工業区から作業の音が聞こえている。鋼鉄を加工する騒音だ。
一時期はハイデル・ログナーによって掌握されていたラインフォルト社の運営権も、すでにイリーナ・ラインフォルトに譲渡され、工場は通常稼動の日々に戻っていた。
そのハイデルは消息不明だ。正規軍に引き渡されたわけでもないらしい。誰も入ることを許されない本社ビルの地下から、時折彼の悲鳴が聞こえてくると社員の間ではもっぱらの噂だが、真相は闇のままだった。
「――ただね。悲鳴と合わせて、聞き覚えのあるメイドの笑い声も聞こえてくるそうなんだけど……何か知らない?」
アリサが疑惑の目を向けると、連れだって歩くシャロンは片頬に手をあてて困ったように微笑んだ。
「残念ながら、思い当たることはございません」
「本当に?」
「お嬢様はわたくしを疑っておいでなのですね」
「そう」
「悲しいですわ。わたくしがアリサお嬢様に虚偽の報告をしたことがあったでしょうか」
「あるから訊いてるのよ」
「あら、あんなところに蝶が」
「冬に蝶なんかいないし、露骨にはぐらかしたし。やっぱりそうなんでしょ!?」
ルーレ市街の人込みを抜けつつ、シャロンが歩調を早める。第二層に続く階段を上り、スチールで舗装された細い路地を進んでいくと、《ジャッカス》とボロ看板の立てかかった店が姿を見せた。
表通りからは外れ、さびれた印象を受けるこの修理屋がアリサの目的地だった。
「ここに来るのも久しぶりだわ」
「前は良くお越しになっていたのですか?」
「まあね」
変わり者だが、腕のいい店主がいる。掘り出し物があったりと、品ぞろえも面白い。
アリサがこの修理屋を訪れたのは、新しいハンマーを見繕って来て欲しいというジョルジュの頼みがあったからだ。今まで使っていたハンマーの持ち手部分が折れてしまったのだという。
そのような道具は自分で探した方が良いのではとも思ったが、連日クララにこき使われていて、ジョルジュの体力と精神は共に限界まですり減っている。睡眠時間もこの三日で40分しか与えてもらえなかったそうで、立っているのもやっとの状態だった。
今の彼を動かすことは気の毒にも思えたし、ちょうどルーレの巡回もあったので、アリサはハンマー探しを引き受けたのだ。
「こんにちは、ジャッカスさん。お元気ですか――って、え?」
店内に足を踏み入れると、ビン底メガネに禿頭のジャッカスが相変わらずの怪しさでいたが、それよりも彼とカウンター越しに話をしている女性に視線が止まった。
見間違えようもなく、イリーナだった。
「か、母様!?」
「奇遇ね。何の用?」
対して驚いた素振りも見せず、イリーナは普段通りの応対だった。
「むしろこっちが訊きたいんだけど、なんで母様がこの店に……あ」
カウンターに置かれているそれにアリサは気づいた。
あれは知ってる。父様が母様に贈った懐中時計。前から度々気になってはいたのだ。それがここにあるということは。
「もしかして壊れたの?」
「で、どうなのかしら」
アリサの質問を流して、イリーナはジャッカスに訊いている。さらりとスルーしてくるそういう態度は、いつも腹の立つところだ。
ジャッカスは眉間にしわを寄せた。
「こりゃ無理じゃな。修理に必要なパーツの目途は立ったが、どれも特殊なものばかり。仮にそれが集まったとしても、作りが精巧過ぎて元通りに再現できるかわからん」
「そう。まあ、やるだけやってもらえる? 戻らないようなら壊れたままでも構わないわ」
「なんでそんなこと言うの!?」
我に返った時には、すでに叫んでいた。
イリーナの発言は間違いではない。どうやら時計の修理は困難らしい。だから壊れたままになる可能性は高い。
しかしその見解をジャッカスが告げ、イリーナが承諾するならまだしも、彼女の口から〝壊れたままでいい”とは聞きたくなかった。それがひどくアリサの気に障った。
頭に上った血はすぐには引かない。アリサはイリーナをにらみつける。
「簡単にあきらめていいものではないでしょう! どういうつもりなの!」
「どうもこうも。一流の技師が修復が難しいと言った。直しようがないなら、現状の維持をする。何かおかしいところがあって?」
「ないわね。人間らしさがない。機能が失われたら、その価値もなくなるの? 母様が父様からもらったものは単なる時計じゃなくて、時計に込められた気持ちじゃないの?」
「どうだったかしらね」
