虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第104話 希望に一輪の徒花を添えて

「なぜだ……!?」

 ガイウスは食堂の扉を開こうとした。しかし開かない。

 食堂には前部と後部に一つずつ、計二つの出入り口があるのだが、その両方が閉じてしまっている。どれだけ力を込めても、まるで動こうとしてくれない。

 カレイジャスにパニックオープン機能があるのは知っている。火災報知器などからの信号を受信した場合、直ちに全てのドアを自動開錠するシステムだ。

「設定がパニッククローズになってるんじゃないかしら。緊急時に閉まっちゃう方の」

 後ろからベリルが言う。彼女の背後では、燃え広がった炎が少しずつ食堂にも迫って来ていた。全面火の海というわけではなかったが、油にも引火したらしく、厨房はもう立ち入れる状態ではない。

「なぜ設定が逆になっているのだ」

「システムメンテナンスをいじったって話してるのを聞いたわ。担当はミントさんだったとも」

「……そういうことか」

 配線の繋ぎ直しを間違えたのだろう。ゼンダー門で整備に携わっていた頃、彼女がメンテした戦車が逆走して、砦のブロック塀に大穴を開けたと聞いたことがある。

 それにしても応援が来ない。これは〝訓練ではない”と強く訴えたはずなのに。もう一度放送したかったが、マイクの調子がおかしくなり、急に使えなくなってしまったのだ。不自然なタイミングだった。

 扉を破って脱出することも考えた。しかし槍がない。清掃用のモップはあったが、柄の頭では打突面が広すぎて、〝石の目突き”は繰り出せそうになかった。

「ベリル。厨房に近い机をこちらに移動させよう。火が移らないようにするんだ」

「いいわよ、もう」

「何を言う。急ぐんだ。必ず誰かが異変に気付く。それまで耐える必要がある」

 扉の外から走ってくる足音が聞こえた。

「初期消火係の到着だぜ。あれ、開かないんだけど」

 その声にベリルの肩が小さく揺れた。

 ガイウスは扉越しに言う。

「レックスだな!? 聞いてくれ。本当に厨房に火災が発生している。食堂側に避難してきたが、火が回ってくるのは時間の問題だ」

「え! マジかよ! 消火剤は撒いたのか!?」

「厨房内にあって取りに行けない。とりあえずドアを開けてくれ。近くに誰かいないか?」

「リィンとアリサはもうブリッジに行っちまったし、このフロアは俺だけだ! 開けるっていっても、そもそもなんで鍵がかかってんだよ!?」

「とにかく人を! 俺とベリルだけでは、この扉を破れない」

「え?」

 レックスの言葉が止まった。

「ベリルがいるのか、そこに」

「そうよ」

 ガイウスと場所を代わり、ベリルが答える。彼女の黒髪を炎が照らしていた。

「おしゃべりするのは久しぶりかしら。別に話したいことはないけれど」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 待ってろ。すぐに助けてやる!」

「いらない。余計なことしないでくれる?」

「な、なんだよ」

 ガイウスも困惑し、「ベ、ベリル?」と呼びかけるが、彼女は振り向こうとさえしなかった。

「この扉は開かなくていい。もうすぐ火と煙が私を包む」

「馬鹿なこと言うなって! お前が死んじまったら――」

「どうなるの? 私の代わりなんて、すぐ見つけられるんでしょ。いいえ、もう見つけてるのかもね」

 ベリルは人差し指で扉を撫でた。どういう意味があるのかはわからない。その後ろ姿はどこか物悲しかった。

「もう終わりにしましょう。私はここでガイウス君と心中するわ」

「お、俺もなのか?」

 

 

 

《――希望に一輪の徒花を添えて――》

 

 

 

 リィンから見て、アリサの手際に非の打ちどころはなかった。

 彼女は誰もいないブリッジの観測席に座り、端末を操作している。不具合を起こしたシステムの復旧という想定だったが、実際に異常をきたしているわけではないので、手順をマニュアル通りに進められるかだけの確認だ。

