「はあ……どうしたらそんなことになるんだよ」
カレル離宮、西棟の裏手。眼前に怒ったリゼットの顔が近づく。もしかしたら呆れ顔かもしれない。身を引きつつ、「ごめんなさい、そうなりました」と一応謝るエリゼは、しかし何の言い訳をする気もなかった。
「シュバルツァー家の務めです。こういう時にこそ動かないと」
「家の務めとか、つまんないこと言うな。あんたの意思で決めたことでしょうが」
「それは……そうですね。私がそうするべきだと思いました」
「ったく。だからってねえ……エリゼがセドリック皇子に同行する必要はないって」
先ほど決まった話だ。
セドリックに謁見を申し出たカイエンは、その席で彼をバルフレイム宮に連れて行くと言い出したらしい。皇太子殿下の意を汲み、この内戦を終わらせる為のあるものを見せたいと訴えて。
セドリックはカイエンの要望を受諾した。今の混沌とした状況を本当に解決できるならと、純粋な希望も抱いているのだろう。
会談後にセドリックから話を聞いたエリゼは、強い疑念を感じていた。
やはりおかしい。皇帝も皇妃も通さずに、皇太子にのみ直謁見する不自然。そしてそれがまかり通った現状。何か得体のしれない思惑が、物事の裏に潜んでいる気がする。
カイエンが見せたいものというのが、なんなのかはわからない。だが嫌な予感がした。だから同行を志願したのだ。自分が行ったところでどうなるものでもないかもしれないが、黙って見過ごすことはできなかった。
「にしても、よく承諾されたね。普通なら一蹴されるもんだと思うけど」
「セドリック殿下に頼み込んだんです」
彼はエリゼの突然の頼みに当惑していた。あまりにも真剣に嘆願するので、そこまでいうならと折れた形だ。元々、セドリックはカイエンの提案に危険を感じていないようで、強く押されれば断る理由もないというところだろう。
「カイエン公には渋られましたけどね。そこはセドリック殿下にも立ち会って頂き、意見を押し通しました」
「あんたの行動力には驚かされるよ。将来は魔性の女だね」
「なんです、それ……」
おそらくはセドリック皇子を連れ出すことを第一優先と考えたのだろう。私のようなおまけは、いてもいなくても関係ないということか。
「出立時間は?」
「今日の昼前に小型飛行艇で向かうそうです。……あと一時間もないですね」
「ちょっと顔かしな」
「え? きゃっ!」
いきなりぐいっと引き寄せられる。
「よく聞け。カイエン公爵はきな臭い。あれは危うい人間だ。腹の底に黒い何かを隠してる」
「それは……同じ見解です」
「……本当言うとね。予感はあったんだよ。エリゼがついていくかもって。だからこれを取ってきた。返すよ」
抱きしめられる態勢になったエリゼの手に、リゼットは何かを握らせた。
「私の《ARCUS》……!?」
「さすがにレイピアは目立つから渡せないけど、これならばれずに携帯できる。あんたがこそこそ隠し持ってた妙なクォーツもセットできるだろ」
「気付いてたんですか」
「あたしを誰だと思ってんだ。まだ時間はある。どこで必要になるかわからないから、試し撃ちくらいはしていきなよ。何もないことを祈るけど、万が一には備えておいた方がいい」
倒した幻獣から生み出された謎のクォーツだ。
小さくうなずくと、リゼットは体を離した。束ねたブロンド髪が風に揺れる。彼女のポニーテールをくくるシュシュは、以前にエリゼがあげたものだった。
「使ってくれてるんですね、それ」
「代わりがなくてね。それだけの理由だよ。いや、まあ……多少気に入ってはいるけどさ」
照れたように笑う。その笑顔が少し嬉しかった。
互いにあれこれと言い合うけど、深いところで繋がっている感じ。アルフィンのような近しい親友とは違って、自分とは真逆のタイプの友人。悪友とまでは言わないけれど。
やはり私とリゼットさんは、兄様とクロウさんのような関係なのだろう。
「エリゼさん!」
セラムが走ってやってきた。ルシルとサターニャも一緒だ。
「バルフレイム宮にセドリック殿下のお付きで行くのでしょう? そのまましばらくは宮殿詰めとも聞きましたわ」
表面状はそんな理由にしたのだが、さっきの今でずいぶんと話が回るのが早い。息まで切らせて、私を探しに来てくれたようだ。
「ええ、殿下の身の周りのお世話をしに。侍女の務めを果たしてきます。少しのあいだ不在にしますので、宜しくお願いしますね」
「そんなあ、エリゼお姉様……」
ルシルが抱き付いてくる。
「ボタンは一人で付けれるようになったでしょう?」
「まだ下手だもの。お姉様に教えて欲しいの。早く戻って来て下さいましね」
甘え盛りの頭を優しく撫でる。
サターニャも寂しそうにしていた。
「殿下の付き添いだなんて光栄なことだけど……私だってエリゼさんにはユミルの郷土料理を教えて欲しいのよ?」