「っ……!」
今まで母娘ゲンカと呼べるものは数えきれないほどしてきた。その全ては論破され、やり込められ、自分の意思をまともにイリーナに通せた記憶はない。
だがこれだけは退けない。なにがなんでも退けない。
「もういい」
アリサはカウンターの懐中時計を荒っぽく奪った。
「私が直す。ジャッカスさん、必要なパーツを教えて下さい」
「し、しかしじゃなあ……」
ジャッカスに食いかかる間に、イリーナはさっさと踵を返していた。
「どこいくの! まだ話は――」
「すぐに商談が控えてるのよ。直ったら持ってきてちょうだい」
扉がバタンと閉まる。
かつてない怒りが、ふつふつと全身に湧いていた。もしもマキアスの眼鏡でも転がっていたなら、苛立ち紛れに踏み砕いていたかもしれない。それほどアリサは怒っていた。
イリーナを見送ったシャロンは一礼から頭を上げる。彼女は終始、一言も発さなかった。
《――懐中時計が刻むもの 前編――》
「カレイジャス飛ばして下さい、一刻も早く!」
ブリッジに押し入るや、アリサはぐいぐいとトワに詰め寄った。その剣幕に押されたトワは、艦長席に背中を沈ませる。
「お、落ち着いて、アリサちゃん。なに? どういうこと?」
「入手したい部品があるんです、今すぐに」
ジャッカスから教えてもらった懐中時計を修理するために必要なパーツは三つ。いずれも特殊な代物で、ルーレだけでは賄えず、収集に回らなければならない。
あまり時間はかけたくない。さくっと直してみせて、イリーナの鼻を明かしたかった。
「でもブリッジ周りの配線をメンテしてる最中だし」
「飛行には問題ないんでしょう? 移動中に全部私がやりますので」
「ま、まだルーレ市内を巡回してる人もいるから。その人たちを置いて出航するわけにはいかないよ」
「巡回終了時刻までにはまだ余裕があります。それまでに帰還すれば問題ありません」
「あうぅ……アンちゃんも何とか言ってよー」
トワは助け舟を副艦長に求めた。操舵席に座るアンゼリカは「やれやれ」と首をすくめると、左手の親指をスッと立てた。
「カレイジャス出航スタンバイ!」
「なんでそうなるのかな!?」
「うーむ。ルーレにいると親父殿の気配というか、濃い空気を感じてしまってね。どうにも居心地が良くなかったんだよ。アリサ君の申し出は渡りに船というやつだ」
ゲルハルト・ログナーは屋敷にて自己謹慎中である。
「皇族に弓引く形になったことを悔いていたらしい。自分に謹慎を課すなど笑えるだろう? さじ加減一つの引きこもりだ」
「話しながら着々と出航準備を進めないでってば!」
すでにオーバルエンジンは稼働していた。振動が船体を震わせる。
慌てるトワを制しながら、アリサは後押しした。
「やっちゃって下さい、アンゼリカさん」
「任せたまえ」
「ダメ! ダメだから!」
「ああ、一生懸命に拒絶するトワもいい。もっと困らせたいな……」
アンゼリカはうっとりと恍惚の表情を浮かべながら、ねっとりと操縦桿に手を伸ばす。
「ほーら、このレバーを引きながらこっちのペダルを踏むと、艦はどんな反応を見せてくれるのかな?」
「だ、だめっ! 飛んじゃう!」
「ふふ、こっちのボタンは何だろうね」
「やだあ! 発進ブザー鳴らさないでぇ!」
「さあ、最初から出力全開のフルスロットルで行こうか!」
「壊れちゃう! もっと優しくしてくれないとエンジンが壊れちゃうよぉ!」
アンゼリカが高笑い、トワがむせび泣く。
「なにやってるんですか……」
げんなりとした口調でアリサがつぶやく。先輩たちは平常運転だ。
艦長の抵抗もむなしく、カレイジャスはルーレ空港を飛び立った。
☆ ☆ ☆
《――エレクトリカル皇女さま――》
「そうですか……。ありがとうございました」
対応してくれた看護師に礼を告げると、アルフィンは後ろに控えるリィンに振り返った。
「仕方ありません。また出直しましょう」
「はい」
歩き出すアルフィンにリィンが続く。
清潔感のある通路を歩いていると、何人かの看護師とすれ違った。その全員に、アルフィンは会釈をしながら通り抜ける。聖アストライアの制服を着ているから、皇女とはばれないようだった。このご時世である。ケガをした親族の見舞いに、兄と一緒に来たとでも思われているのだろう。
「うーん。わたくし、リィンさんの妹にしか見えないのかしら」
「は?」
「あら、予想通りのご反応」
