の守りと、カレイジャスに対する攻撃に意識を割かれてると思うよ」
走りながらフィーがカレイジャスを振り返った。紅い船体は傷だらけで、ところどころの外装が剥落している。
トールズの学院生の制圧チームも、それぞれの役割に従い、敵艦内に進入している頃だろう。あとは信じて待つほかない。
自分たちの出立を見送ったカーゴハッチが閉じられていく。フィーに倣ってカレイジャスに振り向いていたアリサは、ハッチの向こうで悠然と立つレイゼルの姿を視界に収めた。
この戦いでは、もう私が乗ることはないかもしれない。これまで私といっしょに戦ってくれてありがとう。
ただ、気がかりがある。
レイゼルには秘密があったはずだ。イリーナいわく、“そうとしかできなかった機体の微妙なバランスの悪さ”や、“『機甲兵を狩るための機甲兵』という設計コンセプトからずれている”ことに起因するであろう秘密。それをパトリックに伝えるまではしなかったが。
もしかしたらあの機体には、まだ私の知らない機能が隠されているのかもしれない。
いずれにせよ、願わくば今日の戦いがあなたにとっても最後になることを。
《――紅の進撃――》
「《紅き翼》がパンタグリュエルに着艦しただと!? ゼロ距離射撃でもするつもりか!?」
「い、いえ。敵艦に動きはありません。撃沈が狙いではないようです。規模は不明ですが、敵勢力がこちらの艦内に侵入したとの報告もあります」
旗艦詰めの貴族連合軍兵士が、甲板につながる通路の一つを急ぎ足で通っている。人数は三人だ。
「とにかく誰もブリッジには近づけさせるな! ネズミはどこに隠れているかわからんぞ!」
「ここまで来て今さら隠れはしないさ」
隊長格の男の首根っこが背後から何者かにつかまれる。
「ぬぐぅっ!?」
「顔を合わせないままでいささか無粋だが、まずは名乗らせてもらおう。アンゼリカ・ログナーという。カレイジャスの副艦長を務めている」
「ログナー……!? 四大名門の……!」
「そのあたりの事情は関係ない。私は私のかわいい艦長からのご命令を賜り、この場に参上した次第さ。そのキュートでプリティな艦長は、パンタグリュエルの操艦をこちらのものにしたいとご所望だ。あとはわかるね?」
ぎりぎりと締め上げられ、彼の足が爪先立ちになる。
残る兵士がアンゼリカに銃を向けた。
「ログナー家の者とて容赦はせん。どのみちログナーは貴族連合から外れているからな!」
「私としても親父殿の威光に守られるのは不本意だ。遠慮しないでもらえると助かる。それと、まさか君たちは私が一人で乗り込んできたとでも思っているのかい」
「よーう」
ドスの利いた低く太い声。銃を構える男二人のそれぞれの肩に、がしっと後ろから腕が回される。
クレインとロギンスだ。
「アランが男を見せたんだ。俺も先輩として、やることやっとかねえとよ。兵士の兄ちゃんもそう思うだろ、なァ?」
「ケルディックはトリスタを出てから、俺とハイベルが最初に訪れた町でさ。世話になった場所だ。やってくれたよな、焼き討ち。自分は関与してないとか野暮なことは言うなよ?」
「さて、効率よく行こうか」
アンゼリカたちはドゴッと三人の顔面同士を叩き合わせる。兵士たちはあっけなく崩れ落ちた。
「よし、ここからは各オペレーターの指示に従って、分かれて進攻だ。女神の加護を。おっとこの場合の女神はトワだということを付け加えておかなくては。さらに付け加えるなら私のトワだということを各人承知してもらいたく――」
「いいからお前も行くんだよ!」
ばしばしとロギンスに急かされて、アンゼリカも台詞途中で足を動かした。
一方のクレインは後続のハイベルと共に艦内へ踏み込み、それ以外のチームも別ルートから潜入を開始している。
激しい戦いがいたるところで展開された。
戦闘と迎賓の双方の機能を兼ね備えるパンタグリュエルの内部は巨大で、その機能ゆえ階層ごとに特色ががらりと異なるという特殊な構造をしていた。
平面の大きさは言わずもがなだが、船倉を含めて七層のフロアで構成されているので、縦にはカレイジャスよりも二層多い形となる。
目的となるブリッジは最上層。甲板はフロアでいえば第五層に位置している。
「だから単純に上を目指すだけなら、わかりやすかったんだけどね!」
アーツで生み出された炎が第四層の通路を走る。ハイベルが魔導杖を構えながら、行く手を阻む敵をけん制した。ここは連絡通路で、主には兵士たちの詰め所になっているようだった。
「まるでアリの巣だな。つつけばつつくほど出てくるぜ――っうらあ!」
アーツの駆動準備の隙を狙って前に出てきた兵士を、クレインが一撃で叩きのめす。
「ブリッジ! こっちの方向であってんだよな!?」
