虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第105話 想いの還る場所

「命を落とす……? 俺たちの誰かが?」

 悪い冗談だと、そう言って流せなかった。少なくとも今の時点では何も起きておらず、その兆候と呼べるものさえないのに、気味の悪い実感だけが胸の奥に沈んでいく。

 問い返せずにはいられなかったリィンに、ベリルは淡々と告げた。

「あなたかもしれないし、私かもしれないし、他の誰かかもしれない」

 まるで明日の天気でも告げるかのような気安さだ。口調がまったく変わらない。本当にただの軽口なのではないかと疑いたくなる。

 むしろ、そうであって欲しい。

「つまり……わからない。何も確定していないってことか?」

「予言とは予感よ。魔女とかだったら明確なビジョンが見えるのかもしれないけどね」

「俺は君を魔女なのかもと勘ぐっているが」

「私は普通の人間。どこまでも普通の人間。特別な血統でもない」

 確かにエマやヴィータの持つ独特の雰囲気とは違う気がする。それに本人が否定するのならそうなのだろう。かといって全てを鵜呑みにはできないが。

「私ね、予言ってあまり好きじゃないのよ。たとえば分かれ道があったとして、〝右の道を進めばケガをする”という予言をリィン君にするとしましょう。そこであなたは左の道を進むことにした。すると何の事故も起こらなかった。でもそのことで、ケガをする未来を変えることができたと自信を持って言えるかしら」

「それは……」

「そう、言えない。選ばれなかった方の未来は、その時点でもう観測することはできない。本当に右の道でケガをしたかなんてわからない。予言が当たったからケガを(まぬが)れたのか、外れたからケガを免れたのか、あるいは右に進んだとしても、この予言を受けて注意深くなったからケガにまで発展しなかったのか、結局誰も証明ができない」

「……理解できなくはない話だが、俺の質問に答えたことになっているのか?」

「ねえ、リィン君。未来には無限の可能性があるというけれど、決してそんなことはないわ。何か一つを選ぶということは、それ以外の可能性を全て捨てるってことだもの」

「だから何を言ってるんだ」

「人生も世界も、選択と行動でのみ進む。それは緻密に絡み合った糸のように、深いところで相互に干渉し合ってる。仮にリィン君がアクションを起こさなかったとしても、誰かの選択が、誰かの行動が、あなたに近しい人の命を奪う結果に繋がるかもしれない」

 肌が粟立ってくる。悪寒が全身を支配した。自分の選択じゃなくても不利益を被るというのなら、それはもう止めようがないではないか。

「その未来を回避する方法は?」

「最初のあなたの質問に答えましょう。〝何も確定していない”よ。未来はいつだって流動的。私の予感が外れることを祈っているわ」

 ベリルはリィンに背を向けた。

「待ってくれ。二つ目の質問の答えがまだない」

「未来の回避? さあ……誰かの選択がマイナスの結果になるのなら、あなたがプラスの結果になるような選択をして上書きすればどうかしら。でも言った通り、相互の干渉はどうしたって起こり得る。その時は良かれと思った判断が、巡り巡っていつか他の誰かにとっては別の悪さを呼ぶかもしれない。残念だけど私は女神様じゃないから。因果の糸を解くことも紡ぐことできないのよ」

 離れていく背中にかける声は、これ以上なかった。

 動きようもなく足を止めていると、ふと後方に人の気配を感じた。

「誰だ?」

 思わず声を発した。足早に靴音が遠ざかっていく。

 リィンは走った。通路の角を曲がって、周囲を確認する。誰もいない。だが確かに……。

「今の話、まさか誰かに聞かれていたのか……?」

 

 

《――想いの還る場所――》

 

 

 翌日の朝、リィンは食堂を訪れていた。すでに結構な人数が朝食中だ。

 厨房はどうにか復旧できたらしい。いくつか制限を食らっている機能もあるようだが、そこはニコラスとシャロンの驚異的な腕前、そしてエミリーのサポートでうまく回している。

 リィンは空いていた後ろ側の席に腰かけた。テーブルの端には焦げ跡がある。つくづく大事にならなくて良かった。そしてガイウスが本当に風の人にならなくて良かった。

 ここに座っていると、様々な人間関係の模様が見えてくる。

 とある一卓では、

「ほら、レックス。食べさせてあげるわ。あーんして、あーん」

「だ、大丈夫だって」

「ダメよ、手を火傷してるんだもの」

 レックスとベリルが横並びで食事をしている。昨日までの険悪なムードは嘘のように消え、ベリルの方からべったりとくっついている印象だ。

 あの予言の時の、不吉な雰囲気は微塵もない。

 その横のテーブルではマキアスとユーシスが相席中だ。

「目玉焼きには塩が一番合う。ユーシスもそう思わないか?」

「ソースだろう。正気とは思えん」

「素材の味を最大限に味わうなら塩だ。君は味覚がお子様らしいな」

「半熟の黄身に少量のソースで味を変えるというのは、お前みたいな単純思考にはない発想だろう。まあ、お前が人生の何割かを無駄にしようが、俺には関係ないことだが」

「人生におけるソースの比重はそんなに重いのか!?」

 相も変わらず朝から小競り合っている。だが以前より仲は縮まったらしい。オーロックス砦戦以降、よく二人で行動しているのを見かける。当たり前のように相席しているのがその証拠だ。