リィンは怪訝そうに首をひねっている。これで察してくれるほど勘の良い人ではないことは、アルフィンも承知の上だった。
二人が訪れているのはルーレ総合病院。ラインフォルト社の最新医療機器を備え、内科はもちろん、近年進歩してきた外科にも専門医を常駐させている。建物の規模も大きい。
目的はG・シュミットの容態を確認する為だ。リィンには護衛を兼ねて同行してもらっている。
「面会、まだダメなんですね……」
「ICUからHCUに移ったらしいですが、意識は半覚醒状態だそうで」
「あいしー……えっちしー……どういう意味です? リィンさん、えっちなんですか?」
「な、なんでそこだけピックアップを。ええとですね、ICUとHCUの違いというのは……――」
リィンの説明が止まる。
「……あとでトワ会長に聞きましょう」
「賛成です」
シュミットが入院する事態になったのは不可抗力であるが、一応アルフィンも責任は感じていたりした。
ダメ押しの電撃を入れたのは、紛れもなく自分なのだから。
潜入班だった男性陣は色々とフォローしてくれたものの、あれ以降、艦内に変な噂が広まってしまった。アルフィン皇女を怒らすとロイヤルサンダーを落とされるとか、護身用の戦術オーブメントは雷系一色で埋め尽くされているとか、そんな根も葉もない噂が。
病院を出る。まだ敷地内だ。そこにはちょっとした休憩スペースもある。ちらりとリィンを横目に見て、
「ベンチが空いていますね。ちょっと休憩していきませんか?」
「そうしましょうか。売店もありますし、何か飲み物を買ってきますよ」
「ではオレンジジュースを一つ。そしてストローは二つ」
「そ、それにはどういう意図が……」
「リィンさんがお考えの通りです」
彼は渋面を浮かべて、内なる何かと激しく葛藤しているようだった。
「ふふ、冗談です。好きなものを買ってきて下さいね。お兄様名義の領収書も忘れずに」
「飲み物ぐらい構いませんよ」
「お気になさらず。落とせるものは経費で落としちゃいましょう」
「むしろ殿下に経費で落とせないものってあるんですか……?」
ほどなく二つ分のカップを持ったリィンが戻ってきた。二人並んで、ベンチに座る。
雑談もそこそこに、頃合いを見計らってアルフィンは言った。
「ちょっとリィンさんにお聞きしたいことがありまして」
「ええ、どうぞ」
「リィンさんは、ミッドナイトヘブンで触手マニアで露出狂なのですか?」
ぶぶーっとリィンが口に含んでいた飲み物を噴射する。二アージュほど向こうまで飛沫が飛んでいた。
「な、な、なんです、それは!」
「ご存じないのですか? 女子の間ではその話題で持ち切りですよ。今日はせっかく二人切りでの外出なので、その辺りをお聞きしておこうかと」
「俺の知らないところで、どんな話がされているのかを先に聞きたいのですが……」
「そうですね。夜な夜な攻めたスタイルの服を着ては、ぬめった極太の触手を片手に艦内を駆け回り、女の子を見つけるやその衣類の全てを脱ぎ捨てて、『俺の八葉一刀流を見せたろか』と跳躍してくるという――」
「変態じゃないですか!」
「まさかご自身でお認めになるとは……」
「違います! 断じて!」
ものすごい剣幕で顔を近づけられる。内心でどきりとしつつ、アルフィンは物憂げなため息を吐いた。
「わたくしなら大丈夫ですわ。リィンさんがお望みと仰るのなら、少々特殊なご要望にもちゃんとお応えする心づもりがあります」
「何も望みませんから!」
「それはそれでつまらないですけれど。……ん? んー……?」
「で、殿下?」
じいっとリィンの表情を見つめる。
目線の泳ぎが普段よりも早い。喉がごくりと鳴る。息を呑むのは、何かの意思を外に出せない――出してはいけないという無意識下の心情の表れ。さらに目を下ではなく横に逸らすのは、異性を意識した場合に起こりやすい。
それら全てのサインの意味を知っていたわけではなかったが、アルフィンは直感した。
これは、まさか。
「何か隠し事してます? 人に言えないことあったりします?」
「べ、別にありません」
今度は視線が上に逃げる。言葉を選んでいる。取り繕おうとしている。
ほぼ決まりだ。
これは出遅れてしまったかも。エリゼ、由々しき事態よ。
「……まあ、いいでしょう。チャンスはまだまだありますし」
「え?」
「こちらの話です。そちらの話でもありますが」