『問題ない! そこを突破できれば隔壁がない道順で進めるはずだ!』
ライフルでの射撃が金属板張りの通路に火花を散らす。手近な遮蔽物に身を隠しつつ通信に呼びかけると、ステファンがそう応じた。
ブリッジに直結するルートには防護シャッターが降ろされていた。侵入者に対する防衛のためだろう。そのため、学院勢は大幅な迂回を強いられていた。
『大きすぎる艦の造りが仇になってる。隔壁をどれだけ使っても、全てのルートを封鎖するには至ってない。下層と上層の昇降を繰り返すことになるが、やり方次第で必ずブリッジにはたどり着ける!』
「わかった。お前のナビを信じるからな!」
『任せてくれ! 溢れんばかりに復活した僕のアイデンティティーは止まらない!』
「うるさいっての!」
パンタグリュエルの艦内図はステファンが入手したものだ。
《ZCF》《RF社》《エプスタイン財団》の技術提供を基盤に開発されたカレイジャスは、導力ネット系においてトップレベルの優れた演算機能を有している。そこにステファンのハッキング技術を上乗せすれば、システムプロテクトで劣る純帝国産のデータベースに侵入するのは難しいことではなかった。
その艦内図はオペレーター同士で共有し、制圧チームのナビゲーションに活かしている。さらに各所に設置された監視カメラもジャックして、映像をカレイジャスのブリッジで確認できるようになっていた。これによって実際の敵配置の情報も、リアルタイムで前衛の学院生に伝えている。
向こうから見えないものが、こちらからは見えるのだ。人数の及ばないカレイジャス陣営が互角以上に攻め込める理由の一つだった。
それを実現させたステファンの功績は大きい。もっとも監視カメラのジャックはヴィヴィの手腕で行ったが。彼女の手際があまりにもスムーズだったので、ちょっと女子組は騒然となったりした。事態が事態なので、悪用による前科がないかの追及は後回しにされている。
『前方右の通路から、映像で確認できるだけで二名接近している。誰か対応できるか!?』
「はーい」
後方に控えていたエーデルが、懐からごっそりと閃光弾を取り出した。クレインもハイベルもぎょっとして彼女を凝視する。
「フィーちゃんがいっぱいくれたの。お守りだって。えーとピンを抜いて……あら? これでいいのかしら?」
「わー! 一つでいい、一つでいい! 片っ端からピン抜くな! ていうか床に並べるな! 早く投げろお!」
「どんなお守りなんだよ! ちゃんと後輩の教育やってるの!?」
おっとりと、しかしさくさくとピンを抜いていくエーデル。血相を変えたクレインとハイベルがそれらを拾って、どかどかと通路に投げ込んでいく。
直後に炸裂。広がる光に重なる光。まぶたを閉じても網膜に焼け付くような閃光の中でクレインが叫んだ。
「俺とハイベルはここでもう少し敵を引き付ける。お前らが先に行け!」
「任せたまえ! 叶うならマッハ号と共に駆けたかったがね!」
「ようやく僕の出番だな!」
クレインの両脇を、ランベルトとヴィンセントが槍を振り回しながら走り抜けた。
「ねえ!? ほんとにここでいいの!? 袋小路じゃないの!?」
ここは第二層、武器類を除いた備品保管や生活設備関係が集中しているフロアだ。
テレジアが悲壮な声で通信に問うと、担当オペレーターのヴィヴィが答えた。
『えーっとですね、厨房の奥に料理昇降用のリフトがあるので、それで上層に行くのがいいと思います。隔壁の穴を抜ける手段の一つですよ』
「な、なるほど。厨房の昇降リフト。聞こえたわね、あなた達! 全速力よ!」
前を行くテレジアに追走するのはエミリーとフェリスのラクロス部メンバー、そして不憫な騎士のニコラスだ。
彼らの後ろからは、大勢の兵士が追いかけてきている。このフロアの重要度は低く、兵士の配置も少なかったはずなのだが。
「もういやですわ! 後方支援だったはずでしたのにー! 部長命令とはかくも理不尽なものですの!?」
ニコラスのサポートとして、エミリーに無理やり制圧班に加えられたフェリスは涙目だ。
件のエミリーは小首をかしげている。
「おかしいわ。敵の少ないルートをヴィヴィちゃんに選定してもらってるのに……」
「あのね、エミリー。本気でわかってないみたいだから言うけどね。どう考えてもニコラス君の装備がガッチャガッチャうるさいからでしょうが!」
「なんでもかんでもニコラス君のせいにして。テレジアって被害妄想癖があるの?」
「ちょっと今の言葉はそのままお返しするわ」
「あ、あの先輩方、こんなところでケンカはやめてくださいまし。ひい!?」
チュンと銃弾がフェリスのこめかみをかすめた。
「ごめん、やっぱり僕のせいなのかな」