 オーバーライズによる相互理解が導いた関係か。そういえばいつの間にかユーシスは彼のことをレーグニッツではなく、マキアスと名前で呼ぶようになった。

 そんな二人を羨ましそうにロジーヌが眺めている。彼女はどうにかあの席に自分もつけないか、朝食のトレーを持ったままうろついていた。早く気付いて、ユーシスも声をかけてやればいいのに。

「こっち来ないでよ」

「空いてないんだよ、他の席」

「隙あらば私に牛乳かけようとするんでしょ!?」

「するか!」

 近くに座ろうとするカスパルを、コレットが牽制する。離れたテーブルから「んふふ。カスパル、こっち空いてるわよ。私になら牛乳かけてもいいから」とヴィヴィが手招きした。「かけないし……ま、仕方ないか」と移動しようとするカスパルを、コレットは何やら物言いたげな様子で、しかし結局は無言のまま見送った。

 その一つ向こうのテーブルでは、アランとブリジットが向かい合っていた。

「あのさ、ブリジット」

「な、なに、アラン」

「……あーっと」

「う、うん」

「水、取ってくれ」

「……はい」

 どこかぎこちない。会話がすぐに止まって、どうにかお互い続けようとして、から回っている感じがある。

 一方、離れ小島にポツンと陣取るムンクは、コッペパンを潰さんほどに握りしめ、「後ろ神の化身めが……」と憎悪もあらわに前のテーブルに座るポーラのポニーテールをにらんでいた。ムンクの精神状態が心配だ。

 なんだかよく見えるのだ、みんなの人間関係が。よく見えるようになったというべきか。それは自分もその一部だと知ったから――

「おはよう」

 わずかに残っていた眠気が飛んだ。アリサがこちらに歩いてくる。

「となり、いいかしら」

「あ、ああ。どうぞ。大丈夫だ。問題ない」

「なにそれ」

 アリサは左横の椅子に座る。その直後。

「問題ないなら、私も失礼する」

 右横にラウラが座った。

 心なしか二人とも距離が近い。なんだ。今から俺に何が起ころうとしている。汗が止まらない。

「構えないでよ」

 アリサが困り顔で吐息をもらす。ラウラもうなずいた。

「アリサから昨日のことは聞いている。気持ちを伝えただけだ。現状は何も変わっていないから、そなたも普段通りに振る舞うがよい」

「い、いや、そう言われてもな。正直困惑している」

「そなたを困らせるのは、実はちょっと楽しかったりする。まあ今までこちらも散々振り回されたのだ。甘んじて受けても良いとは思うが」

「振り回した自覚はない……!」

「朴念仁め」

 ラウラは肩を揺らして笑った。アリサの表情も柔らかい。身が硬くなっているのは俺だけだ。

 この二人にどんな返答をすればいい。今日の午後にはトリスタ入りするというのに。

「それはそうと、リィンの食事は? もう食べたの?」

 アリサが首をかしげる。近いせいか、甘い髪の匂いがふわりと漂う。少し反応が遅れつつも「さっき座ったばかりだ」と返すリィンに、彼女は食堂の一画を指さした。

「連絡回ってたでしょ。これまでみたいにオーダー対応できないから、しばらくはビュッフェ形式だって」

 壁際の長机には、たくさんの料理が大皿に盛られていた。サラダ、スープ、デザート、魚、肉。セルフで取りにいく形式だ。

 なるほど。これで厨房の業務負担を軽くするのか。言われてみれば通達は受けた気がしたが、色々あったせいで頭に入っていなかった。

「急仕立てだけど、けっこう評判いいみたい。座ってて。取ってきてあげる」

「いや、悪いし。俺が行くよ」

「遠慮するな。私も取ってこよう」

 アリサに続いて、ラウラも立ち上がった。

 二人の視線が一瞬合い、そしてリィンに向けられる。無意識に生唾を飲み下した時、「ところで参考までになんだけど、リィンは朝食はパン派? ご飯派?」とアリサが訊いてきた。