「……終わったわ」

「もうか? まだ五分くらいしか経っていないが」

「そんなにややこしい操作じゃないもの。マニュアルもあるんだから、迷うことはないわ」

「そういうものか……」

 正直、マニュアルに書いてある内容もいまいち理解できていなかった。

 アリサが言うには、この手のものは専門的な知識がなくても、説明書通りに段階を踏んで対処していけば誰でもできるのだそうだ。

「時間余ったな……というか余り過ぎた。トワ会長に報告に行くか」

「そ、そうね。他のフロアの訓練に参加することになるんじゃないかしら」

 明日はいよいよトリスタに向けて出発だ。

 まずはヴァリマールの様子を見に行こう。航路を阻む敵がいないとも限らない。彼の出撃はあと二回が限度。霊力は少しでも回復しただろうか。

「そういえばさ」

「えっなに!?」

 慌てて観測席から立ち上がるアリサ。なんだか変だ。端末の操作中も、どこか心ここにあらずというか。

「あ、いや。この訓練のあと、Ⅶ組と先輩たちだけで緊急のミーティングがあるだろ。委員長が何かの報告をするらしいんだが、アリサなら内容知ってるかと思って」

「私も知らないわ」

「そうか。委員長の表情が暗かったから、ちょっと気になってさ」

「エマの気落ちした様子には私も気付いてたけど……リィンってそういうのはわかるのね」

 責められてはいないようだった。ほんのわずか、アリサが笑ったように見えた。

 落ち着かない気分になって、リィンは踵を返した。最近、幾度となく身に訪れる、正体不明の落ち着かなさだ。

 ブリッジは操舵席を始めとして各種の専門席が並ぶ下段層と、全景を一望できる艦長席のある上段層の、二層式の構造になっている。

 出入り口のある上層に戻ろうと、リィンが階段に足をかけた時、右腕の袖を後ろから引っ張られた。

「アリサ?」

「最初からそう。鈍感なくせに人のことは気遣おうとして。でも本当に気付いて欲しいことは、全然かすりもしなくて」

 うつむき加減で、袖をつかむ指が震えている。声音も揺れていた。

「いつだって自分のことは後回し。他人を優先して、引くのは貧乏くじばかり。それでも誰かの為に走り回って、文句の一つも言わずに」

「なんの話だ? やっぱり俺、怒られてるのか?」

「あーもう!」

 袖からぱっと手を離し、アリサが伏せていた顔を上げる。赤く腫れた目がリィンに真っ直ぐ向けられた。

「そんなあなたが、私はずっとずっと好きだったの!」

 

 ●

 

