虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》   作:テッチー

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第102話 分岐された世界の欠片

 テーブルの上には所狭しとデザートが並んでいた。アイス、フルーツ、お菓子、ケーキ。よりどりみどりだ。

 店員さんが追加のジャンボパフェを持ってきてくれたが、置き場がなくて困っている。

 それを受け取ったレオニダスは、無秩序に散らばる皿と皿の隙間に逆三角錐型のパフェの容器を差し込むようにして置いた。

「遠慮せずに食べるといい」

「はっ! フィーが遠慮なんて殊勝な言葉を知っとるわけないやろ! なあ?」

「知ってるけど」

 からからと笑うゼノに鼻息を返して、フィーはパフェ用の長スプーンを手にした。

 すさまじい量だ。日々のおやつ三ヶ月分は優に超えている。

 《西風》の二人に出くわしたあと、変に目立たないようにと職人通りにあるカフェに場所を移されたわけだが、この注文の仕方はむしろ悪目立ちするだけではないのだろうか。

 そんなことを思いつつ、すくった生クリームを一口。

「うまいか?」

 身を乗り出してゼノが訊いてくる。

「うん」

「機嫌はええか?」

「別に悪くはないけど」

「よっしゃ。質問タイムや!」

 パチンと両手を鳴らす。

「トールズでの生活のことや。士官学院はどや? 楽しいか? 大変か? 飯食うてるか? 周りを飛び回るようなわずらわしい(ケネス)とかおらんか?」

「学院生活のこと……?」

 虫というのは不明だったが、フィーは入学してから今日までのことをかいつまんで話した。

 いや、端的に話すつもりだったのだが、思いの外長くなった。話していたら、話したいことがいくらでもあふれ出てくるのだ。

 自分でも驚いていた。一度にこんなに私から何かをしゃべるだなんて、もしかしたら初めてかもしれない。

 授業のこと、自由行動日のこと、園芸部のこと、Ⅶ組のこと、先輩のこと、他クラスのこと、休日のこと。

 その時何があって、自分が何を思っていたか。楽しいと思えたことも、つらいと感じたことも。

 それらの全てに二人は興味を示してくれた。時折相槌を打ちながらフィーの話に耳を傾けている。優しい表情だった。

 ただケネスの名前が出た時だけは、「ゴミカス以下の虫ケラ風情が……!」と鬼の形相を並べていたが。

 最近の話もした。

 内戦勃発からのケルディックでの小屋暮らし。みんなとの再会。カレイジャス乗艦。

 その中で、彼らが最たる食いつきを見せたのはこれだった。

「フィーネさんプロジェクトやとお……」

「なんと、なんという……」

 ゼノは両手で目を覆ってうなだれ、レオニダスは手元のグラスを割れんばかりの勢いで握りしめ、幅の広い肩を小刻みに震わせている。

 うつむいたままゼノが言う。

「……誰が発案者なんや」

「エリゼっていうリィンの妹。義理の」

「そうか。《パンタグリュエル》に来とったあのお嬢さんやな……!」

 迷ったものの、フィーはその名前を出した。しかし失敗だった。ゼノの奥歯がギリッと強く軋る。

 これは、怒ってるっぽい。迂闊な発言をしてしまった。私が無理やり着せ替え人形にされたと知ったら、こうなることなんて目に見えていたのに。

 釘を刺して、エリゼへの余計な飛び火は避けねば。

「二人とも落ちついて聞いて欲しい。私は別に――」

「これでどうだ?」

「むしろ足りんぐらいやが……まあええか」

 レオニダスは小さな紙切れをゼノに確認させ、続けてフィーにもそれを見せた。現金引換えのできる小切手だ。

「エリゼ・シュバルツァーへの礼金を支払いたい。すばらしいプロジェクトだ。ぜひ計画の続行を。我らはいかなる支援も惜しまない」

「なんでみんなそんな反応ばかり……」

 提示された金額は、先3年は遊んで暮らせるような大金だ。

「さあ、どんな恰好をしたんや! 言うてみい!? 映像は!? 写真はあ!?」

「ないけど。撮られるのイヤだし」

「ふむ、ならば絵画ならあるだろう?」

「逆になんで絵ならあると思ったの。ないよ」

『ガハッ』

 二人ともがショックを受けた。胸を押さえて、苦悶に顔をゆがめている。心臓に杭を打ち込まれたかのような苦しげな表情だ。

 一応、《西風の旅団》が有する最大戦力の二人なのに。

 フィーはパフェのスプーンを卓上に置いた。向こうから姿を見せた理由はわからない。まさか本当に学院の様子を知りたかっただけということもあるまい。

 けれどこの機会。こちらにも訊きたいことはある。

「ねえ、もう私からも質問していいよね」

「団が解散した時、どうしてお前一人を置いていったか。やろ」

 あっさり返される。ちょっと虚を突かれた心地になりながら、

「はぐらかされるかと思った」

「ま、面と向かってる状態でそれはな。けど教えるとは言うてへんぞ」

「いいよ。大体わかってる」

「お?」

 今度はゼノたちが虚を突かれた顔で、こちらを見つめ返してきた。

「団のみんなは私を受け入れてくれた。私も家族だと思ってる。だからみんなと同じようになりたいって、そうも思ってた。でもさ、絶対に一線は越えさせなかったよね」

 団長は私が戦闘に参加することを良しとしなかった。

 それでも無理を押し通して、戦いの場に出て、次第に慣れて、戦果を残すようになり――いつの頃からか《西風の妖精(シルフィード)》だなんて呼ばれ出した。

 けれどそうなるまでも、そうなってからも、私は相手の命を自分の手で奪ったことがない。

 いや、少し違う。戦いの中で、そうせざるを得ない局面はいくつも遭遇した。やらねばやられる。そんな場面だ。

 そんな時に限って、必ず団員の誰かが現れて、自分の代わりに手を汚した。

「猟兵っていう環境にいながら、敵の命を絶つ機会が、とうとう最後まで私には訪れなかった。というより……みんなして、その機会を徹底的に私から切り離そうとしていた気がする」