「あ、ああ。俺は――」

「米であろう」

「パンよね」

 何気ない会話のはずだが、とても重大な決断に思えた。二人とも笑顔だが含みがある。剣先と矢じりを同時に突き付けられている心地だ。

「えっと、じゃあ両――」

『両方はなし』

 異口同音に重ねられ、目線をテーブルに落とさざるを得なくなったリィンは、うつむいたまま「水を下さい……」と砂漠の遭難者のような乾燥しきった声を絞り出した。

「できれば卵も。生卵で大丈夫だから……」

「いじめすぎたかしら」

「かもしれん」

 その時、スピーカーから警報が鳴った。

『緊急放送。ブリッジ、トワ・ハーシェルより達します。総員、第三種戦闘配置』

 その場の全員が慌ただしく食事を中断し、食堂から出て行く。

 第三種。早すぎないか……?

 リィンはグラスに注がれた水を飲み干した。

 

 ●

 

 戦闘警戒を示す第三種から戦闘準備に入る第二種に移行し、臨戦態勢の第一種に引き上げられるまでに、さほどの時間はかからなかった。

「朝っぱらから、なーんでこんなことになってんのよ」

 かたわらの黒猫が不機嫌そうに喉を鳴らす。警報が響いた時はまだ寝ていたようで、毛並のブラッシングもしないままに駆けつけてくれたらしい。

 リィンはなだめるような口調でセリーヌに言う。

「どうせ陣は敷かれていると踏んでたんだ。遅かれ早かれが、早かったというだけだろう」

「それなら遅かれがいいわよ。はー、朝食を食べ損ねたわ」

「俺もだ」

 結局卵も頂けず、水を胃に流し込むだけの朝食になってしまった。もっとも食べていたところで、まともな味などしなかっただろうが。

 トリスタ入りを目前に控えたカレイジャスは、領邦軍の配置や規模を探り、安全なルートを選定するための哨戒飛行の最中だった。

 操舵を担当するアンゼリカも、慎重に地上の様子をうかがっていたが、バリアハート方面から繋がるトリスタ街道に差しかかる直前でいきなり敵に捕捉されたのだ。

「まさか、たかだか街道沿いの陣地にあんな機体を持ち出してくるなんてね。しかも早朝から即時射撃体勢で待ち構えてたわけでしょ。ヒマなの? 貴族連合って」

「すんなり通すのは沽券に関わるってところだろう。トリスタ入りを狙っていることは、さすがに予測されていたみたいだな」

 すでにリィンとセリーヌはヴァリマールの(ケルン)に搭乗していた。ヴァリマールは前部デッキにスタンバイ中で、その周りには適時の騎神リンクに応じられるようⅦ組の面々も待機している。

 リィンの視線の先、正面モニターには二体の機影が映っていた。

 《ゴライアス》と《ケストレル》だ。ヴァルカンやスカーレットが乗っていたものとはカラーリングが違う。二機とも淡い濃緑色で統一されている。

 カレイジャスが敵機の有効射程内に入ってしまったのは、ゴライアスの長距離砲のせいだった。

 現在、カレイジャスは滞空状態を維持。敵機とは500アージュの距離を空けて、双方がにらみ合っている。

 お互いに相手の出方を見ている段階だ。

『リィン君、聞こえる?』

 ブリッジから通信。トワだ。

『突破しよう』

 その一言が来るだろうとは思っていた。

 たとえば迂回してこの場での戦闘が回避できたとしても、相手はおそらくトリスタまで追ってくる。市街の近くを戦場にするわけにはいかない。ここでカレイジャスがいったん後退したところで、目的地がトリスタである以上、結局は同じことだ。

 操縦桿代わりの水晶球に手の平を添え、「了解です」と応じたリィンに、『すまない』とアンゼリカの謝罪が割って入ってくる。

『私の不注意だった。もっと注意深く空路を選んでおけば……』

「会敵は時間の問題でした。気にしないで下さい」

『操縦しながら頭の中でトワを着せ替え人形にしていたのだが、水着ゾーンに突入した途端に注意が散漫になってしまってね。刺激の少ない水着から徐々に布面積を減らしていくべきだったと反省している。これは迂闊としか言いようがないな』

「それは、その……弁護のしようがないのですが」

 通信先でトワの怒った声が聞こえる。水着の究極形態は絆創膏だと叫ぶアンゼリカの熱い主張が、ブリッジに戦慄を走らせているようだった。

「絆創こ」

「想像してない」

「まだ何の質問もしてないんだけど」

 言いかけたセリーヌにはノータイムで返答する。リボン付きの尻尾で太ももをはたかれた。

「それにしても……よくここまで来たものだわ。初めて騎神に乗ったあの日から」

「褒めてくれるのか? 珍しいな」

「べ、別に。とうとうアタシ専用の席を作らなかったわねって文句言ってるの。ただまあ……今となってはって感じかしら。ヴァリマールの状態、把握してるわよね?」

「わかってる。いけるか、ヴァリマール」

『問題ナイ。最後ノ障害ダ。打チ払ッテミセヨウ』

 ゼムリアストーン製の大太刀はまだ完成していない。機甲兵用のブレードを手に、ヴァリマールはブーストバインダーを展開した。

 発艦を告げ、飛翔。カレイジャスと仲間たちが後方に遠ざかっていく。

 度重なる戦闘で受けた損傷は、すぐには回復しない。騎神戦はあと二回が限度だと、クララにも言われた。

 その内の一回をここで使う。

 