「あ! ううん、ニコラス君は悪くないの。どうかそのままでいて!」
頭の鍋やらおたまやらをガチャガチャ鳴らすニコラスは申し訳なさそうにしているが、彼が動くだけで敵がわんさか引き寄せられてくる。
ようやくのことで、四人は大食堂に駆け込んだ。高級そうなテーブルや椅子があったが、カレイジャス着艦の衝撃のせいか、ほとんどが乱雑にひっくり返っている。とにかく、その最奥に隣接するのが厨房だ。
兵士はすぐに追いついてきた。容赦なく銃を撃ってくる。
エミリーたちは立てたテーブルの裏に身を隠した。しかし見つかるのは時間の問題だ。
「一か八かで厨房まで走って、リフトで逃げるのはどう?」
エミリーが案を出すも、テレジアが難色を示す。
「無理よ。リフトの動かし方で絶対手間取るもの」
「だったらフェリスを囮にして時間を稼ぐのは?」
「まあ、それなら……」
「イヤですわ! それこそ英雄の装備に身を固めたニコラス先輩が囮になればいいではありませんか!?」
「フェリスは私を怒らせたいの?」
「理不尽っ!」
ラクロス部の緊急会議はまとまらず、その間に包囲されていく。敵は殺気立っていて、捕縛で済ませてくれるような雰囲気ではなかった。
一斉に銃口が向けられた。集めに集めた敵は実に十数人。それでもエミリーは戦意を失っていなかった。
「私はエミリー。人呼んで炎の女よ。あきらめないわ。絶対にまだ死ねない。聞いて、ニコラス君。私、生きて帰ったらあなたに伝えたいことがあるの」
「や、やめてエミリー! それ死んじゃう人が言うやつ!」
銃声がけたたましく響く。こんなテーブルなど盾代わりにすらならない。だが無数の銃弾は一つとして彼らに届いていなかった。
テーブルの前に分厚い氷が張られている。それが弾の貫通を阻んだのだ。
『キュッ』
『シャーッ』
飛び猫が敵の一人を頭突きで吹っ飛ばし、ドローメが床を凍らせてスリップを誘発する。
「あ、マキアスさんが乗艦させた魔獣の、確か……ルーダとクロですわ! 私たちを助けに来てくれたんですの!?」
突如として出現し、しかも攻撃してくる魔獣に、敵兵は対応が割れてしまっている。その混乱の渦中に、さらなる加勢が現れた。
『ヴォオオオオ!!』
食堂の壁面をぶち破って、バーサーカー化したケネスとムンクが雄たけびを上げた。「またしても魔獣が!?」と敵にさえ勘違いされた悲しき狂戦士が、豪華な大食堂の中を縦横無尽に暴れまくる。
『オ前達ノ命ヲ吊ルシ上ゲタイィ!!』
『ヨコセ、ヨコセェ……!』
ホワイトクロスは引き裂かれ、絨毯はメリメリとめくりあがり、重厚感のあるテーブルや軽々と宙を舞い、いっしょに敵兵士の群れも飛んでいく。そこにルーダとクロの追撃も入る。まさにちぎっては投げ状態の狂乱の渦だ。
「テレジア、これを!」
「きゃっ、なに?」
この隙にと、エミリーは厨房から取ってきたフライパンをテレジアに投げ渡した。
「やるわよ、ついに! ついに!」
「ええー……」
意図を理解し、同時に観念したテレジアもフライパンをラクロスのラケットのごとく構えた。二人して、近くの兵士に特攻をかける。
「技名も叫ぶのよ!」
「もうなんでもいいわ」
敵の左右から迫り、その反応がわずかに遅れた瞬間に、
『エミジアデストローイ!』
バッカーンと顔面にフライパンがダブルヒットした。兵士は鼻血をぶーっと出して、仰向けに倒れる。すかさずバーサーカー二体が馬乗りになって、まったく躊躇のない拳をしつこく振り下ろした。すがすがしいまでの外道だ。
「いえーい。やったわ」
「まさかこれを実際にやる日が来るなんて」
「私もアリサがいればフェリサハリケーンをお見舞いしたのですけど」
なんやかんやで消化不良らしいフェリスがむくれるかたわら、エミリーはニコラスに小走りで駆け寄っていく。
「敵は全滅よ! さっすがニコラス君!」
「ニコラス君が一番何もしてないんだけど!」
テレジアはフライパンを打ち鳴らして抗議した。
「なるべく制圧チームの人員は厚くしたい。でもカレイジャスの守りをおろそかにはできない。戦力を偏らせている今、艦内に入られたらこちらが制圧されちゃうもの」
フリーデルはそう言って、また続ける。
「カレイジャスの機関部の位置がわからず、しかもパンタグリュエルに密着してるこの状態では、爆薬で外装に穴を開けて突入なんてしたくないわよね。誘爆の可能性があるわけだし。だとすれば安直な進入経路は限られてくる。通用出入口のある前部デッキか、後部デッキの二つに」
その後部デッキの扉前に、フリーデルは立っていた。
微笑む彼女の足元には貴族兵が転がっている。足元だけではなく、周囲そこかしこに兵士たちが重なるようにして倒れていた。簡易タラップを外側からかけて、甲板まで上がってきた者たちだ。