 白い手の平を眺める。血に塗れたことのない手。でもそれはきっと、自分が請け負うはずだった業を、誰かが引き受けてくれたということ。

 ゼノとレオニダスは何も言わない。うなずきもしない。

 でもそうだと思う。

 なんでそんなことをされたのか。それも今なら理解できる。

 フィーネさんプロジェクトで、自分ではない自分を演じさせられて。そしてその姿は、あり得たかもしれない自分だと気付かされて。

 そこで初めて、何かが繋がった。

「私を戻したかったんでしょ。猟兵じゃない私に。当然のように戦うことがない、当然のような世界に。そうやって生きていたかもしれない私に」

 その為には、一度たりとも命を奪わせてはならなかった。必ず心のどこかに影が落ちるから。そうなれば、普通の世界にはもう帰れない。帰ったところで、馴染めない。日常に生じる暗い違和感に圧迫され、停滞した平和に居心地を悪くして、結局は戦いに逃げてしまう。

「ただ、私は望んでなかった」

「せやろな」

「ここまで話したのは私の当て推量だけど、否定しないの?」

 ゼノは黙った。またはぐらかすつもりなのか。しかし横のレオニダスが口を開いた。

「お前を置いていくように指示したのは団長だ」

「……そんな気はしてたけど」

「団長の気持ちを知らず、お前がわがままを通して戦いに参加したのと同じだ。団長にもお前の気持ちを(ないがし)ろにしてでも、そうしたいと思えることがあったのだ。そして俺たちも協力した。団長が言ったからではない。俺たちもそうしたいと思っていたからだ」

「……そっか。あの時は寂しかったし、つらかったし、捨てられたようにも感じた。でも私のことを大切に想ってくれてるってわかったから、今は感謝してるよ。ありがと」

 二人は静かに天井を仰いだ。

「あっ……あかん。泣きそう。こんなに成長するもんなんか?」

「例のプロジェクトのおかげだろうか……。エリゼ・シュバルツァーへの礼金を上乗せするぞ」

「当たり前や。お礼は増し増しや……。こんな天使(フィー)に手をだそうとする(ケネス)への憎しみも増し増しや……」

 謎の反作用が働いているようだった。

「さて、と。そろそろ行くわ」

 ゼノたちは席を立った。ぽんとフィーの銀髪に手を添える。

「概ね正解」

「概ね……?」

「お前を置いていった理由。それだけやない」

 そこで言葉を区切って、ゼノはレオニダスを一瞥した。目線だけで何かの合図をし、彼は続けた。

「《西風の旅団》は団長――ルトガー・クラウゼルを取り戻すために動いている」

「え……」

 言われた意味が理解できなかった。予想さえしていなかった。

 団長はあの日、あの場所で、確かに死んでいる。

「真意が知りたいやろうが、ここから先は猟兵の流儀や。勝ち取るんやな」

「……わかった」

「ああ、そうそう。ユミルで戦った時、自分の戦い方について指摘したこと覚えとるな。反応と反射の速度が早すぎて、ついていけへん体が壊れかけてるってやつや。あれはどうなった?」

「勝ち取る時に教えるよ」

「よし」

 ゼノはフィーの頭から手を離し、背中を向けた。レオニダスもあとに続き、レジカウンターに明らかに注文量より多い金額を無造作に置くと、おつりも受け取らずに店を出て行く。

 フィーは今一度、手の平を見つめた。汚れのない手。汚さないように守られていた手。

 ありがとう。ごめんね。もう少しだけ戦うよ。

 勝たなきゃいけない理由が、はっきりしたから。

 

 

 ●

 

 

 両の足は地に根を張るがごとく泰然とし、しかし迅速な初動を生み出せる重心位置を保っている。丹田を起点に半身にねじる上半身は、一部の隙もなく引き絞られていた。

 構えに無駄がない。生じる力の全てを途切れさせることなく、後ろ足裏、大腿、腰、背、肩、腕、手の内の順番に伝え、携える柄から穂先まで血が通っているかのように思える。

 少なくとも相対するガイウスから見て、ウォレス・バルディアスの刺突の構えは、完璧と呼べるものだった。

 体の延長として武器を扱うのは、武術における基礎であり極意の一つでもあるが、こうも間近で目の当たりすると、その格の違いに気持ちが萎えてしまいそうになる。

「臆するな」

 わずかな空気の乱れから察したのだろう。ウォレスは槍を構えたまま言った。

「気負っているようだが、もしかして俺に勝つつもりでいるのか?」

「まさか」

 元より今の実力で敵うはずもない。彼の軽口が心ばかり緊張を解いてくれた。

 ガイウスは深く息を吐く。ようやく呼吸が整ってきた。

 バリアハート近郊の林の中。立会人であるオーレリア以外は、周囲に誰もいない。

 二人に街中で遭遇し、連れられるままに付いてきてしまったが、改めて異様な状況だと思う。仲間に知らせることもできなかった。

 ただ彼らからは敵意を感じない。策を講じている様子もない。強いていうなら興味か。

 俺は試されている。計られている。

 ならばこれ以上ない機会と相手だ。俺も試させてもらおう。

「おっ」

「ほう」

 ガイウスの槍の構えを見て、ウォレスたちが反応を変えた。

 物質の結合点を穿つ石の目の見切り。

 以前にオーロックス砦で交戦した《剛毅》のアイネスには、その技術を利用した武器破壊を狙っていると看破されたことがある。であれば、当然この二人にもこちらの狙いは見破られているだろう。

 その上で、やる。

「そんなことがこの短期間でできるようになるのか」

 ウォレスが感嘆の声をもらした。

「誰かに師事したのか?」

「部活の先輩に」

「槍術部なんてあるんだな。俺の時はなかったが」

「美術部だ。その人は彫刻を専門にしている」

「おお、納得だ。確かに石師のスキルは槍に転用できる。だとしても容易なことではないはずだが……着眼点が面白いな、お前は」

 ウォレスは〝俺の時”と言った。どういう意味なのか。いや、今は雑念を捨てて集中を。

 そこいらに落ちている石塊ならともかく、いくつかの素材が組み合わさって構成されている物質に対して、石の目は常時見えているわけではない。

 外部からの限定的な力のかかり具合や角度、向きなど。それら全ての条件が整った時に一瞬だけ出現するのが〝目”だ。そこを寸分たがわずに突くことで、対象を破砕することができる。