「あの、さっぱり……」
曖昧に笑って、返答を濁しておく。
これ以上の明言や追及は野暮というものかもしれない。アルフィンは話題を変えた。
「リィンさん。わたくし、皆さんのお役に立てていますか? 足を引っ張ったりはしていませんか?」
本当はこれの方が本題だった。
リィンは目を丸くした。
「急に何を……そんなことあるはずないじゃないですか。いつも助けられてばかりなのに」
「そう言って頂けるのはありがたいのですけど……この前はスカーレットさんを離脱させてしまいましたし。あれはわたくしのわがままですよ」
「……薄々気付いてはいましたが」
「リスクがあることも承知していました。戻って来てくれる保証もありません」
「でも、信じているんですよね」
「……ええ」
あのお芝居作戦に踏み切る前に、スカーレットとはたくさんの話をした。
彼女の生い立ち。テロリストに身を落とした経緯。今の気持ち。これからのこと。
もちろん自分のことも伝えた。皇女の立場。その悩み。エリゼにしかしていないような話もした。
それだけでお互いを知れたとは思わない。だけど前よりは理解できた気がする。
部屋を出る時、スカーレットは〝ここがいいと思える場所を探す”とつぶやいた。ちゃんと返事はしに戻ってくるとも。
だから、信じている。
「想いを伝えるって難しいことですよね」
「ええ、本当に」
「あら」
即答で同意してくるのは意外だった。
やはり彼の中でも何かが変わり始めているようだ。
「そろそろ帰りましょうか」
ジュースを飲み終え、アルフィンはベンチから腰を上げた。
「もういいのですか?」
「はい。リィンさんに聞いてもらって胸のつかえも取れました。それにあんまりゆっくりしてると、置いていかれちゃうかもです」
「またご冗談を」
「リィンさんの怪しい疑惑だってありますし、冗談じゃないかもしれませんよ」
「ははは、まさか」
ごごーと風を切る音。不意に大きな影が辺りを暗くする。
二人の頭上をカレイジャスが飛び去って行った。
「……置いていかれましたね」
アルフィンが声をかけるも、リィンは空を見上げたまま無言で立ち尽くしていた。
★ ★ ★
《――懐中時計が刻むもの 中編――》
カレイジャスの開発作業室の扉には『入室禁止』の札がかけられている。
その中ではアリサが懐中時計の修理に着手していた。
唯一入室を許可されたシャロンは、アリサの後ろでその様子を見守っている。
「Ⅳ型調圧器、特殊合金板、マイクロ発振器。そのような特殊な部品を、よくこの短時間で集められましたわね」
「まあね。特殊だからこそ目星もついたし」
時計の内部機構をじっと観察しながら、アリサはそう言う。
とはいえカレイジャスの機動力がなければ、各地を回ってパーツ捜索をすることは容易ではなかっただろう。高速巡洋艦の名は伊達ではない。
「……これが父様の作った時計。精密そのものだわ」
隙のない設計によって、いつまでも狂いなく時を刻む針。しかしどこか遊び心のようなニュアンスを、機構の端々に感じる。工夫と趣向が両立しているというべきか。
まずは調圧器の取り換え。次に発振器を繋ぐ。普通の時計の構造とは明らかに違う。途中、勘に頼らなければならない補修作業も出てきた。けどわかる。父様ならこうするという確信が、勝手に指先を動かしてくれる。
フランツ・ラインフォルト。彼はもういない。ただこうやって父の遺したものに触れ、それを理解できるということがアリサには嬉しかった。時間や場所を越えて、父娘の会話をしているような気がして。
「……ああ、そっか」
「お嬢様?」
「この時計。レイゼルに似てる」
要所の配線の接続順番。導力変換の原理。結晶回路の組み込み。それらの全てが、レイゼルの内部構造と重なっている。
そういえばおじいさまはレイゼルの開発に取り掛かる際に、こんなことを言っていた。
〝完成された機器に別の結晶回路を組み込むのは、お前さんの父親――フランツが秀でていた技術じゃ”と。
だからレイゼルは翠耀の特性を宿して戦うことができる。おじいさまと父様の技術に私は守られている。そう感じる。だけど母様の匂いは、あの機体からはしない……。
「ねえ、シャロン。昨日一人でレイゼルをいじってたわよね。あれ、何してたの?」
昨日の昼のことだ。艦内放送で『らぶきゅんばっきゅーん』と大音量で流れ、続けざまにヴィヴィとリンデの諍いの声が聞こえてくるという事故が起きた。