まだ動ける兵士の一人が剣を手に、フリーデルと向き合う。
「まだまだ増援は来るぞ。腕は立つようだが、一人でいつまでも持ちこたえられると思うなよ!」
「持ちこたえる? 認識が間違ってるわ。耐えるつもりは最初からない。あなた達の列が途切れるまで、私は全員を切り伏せていく」
「馬鹿げた強がりを……!」
「さっき私の後輩がとてもがんばったの。勇気のある告白よ。聞かせてあげたかったわ。まあ、しっかり録音はしたけれど。強制着艦の大任もやり遂げたし、なんだかんだでアランはちゃんと肝が据わってる」
「な、なんの話だ」
「それにパトリックも大きく成長してくれた。みんなの信頼を得て、認められている。先輩としてこんなに嬉しいことはないわ。本当に自慢のかわいい後輩たち。ロギンス君もあの子たちくらいの気概を見せて欲しいものだけれど」
「だから何を言って――」
「次は私が身を張る番」
フリーデルはサーベルを静かに構える。流水を裂くようにして持ち上がった剣先が、ぴたりと男の胸につけられた。
「私はフェンシング部部長のフリーデル。ここを一人で任されているのは、それで事足りるから。多分、学院で一番強いわよ」
「なっ……!?」
「ああ、なんなら前部デッキのほうに回る? 構わないわよ。あっちはシャロンさんが守ってるけどね」
「ねえ、もう、なんでこんなことになってるのー!?」
涙声で叫ぶモニカは、必死で操縦桿を繰って装甲車を走らせていた。その横の補助座席で「わ、私たち一応救護班なのにね……」とコレットが汗だくの顔で言う。
その二人の後ろ、砲撃席ではポーラがあれこれとボタンやレバーをいじっていた。
「なんでこんなことにって、原因は一つに決まってるじゃない! そうでしょ、オペレーター!?」
『あはは、ごめんねー』
通信口からミントの間の抜けた声が返ってきた。
本来はブリジットが担当オペレーターだが、着艦の際にアランがケガをしてしまったので、その応急手当のために一時的にブリッジから離れている。それで急遽、ミントが代役になったのだ。
なので彼女たちはミントの指示に従って移動をしていたのだが、いつの間にか最下層――すなわち船倉ドックにまで突き進むはめになっていた。
そしてあっさり敵に見つかり、交戦状態に入り、整備途中だったらしい装甲車を強奪し、今こうして死に物狂いで逃げている。
「そりゃおかしいとは思ったわ! 下に下に誘導されるんだもの。何回もこっちの方向で本当にいいか聞いたのに、ミントが間違いないっていうから!」
『だからごめんってば。マップを反転して見てたみたいでさー』
「ごめんで済んだら憲兵隊はいらないの! 現場はまさに死地よ、死地!」
カレイジャスのそれよりも遥かに広大な面積を誇る整備ドックには、まだ地上に降りていない機甲兵が鉄骨組のハンガーにずらりと待機している。
床に置かれていた備品や機材を蹴散らしながら、彼女たちの乗る装甲車はドックを爆走する。曲がりなりにもモニカが運転できているのは、ガレリア要塞で生活していた時に第四機甲師団の
敵の銃弾が装甲を絶え間なく叩く。
「もー、逃げ場なんかないし! 撃退するのが手っ取り早いわ。ハンドル回して、モニカ!」
「う、うん!」
ポーラに急かされてモニカは装甲車を転回させる。敵も装甲車で追ってきていた。
車体の上部の機銃に先制の火を噴かせる。予想外の反撃に、相手の運転が乱れた。その一瞬を逃さず、モニカはこちらの装甲車を、敵の装甲車の横っ腹に突っ込ませる。ほとんどドリフト走行だ。突き抜ける衝撃。派手に横転させてやった。
「あーははは! ひっざっまっずっけー!」
今度はライフルを撃ってくる歩兵めがけて、ポーラがさらに機銃の乱射をお見舞いする。
「コレット、そっちでも兵装選択できる? おっきいほう出して」
「ええと、これかな? あ、正解っぽい」
機銃が車体に格納されていき、代わりに物々しい砲塔がせり上がってきた。
「ついでだし、あれらも使えなくしとくわ。ファイヤー!」
大口径の砲弾を次から次へと待機中のドラッケンやらシュピーゲルに撃ち込んでいく。操縦士のいない機甲兵など無抵抗の木偶人形だ。
ポーラ様の高笑いと共に、爆散した機械の四肢の数々が炎を散らしながら床を転がった。
ぎゅんと身を返したドロテが、敵の顔面に裏拳を鋭く当てる。流れを止めず、そこから水月に肘鉄の追撃。敵兵士が腹を押さえて前かがみになるのに合わせて、片足を大きく天井に振り上げるや、無防備な首筋に強烈なかかと落とし。
泡を吹いて卒倒した男に一瞥をくれてやりつつ、ドロテは指の関節をぱきりと鳴らした。
「さあ、フィデリオさん。思う存分に写真を撮ってください。あ、ポーズ要ります?」