 その刹那を見逃がしてはならない。

 構えの時点ではまだ見えない。それが出るのは、突きに転じる瞬間か、あるいは攻撃後の硬直時か。いずれにせよ、瞬きの間だろう。

 神経が削られる対峙だった。

 木々の枝の隙間を通る風が、甲高く鳴く。

 ウォレスがかすかに息を吐いた。彼の体の内側の筋肉が動く。今のが攻撃の初動か。なんて静かな攻勢の気。

 来る。

 そう感じた時、凪はすでに嵐になっていた。ウォレスの蹴り足が爆ぜて、土くれが弾ける。突き出される一撃。自分と彼の間の空気が爆発したかのようだった。

 まだ石の目は見えない。十字の穂先が迫る。こちらは動かない。その時を待つ。

 まだ見えない。もう貫かれる。いや――見えた。

「そこまで!」

 オーレリアの鋭い制止が響いた。相手の槍が喉元手前でピタリと止まる。反射的に繰り出しかけたガイウスの一突きも止まった。

「……いいところで」

 ウォレスが横目を向けると、オーレリアは肩をすくめた。

「続きを見たい気持ちはあるが、これ以上は死合いになる。そこまでは求めていない」

「彼の槍を受けたかったのですが」

「控え目に見積もっても、今の渾身の打ち込みは手加減して流せる類のものではなかったであろう。相応の返しをすれば、二合目はない」

「……承知」

 ウォレスは槍を引いた。

「まあ、意気は感じたし、技術の片鱗も見せてもらった。十分か。そっちも臨戦態勢を解いてくれ。これで終いだ」

 元より敵意のない相手。続ける理由もない。ガイウスは槍を収めた。

「良い一時だった。あとは任せる」

 オーレリアがその場を離れていく。

 ウォレスは彼女を追うでもなく、言葉を続けた。

「《紅き翼》の巡回中だったんだろ。連れ出して悪かったな。正直に言えば、普通に付いてくるとも思っていなかったんだが」

「……本気で連れて行きたいなら、逃げたところで無意味だと思った。俺も二人の意図は知りたかった」

「はは。腹が据わってる。年齢の割に落ち付いているな」

「時々、仲間にも言われる」

「先々が楽しみだ。さて……付き合ってくれた礼を兼ねて、助言をさせてもらいたい」

「助言?」

 ウォレスはガイウスの槍を指さした。

「物質構造の脆弱点を打つことによる武器破壊をやろうとしていたな。俺の呼吸や体捌きとも相まって生じる、ごくわずかな針の穴のような一点を狙って」

 当然見切られている。ガイウスもあえて否定はしなかった。

「決まれば、それこそ一撃必殺だろう。相手の大きさや硬度を度外視して貫通できる。だがタイミングがシビア過ぎるな。自分より実力が格上、もしくは同等の相手にはそう命中しまい。無理に決めようとするなら、今みたいに己を囮にしたカウンターを選ばざるを得なくなる」

「それは……」

 指摘の通りだった。実戦でまともに成功したのは一度。ラインフォルト社で交戦した《レジェネンコフ零式》に対してのみだ。機械相手だったから心理的な駆け引きはなく、それゆえに一点突破がまだ狙いやすかったのだ。

「視野を広く持て。相手だけを対象として捉えるな。武の基本中の基本だ。意識の拡張と目付けの仕方は習っただろう」

「だが今回の敵は正面の一人だけだった」

「お前の技術で、俺の他に貫けるものはなかったか? あったはずだ。それを選択肢に入れることで、戦術の幅は広がっていく。敵わない相手に我が身を省みず特攻するのは二流のやることだぞ」

「そこに勝機があっても?」

「死んで得る勝利など、勝ちとは言わん。死中に活を得ることと、単に死地に踏み入ることとは別物だ」

 これは(たしな)められているのだろうか。それとも諭されているのか。自分の成長を促されているようにも思う。

 前と今。たったの二回しか会っていないのに、不思議な親近感があった。言葉を素直に聞き入れられる。

「どうして俺にそんな助言を?」

「付き合ってくれた礼だと言ったろう。あとは余計な節介だ。俺は帝国生まれだから同郷とは言えないが、一族に流れる血のよしみとでも思ってくれたらいい」

「ありがとう……ございます」

 ぺこりと頭を下げる。ウォレスはおかしそうに破顔した。

 その時、林の中を地響きが震わした。

 騒音と振動は近づき、木々の向こうに見上げるほどの人影が現れる。

「機甲兵……!?」

 全身が黄金に塗られたシュピーゲルだ。

『もうよいか? 先方を待たせ過ぎるのもいかん。そろそろ出発時だ』

 機体から外部マイクを通してオーレリアの声がした。彼女が搭乗しているのか。その後ろには、鮮やかな群青色にカラーリングされたヘクトルの姿もある。

『そなたの機体も牽引してきてやったぞ。優しい先輩だな?』

「引きずってきただけでしょう。装甲が枝葉にまみれているんですが……」

『細かいことを気にするな』

「はあ……ところでランチはいかがしますか?」

『《ソルシエラ》はまたの機会とするしかあるまい。今朝作ったサンドイッチを操縦席に持ち込んである。それで腹を慰めよう』

「俺は少々の我慢か……」

『案ずるな。そなたの分も作ってある。後輩想いの先輩だな?』

「えっ」

 いきなりウォレスの顔が青ざめた。あのヘクトルより真っ青だ。

「い、いや。実は朝から腹の調子が優れなくて。胃腸から異音も発していまして」

『なんと。すまない。気がつかなかった。しかしちょうど良かった。これは色々な調合を施した具材をはさんだサンドイッチでな。体調不良も一発で直る代物だ。ちゃんとヘクトルの操縦席にも入れておいた。有能な先輩だな?』

「将軍閣下……いえ、先輩、ありがとうございます……」

 ウォレスは何かをあきらめたようだった。二人の関係はわからないが、まあ良好な関係ではあるらしい。

 去り際、ガイウスに振り向いて、

「また会おう、と言って別れたかったのだが、もう会えないかもしれん」

 そう言い残して、ウォレスはヘクトルのコックピットに乗り込んだ。

 二機は前後に並ぶと、ランドローラーで後退していく。

 ウォレス・バルディアスとオーレリア・ルグィン。西部戦線にいるはずのあの二人が東部に来た意味ぐらい、察することはできる。

 近々あるのだ、大きな戦いが。おそらくはこの内戦の勝敗に直結するほどの、大規模な戦闘が。

 そして彼らは機甲兵を繰る。それは正規軍にとっては強大な障害だろう。

 今日の予想外の邂逅は、大局には影響を及ぼすような運命的なものでない。だが自分にとっては、後々意味を持つ。そんな予感があった。

 