 熱の逃げ場がないせいで、食堂内の温度は急激に上がってきていた。

 火は天井に達した時点で、消火噴霧剤では消せなくなる。まだ到達こそしていないものの、もう猶予はない。一刻も早くこの扉を開け、人手を集めなくてはならない。

 だというのに。

「おい、心中ってどういうことなんだよ!」

「言葉通りの意味よ」

 相変わらずレックスとベリルは壁越しで問答を繰り返していた。こんな事態ではあったが、ガイウスは遠慮気に問う。

「なにやら立て込んでいるようだが、それはまた改めてというわけにはいかないのか?」

「次はないわ。あなたはここで炎に焼かれて死ぬの。私と一緒にね」

 外側からドンと扉が叩かれる。

「どういうことだ、ガイウス! 聞いてねーぞ!」

「俺も聞いていなかったのだが……」

 埒が明かない。ベリルの自殺宣言を聞いたレックスは、その場を離れようとしない。

 ガイウスはもう一つの扉に走った。こちらもロックがかかっているが、二人の間に挟まれないだけまだやりやすい。

 椅子や机で扉を破ろうとしてみる。しかしさすがは戦闘艦の設備か。簡単に壊れてくれそうにはなかった。

 後方では炎の勢いが増し、反対側では口論が続いている。

「俺が悪いんだろ!? 謝るから、死ぬなんて言うな!」

「何が悪かったと思っているの? わかっていないんでしょ。謝る以前に誤っているのよ、レックス」

 会話が止まる。ぱちぱちと火の粉が上がる音が際立って聞こえた。

「無言が答えね。ありがとう、さようなら。あなたに会えて楽しいと思った時期もあったのかもしれないけど、もうどうでもいいわ」

「楽しい……か。俺は、俺はさ。……写真を撮るのが楽しいんだ」

「〝特定の対象を撮るのが楽しい”と、正しく言い直しなさい」

「……やっぱそうなのか。うりゃっ!」

 レックスは外からドアノブをつかんだようだった。

「あつっ!? ぐぬっ……!」

「な、なにしてるの? 金属製のノブよ。素手で触れる熱さじゃ……」

「なんていうか……他意があったわけじゃなくって……! ただ撮りたいものがあったから、シャッターを切っていたっていうだけで、それ以上はなかったんだ」

「今さら自分を擁護? 聞き苦しいわ」

 ベリルの眉根が寄る。

 レックスは構わずに続けた。つらそうな声だ。

「ファインダーをのぞいてたらさ、横って見えないんだ。だからとなりにいるベリルがどんな顔をしてたか、全然わからなかった。……知ろうともしてなかった……と思う」

「………」

「違うっつーの。写真を撮るのは楽しいんだけど、もっと楽しいのは横にベリルがいる時だっての!」

 何かが廊下に投げ捨てられる音が響いた。ベリルにはそれが何なのかわかったらしい。驚いた表情をしている。

「レックス!? 今、なに投げたの? カメラじゃないの!? 一番大切な!」

「カメラは二番! 一番はベリルだ!」

「っ!」

 ベリルは後じさって、口を手で覆った。

「謝るのは、俺が馬鹿だったってこと! ごめん!」

「わ、わかったわ! わかったから早く手を離して! 火傷じゃ済まなくなるから!」

「んなことできるか! 絶対に開ける! ぶっ壊してでも――」

 かちゃんとロックの外れる音。扉が開いた。あっさりと、嘘みたいに。

 通路で尻もちをつくレックスにベリルが駆け寄った。

「その手……! 処置しないと。早く医務室に」

「おいおい、つーかすげえ燃えてんじゃん! 思ったよりやばいぞ、これ!」

「まあ、確かにこっちも放ってはおけないわね」

 椅子を抱えたまま一瞬呆然としたガイウスに、ベリルが言った。

「消火急いで。放送でもう一回呼びかけて」

「し、しかしマイクが不調で使えないのだ」

「大丈夫。もう使えるから」

 なぜ彼女が断言したのか理解できなかった。急に鍵が開いたのも謎だ。システムが正常に動いたのか? しかしどうして。

 疑問は後回しにして、ガイウスは半信半疑ながらもマイクを手に取る。

 繋がった。もう一度緊急通報。状況をさっきより詳細に伝える。

 今さらにスプリンクラーが作動した。火の勢いがやや収まりかけた時、エリオットが走ってきた。

 階段を駆け上りながら、ムービングドライブを駆動させていたのだろう。待機状態の魔導杖から、水属性の広範囲アーツが放たれる。

 グランシュトローム。水流の大渦が発生し、食堂の中で果敢に噴霧剤を撒いていたガイウスを巻き込んで、調理器具と食材を破壊し尽くしながら――ようやく全ての火は消えた。

 

 ●

 

 言った。言ってしまった。

 用意していた台詞じゃなかった。もっと雰囲気を作るつもりだった。時間はまだあったのに。

 なんだか半分怒ったように口から発してしまった。どうして私はいつもこう……こんな時にまで……。

 それでも言った。自分の言葉で。

 あなたが好きだと、そう言えたはずだ。

 リィンは固まっている。微動だにせず、目を開いたまま、こちらを見つめている。多分、彼の頭の中で情報の処理が追いついていないのだろう。

 私の頭も真っ白だ。この後に考えていた言葉もあったのに、全て飛んでしまっている。

「あ」

「何も言わないで!」

 反応を見せたリィンに、反射的にアリサは平手打ちを見舞った。電光石火。二文字目を口に出す前に打ち据えられたリィンは、足をよろめかせて尻もちをついた。

「あ、ごめん……なさい」

 恥ずかしさのあまりとはいえ、自分が自分で信じられなかった。告白の直後にビンタを繰り出す女子というのは一体なんなの。ああ、この手が憎いわ。

 嫌われただろうか。それとも呆れられただろうか。顔が死ぬほど熱くなる。

「いや、まあ、大丈夫だ」

 リィンがゆらりと腰を上げた。差し出そうとしてためらったアリサの右手が、据えどころなく宙をさまよう。

 再び向き合う姿勢になった二人に、気まずい沈黙が降りてくる。

「あ、あの。私、そんなつもりじゃ……」

「ビンタなら問題ない……というか」

「うん……」

 また無言。でもここは私から話さないとダメ。

「そう。言った通り。私はリィンのことが、す、好き」

 その言葉。一度は言えたが、二度目でもやはり照れは残る。膝が震える。足の裏の感覚がない。喉が詰まりそう。ラウラもこうなったのかしら。

「俺、全然気づかなくて……。い、いつからなんだ?」

「あなたが気付くことには期待していなかったわ。いつって言われても……意識し出した頃はもう覚えてない。自分の想いを自覚したのは、アルバレア城館に潜入したあと。ユミルに戻った時」

 同時に子供の頃に出会った、雪うさぎをくれた男の子がリィンだと思い出したのもその時だ。それは彼に伝えていない。乙女心に運命というものを感じないでもなかったが、それをこの場で言おうとも思っていない。

「気づいたら、あなたを目で追ってる自分がいたの。あなたが他の女の子と親しげに話していたら落ち着かなくなる自分もいた。最初はそんな気持ちの正体がわからなかったわ。私、そういう経験がなかったし」