「僕が撮りたい写真はそういうのじゃないんだけど」
ドロテはお嬢様然とした微笑を浮かべて見せた。お見合い用の写真でも通用する綺麗な立ち姿だ。倒されて山積みになった兵士たちが、彼女の背景に映り込んでさえいなければ。
「ドロテさん、本当に強かったんだな……。というかカリキュラムだけで覚えられる近接戦の技術を越えてる。どこで覚えたんだ?」
「もちろん文芸部で」
「うん、答えになってない」
「必要だったんですよ、女子文芸部として戦う術が」
「僕が知ってる文芸部の活動と違う……」
第三層、迎賓フロア。かつてアルフィンが軟禁され、リィンとエリゼが訪れた区画でもある。照明にはシャンデリアが設えてあり、いたるところに趣向を凝らした調度品が飾られていた。
このフロアは一階の談話スペースと、二階の宿泊ルームとで分かれていて、ドロテたちがいるのは一階だ。他の同行メンバーはレックスとベリルである。
写真部の二人は記録係として乗り込み、ドロテとベリルはその護衛役を買って出たのだった。実際その護衛力は大したもので、ドロテは片っ端から兵士を戦闘不能にし、ベリルに近づいてきた敵はなぜか苦しんで倒れていく。
結果、今のところ負傷者はなしだ。
レックスは渋い顔をした。
「んー、フィデリオ先輩。確かに迎賓区画の内装って豪華で目を引くんですけど、俺らの撮る写真って、もっとこう……学院生の戦いの場ですよね?」
「仕方ないよ。突入が迅速過ぎて僕らがついていけなかったんだから。とりあえず関係なくても現場の写真は一枚でも残しておこう。あとで使えそうなのを選別したらいいから」
「了解っす」
レックスとフィデリオがファインダーをのぞきこんだ時、
「きゃ!?」
ドロテの悲鳴が上がった。彼女の細い足首を、倒したはずの敵兵の一人が這った状態でつかんでいる。力任せに引きずり倒し、男は振り上げたナイフでその胸を狙った。
「ドロテさん!」
フィデリオが助けに向かうも敵の動作の方が早い。レックスもベリルも間に合わない。とっさのことで、ドロテも反撃ができなかった。
鋭利な切っ先が迫り――しかしそのナイフは突然に男の手から離れた。横からの衝撃に弾き飛ばされたのだ。床を転がるナイフの刃身には、深々と一本のペンが突き刺さっていた。
「よくないね。倒れたふりをしての奇襲とは実によくない」
二階と一階をつなぐ大階段を通って、男は一歩ずつ降りてくる。まるでパンタグリュエルの主がごとき、悠然たる足取りと佇まいだった。彼はタキシードを身にまとい、紫色の覆面で素顔を隠していた。
「な、何者だ!?」
「さて、どの名で名乗れば良いものか。まあ、その前にそこからどいてもらおう」
唐突に覆面の男の姿が消える。
「な!?」
「その反応、実にいいね」
瞬きの間もなく、彼は兵士の背後に現れ、耳元でそうささやく。身の毛のよだつ悪寒に、兵士はドロテの上から飛びのいた。
覆面の男はドロテの手を引いて立たせた。
「ケガはないかな?」
「は、はい。あなたは」
「そうだね。タキシード覆面とでも呼んでもらおうか。だが話はあとだ」
敵兵士はもう一本のナイフを携えていた。
「ふざけた格好をしやがって……! お前もそいつらの仲間か? まとめて始末してやる」
「血気盛んなことで結構だが、彼女たちに手は出させないよ。まだ戦いは中盤だ。早めに片付けさせてもらうとしよう」
タキシード覆面から紫色のオーラが立ち昇る。その圧倒的な異様に、激昂していた敵でさえ足を引いた。それは本能が打ち鳴らす警鐘。しかし全てが遅かった。
「
覆面越しに謎の威圧が放たれ、兵士は体の自由を奪われた。
「
即座に間合いを詰められ、あごに痛烈な掌底が入る。
「
ぶわっと天井近くにまで浮いた敵目掛けて、タキシード覆面が勢いよく跳躍する。
「
組み合わせた人差し指が、ズドンとその一点を穿つ。大切な何かを失った兵士の悲痛な叫びを受けて、蝙蝠の羽のようにひるがえる暗黒のタキシード。シャンデリアの輝きが幾重にも散り、神々しい光が背徳的なシルエットを映し出した。
どちゃっと顔面から落下した兵士の横に、タキシード覆面は鮮やかに着地する。
ドロテが目を丸くした。
「い、今の技。まさかあなたは……!?」
「何者かというのは野暮な問いさ。ただ乙女たちの味方とだけ言っておこうか」
「タ、タキシード覆面様……」
どこからともなく大量の枯れ葉が舞う。視界が晴れた時、そこにタキシードな《G》の姿はなかった。ついでに倒した兵士たちも何人か連れ去られていた。
惚けるドロテ、呆けるフィデリオ。
「うっわー、やばい写真撮っちまったかも……」
頬をひくつかせながら、レックスはカメラを見ている。さっきの背徳的なシーンをピンポイントで捉えてしまったらしい。