 

 ●

 

 

「オペラホールのステージに上がるのは初めてよね。案外、よく見渡せるものでしょう?」

 ヴィータ・クロチルダは観客席に視線を流した。ギャラリーのいない空席だけが延々と連なり、重い静寂を横たえている。

「お客様が私を見るように、私にも彼らが見えるの。色々な顔を見てきたわ。憧れ、羨望、期待、歓喜、嫉妬なんていうのもあったわね。その表情の一つ一つが好きよ。今のあなたは……そうね。困惑と疑問といったところかしら」

 舞台衣装の袖で口元を隠して、ヴィータはくすくすと笑う。

 エマは姉弟子である彼女と向き合っている。こうして二人きりというのはいつ以来だろう。

 この人は昔からそうだった。

 何かと要領の悪かった私をからかっては、楽しそうに口元を緩める。それこそ姉が妹にそうするように。冗談を冗談として流せないセリーヌは、いつも折り合いを悪くしていたけど。

 面倒は見てくれる人。

 だから私も姉さんと慕った。

「質問は〝何をしにきたの”、だったかしら。けど忘れてはいないでしょう。この為よ」

 手の平が差し出される。細く長い指が手招くように動いた。

「私の仲間に――《身喰らう蛇》に入りなさい」

「入らない」

 即答する。ヴィータの笑みがわずかに濃くなった気がした。

「二回目の勧誘、断られちゃったわね。その理由は?」

「理由がないから」

「理由があれば応じてくれるということ?」

「そうは言ってないわ。ただ私を勧誘する意図がわからない。わからないものには付いていけない。私には知らないことが多過ぎる。……禁忌を犯してまで姉さんがエリンの里を出た理由も、結社に身を置いた理由も」

「そうよね。ごめんなさい。あの日、あなたには――あなたにだけには伝えるべきだったのかもしれない」

「な、なにを今になってそんな……」

「エマが私に付いきてくれるのなら、教えることができる。どう?」

「順序が逆よ。先に教えて。その上で行くかどうかの判断材料にするから」

「あら。交渉事がうまくなったのね。そうね……今の段階で全部は伝えられないけど、この内戦における私の目的は教えても良い。それは今後、こちらサイドにとって不利になる情報でもある」

「私が知るということは、カレイジャス陣営にも伝わるわ。姉さんはそれでもいいの?」

「確かにリスクではあるし、知られたら背信行為と受け取られるかもね。私の立場も悪くなると思う。でもいいの。私の一番は、あなたに信用してもらうことだから」

 どっちだ。演技か、本心か。

 彼女の性格は知っている。だからこそ、全てが虚言であるとは思えない。

「その話をする為に」

 ヴィータは両手を掲げた。虚空が光と共に歪曲し、空間の渦の中心から一冊の本が出てきた。タイトルの表記もない黒い装丁の古めかしい本だ。それはヴィータの手に収まると、勝手にページを開いた。

「《黒の史書》と呼ばれる古代遺物(アーティファクト)の一種よ。過去、現在、未来に渡り、〝事実”が記載されている。文体は様々で歴史書のようなものもあれば、物語のようにして書かれたものもあるわ。これはアルノール家が保有していない一冊なの」

「……!?」

 予言書ということか。いや、過去にも触れているのなら、まさしく史書だ。そんなものが存在していたなんて。しかも話しぶりからすれば、それを管理しているのは皇族だ。

「疑問は尽きないと思うけれど、まずはこの世界の話をしましょう。限られた者だけが知る、ゆがんだ世界の始まりを――」

 黒の史書を中心にして、周囲の景色が変形していく。

 これは史書の能力ではない。文章の映像化。ヴィータの術だ。足元から天井まで、知らない光景が拡がって、視界を埋め尽くしていく。

 轟音と閃光が、エマの全感覚を支配した。

 騎神を遥かに凌駕する巨大な人影が衝突するのが見えた。空を染める赤黒い炎が走り、地が咆哮を上げて割れていく。

 己の愚かさを悔いる人々の嘆きが、粘っこく鼓膜にこびりつく。彼らはなぜ自分を責めているのだろう。

 

『《七の至宝(セプト=テリオン)》は知っているわね? 今からおよそ1200年前。その至宝の二つ、《焔》――アークルージュと《大地》――ロストゼウムが戦った。結果は相打ち。その余波は世界を巡り、文明を滅ぼした』

『1200年前……まさか《大崩壊》の原因って……!?』

『そう。これよ。ほとんど同時期に――まるで示し合わせでもしたかのように――現在のリベールの地では《空の至宝》輝く環(オーリ・オール)が空中都市に封印された。正確には空中都市ごと、ね。そしてクロスベルでは《幻の至宝》虚ろなる神(デミウルゴス)が消滅。これは至宝自らの意思による現象だった』

『ま、待って。話についていけない。なんで《焔》と《大地》は戦ったの? どうして《空》は封印されて、《幻》は消えたの? それに至宝の意思って……!?』

『残念だけれど、一つ一つに注釈をつけていくほどの時間はないわ。ただ至宝は人の願いをすくい取る。そこに善悪の概念はない。全ては至宝の力の方向性を誤ったがために起きた。願いは欲になり、人はその欲を律することができなかった。破滅は自らが招いたもの。だから〝早すぎた女神の贈りもの”なのよ』

「あれは……?」

 

 傷だらけの大地に立つエマは、その異様を感じて空を見上げた。

 幾重にも雷が爆ぜる天空に、強大な力が渦を巻いている。虚構の空間に再現された映像であるはずなのに、恐れおののいてしまうほどの威圧がそこにあった。

 

『あれは《焔》と《大地》が衝突し、融合した《鋼》。《(オオ)イナル一》と呼ばれしモノ。暴虐的なまでの力の塊。二つの勢力の残された人々は手を取り合い、あれを封印しようとした』

『二つの勢力?』

『争っていた種族よ。一つは大地の至宝を受け継いだ一族《地精(グノーム)》。そして焔の至宝を受け継いだ一族――我ら《魔女の眷属(ヘクセンブリード)》。世界を壊してしまった罪深い血よ。嫌になる』

『そんな……』

『結論を言えば、封印は失敗した』

 