「………」

「急にこんな告白をしてごめんなさい。でも時や場所を考えていると、機会を失くしてばかりになると思ったから」

 床がわずかに左に傾く。自動操縦のカレイジャスが旋回行動に入ったのだ。大窓から見える雲が後方へと流れていく。

 アリサは操舵席の上にある大モニターに視線を転じた。普段は艦内の定点カメラの画像を切り変えながら映しているが、今は消えている。

 避難訓練も滞りなく進めば、あと15分ほどで終了だ。このブリッジにも人が戻ってくるだろう。モタモタはしていられない。

「リィン。ラウラからも告白を受けたわよね」

「っ! あ、ああ。知ってたのか」

「ラウラから直接聞いたの。ここは女同士の話だから詮索しないでちょうだい。険悪な状態にもなってないから、心配は無用よ。むしろ前より本音で話せるようになった気もするし」

「そうか……」

「困らせているかしら」

「そう、だな。困っているというより、戸惑っているというか。ラウラもアリサもなんで俺なんかを――」

「それ」

 おでこをツンとつく。軽くするつもりだったが、勢いのいい指突になってしまった。「ぐあっ」とリィンがのけぞる。これじゃただのバイオレンスな女だ。

 だけど。

「そうやって何でもかんでも自分を卑下するのはやめて。私が――私たちがリィンに好意を寄せるのは、あなたにしかない魅力があるから。自分で自分を貶めるっていうのは、あなたを好きになった私たちのことまで落としているって理解しなさい」

「ご、ごめん」

「あー! こんな話をしたいんじゃなくって!」

 首を振る。顔にかかったサイドテールを払い、アリサは言う。

「私は……リィンの気持ちを聞きたい。あなたが私をどう思っているのか。ただのクラスメートとしてじゃなくて、戦う仲間としてでもなくて、今の先の関係になれるのかどうかを」

 ねえ、ラウラ。

 あなたがいない場所で、ここまで問うのはルール違反? けどここまで胸の内を打ち明けて、リィンから何も聞かないまま引き下がるなんてできない。

 頬が紅潮しているのがわかる。鼓動がどこまでも大きくなる。ぎゅっと両手を握りしめる。

「私のこと好き? これは友人としての答えでいいわ」

「……もちろんだ」

「ラウラのことも好き?」

「ああ」

「じゃあ私とラウラ。どっちが好き?」

 リィンが開いた口を閉ざせなくなった。

 返答に窮するのはわかりきっている。いじわるな質問だとも承知している。

 それでも聞かせて欲しい。聞きたいの。二人きり。誰の介入もないこの時間に。

 長い、長い沈黙だった。

「俺は――」

 何かを言いかけたその時、突然ブリッジのモニターが起動した。

『はーっはっはー! ようやく繋がったか!』

 ディスプレイ画面にトヴァル・ランドナーの笑顔が大映しになる。

『導力中継器を利用して、西部からの遠距離通信。しかも飛行中のカレイジャスの信号を捕まえての長遠隔だ! これを実現できるとか、やっぱ頼れるお兄さんだぜ!』

 トヴァルが画面の向こうではしゃいでいる。

『ってか、あれ? リィンとアリサしかいないのか。ブリッジのメンバーはどうした? 俺のサプライズで驚かしたかったんだが』

「トヴァルさん」

 アリサが言った。

「嫌いです」

「え」

 ブツンと回線を強制切断。モニターは元の黒いディスプレイに戻る。しかし破壊された雰囲気は、どうやろうとも戻しようがなかった。

「……これ以上は無理ね。今日はもういいわ」

「なんだかすまない……」

「すまないのはトヴァルさんでしょ。エリゼちゃんといっしょに被害者の会でも結成しようかしら……」

 余罪は多そうだし、募れば結構な人数が集まりそうだ。

「どんな形でもいい。返事はトリスタに着いたらして。私とラウラに。……約束してくれる?」

「わかった。約束する」

「良かった。それまでは普段通りにしています」

「急にしおらしく……」

「そう?」

 アリサは微笑んだ。

 直後にガイウスからの二回目の放送が入る。どうやら本当に火災発生らしい。二人は慌てて食堂へと走った。

 

 ● ● 

 

「避難訓練で本当に火災発生とか想定外だよ……」

「まあまあ、何事もなく済んで良かったじゃないか」

 肩を落とすトワをアンゼリカがフォローする。その横から「それで、結局厨房の出火原因はなんだったんだい?」とジョルジュが訊いた。

「オーブンが出火元なのはわかったけど、原因の特定は難しそう。ジョルジュ君なら検討つく?」

「まっ黒焦げだったし、なんとも。内部の部品に不良品が混じってた可能性はあるかな。それがショートして不具合が悪い方に連鎖して爆発――とかね」

「一応、艦内の導力機器のチェックをお願いできる? メンテ班も忙しいとは思うけど、同じことを発生させるわけにはいかないから」

「了解だ。心配いらないよ」

「ごめんね、ありがとう」

 オーブンの損傷を見るに、修復できる状態でないのは明らかだった。とはいえ大人数のクルーの食事を手配するのに、いつまでもオーブン無しというわけにもいかない。ルーレに戻って新しいものを再購入するべきか。