「もちろん約束です。私もサターニャさんの故郷の料理を食べたいですから」
最初に会った頃はこんなふうに話せるようになるとは、思ってもいなかった。
セラムが何か言いたげにエリゼを見る。
「エリゼさん、あの……ええと」
「……セラムさんは優しい人です。自信を持って下さい。あなたのお兄様は、きっとあなたを案じていると思います」
彼女がカレル離宮に来た経緯の一つで、コンプレックスでもあることだった。複雑そうな顔をしたのも一瞬、彼女はいつもの強気な態度に戻った。
「そんなことあなたに言われなくてもわかっていますわ。でもそうね。ルシルとサターニャといっしょに、いつかわたくしの実家に招待して差し上げます。とっておきの紅茶をご馳走しましょう」
ふんと鼻を鳴らすセラム。
いつの間にか、ルビィが足元にすり寄って来ていた。落ち込んだ時に、いつも不思議とそばに寄り添ってくれる。思えばこの子犬にも、ずいぶんと支えになってもらったものだ。
つらいだけの、苦しいだけのはずだった場所に、大切な人たちができた。
「リゼットさん、ちゃんとみんなを守って下さいね」
「急にどうしたのさ? 守るって何から?」
「また幻獣が現れないとも限らないでしょう。今度は私はいませんから」
「はっ、大口叩くようになったね」
「約束してくれます?」
「いいよ、約束だ」
互いの手の平をパチンと叩き合わせる。ハイタッチなんてしたのは、多分生まれて初めてだ。
それから一時間後。エリゼはセドリックと共にバルフレイム宮に出発した。
《紅き翼》が接近しているとカレル離宮に警報が鳴り響いたのは、それからまもなくのことだった。
《――約束――》
その見事な景観から、カレル離宮は迎賓館としての用途がある。
風光明媚な趣が来訪者を歓待する一方、周囲を岩壁に覆われたその一帯は、天然の要塞とも言えた。行き来できるルートも限られていて、基本はヘイムダルから特別運行している鉄道のみとなる。
然るにそれ以外の進入経路は、空以外にない。
『高度200アージュを切った。少々手荒な着陸になる。総員対ショック姿勢!』
繋ぎっぱなしの艦内放送にアンゼリカの怒声が響く。
リィンはその警告を、船倉ドックに待機しているヴァリマールの中から聞いていた。
電撃作戦による急襲。降下スピードは落下のそれと、ほとんど大差がない。胃の腑の浮き上がる感覚が一転、下に押し付けられるような加圧がかかる。
急減速だ。
「着陸後、すぐに出る! 準備はいいか!?」
『応!』
ヴァリマールが気勢を返し、リィンは奥歯を噛みしめた。
衝撃と共に床が跳ね上がり、船体の全フロアが激震する。強く係留していたはずの大量の機材が、たやすく散乱していた。宣言通りの荒い着陸だ。
揺れの収束を待たず、展開されていく後部ハッチ。外界の光が差し込み、カレル離宮と思しき建造物が遠くに見えた。
ドックの中央を駆け抜けて、ヴァリマールは外へと飛び出した。広大な敷地には芝生が敷かれ、外周の岩の壁面からは滝が流れ落ち、鮮やかな虹を生み出している。
「綺麗な景色だが、ゆっくり眺めている暇はないか」
『来タヨウダ』
領邦軍の兵士たちが包囲網を敷いてくる。正面、右方、左方。
敵陣の展開が迅速すぎる。これはあらかじめ指示を受けている動きだ。カレイジャスの接近は察知されていたはずだが、地形から着陸位置を予測しての事前布陣など容易なことではない。おそらくは優秀な指揮官がいる。
「けどこちらの予測も外れてはいないな」
カレイジャスを守護するように立つヴァリマール。その足元に光陣が浮き立ち、エマを筆頭にⅦ組総員が転移してくる。
敵勢力をスキャンしたリィンは、仲間たちに言った。
「トワ会長の想定通りだ。カレル離宮には機甲兵が配備されていない。作戦はAプランで続行する!」
彼女がそのように想定した理由はいくつかある。
一つ、そもそも機甲兵の搬入が困難な地形であること。
二つ、皇族の私有地であり、かつ監禁という名目でない以上、近衛兵の枠を超える戦力を保有する越権行為は、貴族連合側の立場を後々にまずくすること。
三つ、正規軍であればなおのこと、この場所に大規模な作戦を仕掛けることはできないという打算があること。
これらの理由から機甲兵はいないと踏んでいたのだが、どうやら予想的中のようだ。
しかしその分歩兵は多い。これから防戦を強いられる最中に、艦内に侵入されたら数で制圧されてしまう。
だから、その前に。
「やるぞ! ユーシスとエマ、頼む!」
『任せるがいい』
『了解です!』
二人の《ARCUS》から伸びる光が、ヴァリマールの核で交わる。《ミラージュ》と《ミストラル》の重奏リンクが発動した。