その直後にシャロンは船倉ドックを訪れ、レイゼルのコックピットに乗り込んでいたそうだ。作業員から一応の報告ということで、彼女の行動はアリサにも伝わっていた。
「ただのメンテナンスですわ。お気になさらず」
「そういうのは整備班が統括してやってくれてるから。変なことしてないわよね?」
「そう仰るからには、システム面の確認はされたのでしょう」
「したわ。でも特に変わったことはなかった。だから気になってるの」
どう問い詰めても、「まあ」とか「うふふ」しか反応がない。こうなるとシャロンから情報を引き出すことはできないとわかっている。
まあ、いくらなんでも戦闘に影響が出るような設定変更はしていないだろう。
半ばあきらめ、手元の懐中時計に意識を戻す。
修理は成功していた。針はすでに動き出している。あとは裏蓋を閉めるだけだ。
「あ、そうそう。レイゼルを触ったんだったら、もう一つ訊きたいんだけど。……あの機体って何か変かしら?」
「変、と申されますと?」
「私もどう質問したらいいかわからないけど……なんでもいいから、気になるところがあったら教えて欲しいのよ」
グエンやイリーナの態度の真意はわからないままだ。わからないままに命を預ける機体に乗るのは、やはり引っ掛かるものがある。
シャロンは思案する素振りをして、
「リアクティブアーマーの機能が残っていたことには、少々違和感を覚えました。あれは使えない能力です」
「そのことなら私も気付いてるわ」
最初から各種装備を背負っているレイゼルにはエネルギー消費が大き過ぎて、連立式オーバルエンジンの出力をもってしてもリアクティブアーマーは発動できないのだ。しかもその機能が搭載されているだけで、エネルギー容量を圧迫している側面もある。
奥の手どころか、万が一の時にも任意で使うことができない。
「レイゼルの開発は急ピッチで進められましたから、機構と連動しているリアクティブアーマーを取り外すまでの時間はなかったのかもしれません。運用可能な状態にすることが第一優先だったようですから」
「なるほど」
それはありそうな話だ。だとすれば、他に何がある? 何が隠されているというのだろう。
頭をひねっても答えは出てきそうにない。アリサは直した懐中時計を天井の照明に当ててみせた。表面の光沢が金色に輝く。
私と母様の髪と同じ色。
ブロンドの髪は母から受け継いだ。父から遺伝したのは、この紅い瞳だ。かなり珍しいらしく、同じ瞳の色の人にはまだ出会ったことがない。
「うん、母様のところに行くわよ。目に物見せてあげるんだから!」
懐中時計を大事に胸元のポケットにしまうと、アリサは意気揚々と作業机を離れる。その数歩後ろにシャロンは続いた。
☆ ☆ ☆
《――むすんで、ひらいて、手を打って、むすんで――》
「……なんでここにいるのよ」
もりもりに敵意の盛られた視線を注がれて、カスパルは一歩あとじさった。冷たいコレットの瞳は蔑みのそれだ。
「それは……俺も買い出しにきただけで……」
どうにも歯切れ悪く言う。ルーレ市内巡回中、雑貨屋での鉢合わせである。
カスパルはコレットに誤解をされていた。
発端は三か月ほど前。夏のある日。失神していたコレットのとなりに、半裸のカスパルが寝ていたところからだ。そうなるに至った経緯は一口には語れないが、結果だけを見れば、そういう理由で彼女は彼を警戒していた。
ただコレットを失神させたのはポーラで、カスパルをコレットの横に運んだのはモニカなので、状況がこじれた元凶はその二人だと言える。コレットはそのことを知らないまま、ラウラたちの友人になっているが。
「私はアクセサリーの取り扱いだけど、カスパルは武具の修繕が役目でしょ。こんな雑貨屋に何の用?」
ちなみにカレイジャス内における二人の店舗は、まさかのとなり同士だった。
「武器の手入れにも道具がいるからさ。安く代用できるものもあるし、だからこの店に来たんだ」
「本当に? 私を追ってきたとかじゃなくて?」
「そんなのしない――ってなに指にはめてるんだ。危ないヤツだぞ、それ!」
コレットは手際よくメリケンサックを装着していた。殴打部分に宝石がはめ込まれた暗器で、職人通りの人たちが選別にくれたものである。護身用にしては攻撃力が高すぎる一品だ。