 オリヴァルト皇子の負債に一品目追加だ。

 トワは重い首を椅子の背もたれに寄りかからせた。

「じゃあ、続けるね」

 会議室にはトワとアンゼリカとジョルジュ、その三人だけだ

 避難訓練のあとに予定していた緊急ミーティングはついさっき終わった。Ⅶ組の面々には先に退室してもらっている。

 招集をかけたエマからの話は、正直どう受け止めたらいいかわからないほど、大き過ぎる物事の語りだった。

「巨イナル一、魔女の眷属(ヘクセンブリード)地精(グノーム)、騎神……情報をまとめきれないね」

「ヴァリマールの前の起動者が獅子心皇帝だったというのも驚きだ。帝国の裏の歴史か。ジョルジュはどう思う?」

「初めて聞く言葉ばかりで、僕も思考が追いついてない。だけど、トワ。この話に信憑性はあるのかい?」

 トワは首をうなずかせた。

「信じる証拠はないよ。でも嘘をいう理由も見当たらない。仮に情報撹乱の意図があったとしても、回りくど過ぎる」

 つまるところの結論は、〝真実かは不明だが、全てが虚言ではない”ということ。

 この話をエマに明かしたのは、ヴィータ・クロチルダ。妹弟子だから話したというだけでは筋が通らないが、エマにもその本音の部分は計れないという。

 エマの様子を見るに、まだ何か隠しているようにも思えたが、それ以外にどのような会話があったかの追及まではしなかった。

「ただ貴族連合の目的はわかったよ。内戦を起こした狙いは、バルフレイム宮と皇族を手中に収めること。つまり煌魔城と緋の騎神の復活」

「だが連合の総意とは思えない。荒唐無稽な目的では全兵士の統率など取れないからね。あくまでも表に掲げているのは革新派の排除だろう。裏の真意を知っているのは、カイエン公を中心とした協力者組に限られると思う」

「だね」

 アンゼリカの見解にはトワも同意した。

 煌魔城の復活条件は不明だが、緋の騎神の目覚めには皇族が必要らしい。

 だからカイエンはアルフィン皇女の確保に執着を見せていたのだ。ならばアルフィンがこちら陣営にいる以上、その標的となるのはセドリック皇太子。

 必ず阻止する。

 その方針は先のミーティングで言い、今後の行動ルートについても伝えた。反対意見はでなかった。

 ここまでは情報共有の再確認。

本題はここから。トワは軽く息を吸って、告げる。

「私、クロウ君に会ったよ」

 いきなりの発言に、二人は驚いていた。

「いつ?」

「どこで?」

「昨日。バリアハート巡回中に。クロチルダさんに同行してきたみたい。さっきのミーティングで伝えようか最後まで悩んでたんだけど」

 あまりにも大きな話だったから、その中に差し挟むのは控えておいたのだ。だがジョルジュとアンゼリカには言っておきたかった。それが二人に残ってもらった理由だ。

「といっても大した話はしなかったの。雑談みたいなものばかり。全然変わってなかったよ、クロウ君」

「そうか。まあ、馬鹿者には違いないがね」

「はは、それはそうだ」

 安心したような雰囲気が、二人ともにあった。もしも学院生活の全部が演技で、すでに彼の意識から切り離されていたとしたら、それは私たちにとってつらいことだったろうから。

「クロウ君の過去は聞けなかった。教えてくれなかった。お前らが戦えなくなったら困るって」

「まったく、どの立場から物を言っているんだ、あの男は」

「話の中でわかったことが――感じたことがあるんだ。クロウ君はね、もう未来を見てない。いつ終わってもいいって、そう思ってる気がする」

 きっと彼の目的は、本当にギリアス・オズボーンを討つことだったのだろう。その理由はやはりわからないが、それを成した今、彼に先はない。契約かあるいは惰性かで、カイエンに協力している。