 接近中に撃たれると警戒していたが、意外にも敵機はヴァリマールが目前で着地するまで何もして来なかった。

 ブレードを両手で正眼に構える。

「一応の確認をさせてもらう。お前たちの攻撃目標はカレイジャスで、俺たちをこの先に進ませない為に立ちはだかっている――で、いいんだな?」

 言いながら、リィンは周囲に視線を巡らせた。

 街道沿いからは少し離れ、広いスペースが確保できている。機体能力を過信しているのか、はたまた邪魔になるからか、装甲車での包囲は見受けられない。少々派手に動き回っても、差し障りはなさそうだ。

 行く手を阻む巨体から、操縦士の応答があった。

『無論だ。これ以上、貴様らの好き勝手にはさせん』

 ゴライアスの腕部が重々しくこちらに向けられる。腕の機構に組み込まれている銃口が黒光りした。

 その横でケストレルがナイトソードを振り上げる。あの形状は法剣だ。腰部にはアサルトライフルも装備されている。

『新型の二機だ。灰色の騎士人形、鹵獲などとは言わん。ここで破壊させてもらおうか』

 操縦士は二人とも若い男の声だった。

 オーバルエンジンの駆動音が大きくなる。直後、ゴライアスが発砲してきた。

 大口径の弾丸が、手前の地面を破裂させる。噴き上がった土砂を突き抜けて、ヴァリマールは特攻を仕掛けた。

 横合いからケストレルの法剣が鋭くしなる。急制動をかけ、リィンは上昇した。

 ケストレルはすぐさまアサルトライフルに持ち替えて、扇状の牽制射撃をばらまいてくる。その射撃に合わせるようにゴライアスが全身の火器を一斉に放った。

 空中なら避けきれるか? いや、攻撃の密度が濃い。どう動いても被弾は免れない。

「ミリアム!」

 通信状態の《ARCUS》に叫ぶ。カレイジャスから光が走り、瞬時にヴァリマールの核まで届く。マスタークオーツ《イージス》の力が宿り、機体の前面に巨大な黄金の障壁を顕現させた。

 直撃。連鎖する爆発が空中を赤黒く染めたのもわずか、爆煙が内側から押し拉げられるようにして晴れた。あらゆる砲撃を防ぎ切り、傷一つないヴァリマールが姿を見せる。

 炎を裂いて、急降下。勢いのまま、ケストレルに斬撃を見舞う。相手は俊敏に体を返し、こちらの剣閃をかいくぐった。

「さすがは高機動型か!」

 間髪入れずにひるがえった法剣がうねり、ブレードの刀身に絡みつく。ひねり上げられるようにして、大剣がヴァリマールの手から離されてしまった。

 後方からゴライアスのマシンガン掃射。横っ跳びに緊急離脱。何発かは被弾。削れた装甲の欠片がモニターの中に散る。

「ぐっ!」

「一機でも苦戦させられる性能よ! やっぱりレイゼルも出すべきだったんじゃないの!?」

「そうしたいのは山々だけどな……!」

 レイゼルの予備パーツもストックが少なくなっている。先のスカーレット戦で使用したというフルストームモードのせいだ。外装のダメージはそれほどではなかったが、消耗したフレームと駆動系の一部は交換を余儀なくされた。

