虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第103話 灼熱の空で

「アリサ!」

 自分を呼ぶ声にびくりと反応しつつ足を止める。

 普段どおりを装い、しかしぎこちなく振り返ると、リィンがこちらに早足で向かってきているところだった。

 カレイジャスの連絡通路のど真ん中。よく見れば、彼の後ろにはレックスの姿もある。

「あ、あら、おはよう。珍しい組み合わせね」

「おはよう。実はアリサに頼みごとがあって探してたんだ」

「私に? なに?」

 リィンに目配せされ、レックスが歩み出てくる。

 彼はほとほと困り果てた様子で、事情を吐露した。

「――なるほど。ベリルさんが口を聞いてくれなくなって、でも原因がわからなくて困っていると」

「そうなんだよなあ、なんかわかる?」

 レックスのことは知っている。写真部に所属していて、被写体は女性に偏っているらしいと聞いたことがあった。

 ベリルとはあまり話す機会がなかったので、彼女の性格はそんなに知らないが、どう考えても原因はその辺りだろう。

 そこにレックスは気付いていない。ならば無自覚にベリルを傷つけてしまう発言、あるいは行動があったかもしれないのだ。

 そこを深掘りしていけるかが、今回の問題の核と言える。原因を特定する方法は考えねばならないだろうが、要するにそこまで難しい話ではなかった。

 アリサは吐き出したい嘆息をこらえていた。

 レックスもそうだが、リィンも難解な表情を浮かべてうなっている。

 そういうところを機敏に察せられないから、朴念仁って言われちゃうのよ。そしてその相談をよりにもよって私に持ってくる間の悪さも、彼の朴念仁たる所以。

 本当に、もう、どうしたらいいかしら。

「いい? ベリルさんがあなたと話したがらないのはね――」

 レックスをたしなめようと詰め寄った瞬間、アナウンスを知らせるブザーが流れ、続いて『おはようございます、皆様』と、澄ました声の艦内放送が通路中に響いた。

 トワ会長じゃない。この声はシャロンだ。なんでシャロンが放送を?

『全体連絡がございます。クルーの皆様は至急、船倉ドックにお集まり下さいませ。繰り返します。クルーの皆様は――』

 

 

 

《――灼熱の空で――》

 

 

 

『避難訓練?』

 招集をかけられた学院生メンバーの一同が、そろって首を傾げる。

 アリサもその中の一人だった。

 東部巡回を終えた今日は、その予備日としている。食材や備品の整理をしたり、艦内メンテナンスをしたり、トリスタへ向かう最後の準備に充てるはずなのだ。

 それがなぜこのタイミングで。

「あーうん、みんなの疑問はもっともだと思うんだけど……」

 全員の前でトワが説明を始めた。彼女はアンゼリカが用意したお立ち台に乗っている。

「各地で乗艦してくれた学院生の人数も増えてきたし、それぞれが役割をもってトラブル対処する訓練は必要だと思うんだ。万が一の有事に備えてね」

「今やる理由は? ずいぶん急ですが」

 ラウラが質問した。ちょっと納得していない顔だ。

「逆に今を逃せば、以降はやれるタイミングがなくなっちゃうよ。トリスタに着いたら着いたでやることは多いし」

「そうですか……了解しました」

 とりあえず引き下がったラウラは、「久しぶりに菓子作りをしていた最中だったのだが……」とつぶやき、残念そうに肩を落としていた。

 そのお菓子はやっぱりリィンに食べてもらうのだろうか。どうしよう。着実に女子スキルを高めている。先に想いを告げられた事といい、アリサは自分がひどく出遅れている気がした。

 ラウラにそっと目をやって、その向こうできょろきょろとしきりに首をめぐらすレックスが視界に入ってきた。どうやらベリルを探しているらしい。全体招集のはずだが、そういえばベリルは見かけていない。

彼の近くにエマも見えた。どこか表情が暗い。

「まずは概要説明からさせてもらうね。火災想定で出火元は二階食堂。発見者の通報をもって訓練開始。各自、あらかじめ割り当てられた役割に則って行動すること。艦内機能が正常に作動するかの確認も行うから、防火シャッターや警報も実際に鳴らすよ」