「私たち、もうすぐ卒業だったよね」

 それはクロウにも言った言葉。続けて『いっしょに卒業したかった』とも告げた時、彼は『ああ、そうだな』と言った。

 どこか他人事のような、距離を置いたような、その声でわかってしまったのだ。

 彼自身が戻る場所がないことを自覚していると。

「ねえ、アンちゃん、ジョルジュ君。卒業したらどうするつもりだったの?」

 二人は顔を見合わせ、まずアンゼリカが答えた。

「導力バイクで大陸各地を見て回ろうと思っていた。まあ、肝心のバイクはオーロックス砦戦で木っ端微塵に壊れてしまったので、一から作り直してからになるがね」

「大陸を回るというところは僕もアンと同じさ。各地の技術工房を訪ねるつもりだ。ZCFやエスプタイン財団本部にも行きたいな」

 ジョルジュも続き、最後にはトワも言う。

「私はNGO――各地の非政府組織活動に参加しようと思ってる。色々な物事を色々な角度から見てみたくて。そっか……みんな将来のことを考えてるんだ」

 話しながら、悩んでいた。

 頼めるのか、頼んでいいのか、こんなことを。この二人に、いやこの二人だからこそ――

「二人に聞いて欲しい。ううん、協力して欲しい。クロウ君の居場所、作れるかもしれない」

「どういうことだ? かもしれない?」

「待ってくれ。クロウが戻るという前提で話が進んでいないか? 僕にはトワの話がよく見えない」

「今から説明するよ。もちろん戻る戻らないは不確定。ただ……これをすれば――」

 躊躇し、逡巡し、葛藤し、そしてトワは顔を上げた。

「代償として、私たちが思い描いていた卒業後の未来は捨てることになる」

 

 ●

 

 穏やかに進む水の流れが眼下にうねる。リィンはその様子を石造りの橋の上から眺め続けていた。

 まばらに見える魚影が浮いては沈む。そういえばしばらく釣りをしていない。

「付き合わせて悪いな」

 そんな声が耳に届き、川に向けていた視線を横に転じる。マキアスがこちらに歩いてくるところだった。その腕には花束が抱えられている。

「気にしないでくれ。俺も外の空気で頭を冷やしたかったんだ。その花、買って来たのか?」

「冬だが、良さそうなのが手に入った。待たせてすまない」

 ここはバリアハート近郊の川にかかる小さな橋だ。

 例の火災騒ぎのせいで、カレイジャスは緊急着陸を余儀なくされた。

 食堂はシャロンとニコラスが主体で、今日中に使える段階にまで復旧させるという。メンテで手伝えることもなく、手持ちぶさたになっていた時に、マキアスから声をかけられたのだ。

 予定を変更することなく、明日はトリスタに向けて出発だそうだ。

 トリスタ。そこで俺は答えを返すのか。アリサとラウラに……。

「気持ちはわかる」

「えっ!?」

「驚き過ぎだ。さっきのミーティングのことだろう? 頭を抱えたくもなるさ」

「あ、そう、そうだよな」

 確かにそっちも大きな話だ。

 早急にセドリック皇太子を助け出す必要がある。だが経路を考えても、トリスタを奪還するという手順は変わらない。トリスタで補給を受け、準備を整えてからカレル離宮に向かう。

 アルティナからの情報を信じるなら、カレル離宮にはエリゼもいる。ようやくここまでたどり着いた。

()いたところで動けるタイミングはまだ来ない。今は鋭気を養おう」

「……そうだな」

「さて」

 マキアスは橋の欄干の前に立つと、花束を掲げた。それを静かに川に落とす。散り散りに分かれた花びらが、彩りも鮮やかに流れていく。

 マキアスとリィンは瞑目し、静かに手を胸に添えた。

「届けばいいな、オットーさんに」

「ああ」

 この川はケルディック方面に繋がっている。弔いの花は、きっと届くだろう。

「本当はユーシスを連れ出すべきなんだろうが……実はリィンに話があってね」

「俺に? なんだ?」

「オーバーライズ使用時の特殊な現象について。追ってみんなにも言うつもりだが、先に君に伝えておきたかった」

 マキアスとユーシスがオーロックス砦で発動させたオーバーライズ。アーツのゼロ時間駆動や精度の高いリンクが実現できたが、それ以外に不可思議な現象も起きたという。

「互いの記憶が垣間見えたっていうあれか。実際どうなんだ?」

「僕なりの仮説を考え、ジョルジュ先輩に相談もしてきた。想像の域は出ていないが、現時点での見解を聞いてくれ」

 マキアスは川に目を落としたまま、その見解を語り始めた。

「互いの記憶を見た。僕もユーシスも初めはそう思っていた。ユーシスが幻視したのは、僕の子供の頃の誕生日。父さんと二人で食卓で囲んでいた僕を見たらしい。だけど詳しく話を聞いていくうちに違和感を覚えた」

「違和感?」

「姉さんが亡くなってから初めて迎える自分の誕生日で、祝ってくれる人が一人少なくなった誕生日だ。印象的だったから、テーブルに何が並んでいたのかも覚えている。ユーシスは卓上にケーキがあったと言った。でもその日、ケーキは出なかったんだ。父さんが店に予約を入れ忘れてね。悪いことをしたと思ったんだろう。父さんはひどく慌てていたな」