「もうあの〝異様に硬い石”はないから。変なことしようとしたら、これで煉獄まで叩き落とすもんね!」
「マジでやばい……」
「最近おかしな人多いし、自分の身は自分で守らないと。カスパルも露出癖があるんでしょ!?」
「そんなわけないだろ! ん? カスパルも……ってどういうこと?」
「リィン君よ。昨日ドックでいきなり脱ぎ出したところを見たの。しかも堂々と。あの落ち着きぶりは常習犯だと思う」
「いや、それはないって。リィンだぞ?」
「んふふー」
会話の間に思惑ありげな笑い声が挟まる。ストレートの桃色髪が二人の視界にちらついた。
「ヴィヴィちゃん参上ー」
口元をにんまりとさせ、ヴィヴィが商品棚の裏から姿を見せる。
彼女は腰に手を当て、ふりふりと上機嫌に近付いてきた。
「残念だけどリィン君のゆがんだ性癖はホンモノよ。真面目で誠実だからこそ、心の内に鬱屈した欲望が溜まっていったわけ。そしてそれが溢れ出した。今の彼は自制心を失ったビースト。変態マイスター免許皆伝なのよ。んふふ」
「ほんとかよ。ヴィヴィがその笑い方する時、大体何か隠してるからな……」
「んふ、わかるんだ?カスパルにはあたしのこと全部知られちゃったからなあ……。ぜ、ん、ぶ」
ヴィヴィは色っぽい恰好で棚に寄りかかる。「ぜ、ぜんぶ?」と驚愕するコレットに、「知らない! 俺は何も知らない!」とカスパルは慌てて否定した。
「え? 認知しないってこと?」
「お前やめろおお!!」
「最っ低っ!!」
電光石火でジュエリーメリケンサックが、カスパルの頬にめり込む。めごっと鈍い音がして、彼は床に転がった。
「はあ、はあ……ケダモノ……」
「あーかわいそ。でも浮気はダメだぞ、ダーリン」
屍となったカスパルに、ヴィヴィはキュートなウィンクを贈った。ぜえはあと息も荒いまま、コレットがその言葉を聞き留める。
「浮気とかダーリンとかって……? なにそれ、ほんと?」
「んー、気になっちゃう感じ?」
「べ、別にそういうのじゃないけど」
「……へえ、違うの」
細めた目でヴィヴィはコレットを眺める。不意にその視線が外れた。
「あ、レックス君とベリルさん」
その二人も店内にいた。ベリルが早足で前を歩いて、レックスがその後ろを追いかけている。
「ついて来ないで。呪いのアイテムを探してるんだから」
「話くらいしようって。カフェでケーキぐらい驕るからさあ」
「そうやって何人の人に声をかけたのかしら。ねえ、ベラ・ベリフェス。天気がいいだけで死にたくなるわ」
「何言ってんだよ! 頼むから止まってくれよ!」
レックスの懇願はその背に届かず、ベリルはすたすたとどこかに行ってしまった。
うなだれ、レックスは床に手をつく。そのすぐそばにカスパルの亡骸もあるが、彼はそれどころではないようだった。
「うう……俺一人じゃどうしようもないし。解決してくれそうなやつに相談するしか……よし、リィンだ」
レックスは顔を上げて、店を出て行く。
ヴィヴィとコレットはかける言葉もなく、彼を見送った。
「なーんか、どこもかしこも色々あるみたい。面白くていいけど。んふふ」
「面白いかな……?」
☆ ☆ ☆
《――懐中時計が刻むもの 後編――》
「あったまに来るわ! ねえ、シャロンはどう思う!?」
ラインフォルト社からカレイジャスに戻る道すがら。憤懣をあらわに、アリサはシャロンに抑えきれなくなった感情をぶつけた。
「まあ、普段通りではあったかと。お嬢様のお気持ちも察するところではありますが」
「でしょう! 信じられないわ!」
どこまでも溢れ出してくる怒りの声に、すれ違う通行人が驚いてこちらを見る。アリサは構わず歩き続け、シャロンがその都度頭を下げた。
その怒気たるや凄まじいもので、この現場にマキアスが遭遇したなら、その威圧だけで眼鏡は木っ端微塵に粉砕されていただろう。
さあご覧なさいと言わんばかりに、イリーナに自信満々で差し出した懐中時計。彼女はそれを一瞥すると『あら、直ったのね』と一言だけの感想を口にした。呆然とするアリサに『この後はまだ商談が控えてるから、それはあなたがしばらく持っていたらいいわ』と、続けて言う。そしてイリーナはさっさと応接室へと入っていった。
「くくーっ!」
くやしさとやるせなさに、アリサは懐中時計を強く握りしめる。いいわよ。わかったわよ。これはもう返さない。母様が持つより、私が管理する方がよほどいい。
「私は絶対母様みたいにはならない! 母様みたいな――」