 想像していた以上に本格的な訓練だ。

 ふとアリサの目がドックの壁際に控えていたシャロンに向いた。その視線に気づくと、シャロンはくすりと笑う。

 あの笑み。(たくら)みの笑みだ。ぶるっと背すじが寒気に震えた。まさか。嫌な予感に肌が粟立つ。

 トワが付け加えた。

「そうそう、みんなの初期配置と役割はこっちで決めさせてもらったんだけど、火元発見者だけまだ空欄なんだ。誰か立候補とかいたりしないかな?」

 そう問いかけられて、人並みの中からすっと一つの腕が上がる。

 挙手したのはガイウスだった。

「あ、ガイウスくん。ありがとう。でもちょっと意外かも」

「いや、以前からそのような役をやりたいと思っていました」

「そうなの?」

「色々ありまして。訓練とは思えない本番さながらのクオリティを出せるよう、全力で務めさせてもらいます」

「あはは、心強いよ」

 元より反対意見など出まいが、ここまで言われては彼の意気込みを買う他ない。ガイウスはなぜかやたらと気合いが入っている。トワの言う通り、ちょっと意外だった。

「予定開始時刻は30分後だよ。じゃあ今から配置表を配布するからね。アンちゃん、手伝ってくれる?」

「了解だ。では男子の分はここに置いておくから各自取っていくように。女子は私が配るから周りに集まってくれたまえ」

「うん、平等に配って」

 

 ●

 

「どういうつもり?」

「どういうつもりも何も」

 場が解散となったあと、ドックの片隅でアリサはシャロンを問い詰めていた。シャロンは涼しい顔で詰問を流している。

「なんとなくだけど、トワ会長の発案じゃなさそうだった。シャロンでしょ、そそのかしたのは」

「まあ、そのように人聞きの悪いことを。わたくしにお任せ下さいと申し上げたではありませんか」

 ルーレ巡回日、懐中時計の修理が終わり、イリーナとのやり取りのあとのことだ。

 リィンに想いを告げられる雰囲気と場所を用意する。彼女はそう言った。

「だとして、なんで避難訓練なのよ」

「アリサお嬢様。失礼ながら、リィン様はとても間の悪い方でいらっしゃいます」

「それは否定のしようがないけど」

「それゆえに正攻法で――たとえば二人きりのシチュエーションを作ったとしても、どこかで必ず第三者の介入が入ります。いいえ、人に限らず雷雨などの環境要因、場の雰囲気を破壊するくしゃみなんかも起こすかもしれません」

 これも否定しきれないものだった。黒竜関の戦いの後で、ヴァルカンの死を悔やんでいたリィンをルーレの町に連れ出した時、実はそれなりに良い空気にもなったのだ。しかし雨が降ってきて、ゆっくり話す機会を逸するという結果に終わった。

 しかも続けざまにミッドナイトヘブンやらマジカルなにがしやらで――いや、それはいい。ともかく前科はある。

「というか、くしゃみぐらいで……」

「あなどってはいけませんわ。どこの乙女が『ぶえっくしょーん、ちくしょうめ!』の直後に告白できましょうか」

「聞いたことないけど、それ」

「これは失礼を。リィン様は『ちくしょう』ではなく『てやんでい』派でしたか」

「わからない、わからないわ、シャロン」

 そんな派閥があるのだろうか。でも男子たちのそれを思い返してみると、確かに何か言っていた気がする。

 マキアスはくしゃみのあとに『うぇい』だった。エリオットは『うぅ……』で、ガイウスは『……うむ』で、ユーシスは「ふっ」だ。

 とりあえず、ガイウスの納得感は謎だ。ユーシスも大概だが。

「でもその……場を作るっていうのが、どうして避難訓練なのよ?」

「まだご覧になっていないようですね。これを」

 シャロンが手渡してきたのは、先ほどトワ達が配っていた訓練時の配置表だ。

「トワ様のご説明通り、避難訓練では各自に初期配置と役割が設定されています。お嬢様の役目をご確認ください」

「えっと、〝連絡不通となり機能停止状態にあるブリッジの損害確認、及びその復旧作業のマニュアル実施”……なんだかややこしそう。とりあえず艦橋へ向かったらいいのね?」

「はい。訓練概要には指示系統が崩れているという前提想定を盛り込みました。その想定を再現する為にブリッジクルーの方々にはトワ様とアンゼリカ様を含め、モニタリング係という名目でブリッジを離れて頂きます」