 元々の素体がシュピーゲルなだけに、互換性のある部品は極めて手に入りにくい。

 ヴァリマールとの同時出撃で負担を分けるか、それともこの先の戦闘まで見越してレイゼルを温存するか。難しい判断だった。

 結局、レイゼルは待機となった。アリサは納得いかない様子で、トワに抗弁していたが。

「騎神リンクで押し切るしかないわね。《ブレイブ》と《アイアン》がベストかしら? 《エンゼル》で吹き飛ばすのもありだけど」

「さっきはやむを得なかったが、重奏リンクはもちろん、できれば通常のリンクも使いたくない。今の状態のヴァリマールには負担が大きいんだ」

「それでやられたら本末転倒でしょ!」

 セリーヌの指摘が正しいことは、リィンも理解していた。

 どうするべきだ。やはり強力な一撃で短期勝負をかけるか。どちらか一体を倒した時点でなら、レイゼルも呼べるだろう。しかし――

『ははは』

 唐突な笑い声。ゴライアスの操縦士だ。

『灰色の騎士人形とはこんなものか。はっきり言って、このゴライアスやケストレルを使って負ける理由がわからん』

『ヴァルカンとスカーレットだったか? あいつらにはリミット制御の不完全な実験機をあてがわれていた。爆発したんだろ、どちらも。分相応の末路だったとも言えるがな』

 ケストレルからも追従の声が聞こえた。

 侮蔑が滲むその声音に、ピクリとリィンの動きが強張る。

『俺たちは違うぞ。正規の訓練を受け、トップの成績を叩き出した。テロリスト崩れのような野蛮な戦術はとらない。お前の各地での戦闘データも分析してきている』

『しかも俺たちは拠点詰めではなく、《パンタグリュエル》本隊から派遣された機甲兵戦闘のエキスパートだ。お前に勝ち目はないんだよ』

 頭上からゴライアスの両手が下りてくる。押し潰す気だ。組み合う形でヴァリマールがそれを受け止めた。

 ミシミシと機体が軋んだ。過重警報。片膝が折れ、足首まで地面に埋まる。負荷をフィードバックされたリィンの両肩に痛みと熱が走った。

「騎神リンクを使いなさい! 対抗できないわ!」

「ヴァルカンは――」

 膝を立て直す。ブースターの力も借りて、ヴァリマールは巨大な腕を押し返していく。

『ぬっ!?』

「ヴァルカンはもっと強かった」

 手を払いのけ、その胴体に打撃を入れる。強烈な衝撃に、ゴライアスの全身が揺らいだ。

『貴様っ!』

 ケストレルが跳躍し、法剣を薙いできた。軌道を見切って回避。そこから動きを先読みして、大振りの蹴足。着地の瞬間の左肩を捉え、敵機を蹴り飛ばす。

「スカーレットはもっと速かった」

 目を丸くしたセリーヌが「な、なんなの? 急に動きが……」と当惑する最中に、ヴァリマールはゴライアスの脚部に組み付いていた。

「筋違いなのはわかってる」

 ヴァルカンやスカーレットのやってきたことは紛れもなくテロ行為で、そのせいで傷ついた人も多くいる。肯定するつもりはまったくない。

 けれど彼らの最後の戦いは、それまでの人生を懸けたものだった。信念と執念の全てを注ぎ込んだ戦いだった。

 泥臭い生の感情のぶつけ合い。そのような道しか選べなかった傷だらけの人生の清算。機体がオーバーロードしてなお、二人はコックピットから降りようとせず、意地を突き通そうとした。

 今戦っている相手からは主義も主張も感じられない。安定性を増し、性能も向上させた機体に乗り、お門違いの自尊心と優越感を蓄え、命ぜられるままに攻撃対象を殲滅しようとする。ただそれだけ。

 そんなお前たちが――

「あの二人を」

『馬鹿ニスルナ』

 先の言葉を継いだのはヴァリマールだった。

「怒っているのか?」

『不明ダ。ダガ相手ノ言葉ヲ容認デキナイ。コレガ怒リト言ウノナラ、ソウナノカモシレナイ』

「そうか。きっと俺と同じだ」

 意識が拡張されていく。指先に至るまで神経が通った気がする。自分の体が、まるで騎神と一体化したようだ。

 今なら、できる。

「合わせろ、ヴァリマール」

『応』

 それはスカーレット戦の時、ケストレルが発動させたリアクティブアーマーを破る際に、無意識に発した言葉と同じだった。

 周囲に生まれた無数の輝きが収束され、ヴァリマールを淡い光で包む。

 セリーヌが驚いていた。

「これは……霊力(マナ)……!? 操れるようになったの!?」

「扱い方が、なんとなく」

 ようやくわかった。あの時に何を合わせろと言ったのか。

 意思だ。

 俺はスカーレットを救いたいと思い、おそらくはヴァリマールもそう思った。それと同時に霊力が指向性を帯び、リアクティブアーマーを引き裂いた。

 騎神と起動者が、真に意思を重ねること。それが霊力を機体に作用させる条件だったのだ。

「おおおおっ!」

 全力を振り絞る。転化された霊力が出力へと変わる。自機の何倍もある大きさの敵を足元から持ち上げ、ヴァリマールはゴライアスをひっくり返した。背中側から派手に転倒し、地響きと共に大量の砂塵が舞い上がる。

 ゴライアスの脚部は足に見えるが、実際は戦車のキャタピラに似ていて、膝関節に相当する機構がない。つまりバランスを崩すことは想定されておらず、ひとたび転倒すればクレーン等の外部補助がないと態勢を立て直せない。