「母親に? それとも妻でしょうか?」
「へっ」
まだ言葉として固まっていなかった部分を先読みされ、アリサは間の抜けた声を発してしまった。
振り返ると、シャロンが立ち止まっている。夕陽が逆光になって、彼女の表情はよく見えなかった。メイド服のシルエットが風に揺れている。
「わたくしもお嬢様にお聞きしたいことがございました。リィン様のことです。ラウラ様のこととも言えます。何か進展がありましたね?」
「えっ、えっ、えっ」
どこかから話がもれた? それはない。〝あのこと”はラウラしか知らないし、彼女が誰かに話すとも思えない。立ち聞きされた? それも違う。あの聴取室は防音だ。
「言わずともわかります。ですがお嬢様から直接お聞きしたく存じます」
「い、いやよ」
「お聞きしたく存じます」
口調に圧がかかる。逆光の影がざわめき、どこか凄みが増した。
その雰囲気に押されたわけではなかったが、シャロンになら話してもいいかもしれない。アリサはそう思った。
姉のように思っているとまで吐露したのだ。姉妹の会話としてなら、ありだろう。
「……誰にもいわないでよ。実はね――」
ラウラが事故のような形でリィンに告白をしたこと、この東部巡回が終わるまでに自分もリィンに告白するように言われたことを、アリサはシャロンに伝えた。
シャロンは深くうなずいたあと、ゆっくりと目線を上げる。
「つまりお嬢様はリィン様がお好きだと」
「なっ? あっ! あああ!」
そうだった。気持ちを自覚したなんて、ラウラにしか言っていない。今改めて、自分から暴露してしまったのだ。自爆だ。進展うんぬんと言う時点で、シャロンはとっくにわかっていたのだろうけども。
真っ赤になるアリサに、シャロンは微笑を向けた。
「これはすばらしいことです。しかし東部巡回の期間で想いを告げるのは、中々厳しいですね」
「そうなのよ……ちょっと考えられないわ」
「ではシャロンにお任せを。お嬢様の為、一肌でも二肌でも脱ぎますわ。なんでしたらリィン様の前でも脱ぎますわ」
「や、やめなさい!」
「もっともリィン様は、ご自身が脱ぐ方がお好きかもしれませんが」
「はあ?」
遠くで鐘の音が鳴る。工業区の日勤終了の合図だ。
「で、なにする気?」
「簡単なことです。告白のできる雰囲気と場所をご用意します。そうですね。明日のバリアハート巡回が最終日ですから、その翌日の予備日を使いましょう」
「だからなにするのって!」
「以前、トワ様も仰っていましたし。周知は一日あれば足りますわね。配置はうまく調整すれば……ええ、ええ、問題ありません」
「問題ないかは私が決めるわ! 早く教えなさいよ!」
「どうぞ存分に想いをお告げ下さいませ」
「だーかーらー!!」
懐中時計は午後六時を示し、周囲の景色はますます茜色に染まっていく。
アリサがジョルジュのハンマー探しを思い出すことは、とうとうなかった。
☆ ☆ ☆
《ロードオブハッカー④》
月明かりだけが差し込む薄暗い部屋に、カタカタとキーボードを叩く音が響く。
目の前のモニターには小難しい数式の羅列が上から下へ止まることなく流れているが、ステファンもその意味の全てを理解しているわけではなかった。なんとなくの操作で、どうにか手順を進めてきている。
ほどなく数式の動きが止まり、端末が何らかの待機状態に入ったことを示した。
「これで、いいのか……?」
今一つ自信がない。もう少し確認するべきかと二の足を踏んでいると、「早く済ませなさいよ」と足元からせっつかされた。
面倒くさそうにセリーヌがステファンを見上げていた。闇の中で猫目がきろりと光る。
「もう23時。そろそろ巡回が来る。悠長にしている時間はないわよ」
「そうだな。その通りだ」
ここまで来て何もできずに退散など、一番望まない結果だ。
ステファンとセリーヌが息を潜めているのは、ルーレ工科大学の研究棟。G・シュミットが管轄している区画にある一室だった。
セリーヌに同行を頼んだのは転移術で連れてきてもらう為だ。万が一の撤退のサポートとしても見込んでいる。
最初はエマに声をかけようと思ったのだが、転移術の範囲は〝行ったところか見えているところ”に限定されている。前回の工科大潜入班のメンバーに入っていたのは、エマではなくセリーヌだった。