「ちょっと待って。飛行中にやるんでしょ? カレイジャスの操縦は?」

「オートドライブシステムを使います。短時間であれば問題は発生しないでしょう」

 主には停泊しない夜間飛行や操縦士の休憩中に使用するモードだ。高度を保ちつつ、低速かつ大回りの旋回を繰り返すだけの自動操縦機能である。

「そしてお嬢様と同じ役割を持ち、共に行動して頂くのはリィン様です」

「えっ!? あ!」

 配置がペアになっている。ここまで来ると、さすがに読めた。

 誰もいないブリッジで、彼に告白しろというのだ。

「む、無理よ! そんなにうまくいくわけないわ!」

「ネガティブな要素は?」

「まず時間! 訓練中だもの! そんなに取れないでしょ!?」

「ブリッジの復旧は5分でできる内容に設定変更しています。ですがお嬢様の持ち時間は表に記載の通り30分のまま。他者から見て不自然に思われる時間ではありません」

「他の人との兼ね合いは!? その30分間で誰も来ない保証がないわ!」

「配置表のシフトは万全です。全員が別フロアで損害確認と緊急時対応のロールプレイングを行っていますので、ブリッジには来ませんわ。防火シャッターが下りることで、ルートも限定されますので。万が一誰かが近づいたとしても、唯一の経路にわたくしが控え、邪魔者を排除致します」

「排除って……どうするのよ」

「通路に鋼糸を張っておきますので、知らずに通ればボンレスハムからのスライスハムです」

「だ、ダメよ! 穏便にやりなさい!」

「では穏便にスライスハムに」

 目が妖しく光っている。

 高度2000アージュ。カレイジャス艦内。クルーは全員が別のフロア。おまけにシャロンの門番付き。

 確かに横やりは入りようがない。

「で、でも、でも……!」

「できない理由など、考えればいくらでも出てきますわ。ここはお嬢様も踏み込まねばならない局面。少なくともラウラ様と肩を並べなくては、先には行けないのです」

「……そう、よね」

 逃げてはいけません、と言われている気がした。

 わかっている。ここまで来たら退けない。後伸ばしにしていた〝いつか”は〝今”だ。

「うん。がんばる」

「応援しております。心から」

 

 ●

 

 球をキューで突く。勢いよくビリヤード台の盤上を転がった球は、ぶつかった他の球をポケットに落とした。カコンと軽快な音が響く。

「俺たち、こんなことしてていいのか?」

「いいっていうか、そうしとけって言われてるし」

 キューを台に立てかけたリィンがつぶやくと、対戦相手のレックスはそう返してきた。

 彼とは初期配置がこの遊戯室で一緒だったのだ。

「俺はここからブリッジに行くんだが、レックスの役割は?」

「放送を受けての現場確認と、そこから初期消火のサポートだってさ。遊戯室と食堂って近いじゃん。遊んでて、一番近いところにいる俺が駆けつけるってわけ。いい役どころだろー」

「訓練だぞ。真面目にな」

「わかってるって。そういうとこリィンだよな」

 レックスもキューを置いて、ビリヤード台に寄りかかった。

「にしても、リィンってビリヤード上手いよな。結構やってんの?」

「いや。ユミルの温泉宿にも台はあったが、俺はほとんどやってない。ユーシスとかに付き合って、やり出したのは最近かな。ああ、でもクレア大尉にはコツを教えてもらったから、そのおかげで上達が早いのかも」