揺らめく銀色の光がオーロラのように拡がり、そこにヴァリマールの虚像が投影されていく。《ミストラル》によってブーストされた効果範囲はさらに広域となって、騎神の幻影もその数を増やしていった。
銀耀のフィールドに呑まれた兵士たちは隊列を乱しながら、銃を明後日の方向に乱射し始める。
その隙にリィン以外のⅦ組メンバーは敷地のど真ん中を突破し、カレル離宮の中央棟を目指した。
「俺たちは重奏リンクを可能な限り持続して、敵の混乱を長引かせる。ヴァリマール、まだいけるか?」
『問題ナイ。
「わかった。30パーセントを切ったら艦内に後退する」
遅れてカレイジャスから出てきた《レイゼル》が、どこかおぼつかない足取りでヴァリマールの横に並んだ。
「操縦は慣れたか?」
『昨日の今日で慣れるものか!』
通信からパトリックの
アリサが選定したレイゼルのサブパイロットは彼だった。
『まさかいきなりこんな本格的な実戦に駆り出されるとは思ってなかった。だいたい、なんで僕が選ばれたんだ……!』
「アリサも意外そうにしていたよな。ただセンスはあるって言ってたし、適性試験に参加した中では一番安心して任せられるからだろう」
『機体に傷をつけたら反省レポート十枚書けって脅されてるんだが!』
アリサは離宮突入班だ。その間の操縦士はパトリックが務めるわけだが、さすがに動作がぎこちない。
『これで本当に機能制限かけてるのか!? 操縦方法も簡略化したモードだと聞いているが、相当複雑だぞ!』
「アリサ基準だからな……。ただ機甲兵はそこにいるだけで敵への牽制になる。とにかく転倒しないようにだけ気を付けてくれ。ヴァリマールはもう下がらせてもらう」
『くそっ、了解だ』
ヴァリマールはこれ以上は戦闘に参加せず、今使用した分の霊力の回復に入る。
艦内に戻りかけて、リィンは機体を止めた。
「パトリック。これを渡しておく」
『なんだ?』
差し出したのは、今日までずっと使ってきた機甲兵用のブレードだった。
「アサルトラインもブレイズワイヤーも使えないんだろう。ついでにヴァルキリーブーストも使用不可って聞いてる。これを持つといい。レイゼルは元シュピーゲルだから、規格は合うはずだ」
『鋼線なんぞよりはよほど扱いやすいが……いいのか?』
「どのみちヴァリマールは戦えない。それでみんなを守ってくれ」
『剣の誓いか。まさか君と交わすことになるとは思わなかったな。……受け取らせてもらおう』
ヴァリマールからレイゼルに剣が託された。紅翼の守護者の手に渡ったブレードが、陽を浴びて燦然と輝く。
リィンは核から降りた。重奏リンクの効果が消えていく。
まもなく兵士たちの攻撃が再開されるだろう。仲間の後を追って、リィンは駆け出した。
●
カレル離宮、中央棟。
建物は西棟と東棟が隣接していて規模も大きいが、アルフィンから離宮内部の構造について説明を受けたおかげで、ある程度の目星はつけることができていた。
東西の二つの棟は、それぞれ内勤の兵士と侍女の詰め所になっているらしい。おそらくセドリックたちが囲われているのは中央棟の貴賓室のどこか――もしくはこの騒ぎで移動させられるとしたら最奥に位置する応接の間だという。
「ヴァリマールの霊力が規定値まで減少したようですね。プラン通り、リィンさんは遅れてくるはずです」
エマが魔導杖を携えた。
巨大なドーム型のエントランスにⅦ組が踏み込んだタイミングで、重奏リンクの効果は切れた。館内にまで及んでいた幻惑が薄れていく。
さすがは皇族所有の公的施設というべきか。中世の意匠も盛り込んだ格式高い建築様式が随所にうかがえ、周囲を覆う壁には全面に細かな紋様が彫られていた。洗練された迎賓の空間。本来ならば、荒事など許されるような場所ではない。
エマに倣い、ユーシスも魔導剣を引き抜いた。
「ここまで戦闘を回避できただけでも御の字だ。ここからはそうもいかんだろうがな」
気配を鋭敏に感じ取ったフィーとガイウスが全員に警戒を促す。
「正面から六人来るよ」
「右の扉からは五人。館内警備の控えはまだ多いようだ」
二人が言った直後に、幾人もの慌ただしい靴音が近づいてくる。
領邦軍の軍服に身を包んだ兵士たちが、フィーたちの言った通りの人数で現れた。
「《紅き翼》か何だか知らんが、この場所をどこだと思っている! 不敬の極みだと知れ!」
怒気を散らす小隊長らしき男に、「その言葉、そのまま返すわよ」とアリサは弓に矢をつがえた。その横で蒼耀剣を振るい、「まったくだ。鏡でも見てくるがいい」とラウラも呆れ顔を浮かべる。
腰を落としたエリオットがムービングドライブの駆動準備に入り、軽快に飛び跳ねたミリアムはアガートラムを呼び出す。
全員の臨戦態勢を見て取ったマキアスは、ショットガンを上方に向けた。
「ここからは強行突破だ。作戦中に生じるであろうあらゆる器物破損についてはオリヴァルト殿下が受け持って下さると――アルフィン殿下が仰ったからな!」