そのとなりでベリルは深く嘆息していた。
「……ドロテ先輩じゃなかったみたい」
「へ、何が?」
「大したことじゃないわ。ねえ、レックス。私が今あなたのそばにいるのはね。予言の対象があなたにならないか、心配でたまらないからなの」
「予言?」
「そう。誰かが命を落とす死の予言。リィン君は生きている。なら予言は終わっていない。外れたのではなく、その時がまだ来ていないという、ただそれだけ。どこで、誰にその未来が降りかかるのか。私はとても怖いわ」
ベリルの瞳に影が差す。
その時、艦内が不自然に傾いた。
「え……? パンタグリュエルの進路がいつの間にか変わってる……?」
オペレーター業務の傍ら、通信席のリンデは戸惑う声をトワに向けた。各チームごとにトラブルはありつつも、概ね想定内のペースで進攻は進んでいるというのがトワの見解だった。フリーデルとシャロンの守護は強固の一言に尽き、いまだカレイジャスに敵が侵入したとの報告はない。「進路の先は?」と問うと、リンデは広域マップをスクリーンに呼び出す。
「し、進路は帝都ヘイムダルです」
「……それは妙だね」
おかしい。敵はこちらの目的が帝都入りだということは承知しているはず。それなのにわざわざ目的地に近づくような親切をしてくれるはずがない。
まさかすでにブリッジを制圧した? いや、それなら誰からも報告がないことが不自然だ。
「各オペレーター。みんなの位置はわかる?」
それぞれが状況をトワに伝える。多面ルートを駆使して敵を分散させつつ、複数のチームはいずれも最上層のブリッジに接近しつつある。その中で、ヴィンセントとランベルトの班と連絡がつかなくなっていた。所在も不明だ。
「あの二人が? 最終通信地点はどこで――っ!?」
ガクンと軋むような異音と不気味な振動が身を揺らす。
異変の元はカレイジャスではなかった。敵艦だ。パンタグリュエルの高度が下がり始めている。
「制圧班全員と通信をつないで! 速やかに現在位置と現状報告を!」
ブリッジの制圧はまだのはず。ならば何が起きている?
すぐに制圧メンバーからの応答が来る。
『こちらB班、エミリーよ。位置は第二層の厨房内。配膳用ダクトを動かそうとして手間取ってるわ。周囲に敵影なし。あとニコラス君がかっこいい』
『C班、フィデリオ。迎賓フロアでいったん身を隠している最中。最前線で戦闘時の写真はやっぱり難しかったかな。気になるといえば正体不明のタキシード覆面と遭遇したけど、友軍って認識でいいの?』
『D班のモニカです。一応救護チームで入ったつもりなんですけど、色々あって船倉ドックで機甲兵を殲滅しました……。今は装甲車を乗り回して残党狩りに精を出してます。はい、ポーラが楽しそうで何よりです』
『A班、クレインだ。さっき最上層に到着した。同行メンバーはハイベルとエーデル。ブリッジに突入しようと思えば、いつでもいけるが……』
タキシード
「クレイン君。最上層の状況をもう少し詳しく教えてくれる?」
『もっと敵兵で固められてると思ったが、かなり静かだ。フロア内で戦闘らしき形跡もない。それと俺たちより先にE班のヴィンセントたちが着いてるはずなんだが……あいつらの姿は見えないな』
本来ならある程度のチームが上層で合流してから、ブリッジ制圧に踏み切る手はずだ。突っ走りがちな気質のヴィンセントとランベルトではあるが、この場に限って独断専行はしないだろう。仮に敵に捕縛されたにせよ、通信口でそのような兆候は拾えていなかった。
「パンタグリュエル、さらに増速! ヘイムダル外壁までおよそ十六分!」
リンデがさらに報告を重ねる。嫌な予感が手のひらを汗で濡らした。「A班、ただちに突入をお願いします」と艦長の声音で告げ、トワは続けた。
「ブリッジの状況確認と同時に、速やかに制圧を。敵の反撃体制が整っていた場合は、即撤退で構わないから。あと通信は必ずつないだ状態でいて」
『了解』
不測の事態が発生している気がする。三人という少人数で踏み込むのは賭けだが、やはり確認は必要だ。
その一分後。手早く段取りを打ち合わせたA班が、ブリッジに突入した。
直後に通信途絶。一切の反応がなくなる。三人ともだ。喧噪も何もない無音。何度呼び掛けても、応じる声はない。
「ちょっと待って下さい。これって」
ブリジットが青ざめた表情で、コンソールパネルを操作している。アランの手当てをすまし、先ほどオペレーターとして復帰していた彼女は、スクリーンにその情報を表示させた。
「この速度と降下角度は着陸じゃありません……! こ、このままだとパンタグリュエルは帝都市街、居住区画に落ちます!」
トワは頭蓋を鈍器で殴られた心地だった。