「マジかよ! 手取り足取りってか!? ズルいぞ!」

「そんなわけないだろ……」

 その後になぜか抱きしめられたのは内緒にしておこう。余計うるさくなりそうだ。

 だが、ベリルが口を聞かなくなってしまったのは、彼のこういうところではないだろうか。悪気はなさそうだが、それだけに。

 自覚がないというのは、時として人を歯がゆくさせる。場合によっては怒らせることも。

 ふと自分にも似通う部分があるかもしれないと思い、しかし心当たりはないとも思い直した。

「あ、あら。レックスもいたの」

 アリサが遊戯室にやってきた。入室するなり、どこか焦った様子でレックスを見やる。

「いちゃ悪いかよ」

「そうは言ってないでしょ。初期配置がここなのね」

 訓練開始の予定時刻まで、あと五分。アリサは空いている丸イスに腰かけた。

「時間ギリギリだ。遅かったな」

「い、色々あって」

 アリサはサイドテールを整えながらそう言う。

「それでベリルさんとのことはどうするの?」

 招集がかかったせいで中断していた話題を、彼女からレックスに振った。

「いや、だってさ。話さえ聞いてくれないし、やっぱどうしたらいいか……」

「本当にわからないのね」

 アリサは少し怒ったようだった。

「あなた、ちゃんとベリルさんのこと見ていたの?」

「なんだ、それ。見てたよ」

「写真部でしょ。彼女をファインダー越しに見たことは?」

「そりゃ撮ったことぐらい――あれ、あったっけ……。あったと思うけど」

「覚えてないのね」

 指先を組んで、続ける。

「いつも横にいるのが当たり前になっていたんでしょう。一度しっかりベリルさんの顔を見てみて。それでわかることがあるはず」

 ちらりとアリサの視線がリィンに向き、すぐに逸らされる。

 ほんの一瞬だったが、何かを訴えたいような、察して欲しいような、そんな目をしていたような――

 

 ●

 

 カンペは何回も読み直した。実際に声にも出して練習した。訓練の段取りも各々の配置さえも把握できている。

「……あと二分か」

 この短時間でこれでもかというほど繰り返したシミュレーションを、頭の中で今一度思い返す。

 厨房から出火。火元の確認。壁付けの緊急通報装置で艦内放送。応援に駆け付けたレックスと初期消火行動。ざっとこんなところだ。

 ガイウスがアナウンス役に立候補したのには理由があった。

 演技が絡む役割において、自分は皆に迷惑をかけ続けてきた。

 一回目はアランとブリジットのヘイムダルへの外出時。エマからの演技指導も受けて、不良の親玉を演じたが、結局セリフは全カット。ハイヤーしか叫べなかった挙句に、作戦は失敗した。

 二回目はロジーヌからの依頼で、子供たちに向けた劇をⅦ組全員でやった時。その際に演じたのは国王役だった。クロウのアドリブに付いていけずセリフが飛んで、口パクで乗り切る羽目になった。

 三回目はつい先日。ブリジットのカレイジャス乗艦を認めてもらう為に、またしても子供たち相手に寸劇をすることになったのだ。その役割は〝風の魔王”。

 相変わらずセリフを間違えながらだったが、子供たちを絶望させることには成功した。そして憲兵隊を呼ばれて連行され、クレア大尉から厳しめの叱責を受けた。一緒に怒られたマキアスは、この世の終わりのような顔をしていた。帰り道、彼のメガネは割れていた。

 とまあ、散々な戦績である。

 だから今回こそは成功させたい。リアルな演技が必要であれば、それをこなしてみせよう。ガイウスはそう決意していたのだ。

 特殊な形であったが、ウォレス・バルディアスに見込んでもらったというのも、意欲が向上した原因なのかもしれなかった。

「あと一分か」

 分刻みで時間を計りながら、その時を待つ。

 なんだか急に落ち着かなくなってきて、ガイウスは厨房の中をうろついた。

 棚に整然と収納された食器類。一切水垢のない流し台。床も綺麗なものだ。シャロンとニコラスによる清潔保持の徹底ぶりがうかがえる。

「ん……?」

 ふと人の気配を感じた。気のせいか? いや、小さな息遣いも聞こえる。近い。

 何気なく身をかがめて、がっつり目があった。

「あら、見つかっちゃった」

「ベ、ベリル?」

 調理台の下の空きスペースに、ベリルが三角座りですっぽりと収まっていた。

 さすがのガイウスも驚かざるを得なかった。反してベリルは落ち着き払っていたが。普段の口調で彼女は言う。

「どうしたの?」

「それはこちらが聞きたいのだが……いつからいた?」

「最初からよ」

「どうしてここに?」

「さあ、なんでかしらね」

「もう避難訓練が始まるぞ。早く割り当ての配置に行かないと――」

 その先の言葉を、唐突な轟音が遮った。

 同時に何かが凄まじいスピードでガイウスの頬をかすめ、後方の壁にズダンと突き刺さる。それはオーブンの鉄蓋だった。

「な、なんだ!?」

「あのオーブンがいきなり爆発したみたい。私が来た時からずっと動いていたから、気になってはいたけれど」

「爆発だと……!? うっ、この瘴気は!」

 半壊したオーブンからドス黒い気体が噴き出していた。あれには覚えがある。主にはラウラが創造せしモノから吹き荒れる悪しき風だ。

 そういえばさっきの全体集合時、『久しぶりに菓子作りをしていた最中だったのだが』と彼女はつぶやいていた。

 おそらくは緊急招集がかかって、調理を中断して船倉に向かい、そしてオーブンを稼働させていたことを忘れてしまったのか……!