「え……」

「僕は気にしていないと父さんに言ったが、本当はちょっと残念だった。心の中では食べたいと思っていたよ」

 本当はケーキがなくて、しかし映像の中ではあった。これが意味するものはなんだ。

 リィンはマキアスの次の言葉を待った。

「自分の記憶とは細部が違っていた。それは僕が見たユーシスに関わる光景も同じだったようだ。似てはいるけど、微妙にどこかが違う。いや、大筋は確かに自分たちの過去で間違いないんだが」

「過去の記憶とは異なる何か……ということなのか」

「そもそもおかしいんだ。たとえば本当にユーシスが僕の記憶を追体験したというなら、僕が実際に見ていた一人称視点の映像になるはずだろう。じゃなくて、彼は第三者の立ち位置から僕と父さんを見ている。妙だと思わないか?」

「……いや、そうかもしれないが……」

「あの現象の最中で、僕はユーシスの寂しさを感じた。ユーシスは僕の孤独を感じたらしい。それもかなり強く。まるで自分が相手の立場になって、その気持ちを経験したみたいだった。客観的に過去を見ただけでは、多分そうはならない」

 マキアスは《ARCUS》を取り出してみせた。

「結論。あの世界は想いが投影されたものだ。感情と記憶が結びついて、リンク相手に映像としてフィードバックされたんだと思う」

「そんなことがありえるのか?」

「ジョルジュ先輩に言わせれば『ないとは言い切れない』と。元々《ARCUS》の機能の根幹は、感応波の増幅と接続にある。それが極限にまで増強された時、未知数の力が発現した……という見方だ。まあ、多分に憶測混じりではあるが」

 意識の波長に干渉するという点で、《ARCUS》は他の戦術オーブメントとは一線を画している。その中枢機構は複雑を極め、開発者ですら想定し得ない力を有していた――あるいは俺たちが使用していく中で、段階的に能力が解放されたか。

「僕が君に言いたいのは、この力ならクロウ先輩の過去を知ることができるんじゃないかってことだ」

 マキアスは水面に向けていた顔を上げた。

「つまり、クロウとオーバーライズをしろっていうのか? それは無理だ」

「理由は?」

「クロウが拒絶した場合、《ARCUS》はリンクブレイクを起こす。オーバーライズには至らない。それに意識に触れるなら、本人が知られたくないと思っている過去は映像化されない気がする」

「そこはぶっつけ本番だろうな。けどリンクブレイクは起こらない。僕にはその確信がある――というか僕たちはそうならないことを知っている。その意味は……そうだな。全員にこの話をする時にでも、改めて伝えよう」

 マキアスが何を確信しているのか、リィンにはわからなかった。

 その口ぶりからは、まるで以前にも同じことがあったと言っているように聞こえたが――

「……クロウの過去か」

 《パンタグリュエル》で会った時、宰相暗殺を企てた理由を、その背景を、クロウから聞くことはできなかった。いまだに俺はあいつの過去を知らない。

 仮に知ったとして、俺には何ができるのだろう。

 苦しんでいたら、救うことができるのか? 望んでいなかったら、連れ戻すことはできないのか? 

 第一、連れ戻したとしても、彼の居場所はどこにある。その答えもまだ出せていないのに……。

「なあ、リィン。過去を知るだけじゃ意味がない。たとえばクロウ先輩が直接話して教えてくれたとして、それで君は先輩のことを理解できたと思うか?」

「それは、違う。思わない」

「そうだ。人を理解するっていうのは、そこに働く感情を理解することだ。その時、その瞬間、その人が何を思い、何を感じていたか。僕はそれをユーシスとのオーバーライズで知った。これは《ARCUS》だから、いや《ARCUS》でしかできないことなんだ」

