犬とお姫様   作:DICEK

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頑張って、一色いろはは対策を練る

 

 

 

「ありえなくないですか!?」

 

 吠えるいろはは、憤懣やるかたないといった有様である。

 

 会議が始まる時間になっても南が現れなかったため、彼女のクラスまですっとんで行ったのだが、そこでクラスメイトから得られた情報は既に十人以上と連れ立って学校を出た後ということだった。連絡先の交換などしていないし、いろはや実行委員について特に伝言もないという。非の打ち所のない完全なサボりだと気付いたいろはは廊下を走って会議室に戻り、そして吠えた。

 

 とは言え、吠えたところで仕事は進まない。委員長がいない以上、その職責は副委員長が背負うことになる。仕事の振り分けについて、南よりもしっかりと把握していたいろはは、サボりの分も含めて仕事を振り直し、自分は生徒会執行部室から去年以前の資料を引っ張り出して、スポンサー関係やら何やらを洗い出す作業を始めた。

 

 過去最高の動員と収益を記録した一昨年の文化祭を、目標としては超えたいところであるが、あれは陽乃のカリスマ性と、それに釣られる形で実行委員から生徒から、学校の全てがやる気になっていたことが大きい。開始時点で実行委員長がサボっているようでは挽回は難しいだろう。

 

 それ以前に、きちんと文化祭を開催できるかも怪しくなってきた。流石に今日サボった面々もこれからずっとサボるとは思わないが、出席が芳しくない状況が続けばスケジュールが圧迫される。当初の予定を実行するのは厳しく、当日の運営に支障が出るようなことになれば、それは実行委員長である南や、副委員長であるいろはの名前に傷がつくことになる。

 

 南はともかく、これから生徒会長選に出ようといういろはにとって、直前のイベントでの大失態は致命的である。一年なのだからまた来年があるさと人は励ますのだろうが、失敗の印象は成功の印象よりも根深くついて回るものだ。

 

 めぐりが対抗馬との話をつけてくれた今年はまだしも、来年の対抗馬まで仲良しでいてくれるとは限らない。相手がこの失点を持ち出してきたら、それだけでいろはは不利になってしまう。

 

 だからこそ、いろはにとって最低限の形を作ることは至上命題なのだが、それを成すための人手が足りないのでは如何ともしがたい。故に最初にいろはが取った手段は、とにかく人手を確保することだった。

 

「と、いう訳なので馬車馬のように働いてくれませんか、先輩」

「できるだけ自分で何とかしようと思ったりしないのか」

「まずは成功させないことには意味がありませんから。お説教は後でまとめて聞きますので、今は身体だけ貸してください」

 

 自分の要求だけを通そうとしてくるいろはにしかし、八幡は『大した面の皮の厚さである』と内心で感心していた。立っているものは親でも先輩でも使う主義なのだろう。和を重視した結果、生徒会役員が全員眼鏡になっためぐり政権の一員とは思えない物言いだが、陽乃の後継を目指すのであればこれくらいが良い。能力的には陽乃に及ばなくとも、正統派であっためぐりの後であれば、生徒には眩しく映るに違いない。

 

「でも実際、俺一人が馬車馬になったところでたかが知れてるだろう。他に人は集められないのか?」

「もうめぐり会長には頼みましたけど、最低限の手伝いしかできないって言われました」

「これは仕方ないの。ごめんね、いろはちゃん」

 

 そりゃあそうだろう、と八幡は思った。本来、実行委員会の仕事は実行委員がするもので、そこに実行委員でない執行部員が絡むと話がおかしくなってくる。一昨年の陽乃の行いは、会長が実行委員長を兼ねていたからこそできた行いなのだ。建前というのは本来、きっちりと守るべきものなのである。

 

「雪ノ下先輩がその内いらっしゃるんですよね? その時に――」

「発破をかけてもらうのは無理だな。既に顔を出すだけって念を押されてる」

「そこは彼氏パワーで何とかなりませんか?」

「俺とあの人の力関係は聞いてるだろ? あの人が黒いって言えば、雪も黒くなるんだ。俺には口答えなんてできん」

「じゃあ妹パワーで――」

「私には期待しないでちょうだい」

 

 資料から顔も上げない雪乃の答えはにべもない。元来女子とは相性が良くない上、特に優等生系とは相性の悪いいろはであるが、その属性の通り雪乃の反応はどうにも渋い。

 

 いろはの方には、雪乃と仲良くなる意思はある。何しろあの雪ノ下陽乃の妹であり、その犬である八幡の関係者だ。奉仕部というボランティア主体の謎の同好会に所属しており、そこに所属するのは雪乃を始め全員が美少女というのだから近づいておいて損はない。

 

 既に雪乃以外の三人とも交流は持っているが、反応が良かったのは結衣だけだった。一部では『犬の犬』と呼ばれている川崎沙希は取り合おうともしてくれなかったし、海老名姫菜は会話くらいはしてくれるが、こちらに興味が全くないのが見える。雪乃はその二人に比べるとマシなのだろうが、最低限の会話しかしようとしない。

 

 そっけない態度にいろはもかちんと来ることがあったが、元から相性は悪いだろうという見通しである。完全に無視される訳ではないし、仕事もしてくれる責任感の強い少女だ。相性とは別のところで、いろはは雪乃のことを信用できる人間だと認めていた。後は向こうも同じように思ってくれれば、と思うがそれはまた別の機会に持ち越すことにする。