発砲。天井に吊られていた豪奢なシャンデリアが、散弾によって容赦なく撃ち抜かれる。直径1.5アージュほどもある立派な装飾照明が落下し、けたたましい音を立てて磨き抜かれた床に散乱した。確実に100万ミラは下らない一品だ。
「なんという狼藉ィ――――ッ!!」
飛び出さんばかりに目を血走らせた敵の怒号が、開戦の合図だった。
サーベルを持った兵士たちが特攻し、その後方からライフル弾が襲い掛かる。
「ガーちゃんシールド!」
形状変化したアガートラムが全員を覆う横長の盾となり、激しい攻撃を阻む。盾の両端から飛び出したラウラとガイウスが前衛の兵士を一息で切り伏せた。
後衛からの銃撃は続く。
エマが敵の背後にユーシスを転移させた。すでにチャージが済んでいる魔導剣を床に突き立てる。
その音に気づいた兵士たちが振り返った時には、すでに彼らの足元に巨大な十字の光が走っていた。空属性《エクスクルセイド》が発動し、遥か頭上まで衝撃が噴き上がる。ちょうどその位置にあったシャンデリアも光の柱の威力に呑み込まれ、あっけなく粉砕した。キラキラと光の粒が舞い、これで合計200万ミラが逝った。
「初手は上々だ! 止まらず最奥まで行くぞ!」
一帯の敵を全て無力化し、ラウラが言う。
一同、エントランスを抜ける。
立ちはだかる敵は迅速に倒して前進。順調に館内の中腹まで探索を進めることができた。
「だいぶ迎撃の兵士たちが少なくなってきたが、予想よりも離宮内部に敵が残っていたな。もっとカレイジャス側に集中していると思っていたんだが……」
連絡通路の中程で、マキアスが息をつく。ユーシスは彼に並び、
「侵入されるところまで想定しての布陣だろう。急場の判断だったはずだが、仮にも近衛兵と言ったところか。逆にカレイジャスがどこまで持ちこたえられるかわからん。急ぐぞ」
「君に言われるまでもない」
足を早め、隊列の先頭に出たマキアスは、ふと通路の先の物陰にうずくまる人影を見つけた。反射的にショットガンを持ち上げる。
「誰だ!」
「ひっ! 撃たないで下さい!」
人影は三人。服装から侍女だとわかった。
すぐにエマが制止する。
「マキアスさん、銃を下ろして下さい」
「あ、ああ。わかっている。すまなかったな。君たちに危害を加えるつもりはないんだ。安全な場所まで避難してくれ」
「あ、ありがとうございます! そのようにさせて頂きます! さ、二人とも行きましょう――」
瞬間、立ち上がろうとした侍女の目付きが鋭くなる。
「――と言うとでも思いましたかっ!」
いきなり懐に踏み込んだ侍女は、マキアスのあごに強烈な頭突きをかました。「ぶっ!?」と予想外の一撃にのけぞった刹那、「ルシルさん、サターニャさん!」と合図が飛び、残る二人も弾かれたように動いた。
一人は隠し持っていた調理道具のおたまでマキアスの顔面を打ち据える。眼鏡にヒビが入った。さらにたじろいた隙を突き、もう一人が裁縫セットから取り出した待ち針を足の甲にプスリと突き刺す。
「ヒィアァ――――ッ!!」
今度こそレンズが割れた。
悶絶するマキアスにおまけのローキックを三発入れて、三人の侍女は走り去っていく。
「あーばよですわ!」
「ぬうう! 待て!」
痛みをこらえ、マキアスは彼女たちを追う。「お前こそ待て!」とユーシスが止めたが、眼鏡の恨みの方が強かった。
通路の行きあたりを右に。その出会い頭。曲がり角にずんぐりした機械人形が待ち構えていた。
「な、なんでこんなところに」
オーロックス砦にも配備されていた《スレイプニル》だ。腕のガトリングがマキアスに向けられる。
じゃこんと弾丸が装填される音。マキアスは後ろに飛び退こうとしたが、この位置からではどうやっても間に合わなかった。
眼前でズドンと砲撃音が爆ぜる。
瞬時に身が強張り――しかしマキアスは無事だった。
「え?」
《スレイプニル》の胸部から黒煙が噴き出ている。鋼鉄の装甲に大き目の石ころがめり込み、しかもそれはいまだに激しく回転を続け、人形兵器の内部にダメージを与え続けていた。
「こ、この技は……!」
「レーグニッツ投法イレブンスフォーム《エンドレスペイン》。詰めが甘いな、マキアス」
「と、父さん!?」
マキアスの後方からスーツの男性が近づく。カール・レーグニッツが石片を手に笑っていた。
「その反応だと、私がここにいるとは知らなかったようだな? なんにせよ、お前が無事で良かった」
「父さんこそ、立場が立場だからどれだけ心配したか――って、後ろのそれは……!?」
カールの歩いてきた道に、おびただしい数のスクラップが転がっている。人形兵器の残骸のようだった。
「ああ、いつの間にかこんなものまで配備されていてね。無粋だったからここに来るまでに破壊させてもらった」