 ここまでの話で、察しがつく部分もあった。

 ないはずのケーキが映像の中に出現したのは、おそらくマキアスの無意識下での願望が投影されたものだろう。

 実際の記憶に、当人の想いや主観が加えられた世界。それはただ事実としての過去を知るよりも、深くクロウの心情に近付くことになる。

 ただ、それでも。

「マキアス。クロウは『俺の本分は《C》』と、そう言い切った。やっぱり今さらリンクできるとは思えない」

「本分と本心は違う。君はどちらが知りたいんだ?」

 それは重要な言葉だった。彼と対峙するその時も、忘れてはいけない言葉だと感じた。

 マキアスはリィンの肩に手を置いた。

「どこに離れてようが、クロウ先輩は特科Ⅶ組の一人だからな。だから僕たち全員が先輩の過去を理解する必要があると思っている。全員で彼の心に触れるんだ」

「全員で……? 待ってくれ、そんな方法はさすがに」

「あるだろう。重奏リンクが」

 肩に置いていた手が離れ、胸をぽんと叩かれる。

「オーロックス砦戦で、君は三人同時に重奏リンクを繋いでいる。三人ができるなら、全員でもできるはずだ」

 理屈では確かにそうだ。

 しかし三人でも容易ではなかったのに、それを全員一斉に繋ぐとなると、どれほどの力が必要になるのか想像もつかない。

 みんなの協力も不可欠だ。Ⅶ組の十人が意思を一つに合わせなくてはうまくいかないだろう。

 だが、そうか。

 これが今まで紡いできた可能性の先。Ⅶ組として着地すべき場所。

 リィンも自身の《ARCUS》を手に取った。有角の獅子紋は何を語るでもなく、ただ輝いている。

「やることは二つ。一つ目がクロウ先輩を巻き込んで、オーバーライズと重奏リンクを同時に発動させること。そして二つ目が、一人も欠けることなくⅦ組全員が先輩の元にたどり着くことだ。君だけに任せるようなことはしない」

「わかった。やってみせる。全員で必ず成功させよう」

 クロウの過去を理解した自分が、その次に何を言うのか、今はわからない。けれどそれで何かが変わるかもしれないのなら。

 それは希望と呼べるものだ。

 

 ● ●

 

 マキアスはもう少し外にいるらしい。オットーさんのことでは思うところも多いのだろう。

 リィンは先にカレイジャスに戻っていた。

 今日はたくさんのことが起きた。アリサとラウラのこと。帝国の裏の歴史のこと。考えるべき、悩むべきは多いが、不思議と気力は充実していた。

 さっきのマキアスとの会話のおかげだ。クロウとの対峙で、自分は何をするのか。それがようやく明確に見えた気がしたのだ。

 オーバーライズと重奏リンク。

 戦いのために培ってきた力を、最後は他者を理解するために使う。それが俺たちの出した答え。

 楽観的かもしれないが、やってみよう、やり遂げてみせようという前向きな意思が、胸の内に湧いているのがわかる。

 とはいえ、さすがにちょっと頭を整理したい。一人になれるところがいい。しかし艦内にはクルーも増え、どこに行っても誰かに会ってしまう。

 いい場所はないだろうか。

 足の赴くままに歩いていると、二階に来ていた。焦げ付いた臭いが鼻孔の奥を刺激する。食堂のあるフロアだ。排煙は済んでいるようだが、なんとなく煙たい空気は残っていた。

 食堂の奥、厨房ではシャロンとニコラス、それに手の空いている人が原状回復に勤しんでいるようだ。

 手伝った方がいいだろうか。

 自分の都合はひとまず置いて、そちらに足を向けかけた時、

「リィン君」

 いつの間にかベリルがそばに立っていた。

「ベリルか。ガイウスから聞いたぞ。火災中の食堂に閉じ込められてたんだって? 無事でよかった」

「ガイウス君を巻き込んでしまって悪かったと思っているわ。一応、彼だけは脱出させるつもりもあったけれど」

「はは、相変わらず変なことを言うな」

 偶発的な事故からの出火だ。巻き込むも何もない。ガイウスだけを外に出すというのも謎だ。思わしげな発言は今に始まったことではないので、リィンもそれ以上は言及しなかった。

「私もレックスから聞いたわ。彼の相談を受けていてくれたんですってね。迷惑をかけてごめんなさい」

「迷惑だなんて思ってないさ。だいたいレックスにアドバイスをしたのはアリサだしな」

 今思えば、彼に対するあの指摘は俺にも向けられていたのではないだろうか。それに気付かない俺は……なるほど。反省だ。

「あなたが取り継いでくれたからよ。おかげでレックスとまた前みたいに話せるようになったの」

「それは何よりだ」

「ところで、どこかに行こうとしていたのかしら?」

「厨房の片付けでも手伝おうかと」

「本当にお人好しね。それどころではないでしょうに」

「体を動かす方が楽な時もある。じゃ、俺は行くよ」

 歩き出して、ふと思う。

 ベリルは俺の〝それどころではない”事情を知っているのか? 何を指しての〝それ”だったのだろう。

「あ、ちょっと待って」

 数歩進み、疑問が頭をよぎった刹那、後ろから再び声をかけられた。

「今日のお礼にいい事教えてあげる」

 ズキンと頭に痛みが走った。

「この先、あなた達の内、誰か一人が――」

 知っている。俺はこの瞬間を知っている。やめろ。言うな。

「命を落とすわよ」

 制止は間に合わなかった。振り返ると同時に、その言葉を突き付けられた。視界が揺れ、目まいが足元をふらつかせる。

「そしてそれは」

 問い返す間もなく、ベリルは続きを告げた。

「今、この艦に乗っている誰かね」

 

 

 ――続く――

 


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