 要するに、これで終わりだ。

 気を抜く間はない。ケストレルが背後に回って来ていた。分離した法剣が鞭のように迫る。

 その斬撃をヴァリマールは素手でつかんだ。霊力の光が腕に集中する。個々の剣を繋ぐワイヤーごと引きちぎり、形状を保てなくなった刀身のそれぞれが地面にばらばらと落下した。

『ひっ』

 操縦兵の引きつった声が外部マイクからもれだしたのとほぼ同時、ヴァリマールの殴打がケストレルの頭部を砕く。よろめいた隙に背部ブースターも破壊した。

 機動力の要を削がれたケストレルはその場にくずおれる。コックピットから這い出てきた操縦兵が、振り返りもせずに逃げていった。ゴライアスの操縦兵も同様だ。

「……こちらリィン。戦闘は終了しました。今から帰艦します」

 カレイジャスへの通信を終え、リィンは深く息を吐き出した。

 霊力の扱いを体得した。これでゼムリアストーン製の武器が完成すれば、オルディーネと対等に並ぶことになる。それはクロウまで届き得る力ということだ。

 ヴァリマールと共に戦えるのはあと一度。

 その一度に、全てを。

 

 ●

 

 あの日、絶望の淵に立たされた。

 あの日、何もかも壊されたと思った。

 あの日、あの場所を離れてから、一体どれほどの時間が経ったのだろう。

 単なる日数で言えば、まだ三か月と経過していない。けれど時間以上の喪失が、確かにあった。

 それでも前に進むことだけはした。遅々たる歩みでも、誰一人あきらめずに。

 そうして一人一人と合流して、多くを乗り越えて、この日、この場所に戻ってきた。やっと、やっと――

「トリスタ……!」

 リィンの前にあるのはトリスタの町へと繋がるゲート。その奥には見慣れた町並が広がっている。

 彼の後ろにはトワを始め、Ⅶ組はもちろん、学院生の全員がそろっていた。カレイジャスは近隣に着陸させてある。

「リィン君。行こう」

 横に並んだトワが言う。

 うなずきを返し、ゲートの向こうへ足を踏み出しかけた刹那、「待て!」と鋭い制止が響き渡った。

 正面から学院生の集団が歩いてくる。トリスタに残っていた学院生たちだ。その先頭に立つのはパトリック・T・ハイアームズだった。

「久しぶりだな、リィン・シュバルツァー。この町に領邦軍はもういない。僕たちの力で学院を奪還した」

「やっぱりそうだったのか……」

 カレイジャスで上空から確認したが、駐留していたはずの機甲兵は一機もいなかった。彼らが何らかの行動を起こしたかもしれないとは想定できていた。

「僕たちが何もしていないわけないだろう。こちらも相応のことは乗り越えてきているんだ。学院を出なかったからと見くびってもらっては困るな。ふん、まさかこのまますんなり町に入れるとでも?」

「うん? えっと……」

「あー違うの違うの。ごめんね、リィン君」

 パトリックの背中から、フリーデルがひょこっと顔を出す。こちらサイドにいるロギンスとアランがビクリと背すじを伸ばしていた。

「要するにね。帰ってきてくれたのは嬉しいけど、どんな感じで出迎えたらいいかわからなかったわけ。素っ気ない系でいくか感動系でいくかみたいな? で、色々シミュレーションした結果、こんな態度になっちゃったのよ。素直になれないだけで悪気はないから。ただの照れ隠しだから。わかってあげてね、パトリックのこと」

「やめてくれええーっ!」

 パトリックが絶叫する。一瞬で赤面し、首元まで真っ赤だ。下手したら白い学院服まで赤く染まる勢いだ。

「フリーデル部長! なんでそんなことを言うんです!?」

「え? 勘違いされたら可哀想だから」

「勘違いとかないので! 照れ隠しとかないので! くそっ、なんだお前たち、その生温かい目は!? 見るな! 僕をそんな目で見るんじゃない!」

 仲の良い姉と弟の掛け合いのようで、その光景は微笑ましかった。

 一応、リィンは訊いてみることにした。

「それで……俺たちはどうしたらいいんだ? トリスタに入ったらダメなのか?」

「そ、そんなことは言ってない。もう段取りが滅茶苦茶だ……!」

「なんだか悪いな……」

「おい、謝るな! 変な感じになるだろう!」

 とりあえず体裁だけはきっちり整えたいのか、パトリックはビシッと指をリィンに突き付けた。

「君たち全員で僕たちと競争しろ! トリスタレースだ!」

「面倒なこと言ってごめんねー。やっぱりこういうイベントで歓迎の意を表したいっていうか、ひっくるめて言うとそれもパトリックの照れ隠しなんだけど――」

 フリーデルが逐一解説し、またパトリックが叫んでいた。

 