なぜ。劣勢と見た敵の指揮官がやけを起こしたのか? いや、そんな馬鹿な話はない。第一、こちらが圧倒的な優勢というわけではないのだ。カレイジャスの重量を支えきれなくなった? 違う。それでは進路がヘイムダルに向いている説明がつかない。
私の作戦が裏目に出た? 待て、それを考えるのはあとだ。とにかく帝都の上空に入ってはいけない。それだけは阻止しなければ。
計算ではあと十五分でその最悪の状況が起こる。たったの900秒しかない。そのわずかな時間でできること。
ない。思いつかない。あきらめるな。何か、何か――
「進路をずらすぐらいなら、やれるかもしれない」
騒然とするブリッジで、声を上げたのはステファンだった。
「トワ君、人手がいる。君にも手伝ってもらうし、申し訳ないがアルフィン殿下にもお力添え頂きたい。あとドックからジョルジュ君に来てもらってくれ」
「方法があるの?」
「カレイジャスの導力系統の演算機能をフルに使って、パンタグリュエルの操艦システムをハッキングしてみる」
「概算での成功率は?」
「極めて低い。心臓部ともいえる艦のシステムだ。艦内図の抜き出しや監視カメラのハックとは話が違う。帝国製と言えども何重ものプロテクトで守られていると思う。仮にセキュリティを一時的に突破できても、すぐに弾かれてしまう可能性だってある。そうなれば終わりだ。何よりの問題は、時間がないことだけど……」
簡単にできるなら強制着艦などせず、最初からそうすればいい話だ。ステファンがその提案を前もってしてこなかったのは、ネガティブな要素の方が遥かに多いからということだろう。
しかもその作業中は、カレイジャスは完全に無防備になるという。導力を介して行う自艦への操作が何一つできなくなるのだ。もちろん前衛へのサポートも中断される。
「わかった。だとしても可能性が少しでもあるのなら、ステファン君の案で行こう。具体的にはどうすればいい?」
「ここからはオペレーター全員の戦いだ。まずはブリッジの全ての端末を並列で繋ぐ。あとは準備を進めながら説明するが……一つだけ先に言っておかないといけないことがある」
ステファンはキーボードを叩きながら言う。
「一人がメインになってブロック解除のプログラムを入力していき、それ以外のメンバーはその人のフォローに回る形になるんだ。たださっきも言った通り、とにかく時間がない。だからメインの入力者は一番タイピングが早い人にお願いするしかない。それは僕じゃない」
先日にステファンの企画で、バックアップメンバーを対象にしたプログラム構成の早打ちテストを実施した。
そこで一位を取った人間が、この場にいる。
「君だ。ミント君」
突入作戦が開始されて、三十分ほどが経った。ブリッジからの進捗報告はまだ来ていない。
「……待つしかできないというのはもどかしいな」
ぽつりとマキアスがつぶやく。彼は制圧班にⅦ組も加わった方がいいと主張していた。
本音を言えば自分も同じ意見だが、あえて同調するつもりもなく、「トワ会長が艦長として最終的に決断したことだ」とユーシスはそっけない態度で応じた。
「愚痴をこぼす時間があるのなら、武器の再確認でもしておけ。肝心な時にショットガンの弾を持ってき忘れましたでは、笑い話にもならんからな」
「自分の武器点検なんか完璧に決まっているだろう。僕が旅行前に何回荷物をチェックするかおしえてやろうか?」
「興味もない。どうせお前が旅行で乗る列車など、ものの数分で脱線事故を起こすに決まっている」
「人を不幸の星の下に生まれた人間みたいに言うな! 僕は幸福だ。見るがいい!」
マキアスはジャケットの内ポケットから、小さなタッパーを取り出した。その中にひとかけらのチョコレートが見えた。
「クレア大尉の手作りチョコを持つ男が不幸なはずないだろう。これさえあれば僕は無敵だ。どこまでも飛んでいける」
「そうか。ではこの甲板から外に飛び出せ。菓子一つで無敵になるか、俺が直々に確認してやる」
「クレア大尉のチョコを愚弄するな!」
「すまない。お前を愚弄したつもりだったのだが」
「ぬううう!」
いつもの小競り合いに発展しかけた時、
「お二人とも静かに。作戦中ですよ?」
エマが丸眼鏡をきらりと光らせた。滅多に表に出さない分、委員長の威圧は誰にでも有効だ。ユーシスもマキアスもそろって口をつぐむ。
「甲板の兵士はカレイジャスに集中していますから私たちに気づいていませんが……あまり大きな声を出すと目を向けられるおそれもあります。ね?」
ね、が強かった。さしものユーシスも抗弁する気はなく、ふと思い立った話題に変える。
「そういえばセリーヌがいないようだが……」