ステファンが頼むとセリーヌはしぶった。それでも下手に出て、褒めて、おだて、最終的にはケネスから仕入れた鮮度のいい魚を献上して、ようやく彼女の首を縦に振らせることに成功したのだ。
ステファンにとってトラウマのあるこの場所に、そうまでして再侵入を試みた理由は一つ。
「で、アタシにはピンとこないんだけど、そんなに使える技術なわけ? その、ハッキングってやつ」
「意味合い的にはクラッキングの方が近いかもしれないけど……そうだね。導力ネットを介したシステム的な攻撃だと思ってもらったらいい」
「ますますわかんないわ」
あくびをするセリーヌ。眠たい上に、さほど興味もないらしい。
ステファンがその導力ネットに関する資料を見つけたのは、自分を実験用モルモットとして扱うシュミットから隙を見て逃げ出し、この部屋に隠れていた時のこと。乱雑に置かれたファイルの中で妙に気を惹かれ、追われる立場も忘れて目を通していたのだ。
まもなく発見されてしまったが、見つかるまでの間に読んだ内容はある程度理解できた。そしてその有用性も。
もともと学院を出てルーレを目指したのは、シュミットから導力ネットのノウハウを教えてもらいたかったからだ。
「エレボニアの導力ネット技術は、たとえばクロスベルと比べると遅れている。帝国では最近になって着手し始めた分野だ。にもかかわらず、先走って様々な機器に搭載してしまっている。主には軍事用に」
「話が見えないわ。結論から言ってよ」
「つまりシステムは見切り発車でもう使っているが、セキュリティ面が追いついていない」
仮に悪意ある使用をされて損害を受けた際、それに対応できる技術者も少ない。
自分がその能力を得ることは、カレイジャスにとっては盾であると同時に矛でもあると言える。失われた僕のアイデンティティが復活する時だ。
「だったらハッキングのファイルを持ち出せばいいじゃない。なんで機械をいじってるの?」
「ファイルに紙として挟んであったのは資料の一部だった。データは端末の中にまとめてあると思う。それを頂戴する」
「あー……犯罪?」
「まだ罪としては定められていないし、裁く法もエレボニアにはない。ただ、まあ……マキアス君の父上なんかには言えない行為だね」
ちなみにあくまでも導力ネットの資料なので、ハッキングのあれこれが載っているわけではない。それを読み解き、理解し、応用する必要がある。
ステファンは小さな棒状のアクセサリーを、端末のポケットに差し込んだ。
「なにそれ?」
「メモリースティック。データをこの中に移動できるんだ。ラインフォルト社製だし、互換性は大丈夫だと思うよ」
「はあ、色々な物があるのね。魔女の術もいずれは、そういう機械で再現できたりしそう。それこそアイデンティティが失われるわ」
「空飛ぶほうきはそう簡単に作れないから大丈夫さ!」
「魔女とほうきと黒猫のセットって、一体いつからあるイメージなのかしら……」
その時、廊下から近づく足音が聞こえた。
「まずい、巡回よ」
「わかってるが……!」
画面のダウンロードバーはまだ動いている。遅々とした速度だ。
「この部屋じゃ隠れる場所がないわ。一度撤退して、また来た方がいい」
「巡回が起動している端末を見つけたら不審に思うだろう。それにメモリースティックって作業中には抜けないんだ。せっかくのデータが壊れてしまうおそれがある」
「融通が利かないわね! どうするの!?」
さらに近づく足音。データの転送はまだ――いや、今終わった。
「よし! セリーヌ君、転移術を――」
「誰かいるのか」
スティックを抜くのと、扉が開くのは同時だった。
『あ』
警備員とステファンの目が合う。セリーヌは彼の足元をそそくさと抜けて、廊下へと逃げていた。
「話し合いましょう。これには深いわけが」
「侵入者だー!」
言い訳の時間も与えてもらえず、叫ばれる。
ステファンの恰好は、全身黒尽くめのボディスーツだった。闇夜に紛れる潜入ミッションにはこれを使うのだと、ミントから強く勧められたものを着用していたのだ。
「わかりやすい侵入者め! まさかシュミット博士を襲撃したという賊はお前か!」
「違います! むしろ博士に襲われたのが僕で」
「とにかくその覆面をはぎ取らしてもらうぞ!」
「そ、それをさせるわけには……!」
聞く耳もたず、警備員が迫ってくる。
メモリースティックを握りしめ、ステファンは闇夜の逃走を開始した。
★ ★ ★
――続く――