 

「みんな準備オッケー? はい、オッケー。それじゃ位置について、よーい――」

 号令役のフリーデルが腕を振り下ろした。

「ドン!」

 一斉にスタートする。学院に残った者たち、外に出た者たちが入り乱れて、全員が駆け出した。雪崩のようにゲートを抜けて、町の中を疾走する。

 トリスタの町を回り、士官学院を一周し、ゴールである学院の屋上に一番にたどり着いた者が勝者だ。

 なんであれ、勝負は勝負。負けるつもりはない。

 しかし出鼻をくじくように、全力で走るリィンのすぐ前を横切って、丸い物体が突進していく。

「ヴィィーンゼンドザマアアアア!!」

 誰かがデンジャラス肉玉を使ってコース妨害でもしてきたかと思ったが、それは攻撃アイテムよりも危険な代物だった。

 雄叫びを上げながら、マルガリータがヴィンセントへと愛の抱擁――もとい砲弾と見まがう強烈なタックルをぶちかます。「ぷぎぃっ」と声にならない声を体のどこかからはみ出させたヴィンセントは、そのまま建物の一つに思いきり押し付けられた。あの店は質屋《ミヒュト》だ。勢いはそれで止まらず、壁を破壊し、二人は店の中へともつれ込む。店主の悲鳴がこだまし、そしてすぐに聞こえなくなった。

「……ミヒュトさん」

 押し潰されたのだろうか。せめて一目会いたかった。

「うおおお! マッハ号! マッハ号――っ!!」

 歓喜の声を上げ、マッハ号にまたがったランベルトが先頭に躍り出る。ポーラがカレイジャスから連れ出して来ていたのだ。脇目も振らずに黒馬は走り、はね飛ばされたムンクは茂みの中に顔面から突っ込んでいた。

「あれ反則じゃないの!」

「ですわ!」

 アリサの指摘にフェリスも続く。そこにテレジアとエミリーも加わり、ラクロス部も揃い踏みだ。

「イエアアアア!! イエアアアア!」

 今度は頭上からハイテンションな奇声が降ってきた。

 書店の店主、ケインズが店の屋根に上り、ムッキムキのエリオットがペイントされたでっかい応援旗をぶんぶん振り回している。

「猛将! 猛将! 猛将! イエアアアア!」

「あ! ケインズさんだ! 帰ってきたよー!」

「おお、ミント嬢! 《猛将列伝》の普及はいかほどに!?」

「ばっちり! ゼンダー門の人たちは聖書って言ってた!」

「性書!? イエアアアア!」

 ミントが楽しげに手を振る。エリオットは瞬時にコースアウトして、《ケインズ書房》へと突入した。魔導杖を構えて、ムービングドライブを発動させているようだった。

 中央広場を縦断する。

 《ル・サージュ》、《ブランドン商店》、《キルシェ》、トリスタに暮らす人々が外に出てきて、あるいは窓から顔を出して、口々に「おかえり」と声をかけてくれた。胸に熱いものが込み上げてくる。

 あのドタバタした日々を思い出す。

 今みたいに――そう、今みたいに、いつも走り回っていた。

「ユーシス先生だ!」

「ロジーヌ姉ちゃーん!」

 教会の前に差しかかった時、大勢の子供たちが飛び出してきて、ユーシスとロジーヌに抱き付いた。

「みんな……! 元気だった? ごめんね、急にいなくなって」

「お前たち、今はレース中で……ま、待て、離すがいい!」

「ふふ、いいじゃないですか」

 砂場に落とした磁石のごとく、全方位を子供たちに固められた二人はもれなくリタイアだ。この機にロジーヌに抱き付こうとしていた年長組のカイは、幼なじみのルーディとティゼルに速やかに引き剥がされていたが。