「口を押さえろ! この黒い空気を吸うな! これは毒よりも危険な代物だ!」

「ねえ、あれ」

 ガイウスの注意など聞き止めもせず、ベリルが指を指した先、厨房の一角にめらめらと炎が上がっていた。

「爆発の衝撃で油のボトルが倒れて、そこに火の粉が落ちて引火したんだと思う。あら、キッチンペーパーにも燃え移ったわね」

「何を悠長に構えて――くっ!」

 火が燃え広がっていく。

 まさか本当に火災が起きるとは。とにかく全員に報告しなければ。初期対応が遅れたら取り返しのつかないことになる。

 ガイウスは緊急通報用のマイクに走る。

 その後ろ、食堂の扉にガチャンと異音が鳴ったが、それを気に留めている余裕などありはしなかった。

 

 ●

 

 何か忘れている気がする。

 ラウラは腕組みをして考え込んでいた。

「ふうむ……」

 だが思い出せない。どうにも朝から注意力が散漫だ。理由は自分でわかっている。

 今日がアリサの告白期限。彼女はリィンに想いを告げたのだろうか。半ば無理やりにやれとアリサに言い含めたわけだが、まったくもって落ち着かない。そわそわして仕方がない。

 一つの可能性を失念していたのだ。

 アリサが告白すれば、対等のラインに立てる。そう思っていたが、仮にアリサがリィンに気持ちを告げたとして、リィンがそれをその場で受け入れたらどうなるのだろう。

 そこは考えていなかった。

「うむう……」

「浮かない顔だな?」

 マキアスが話しかけてきた。

「少し考え事をしていてな。そなたの配置もここだったか」

「ああ、資材チェックと物資の移動係だ」

 二人がいるのは船倉ドックだ。広さを鑑みてか、この場所に配置されているクルーは多い。

 マキアスは両肩をすくめた。

「まあ、訓練なんだし、緊張感のある顔をしているくらいで丁度いいかもな。だって……あれはないだろ?」

 彼の目線を追うと、馬舎スペースに待機するミリアムとフィーの姿が見えた。マッハ号とシュトラールの誘導役役らしいが、二人とも普通にじゃれて遊んでいる。サポートとしてユーシスもついているが、言う通りに動かずに手を焼いているようだ。

「そういえば魔獣はどこだ。あの二匹も避難させるのだろう?」

「クロは損害報告班で、ルーダは負傷者救出班だが?」

「実働部隊なのか……」

 飛び猫がどうやって報告するのか謎だ。そしてあのドローメには私は助けてもらえない気がする。

 なぜか自分はルーダに嫌われているらしく、事あるごとに素っ気ない態度を取られてしまう。つい最近など、異様な空気を感じて後ろを振り返ったら、ぬらぬらと揺らめく触手をこちらに伸ばしている最中だったのだ。

 あのまま気付かなければ、果たして何をされていたのか。

「今さらだが、あの魔獣たちは安全なのか?」

「おいおい、何度もみんなの前で説明したじゃないか。人に危害を加えたりはしないぞ」

「そなたの気持ちも分かるが、一度危害の定義をはっきりさせた方が――」

 その時、けたたましいサイレンが鳴り響いた。

「お、来たな!」

「うむ」

 訓練開始だ。がちゃりとマイクを取り外す音が、天井スピーカーを通して聞こえてくる。

 ガイウスのアナウンスだ。

『緊急通達! 厨房より出火! 油にも引火し、急を要する事態だ! これは訓練ではない。繰り返す。これは訓練ではない!』

 なかなかに鬼気迫る発声だった。臨場感もすばらしい。自ら立候補するだけのことはある。

 マキアスが「ははっ」と噴き出した。

「ああ、いや、すまない。笑っちゃいけないとは思ってるんだが。『本番さながらのクオリティを出す』って言って、その手段が『これは訓練ではない』っていうのがさ、なんともガイウスらしい感じじゃないか」

「一生懸命さが伝わってきた。私は良いアナウンスだったと思うぞ。演技も上達していた」

「相当練習したんだろう。さあ、僕たちも迅速に動こうか」

 スピーカーがブツッとノイズを走らせ、放送が終わる。

 マイクの切り方が少しだけ不自然だった気がしたが、ラウラはそれ以上の疑問を持たなかった。

 