石の欠片を手の平でもてあそびながら言う。
絶句するⅦ組を前に、彼は平然と続けた。
「カレル離宮奪還作戦と理解したが、それでいいかな? であれば陛下の元まで案内しよう。ついてきなさい」
戸惑いながらもその背についていく。
最短ルートでほどなく最奥の間までたどり着いた。カールは扉の前で一度立ち止まると、身だしなみを整える。落ち着いたノックのあと、重厚な造りの扉が左右に開かれた。
室内は広く、天井は高い。壁は一面がガラス張りで、カレル離宮の美しい景観が一望できた。
会合や式典にも使用されるこの応接の間の一番奥に、ユーゲント皇帝とプリシラ皇妃の姿があった。
謁見に慣れない面々の中で、四大名門のユーシスが一歩前に出てかしずく。
「陛下。アルバレア家のユーシスでございます。謝罪させて頂くことは数多くございますが、まずはこの場から――」
言葉の途中でユーシスは眉をひそめた。
「セドリック皇子は……」
「もういませんよ」
少女の声。漆黒の巨躯――クラウ=ソラスの腕に抱えられたアルティナが、ふわりと宙から降りてきた。
彼女はユーゲントたちとⅦ組の間に着地する。
「アーちゃんだ! やっほー」
「そのテンションが理解不能です。私はあなた達の行動を阻害しにきたのですよ」
ぶんぶんと手を振るミリアムを、アルティナは疎ましげに見やった。
「ねえ、アーちゃん。エリゼは? エリゼもここにいるんだよね」
「数時間前までいましたが、今はいません」
「え、じゃあどこに行ったの?」
「無用な会話をするつもりもありません」
「ツンツンしてるぞー。せっかくバリアハートで仲良くなったのに~」
「そのバリアハートで言っておいたでしょう。次に会う時は容赦しないと」
クラウ=ソラスの双腕が鋭い刃状にトランスした。
「困ったな。でもエリゼは絶対に助けたいんだよね、ボク」
対するアガートラムは体を不定形な液状へと変えた。
黒と白の傀儡が威圧を放ち、ミリアムとアルティナが対峙する。
「いいよ、お姉ちゃんが受け止めてあげる」
「あなたを姉などとは認めません……!」
●
仲間に遅れること少し。リィンもカレル離宮への侵入に成功していた。
先行組が派手に暴れてくれたらしい。敵の兵士はほとんどそちらに引きつけられている。
「よし、行くか」
作戦はこうだ。
カレイジャスの急襲で、可能な限り敵を外におびき出す。
ヴァリマールの重奏リンク、《ミラージュ》と《ミストラル》で広範囲の敵を幻惑し、先行チームの突入を容易にする。
先行チームは離宮内部の兵士を減らしながら、皇族の保護を最優先。
そして後続のリィンの役目は、エリゼの捜索だった。
「……みんなには感謝だな」
陛下たちの居場所は概ね推測できたものの、エリゼの所在までは見当がつかなかった。この中央棟にいるのかも不明だ。
本来の優先度や効率を考えれば、自分も先行組に合流して、まずは皇族の身の安全を確認する。その後にエリゼを探しに行くべきだった。
トワ会長が単独行動ありきの作戦プランを立てたのは、つまりは俺に配慮してくれたのだろう。
申し訳ないと思う反面、逸る気持ちがあるのも事実。やはりありがたかった。
一階に人の気配はない。
警戒しつつ、リィンは見つけた階段で二階に上がる。
長い通路。そこに敷かれたいかにも高級そうな絨毯はめくりあがり、あちこちが破け、泥土に汚れていた。
「戦闘の跡か。かなり派手にやっているみたいだが……心配だ。修繕費が」
オリヴァルト皇子、すみません。あなたが西部でがんばっている間に、東部では負債額だけが膨れがっています。
その時、犬の鳴き声がした。
「っ!」
軍用魔獣まで放っているのか。
一瞬思ったが、そうではなかった。今の鳴き声には覚えがある。
茶色の毛並の子犬が、前方からリィンに向かって走ってきた。間違いない、あの犬は。
「ルビィ! なんでここに――ってそういうことか」
三か月の間、第三学生寮で世話をした子犬。ルビィは体育祭のあとにアルフィン皇女に引き取られたのだ。
バルフレイム宮で過ごしてまもなく内戦が勃発し、カレル離宮に移されたのだろう。ただそのタイミングでアルフィンはヘイムダルを脱出しているから、ルビィを連れ出す手配をしてくれたのは、きっとセドリック皇太子だ。
「久しぶりだな。ちょっと大きくなったか?」
嬉しいらしく、じゃれてくるルビィ。その頭をひとなでしてやったリィンは、ルビィの首に白い毛糸で編まれた袋がくくられていることに気づいた。
「これはもしかして……確かエマがエリゼに作ったっていう」
セリーヌにプレゼントしたマフラーの余りの材料で作った小袋。まじないをかけて編み込んだお守りだから身に付けておくようにと、《パンタグリュエル》での別れの際、エマがエリゼに告げていた。
そのお守りをルビィの首につけている……?