 空に浮かぶ《鋼》が弾けた。落下しながら七つに分かたれた虹色の光は、闇の中に軌跡を描きながら吸い込まれるようにして地上へと向かう。

 灰、青、紫、黒、緋、銀、金。七色の光の柱が立ち昇った。

 

『力が大き過ぎて御しきれなかったのよ。だから人の管理が可能な次元にまで、力を分けることにした。《魔女の眷属(ヘクセンブリード)》が鋼を割り、《地精(グノーム)》が造り上げた〝器”に分割させたの。その器というのが――』

『……騎神』

『そう。七体の騎士人形。総称して《デウス=エクセリオン》』

 

 わずかに形を遺した国家や勢力同士の争いが続く中、復興が始まっていく。年表では《暗黒時代》と表記される頃だ。

 皆を先導し、統率を取る者がいた。鮮やかな金色の髪をした男性だ。彼の指示の下に復興は進められている。人望もあるようだった。

 

『彼の名はアルノール。後の世に調停者として知られることになる人物。お察しの通り、皇族の始祖よ』

『この場所は……今のヘイムダルなの?』

『ええ。エレボスの地に築かれた復興拠点の一つがヘイムダル。規模は現在よりかなり小さかったけど、時間をかけて少しずつ文明を取り戻していったわ。導力のない時代に大変だったでしょうね。……復興は概ね順調だった。だけど建国から約270年が経った頃、それは突然に現れた』

 

 景色が急速に流れて、エマは町中に立っていた。そういえば、町並が赤くない。

 整備されていない無骨な石の道が伸び、商業人の引き車が行きかっている。その石道の中心が一瞬膨れ上がったかと思った直後、地面が爆発したかのように吹き飛んだ。

 何もわからないまま人々は散り散りになり、阿鼻叫喚がこだまする中に、黒い巨竜が這い出てくる。見上げるほどの大きさの禍々しいドラゴンが、おぞましい雄叫びを上げ、その全身からドス黒い瘴気を噴き出した。

 

『に、逃げて下さい! 皆さん、早く!』

『過去の映像よ。干渉はできないわ。これは終わったことなの』

『っ! あのドラゴンの形は……!? もしかしてヘイムダルの地下にいた……?』

『Ⅶ組の何人かは遭遇していたわね。あれは暗黒竜《ゾロ・アグルーガ》。帝国史上最大の災厄よ』

『な、なに? 倒れた人が立ち上がって、逃げる人を襲ってる』

『あの瘴気は死人を(もてあそ)ぶ。まさしく呪いね。ヘイムダルは死の都と化し、首都をセントアークに移さざるを得なくなった。この辺りは一般に伝わっている史実と同じよ。もちろん伝わっていない裏もあるけどね。そして100年後――』

 

 また景色が変わった。荒廃しきったヘイムダルの大通り。

 暗雲と瘴気が立ち込める視界を切り裂いて、エマの目の前を赤い巨人が駆け抜けていく。さっき見た七つの器の一体だ。

 

『あれは《緋の騎神》。《魔女の眷属(ヘクセンブリード)》と《地精(グノーム)》の助力を受け、時の皇帝ヘクトルⅠ世が起動させた。その力を用いた死闘の果てに、ついにはゾロ・アグルーガの討伐を成し遂げる。でも――』

 

 喉元を貫かれた暗黒竜は絶命する寸前に、闇の飛沫のような血を《緋の騎神》に吐きかけた。

 騎神が苦しげに身じろぎし、双眸から光が失われる。(ケルン)から排出されたヘクトルⅠ世は、その場で地に伏し、二度と起き上がることはなかった。最後に何かをつぶやいたようだったが、エマには聞き取れなかった。

 

『ゾロ・アグルーガの穢れた血を身に受けた《緋の騎神》は、文字通り呪われた存在となった。そのままその地に封印され、廃都の上には現在まで続く帝都ヘイムダルが再び築かれた。そして人々は命を賭して都を奪還した皇帝と彼の騎神に最大限の敬意を示し、建物や家屋を緋色で塗ったのよ。皇族のカラーが紅となったのもこの頃から』

『そんな経緯があったなんて……』

『でも奇妙だと思わない? それを誰も知らないって。これほど大きなことがあって、《緋の帝都》と称されるようになったのに、その経緯を一人として把握していない。それどころかその起源を調べようとした人もいない。そもそもそういう考えが頭の中に生じていない』

『確かにおかしいわ。歴史書に記されて当たり前の出来事なのに。それに暗黒竜の出現は記録として残っているけど、《緋の騎神》については触れられていない。騎神全体を指して、伝承で《巨いなる騎士》とおぼろげに存在をほのめかす程度……』

『英雄を忘れない為に緋色に染めたのに、そのことさえいつしか忘れてしまった。忘れたことさえ、忘れてしまった。己を取り巻く歴史の流れに、疑問を抱かなくなってしまった。残念だけれどね、この世界はそういうふうに出来ている』

 

 その言葉と同時に、空間が再び歪んでいく。

 今度は室内だ。広い間取りの部屋には赤い絨毯が敷かれ、豪奢な造りのベッドが設置されている。そのベッドには一人の男性が横たわっていた。

 その周囲にいるのは、彼の妻や子だろうか。皆、目に涙を――浮かべている者と浮かべていない者がいた。うっすらと口元に笑みを浮かべる者も――

 

『もう少し昔話に付き合ってもらうわよ。ここはバルフレイム宮殿。七耀歴で言えば947年。皇帝ヴァリウスV世が崩御した。あの子、わかる? 皇帝の亡骸にすり寄って泣いている男の子』

『優しそうな顔立ち……少しセドリック殿下に似てるわ』

『マンフレート皇太子。皇位第一継承権のある彼も、この数日後に殺される。暗殺を謀ったのは多分――』

 

 先ほど、かすかに笑っていた男が、気配を断つようにして退室する。

 あのよどんだ目。その顔立ちや雰囲気にはどこか覚えがある。いったいどこで……

 

『あの男の名はオルトロス。第四皇子で後世に偽帝と呼ばれた者。マンフレート皇子が死んでからの彼の行動は迅速だった。帝都の全権を掌握し、即位まで宣言した。当然、そんな勝手を見過ごせるわけもなく、第二皇子アルベルト、第五皇子グンナル、第六皇子ルキウスも、それぞれが母方の大貴族の支援を受けて即位を宣言した。帝国全土を巻き込んだ内戦の始まり』