 

 ――つづく――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――Side Stories――

 

 

《パトリックにおまかせ⑧》

 

 文句のつけようがない。どの角度から見ても均整が取れ、淡いグリーンの色合いも周囲の風景とマッチしている。

「我ながら完璧じゃないか……!」

 パトリックは手づから直した眼前のベンチを見下ろしている。自画自賛が止められなかった。

 グラウンドの倉庫の横に設置されていたベンチだ。フェリスから脚の一本が折れているという報告を受け、すでに愛用となった工具箱を片手にやってきたのだ。

 修理はすぐに終わった。多分30分と経っていない。四苦八苦していた以前なら、この三倍の時間はかかっていただろう。

 これで完了しても良かったが、少々物足りなさが残った。だからペンキを持ってきて、カラーリングをすることにした。

 すっかり新品同様だ。

 領邦軍の手から学院を取り戻した後も、補修仕事は続いた。別に嫌ではない。楽しんでいて、その依頼が来るのを待っている自分がいた。

 学院内で僕に直せないものなど、もはや存在しないのではなかろうか。

 ならばゼロから何かを生み出すのもいいかもしれない。屋上にテラスでも作ってみようか。きっと春頃には完成できる。薫風を身に受けながら紅茶を楽しむのだ。そして新たな工作の図面を眺める。

 きっと素晴らしい毎日になるに違いない。

「顔がにやけてるわよ。いやらしい想像をしているのかしら」

「するかっ! って、フリーデル部長!?」

「あら、いまタメ口使った? お仕置きしていいのね」

「や、やめて下さい。謝ります」

「誠心誠意の込もった平身低頭の五体投地を要求するわ」

「罪が重すぎる……」

 失言の罰が尊厳を根こそぎ踏みにじるレベルだ。「冗談よ」とにこやかに言うフリーデルだったが、本音はわからなかった。

「……それで何かご用でしょうか」

「ケインズさんからの情勢の最新情報を仕入れてきたわ。パトリックにも教えてあげようと思って」

 あの男は諜報部員か何かなのか。情報源のルートが謎だ。

「カレイジャスによる各地の遊撃活動の結果、もうほとんどの領邦軍の戦線を引かせているらしいの。もちろんカレイジャスの行動が全てってわけじゃないみたいだけど」

「ということは……」

「ええ、障害は払えている。いよいよ戻ってくると思う。何事もなければね」

「不吉なことを言わないで下さい。何事とはなんですか?」

「んー……たとえば艦内トラブルとか? 逃げ場のない空で火事にでもなったら、どうしようもないでしょうし」

「最新鋭機ですよ。あり得ない」

「だからたとえばの話だって。不測の事態はいつだってあるものなのよ」

 フリーデルは空を見上げ、パトリックもそれに倣う。気温は低いが、いい天気だった。

 もうすぐあいつらが帰ってくる。僕は――

「なにを考えてるの?」

「いえ……どのように出迎えたものかと……」

 涙の再会とは違う気がする。よくぞ帰ってきたというだけでもない。なんだろうか。

 僕たちは僕たちで学院を守った。多くの成長を遂げたのだ。大変な経験をしたのが、外に出た連中だけだと思われるのは面白くない。

「そうねえ。歓迎委員会でも作る? 学院中を罠だらけにしちゃうとか」

「後始末が大変そうなので却下で。というかそれありましたし。……まあ、一つやりたいことがあるのですが」

「いいわ。やりなさい」

 あっさり肯定される。

「いやいや、提案も聞かずに可決っておかしいでしょう。他の学院生にも聞かないと」

「どうして私の了承がいるのよ。みんなもそう言うと思う」

「へ?」

「パトリックが私たちのリーダーなんだから、あなたが決めたことなら従うわ」

「リ、リーダー?」

 まったく寝耳に水だった。そんな自覚などないし、自分でそう名乗ったこともない。

「ま、待って下さい。学院が占拠されてから、リーダーと認められるようなことはしていません。ひたすら雑用や補修しかやってませんよ!」

「だからよ」

 ペンキが塗り立てのベンチを一瞥してから、フリーデルはパトリックの額を指でつんと突いた。

「大丈夫。とっくにね。みんながあなたのことを認めてる」

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 


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