「それに中に何かが入って――」
袋を開けようとした時、不意に空気が尖った。リィンは素早く身を返す。足元に着弾の火花が散った。ルビィを逃がしつつ、腰の太刀を抜く。
振り返った視界の中で、一人の兵士がライフルの筒先をこちらに向けていた。
間髪入れず、リィンは攻め込む。
今の一発、かなり狙いが正確だった。事前に気配を感じていなければやられていた。立ち位置は長通路の中央付近。回避しつつ後退し切れる距離ではない。
さらに引き金が引かれる。走りながら無理やりに態勢を変える。銃弾が頬を擦過した。
太刀の間合いに入る。鋭く見舞った斬撃は、金属でカバーされたライフルの銃身で受け止められた
「やるな……!」
「そいつはどーも……!」
声を聞いてハッとする。顔を間近で見て、相手は女性だとわかった。後ろで束ねたブロンド髪が波打つ。
胸にはバッジ、腕には腕章も巻いてあった。
「あんたが指揮官か!?」
「まあね。副隊長兼隊長業務代行だよ。宜しくどうぞ」
「それならもう隊長でいいと思うが」
「同感だ。けどこっちにも色々事情あるんだよ――っと!」
互いに武器を押し払い、わずかに間が離れる。副隊長だと名乗った女性兵士は、半身になりつつ器用にライフルを持ち替え、この至近距離でも銃口を向けてきた。
リィンは柄頭でライフルをかち上げ、射線から逃れる。逸れた銃弾が、天井に弾痕を残した。
すかさず接近し、また太刀とライフルが鍔競りあう。
「おかしいとは感じていた。《紅き翼》が積極的な攻撃を仕掛けてこず防戦に徹していることも、離宮に攻め込んできた奴らがやたらと目立つ戦いをしていることも。別動隊がいるだろうって思ってたよ」
「勘がいいな」
「それが取り得のようなもんでね。でも別動隊が一人ってのは想定外だ。あんたの目的は?」
相手は身のこなしが巧みだ。力で押そうとしても、上手くいなしてくる。刃の動きに緩急をつけても、先を読んで密着してきた。
おそらく勝負は一瞬で決まる。
「この先に助けると約束した相手がいる!」
「奇遇だね。あたしもここを守るって約束があるんだよ!」
勢いよく縦回転させた銃身を肘で挟んで半身になる。さっきの至近距離に対応した構えだ。
敵の指がトリガーにかかったのと、太刀を手離したリィンの拳打が水月を捉えたのは同時だった。
「ぐっ、この……っ」
ライフルが床に落ち、女性兵士はくずおれた。意識も失ったようだ。
予想外に強い相手だった。
通路の向こうでルビィが身を伏せている。先に進まなければ。
エリゼ、いったいどこにいる。
「う……」
うっすらと目が開く。
あの刀使いはどこだ。もう行ってしまったのか? ずいぶん若かった。
あたしはどの程度気絶していたんだ。太陽の位置を見るに、まだそれほど時間は経過していない。
「いって……」
みぞおちをさすりつつ、どうにか身を起こす。最後の一撃は手加減されたらしい。そうでなければ人体急所を突かれて、ここまですぐには動けない。
なめた真似をしてくれる。
「リゼットさん!」
三人分の足音が近づいてくる。セラムたちだ。
「侍女には退避命令を出したはずだよ。なんでまだこんなところにいる?」
「な、何か手伝えることがあるかと思いまして」
「ばか」
「で、でも眼鏡の暴漢は仕留めましたわ」
「いいから撤退だ。兵士たちにも撤退命令を出す。ここの防衛はすでに崩れてる」
「そ、そんな! 皇族の方々の警護はどうするのですか!?」
「《紅き翼》の目的はその皇族の保護だろ。あるべき形に戻るだけだ。危害を加えるはずもない」
指揮官としては正しい判断だった。
カレイジャスの保有する機甲兵は積極的な攻撃をしてこないらしいが、あれに構えられている以上、歩兵隊は攻めあぐねてしまう。
敵の先行班の突破力も大したものだった。今頃は最奥部にまでたどり着かれているかもしれない。
「いいね、必ず逃げるんだよ。けど帝都には行っちゃだめだ。あの近辺は正規軍と貴族連合の全面戦闘の場になり得る。復旧している鉄道で可能な限り離れて、できるならそれぞれの実家に戻りな。……あんた達にも世話になったね。元気でやるんだよ」
「何を急に……一生のお別れみたいなことを」
リゼットはライフルを手に、よろと立ち上がった。
「そんな体でどこに行くんですの!? あなたも退避するんでしょう!」
「ちゃんと逃げるよ。やることやってからね」
きっと今までなら、もっとあっさり退避していたと思う。
エリゼ。あんたに出会って、あたしは少し変わったのかな。ちょっと要領が悪くなった気がする。それが良い変化かなのかはわからない。でも嫌な気はしないね。
短い期間だったけど、あんたがいてくれて楽しかった。
最後にあんたとの約束を守らないと。
約束。約束?
「………あ、れ」
エリゼとの約束ってなんだっけ。変だ。思い出せない。
――ああ、そうだ。この場所を守るって言ったんだ。そういえば今、やることやるって口に出した。なんだろう、頭の中がごちゃついてる。
そのやることっていうのが、エリゼとの約束だっけか……?