『……それが《獅子戦役》』

『ま、ここも教科書通りね。でもここからは教科書に載っていないわよ』

 

 場所が移った。ヘイムダル近くの平原のようだ。

 戦いが繰り広げられている。主戦力は騎馬。武器は剣に槍に火薬式の銃。弓もある。

 オルトロス軍勢とグンナル軍勢の戦闘。ほぼ互角――いや、帝都を奪還しようとするグンナル軍が優勢だ。隊列を巧みに組み替えながら、オルトロス軍を退けていく。

 その時、上空から閃光が降り注いだ。戦域を埋め尽くすほどの、無数の光。その正体は巨大な武器だった。実体化した矢、剣、槍が豪雨と化し、グンナル軍の歩兵を一瞬で蹴散らした。

 空中に《緋の騎神》の姿があった。

 

『なんで……っ!?』

『オルトロスが封印を解いたのよ。〝千の武器を持つ魔人”としてね。圧倒的だった。でも時を同じくして、第六皇子のルキウスも《紫紺の騎神》を復活させていた。そしてこの戦いで敗れたグンナルは、第二皇子のアルベルトと手を組むことになる。つまり騎神を保有する二陣営と、最大規模を誇る連合軍の三すくみという図式ができあがったわけ』

 

 映像が切り替わる。

 雄大な大地に寝転がる青年が見えた。ここは知ってる。ノルド高原だ。ということは彼は――

 

『泥沼の内戦が二年も続いた頃、一人の青年が立ち上がる。たった十七名の手勢を従えて挙兵したのは、ドライケルス・ライゼ・アルノール。庶出の彼は皇位継承者たちから疎まれて、各地を転々として、このノルドの地に身をよせていた』

『あの人が獅子心皇帝……。そのとなりにいる人は?』

『ロラン・ヴァンダールでしょうね。友人として彼の挙兵を後押しし、常に支え、内戦の最中に亡くなった人。失意に暮れるドライケルスは、やがてある人物と出会う』

 

 燃え盛る町。焼き討ちだ。凄惨な光景が、ケルディックのそれとかぶる。

 炎と黒煙が荒ぶ中に、甲冑の音が響いた。絹のようなブロンドの髪が風に波打ち、鎧をまとった女性が微笑む。

 

『槍の聖女リアンヌ・サンドロット。そして彼女が率いる鉄騎隊。多くの協力者に恵まれながらドライケルスは着実に勢力を広げ、ヘイムダルへと進攻した。けど最後の戦いを目前に控えた彼らがトリスタにたどり着いたのと同時、帝都では三すくみの勢力の全面対決が始まってしまっていたの。ご覧なさい、エマ』

 

 またエマはヘイムダルに移動していた。

 視線の先、遠く。バルフレイム宮が――バルフレイム宮ではなくなっていた。空を衝かんばかりに伸び、赤黒い威圧を放つ魔城。天守のさらに上方には、すさまじく大きな炎球が掲げられている。

 その毒々しい太陽を背に、《緋の騎神》が両手を広げていた。そのシルエットに翼らしきものが生える。赤い霊脈が町中を走り、人々の生気を吸い尽くしていった。

 腕の一振り。それだけでグンナル、アルベルト軍は消滅し、ルキウス陣営の《紫紺の騎神》も容易く敗れ去った。全てを灰燼に帰す衝撃波が、エマの体をすり抜けていく。

 

『違う。《緋の騎神》じゃない。それにあの城はなんなの?』

『煌魔城よ。呪いの具現化――いえ、象徴化の産物。そしてあの人型は、オルトロスが《緋の騎神》を神の域にまで昇華させたもの。その名を《緋き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)》という』

『あんな……あんなものが……』

『あんなものにも、立ち向かう者がいたのよ』

 

 エマの頭上を一瞬影が通り過ぎた。

 一直線に空を駆け、《緋き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)》に特攻するのは、一体の騎神。灰白の装甲を輝かせる、見慣れたその姿。

 

『ヴァリマール!?』

『トリスタの地に眠っていた《灰の騎神》。このタイミングでの登場とあれば、起動者は誰かわかるわよね?』

『……ドライケルス・ライゼ・アルノールでしょう』

『ご明察。彼の導き手となった魔女は――ま、これはいいわ』

 

 ヴァリマールと《緋の魔王》は空中で何度も交錯しながら、煌魔城の天守へと突っ込んでいく。轟音。轟音。衝撃。ヴァリマールは傷だらけだ。もうもたない。敵わない。

 ヴァリマールが剣を構える。捨て身の一撃を仕掛ける気だ。ブースト全開。敵に肉薄する。

 激突。刹那、光があふれた。まばゆい銀色の光だ。

 その光の中に、もう一体の人型の影が見えた気がしたが、それ以上はよくわからなかった。

 魔王の断末魔だけが響く――。

 

「これが今日まで続く世界のお話。この後、ドライケルスは帝都を治め、《灰の騎神》を再びトリスタに眠りにつかせ、そこにトールズ士官学院の校舎を設立した。確か今は旧校舎だったかしら」

 はっとして意識を据え直す。光景はオペラホールのステージに戻っていた。しんとした空気だけが満ち、体が重くなったような気がした。

「今の映像は……」

「嘘じゃないのはわかるはず」

 わかっている。ここまで手の込んだ虚構など作る必要はない。

 巨イナル一。地精。魔女の眷属。騎神の精製。生み出されし呪いに端を発する帝国の裏の歴史。

 どれも真実なのだろう。簡単に受け入れられるものではなかったが。

「その上で姉さんの目的を教えてくれるんでしょう? それはなに?」

「煌魔城を再び顕現させ、《緋の騎神》を復活させる」

 静かな声音がホールに響く。まっすぐにエマを見つめる視線。冗談ではないようだった。

「過去、帝国に何が起こったのかを知って尚、あれを蘇らせるというの?」

「元々はその為に内戦を起こしたのよ。宰相暗殺はそのトリガーだったに過ぎない。もっともクロウにとってはそれが第一目的だったでしょうけど」

「内戦と《緋の騎神》の復活に関連が?」

「《緋》はバルフレイム宮の地下に封印されているから。あそこは七耀脈の集約点でね。各地区やマーテル公園からも霊脈が繋がっているのよ。だからまずは皇城を押さえて、そして皇族を手中に入れておく必要があった。いまだ呪いの影響下にある《緋の騎神》は、アルノールの血族でないと起動者になれない。その名を呼ぶことも許されない」