 リィンは先頭集団に入っていた。

 士官学院へと続く坂を駆け上がる。さすがに息が切れそうだ。まもなく正門が見えてきた。

「お先」

 フィーに追い抜かれる。疾風のような速さだ。スタミナ切れは起こしていないらしい。

「フィーちゃーん」

 門の横でエーデルが手招きしている。

「あ、部長」

「今日あたりに帰って来るかもって聞いてたから、クッキーを焼いたの。久しぶりにお茶しない?」

「する」

 直角カーブでコースアウト。フィーはエーデルに付いていった。

 足は止めないまま、リィンは訝しげにその背中を見た。

「エーデル先輩って一緒にスタートしたよな……?」

 なんでもうあんな場所で待機してるんだ。謎すぎる。

 フィーたちとは反対方向、リィンはギムナジウム側に曲がる。と、そこに用務員の姿があった。

 なぜかレースに参加していたらしいガイラーは、ぐったりと意識のないケネスを脇に抱えている。

「見つけました! させませんよ!」

 転移術でエマが道の真ん中に現れる。ガイラーはにたりと笑う。

「過呼吸で動けなくなっていた彼を医務室に連れて行こうとしていただけなのだが」

「あなたが出現したから過呼吸になったんでしょう!? それに医務室とか……なんだかダメです!」

「相変わらず想像力が豊かだ。あふれる好奇心の裏返しと見た。実にいいね」

「見当違いですので!」

 ガイラーは一足飛びで跳躍し、ギムナジウムの壁面を軽やかに登っていった。「逃がしません!」とエマは転移術で追いかける。

 二人は何やら別のレースをしているらしい。

「どうした? 疲れが出ているぞ」

「っ、来たか」

 パトリックに追いつかれる。リィンと並走しつつ、「だらしないな!」と彼は激を飛ばしてきた。

「もうへばるのか?」

「誰が!」

「へばったらいいさ。君がいなくたって、大したことはない。見ろ!」

 走りながら、パトリックが裏庭のベンチを指さした。

「脚が折れていたのを僕が直したんだ。ペンキで色も塗ってやった。面倒な作業だったよ!」

 リィンは目を見張る。

 あれが補修したものか? まるで新品じゃないか。肘掛けの形状まで変わっている。

「あの花壇の柵は新しくこしらえた。そっちの水道はよく水漏れを起こしていたからパッキンごと取り替えた。そこの窓のガタつきはフレームの歪みを修正することで改善した。次から次へと、まったく嫌気がさすな!」

 外周を一回りして、正面玄関から校舎の中へ。

 エントランスではサラとハインリッヒ教頭が、いきなり口論していた。

「廊下を走るとは何事かね。ようやく帰ったかと思えば、バタバタと忙しない」

「だーかーらー! レース中なんですって! 仕方ないでしょう!?」

「規律が第一優先だ」

「せっかく一位だったのに~!」

 サラ教官もレースに参加していたのか。彼女を横目に見ながら、リィンとパトリックが傍らを走り抜ける。

「ほら! この二人だって走ってますよ!」

「レース中と聞いている。仕方あるまい」

「はあ~!? 何ハラスメントよ、これ!?」

 不満タラタラのサラを置き去りにして、リィンは階段を駆け上る。全力疾走だが、パトリックを引き離せない。

「はあっ、はあっ」

「ふぐっ、ふぬっ」

 呼吸が苦しい。肺が痛い。しかし立ち止まらない。

 息も絶え絶えに、パトリックが言う。

「この手すりもっ、ぐらついてたからっ、僕が補強した!」

「そう、なのかっ」

「通路のヒビ割れだって! トイレの水詰まりだって! 僕が全部直したんだ!」

 二階を越え、三階へ。

「どうだ! 君がいなくたって何も変わらないだろう! あの日のままだろう! 一つでも失くなったものがあるか!? 壊れたものがあるか!?」

「ない……!」

「強いて言うなら学院奪還作戦の時に、フェリスが割ったクララ先輩の彫像くらいだ」

「それ一番ダメなやつだぞ!」

 脱がされる程度では済まない。粗相に関わった者は、確実に生きた彫像にされてしまう。

 屋上の扉が見えた。最後の力を振り絞って突破する。降り注ぐ太陽の光が視界を白く染めた。

「うーむ、これは……同着かの?」

「ですねえ」

 ゴールにはヴァンダイク学院長とベアトリクス教官が待っていた。二人とも温和な笑顔を湛えて、屋上の床に倒れ込んだリィンとパトリックを見やる。

 挨拶せねばと思ったが、すぐには立ち上がれそうになかった。

 仰向けに寝転がったまま、パトリックが口を開いた。

「よく帰ってきた。一人も欠けずに、よく……」

 ほんの少しだけ、その声は震えていた。

「……ああ、ただいま」

 万感の思いで告げる。学び舎の匂いが、いつまでも懐かしかった。

 

 

 ――続く――

 

 




お付き合い頂きありがとうございます。

ようやくトリスタまで帰ってくることが出来ました。作者としても感慨深いものがあります。これで本当に全員合流ですね!

閃Ⅳ発売までに第二部を終了できるよう、更新速度を上げていきますので宜しくお付き合いくださいませ。
あと三、四話なので神鬼合一したらギリいけると思います。それでも無理ならクロノバースト使います。

あとこの話に合わせて、別作品を投稿しました。
《宇宙よりも遠い場所》というタイトルの原作で、少し前にオンエアーされていたアニメ作品です。
個人的には傑作の域で、思いがけず執筆してしまうくらいの勢いがありました。
原作を知っておられる方は、こちらも合わせてお楽しみ頂ければ幸いです。

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