視界がかすむ。思考がぼやける。耳鳴りがする。空気の味が苦い。
「約束……やること……」
うわごとのようにつぶやき、リゼットは歩き出す。
「リゼット……さん。そ、それ、なんですの?」
セラムの問いにリゼットは反応しなかった。
彼女の足元から黒い霧が立ち昇っている。
●
アガートラムのパンチがクラウ=ソラスを吹き飛ばす。
「あっ!」
「ふっふーん、ボクの勝ちだね」
ミリアムが胸をそらし、アガートラムがガッツポーズを決める。
クラウ=ソラスに駆け寄ったアルティナは、ギュッと唇を噛んでいた。
戦闘は一方的だった。というより終始、ミリアムがアルティナと遊んでいた印象だ。
クラウ=ソラスがどのようなトランスで攻撃を仕掛けてきても、アガートラムはそれを上回る変化で対処する。その果てに入ったクリーンヒットで勝負はついた。
「……なんで」
「アーちゃん、くやしいの?」
「くやしいという感情なんかありません」
震える声で言う。
「それくやしい時の顔だけどなー。じゃあ怒ってる?」
「怒ってもいません!」
「わっ、ごめん!」
アルティナはフードを目深にかぶり、自分の表情を隠した。
「私の方がスペックは上なんです。それは間違いないんです。それなのに、どうして勝てないんですか。どうして私にできないトランスを、あなたができるんですか」
「んー……色々なものを見たからかな。たくさんの場所を見て、たくさんの人に会って、たくさんのことを感じたから」
「同じことをすれば、私にもできますか?」
「きっとできるよ。ボクはまだ〝悲しい”がわからない。でも〝楽しい”ならわかる。そういうの一つずつ増やしていけばいいんじゃないかな」
しばしの沈黙の後、さらにフードを深くかぶる。
「……今日は帰ります。任務失敗です」
倒れていたクラウ=ソラスが起動し、アルティナのかたわらに移動する。彼女を抱きかかえると、ふわりと浮上した。
「またねー。ところでボクのあげたベレー帽、大事にしてくれてる?」
「一人でいるときに時々かぶったりは――い、いえ。もらったことさえ忘れていました」
ガラス張りの壁を熱線で円状に溶かすと、その破孔からクラウ=ソラスは離脱した。
アルティナの離脱と同時、出入り扉が開いて、リィンが室内に入ってくる。
辺りに視線を巡らせ、彼は言う。
「みんな、遅れてすまない。でも無事に陛下たちをお護りできたみたいだな」
ユーゲントとプリシラに貴族の一礼をしたリィンは、カール・レーグニッツにも頭を下げる。
マキアスの父さんもここに囚われていたのか。しかしエリゼの姿は見当たらない。広い館内だ。そうそう都合よく発見できるとも思っていなかったが。
「俺の方の報告だが、エリゼは見つけられなかった。西棟か東棟にいるんだと思う。できれば陛下の護送班と捜索班で編成を組み直したいんだが」
「そ、それがね、エリゼちゃんは――」
「彼女はセドリックに同行し、バルフレイム宮に赴いている」
アリサの説明をユーゲントが継いだ。そこまでの情報は先行班の面々も知らなかったらしく、一様に驚いていた。
「バルフレイム宮? な、なぜです」
質問をしかけたリィンの動きが止まる。
肌が粟立つ。妙に空気がざわついていた。
異変を察知したガイウスとフィーも警戒を張り巡らせている。
どこからだ。なんだ。この嫌な感じは。
心臓が早鐘を打つ中で、その原因を一番に見つけたのはリィンだった。
応接間の割れたガラスの向こう、外側。離れた場所に、いくつかの大きな木が立っている。その内の一つの大木の太い枝の上に、人影があった。
流れるようなブロンド髪。さっきの女性兵士だ。彼女はライフルを構えていた。
銃口の向きは俺じゃない。誰だ。誰を狙っている。
射線は、射線の先は――!