「待って。皇族って……!」

「当初の候補者はセドリック皇太子かアルフィン皇女。オリヴァルト皇子は捕まらないでしょうしね。だから皇女をユミルから連れ出すように、私は黒兎に指示を出した。候補は多いほどいい。結果として《灰の騎神》に邪魔されて、失敗しちゃったけれど」

 だとすれば、現状の起動者候補はセドリック一人ということになる。彼の身が危険だ。

「やめさせて! なぜ《緋》を起こそうとするの!?」

「最終的には全ての騎神を目覚めさせるわ。ただ《緋》だけはその手順が他と異なるから、こんなに手間のかかるやり方をしているのよね」

「………」

 騎神を全部そろえてどうするつもりなのか。超常的な力をもって、何を成す。いや、力であれば代用は利く。時間はかかるだろうが、騎神に匹敵する機甲兵もいずれは作れるかもしれない。

 騎神の力ではなく、求めているのはその存在か。

 存在。生まれた理由。

「まさか……原初の《鋼》……《巨イナル一》に戻すつもりじゃ……!?」

「ここから先は答えられない。答えない。あなたが私についてくると言わない限りは」

「ついていくわけがないわ。絶対に阻止する」

「そういう返答になるとわかっていながら、なぜ私が目的を告げたと思う? それは誠意を見せる為。そしてあなたを救う為」

「私を……救う?」

「ええ、そうよ。正しくはあなた達を、かしら」

 ヴィータはステージの中央にまで歩み出た。スポットライトが自動で彼女を追う。

「煌魔城が現れたら、それを落とさんと《紅き翼》はヘイムダルにやってくる。Ⅶ組の面々は戦闘班として、城への進入を成功させる。私の張った結界を、《灰の騎神》で突破して」

「何を……言ってるの」

「立ちはだかるのは《西風》の二人、《怪盗紳士》、《閃光》のデュバリィ。《劫炎》のマクバーンも敵になるわ。あなた達は奮闘するも、突破には至らない」

「だからなんの話を――」

「分岐した世界の話よ。無数に枝分かれした可能性の一つの世界。その世界でのあなた達は、自分たちだけの力では乗り越えられなくても、協力者たちの加勢を得て、各層を乗り越えることができたの。そうして天守へとたどり着けた」

 ヴィータは〝黒の史書”をめくった。

「これ以上の記述がないから、その先がどうなったのかは私にもわからないけど。ただ、この世界にいるあなた達は、そこまで乗り越えることができない。なぜなら協力者たちの助力が受けられないから。協力者って誰かわかる?」

「……思い当たるのは、トヴァルさんやクレア大尉、オリヴァルト殿下にアルゼイド子爵」

「まあ、その辺りでしょうね。その人たちがね、来ないのよ。彼らがカレイジャスを降り、自分の属する組織や西部に向かったのはいつ?」

「トヴァルさんは双竜橋戦での介入後、他の皆さんはその直前だったわ」

「本来なら――という言い方はおかしいわね。分岐された世界では、もう少し早い段階で彼らは艦を離れている。この世界のタイミングとはずれてしまっている。でもその些細なずれが致命的だった。わずかな差が戦局に影響を及ぼし、少なくとも煌魔城突入に彼らは間に合わない。まだ西部で待機したままでいる」

 黒の史書の一ページが勝手に取れて、床にはらりと落ちる。そこに青い炎が上がり、紙は燃えカスに変わった。

「もちろんどちらの結末がいいとは言えないし、その結末も私にはわからない。ただ未来は変わってしまった」

「だから私たちが乗り越えられないっていうの? でもそれはやり方次第で――」

「希望的観測はやめなさい。確かにあなた達は成長し、強くなったのかもしれない。なら勝てる? 努力の積み重ねや才覚や運を総動員したとして、自分たちだけでマクバーンたちを相手に乗り越えていける? 全員が一人も欠けずに?」

 エマは沈黙する。客観的に戦力を並べてみて、できないことがわかった。

 ヴィータは口調を柔らかくした。

「私はあなたを失いたくない。大事な人たちを失うあなたも見たくない。私の元にくれば、それだけは防いであげられる。それがエマを誘う理由よ。あなたを守りたいの。お願い、応じて。《身喰らう蛇》に来て。私をまだ姉と慕ってくれるのなら」

「だ、だけど、やっぱり《緋》を目覚めさせるとか、そんなことの手伝いはできないわ」

「勘違いしないで。私たちは過去を再現したいわけじゃない。世界を壊したいわけでもない。起こすのは《緋の騎神》であって、《緋き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)》じゃない。手段に抵抗を覚えるのは仕方ないと思うけど、最終目的は巡り巡って人々の救いになるものなのよ。あなたにも分かる日がきっとくる。いいえ、首を縦に振ってくれるのなら、今すぐにでも」

 揺れている自分がいた。仲間の命と自分の意地を天秤にかけている。ヴィータと和解ができる。彼女の事情を知れば、今までの全てに納得できるかもしれない。

 それでも答えに窮していると、ヴィータはゆっくりと背中を向けた。

「こっそり学院祭に行ったの。そこでⅦ組のステージを見て、あなたの歌を聞いた」

「き、来てたの?」

「ふふ、恥ずかしい? いい歌だったわよ。技術の話じゃなくて、想いが込められていた。ああ、エマってこんなふうに歌うことができたんだって、正直驚いたわ」

「そう……なの」

「その想いが向けられる人たちが傷つくのはいやでしょう。この先に悲劇が起こるかどうかは、あなたの選択次第よ」

 ヴィータの足元に光陣が浮き立つ。

「姉さん! 待って!」

「私の誘いは次で最後。三度目の問いで、また会いましょう」

 光の中にヴィータは消えた。

 立ち尽くすエマ。

 周囲に残された闇が、心の隙間に入り込んでくるようだった。

 

 ●

 