「ええ、彼女はカレイジャスに残ってもらうことになりました。私たちのサポートとして、煌魔城に同行したかったみたいですけど」
煌魔城に入った際、《ARCUS》による通信ができるかはわからない。艦とⅦ組をつなぐ連絡手段として、念話術が使えるエマとセリーヌは二手に分かれてもらいたいという事情があった。
「ん、あれ?」
フィーが怪訝そうに周囲を見回している。
「変じゃない? 雲が上にあるよ」
つられて皆が空を見上げる。フィーの言う通りだった。さっきまでパンタグリュエルは雲の上に位置していた。
どうやら高度が下がっている。だがヘイムダルの門前に着陸する際は、事前に報告があるはずだが。
その空の中では、一羽の鷹が大きな円を描いて旋回していた。
「あれは……ゼオだ」
ガイウスがそう言い、見る間に鷹はこちらに降りてくる。野生の鷹だが、ノルド高原からの付き合いで、時折見守るようにガイウスのそばにやってくることがあったという。
ゼオはⅦ組の近くで羽を休めると、甲高い声でひと鳴きしてみせた。
少し和んだらしいエリオットが訊く。
「あはは、なんて言ってるのかな? ガイウスならわかる?」
「言葉が通じるわけではないが、俺たちを鼓舞してくれているのではないか」
「ううん。“お前たちが討ちもらした敵は私が討とう。気をつけて行くがいい”だってさ」
フィーがあっさり答える。
「えー、やっぱりフィーってそういうのわかるんだ?」
「なんとなくね」
「その割には具体的過ぎるんだけど……」
ゼオはすぐに飛び去ってしまう。ゼオから離れた一枚の羽根がひらりと空中に舞った時、
「討ちもらした敵というのは、私にすれば君たちのことだがね」
ユーシスはその涼やかな声音で、誰よりも早く警戒態勢に入っていた。不敵とも思える余裕の笑みを口元に浮かべ、洗練された足運びでこちらに近づいてくる男はルーファス・アルバレアだった。
「カレイジャスでパンタグリュエルの甲板に乗り付けるとは、さすがに予想外だ。豪胆な作戦に驚いたよ」
「兄上……」
武器を構える仲間を手で制し、ユーシスが前に出る。
「オーロックス砦での後始末。そなたの手を煩わせることになってすまなかった」
「その後、父上とはお会いになりましたか? 子細の取り調べが終わるまでは、アルバレア城館に軟禁されていますが」
「実質は拘束だろう。私も忙しくてね、バリアハートには足を運んでいない。それに会う理由がない」
切って捨てた口調に他意はなさそうだった。しょせんは終わった男で、終わった出来事。言外にそう告げたように思えた。親子の情など欠片も見せず、張り付けた笑みはおそろしいほどに動かない。
父の話題に触れた兄は、父が俺に向けていた乾いた視線以上に、刺すような冷気をまとった目をしていた。
初めてだ、そんな瞳を見たのは。
「どうも艦の動きがおかしいな。こちらにとってもアクシデントが発生しているようだが、私の関与するところではない。さりとて君たちを見逃す道理もない。人数減らしでもしておこうか」
「させません。あなたを退けて、俺たちは煌魔城へ行きます。……お前たちは手を出すな」
後ろの仲間たちに言い、ユーシスは鋭い目をルーファスに注ぐ。
「一人でいいのか? 私は何人で来てもらっても構わないが」
「弟として、兄に意地を見せたい時はあります」
「そうか。では兄の意地として、弟に抜かれるわけにはいかないな」
対峙する兄弟が、同時に剣を引き抜いた。互いの刃に、相手の姿が鏡となって映る。
空気が変わる。緊張と圧迫が混じり、肌がぴりぴりとしびれた。
「以前の剣と違うようだが、それで私との差が埋まるものかな」
「最後に兄上と剣を交わしたのはユミルでしたね。その時に言われました。俺は剣もアーツも使えるが、結局はそれなりで止まっていると。汎用性はあれど、決め手に欠けると」
実際、ルーファスには手も足もでなかった。ユーシスの繰り出す攻撃は、ことごとく封殺された。
あの言葉がなかったら、魔導剣の着想は生まれなかっただろう。
いつだって俺の根底には兄の存在があった。初めて会った日から、その凛とした後ろ姿は憧れで、どこまでも遠いものだった。
永遠に縮まることのない距離。目標には掲げながら、心のどこかで追いつけなくていいとも思っていた。自分よりも全てに秀で、優れた人という認識があったから。卑屈ではなく畏敬の気持ちの方が強かったから。
だけど今は違う。
彼に立ちふさがられたら、ここまで繋げてきた皆の道が途切れてしまう。その先に行かねばならない。その為に自分は今、こうして足を前に出したのだ。
「いつまでも背中を追ってはいられない。今日ここで、俺はあなたを越えていく!」
魔導剣をルーファスに突きつけ、ユーシスは迷いなく宣言した。
――つづく――