「そこから動け、アリサっ!!」
「え?」
アリサは戸惑い、足を止めたままだ。間に合え。すぐに彼女の元へ。
乾いた銃声が響いた。
伸ばした手が、アリサを突き飛ばす。
血しぶきが視界に散った。
自分の左胸から鮮血が噴き出している。
急速に床が近づいてきた。
こちらを見るアリサの目が見開かれた。
「リィン!!」
「……リィン?」
その女の絶叫が届き、リゼットはライフルの引き金から指を離した。
闇のような霧が――体を覆っていた黒い意思が薄れていく。熱の引いた頭に、いつかの会話がよぎった。
〝兄貴の名前は? そういえば聞いてなかった”
〝リィンです。リィン・シュバルツァー”
「あ、ああ……!」
理解した、全部。
あたしが撃った。エリゼの兄さんを。あの子の一番大切な人を。
助かるか? いいや、助からない。たとえばそこが病院の中で、治療の手段がそろっていたとしてもだ。もう、絶対に助からない。どこを撃ち抜いたかはわかっている。
なんで飛び出してきたんだ。たまたま自分と同じ髪の色をしていたからあの女が目についただけで、あたしは別にあんたを撃とうとは――
そうじゃない。そもそも、なんであたしはこんなことをしている。
こんなことをして何になる。撤退命令を出して、自分も退いて済む話だろう。侵入者の一人二人を撃って、どうなるものでもないことは理解していたはずだ。やることってなんだよ。なぜこんな、無意味なことを。急に考える力が鈍って、憎いって感情だけが膨れ上がって――
どこからおかしくなった。
まとまらない思考がぐるぐるとループする。詮無い言い訳ばかりが浮かんでくる。
「だ、だって変でしょ。エリゼはここを守ってくれって。兄貴が来るんだったらそんなこと……」
エリゼはこのタイミングで《紅き翼》が来るなんて知らなかった。守るって何からって聞いた時に、幻獣が――なんて言っていた。あいつも想定していないことだったんだ。
しかもどうしてあたしはその可能性に気づけなかった? エリゼとは顔が似ていなかったから? 馬鹿いうな。血が繋がってないって知っていただろ。
リィン・シュバルツァーがカレイジャスに乗艦していることまでは、エリゼから聞いていた。その立ち場や役割なんかは知らないけど、《紅き翼》というワードが出ただけで想像しておくべきだった。
いや、そんなややこしい話でもない。
〝この先に助けると約束した相手がいる”
その言葉だけで、十分に察せたはずだ。いつもなら簡単に頭を回せるのに。なんで今日に限って。
悔恨など遅い。謝罪は意味を成さない。
「エリゼ……あたしは……」
もうあんたに会えないよ。会わせる顔がない。再会を誓った兄妹の約束を、この手で奪ってしまった。
呆然自失の腕が力なく垂れ、ライフルが手から滑り落ちる。
応接の間にいる一人が、こちらに向けて剣を振るった。いきなり正面から突風が荒び、リゼットは木の上から吹き飛ばされた。
地面に転がった彼女に、滞空する鏡面装置が迫る。
相手の反撃だ。逃げる気力もなかったし、ここでやられてもいいと思った。
だがそれ以上の追撃はなかった。ただの威嚇だったようだ。それどころではないのだろう。
リゼットは踵を返し、カレル離宮を一人離れる。
ライフルは拾わなかった。
最初は熱かったのに、今はひどく寒い。
撃たれたことはわかったが、なぜか痛みは感じなかった。
「ア、リサは、無事か……」
「しゃべらないで! 私は無事だから!」
もう目が見えなかった。
「止血を! 早く!」
「エマ君、回復術は!?」
「さっきから試していますが、この傷の位置と失血量では……!」
「撃ってきたやつは!?」
「吹き飛ばした! カーテンを閉めろ!」
「リィン! リィン!」
耳も遠い。言葉が反響して、誰が誰の声かも判別ができない。
俺はもう、終わる。
エリゼ、すまない。
クロウ、お前もなんとかするつもりだったんだ。
重奏リンクとオーバーライズを合わせて、Ⅶ組全員でクロウの過去と感情を理解する。きっと救い出せると思っていた。越えないといけない障害はたくさんあるけど、先輩たちも何かを考えているみたいだったし、みんなで手を伸ばせば届くって、そう信じていたんだ。
意識が深い闇へと落ちていく。記憶の深淵へ。けっきょく、自分のこともわからないままだった。
凶弾に倒れたギリアス・オズボーンと、伏した自身の姿が重なって映る。
父さんと同じ場所を撃たれたよ。
父さん? 俺の父さんはテオ・シュバルツァーだ。あんたは関係ない。どうしてあんたの姿が、ここで出る。
「リィン! お願いだから目を開けて!」
「呼吸をしろ、リィン! 頼む!」
アリサとラウラか……
俺は君たちの想いに何も返せなかった。自分の頬に何かが滴る。これは二人の涙――
彼方から澄んだ歌声が聞こえた気がした。
「こ、これは
誰かが言う。
遥か遠く、帝都ヘイムダル。魔女の歌声に導かれるように、バルフレイム宮が禍々しい変容を始めていたが、もはやリィンには関係のないことだった。
〝この中の誰かが命を落とすわよ”
消えゆく意識の欠片が、ベリルの予言を思い起こさせる。
ああ、俺で良かった。
それだけを最後に思い、リィンは全てを失った。
――第Ⅱ部 完――
《約束》をお付き合い頂きありがとうございます。
これにて長かった第二部も終了となります。時の結界を砕きまくった結果、どうにか閃Ⅳ発売に間に合いました。
一応、シリーズ発売直前の最終更新で節目の話までは終わらせるという自分ルールがありまして、
閃の軌跡Ⅱ(発売日の四日前に虹の軌跡の本編を完結)
閃の軌跡Ⅲ(発売日の四日前にオーロックス砦戦終了)
閃の軌跡Ⅳ(発売日の四日前に第二部終了)
こんな感じだったりします。
というわけで閃Ⅳプレイにあたり、閃Ⅲの時と同じく、少々お休みを頂戴いたします。
ここからは皆様と同じく一プレイヤーとして、リィンの旅の締めくくりを見守りたいと思います。
次回からは虹の軌跡Ⅱ、終章です。新話更新は閃Ⅳクリア後に再開予定ですが、時期などについては活動報告に上げさせて頂きます。
それでは誰にとっても、良いエンディングを迎えられますように。