「――とまあ、色々なことがあったわけで」

「へえ、相変わらずの苦労人だな」

 貴族街のベンチに座ったまま、トワとクロウは話していた。

 不思議だった。艦の機密に関わるところは口に出さないよう、最初は構えていたはずなのに、気づけば前のようにおしゃべりしていた。

 トワは自分のことばかりを語り、クロウがそれを聞いている。

 普段の立場では言えないことを、全部吐き出してしまっていた。ちょっとスッキリした。

「ふうん、艦長として悩んでるってか」

「うん」

 打ち明けたのは、ちょうどさっき悩んでいたことだ。これまでのカレイジャスの活動について。それをクロウに話すのもどうかと思わないではなかったが、むしろ彼だから良いという考えに至った。

「なるほどね。《紅き翼》の行動が受動的になって、第三の風としての意義を果たしていない気がする――ってことでいいんだな?」

「そんな感じ。誰にも言わないでね」

「言う相手がいねえよ。まあ、あれだ。元気にやってりゃ、なんとかなんじゃねえか?」

「適当だよ。アドバイスが適当だよ」

 もう、とトワは息を吐く。クロウは笑っていた。

 本当にこんな雑談をしに来ただけなんだろうか。情報を引き出そうとか、そんな思惑はまったく見えないが……。

「っと、なんだ。もう時間切れかよ。ヴィータもゆっくりすりゃいいのによ」

「え?」

「顔見れて良かった。じゃあな」

 まばらな人通りが戻って来ていた。そういえば、あの歌声が聞こえない。

 クロウがベンチから立ち上がる。訊いていないことが、まだあるのに。

 反射的に、トワは彼の袖をつかんでいた。

「おっ?」

「……ねえ、どうしてクーデターなんて起こしたの? なんでオズボーン宰相を憎んでいたの? 私たちのことは……どう思ってたの?」

「……はっ。そりゃ聞かれるよな。なんでって、それは――」

 口を開きかけたクロウは、しかしまた閉ざした。何かを口ごもったあと、その首を軽く横に振る。

「言わねえ」

「なんで?」

「お前ら、甘いからさ。身の上話や心情とか聞いて、戦われなくなったら困る。特にトワは艦長だろ。俺を討てって命令を下す場合だって出てくるかもしれねえしな。そこで迷えば、状況によっちゃ全員の命に関わるぜ」

「そんな……そんなこと」

 あるかもしれない。非常になり切れない自分の性格は、自分が一番わかっているつもりだ。

 知らないままの方がいいのだろうか。しかし、それでは。

「実はエリゼにだけは伝えちまったんだけどな」

「エリゼちゃんに? 今カレル離宮にいるんだよね」

「何で知ってんだ?」

「やっぱり」

「あ」

 クロウが渋い顔をする。

「かまかけやがったな。こんなサラッと仕掛けてくるかね。あなどれねえな、お前は」

「アルティナって子がね、前にミリアムちゃんに教えてくれたんだ。私はまだ半信半疑だったんだけど、今ので確信した」

「アルティナがねえ。そいつは意外だ。流出して致命的な情報でもないから構わんが。どうせエリゼも奪還する気でいるんだろ。俺の過去のことは口止めしてねえから、どうしても知りたきゃアイツから聞けばいい。……面白い話でもないけどよ」

 やはりエリゼはカレル離宮にいた。ただしそこに向かうには、足掛かりを固めてから――つまりトリスタに帰艦してからということになる。

 クロウの過去を知るべきか、否か。その判断はすぐにはできなかった。

「それと、最後に言っとく。第三勢力っていうのは、中立って意味じゃない。そのことをもう一度考え直すといい。多分、トワの悩みの根幹はそこだと思うぜ」

 袖が離れ、クロウが歩き出す。遠ざかっていく背中が、かすかに滲んで見えた。

 最後という言葉が、頭蓋に反響する。 

 このまま行かせたら、もう二度と会えない気がした。だとしても彼を引き留める言葉は出てこない――

「クロウ君!」

 とっさに叫ぶ。彼は振り返った。

「あと数か月で卒業だったんだよ、私たち」

「ああ、そうだったな」

 自分でも何が言いたかったのかわからない。

 ただ思うことを言った。

「一緒に卒業したかったよ」

「ああ、そうだな」

 

 

 ●

 

 

 カレイジャスに戻ったトワを待っていたのは、報告の山だった。

 ガイウスからは〝黄金の羅刹”と〝黒旋風”が現れたと聞き、フィーからは《西風》の二人がデザートをごちそうしてくれたと聞いた。それはどうでもよかった。

 エマからも後で話があると言われていた。

「自分の考えをまとめる時間がないよ……」

 いや、時間は作るものだ。とりあえず庶務仕事を片付けよう。ここに関しては、さしものアンゼリカも手を出してこない。彼女は書類の管理がアバウトなので、むしろ手を出してくれない方が助かっていたりする。

「トワ様」

 気合いを入れ直して、ブリッジに入ろうとした時、後ろから呼び止められた。

 振り向くと、シャロン・クルーガーが楚々として佇んでいた。

「シャロンさん? ブリッジまで来るのは珍しいですね。どうしたんですか?」

「差し出がましくも、トワ様に進言がございまして」

 それこそ珍しいことだった。運営にシャロンが意見をしてくることは、今まで一度もなかったのだ。

 なんだろう。何かシャロンが見過ごせないほどのミスがあったのか。自分の不手際を咎められるのか。

 ごくりと生唾を飲み下し、次の言葉を待つ。

 シャロンは口の両端をわずかに上げた。

「避難訓練をしましょう」

「……ひなんくんれん?」

 

 

 ――続く――

 

 




『分岐された世界の欠片』をお付き合い頂きありがとうございます。

暑いですね、強烈に。また今年もセミが鳴くっ!

今回は閃Ⅲにも関わるくだりが出ています。《夢にて夢みて》のアルティナのストーリーのようにぼやかすか迷いましたが、閃Ⅲ発売から一年近くが経っていますので、そこはもう行かせて頂きました。
未来分岐はメタ的なものではなく、零の軌跡の過去分岐に近いものです。そこに言及する為に《黒の史書》を使いました。さらにその史書に干渉できる魔女殿のおかげで、スムーズにお話を進めることができています。
ありがとう、ヴィータお姉様! 閃Ⅳで戦闘メンバーに入ることを期待していますぞ。

気付けばメインストーリーが100話を越えていました。全体の三分の二は描き上げていると思います。
閃Ⅳ発売には間に合いそうにありませんが、エンディングまでお付き合い頂ければ幸いです。

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