 

「サボってる先輩たちを連れ戻すのは無理ですか?」

 

 資料の確認を手伝うメンバーは、いろはを含めて五人である。生徒会長であるめぐり、一年代表である雪乃、外部協力者代表の八幡と、たまたま相方の優美子が不在のため、手持無沙汰になっていた葉山隼人だ。手を止めずに問うた隼人の視線の先には、いろはではなく八幡がいる。

 

 何で俺に、と素直に思った八幡だが、答えることそのものは吝かではない。姫菜がふんすと喜んでしまうので口にはしないが、陽乃に関することで苦労したろうこの後輩のことが、八幡は嫌いではなかったからだ。

 

「俺や城廻が言えば一応言うことは聞くと思うが、それはそれで角が立つだろ。俺たちは外部の協力者だから、本来は実行委員の中だけで解決するのが望ましい。だが、実行委員の三年の中にそこまで協力してくれる奴はいないから、残りは一年だ。一色、お前直接頼みに行って連れ戻す自信あるか?」

「二年十六人ですよ? ちょっと厳しいです」

「友達のいない俺には解らないんだが……なんだ城廻、邪魔だぞお前」

 

 無駄に視界に入ってきためぐりを、八幡は雑に押し返す。無遠慮に頭に触れて強引に押し戻したのだが、そんな扱いにもめげずにめぐりは八幡の視界に戻り、自分を指さして何かを強く主張し始めた。めぐりのそんな態度に八幡はそっと溜息を吐く。それなりに付き合いのある八幡は、めぐりが何を言いたいのか理解できていたが、それを素直に口にするのは憚られた。

 

 諦めてくれるのが八幡としてはベストだが、こういう時、信じられないくらいにめぐりは諦めが悪くなる。伊達に陽乃に食いついていた訳ではない。無駄だとは知りつつも、めぐりの頭を何度も押して視界の外に追いやるのだが、その度にしつこくめぐりは戻ってくる。

 

 一分ほどの押しあいを経た挙句、ようやく八幡は根負けした。無駄なことをしてしまったと深々と溜息を吐いて、後輩たちに言ったばかりの言葉を訂正する。

 

「友達はこいつくらいしかいない俺には解らないんだが……」

 

 その言葉を聞いて、めぐりはにこにこしながら八幡の視界の外に出た。友達いないアピールをする八幡に対するめぐりのいつもの行動だったのだが、校内で八幡とめぐりがつるむことは今となってはあまりないために、二年生以下の人間がこのやり取りを見るのは稀である。

 

 ある意味衝撃の場面を見た一年生たちは八幡たちを茫然と見つめるばかりだったが、話を進める八幡は『この話題に触れたらぶっ殺す』くらいの強い気配を放っていた。聞きたくない訳ではないが、たまには人の顔を立てることも大事だろうと思った一年生たちは、一瞬の目くばせで『今は』この話題に振れないことを心に決めた。

 

「普通は動きやすい人数で動くだろ。サボりやがった二年の実行委員は16人いる訳だが、最近のリア充はその人数でどっか行ったりするのか?」

「流石にちょっと多いですね……」

「俺も最大で七人です」

 

 リア充組であるいろはと隼人の答えは、八幡の考えを裏付けるものだった。ちなみに雪乃は何も言わない。環境としては恵まれているが、コミュ力に難ありの彼女は分類上は非リア充側なのだ。

 

 実際、放課後の行動は付き合う人間がいるのであれば、そのグループ単位で動くのが普通である。日によってグループの人数や構成は変わるものだが、十人を超えると流石に多いと感じるようになる。サボった連中は全部で十六人。ならば二つ、ないし三つのグループに分かれて行動しているはずで、彼ら全員の統制を取っているのが南であるならば、南がいない方のグループを捕捉すれば、一応交渉の余地はあるのだが、

 

「一斉にサボらせるのだから、それなりに統制は取れているのではなくて? 逆に足元を掬われる可能性もあると思うのだけれど」

 

 どういう形であれ、一年が二年に意見をすることは角が立つ行いだ。真っ当な主張をしていたとしても、あの一年ムカつく、という方向に話を持っていかれては、委員会内でのいろはの立場が悪くなってしまう。あくまで委員会内部の人員で話を解決しようとした場合、既に二年で統制が取れている南一派が相手では、いろはは少し具合が悪い。

 

「そんなに統率力があるタイプには見えなかったんだがな……誰か知ってるか? あの相模ってやつ」

「先輩は話したこともないんですか?」

「話したことくらいはあるかもしれんが、どんな奴かは記憶にない。城廻はどうだ?」

「私も記憶になかったから、二年の子に聞いてきたよ」

 

 鞄から取り出したメモ帳には、既に南の情報が常識の範囲で網羅されていた。

 

 南は二年ではそこそこ大きなグループの代表であるらしく、実行委員にも自分から立候補したとのこと。サボった二年の中には南のグループの人間もいるらしい。性別による偏りはなく、グループの構成比は男女均等だ。運動部よりも、帰宅部文化部が多いらしいがそれによる対立はない。

 

「…………つまり、計画的なサボりということ?」

「そうなるな……」

 

 面倒なことになった、と八幡はぼやくが、そのしわ寄せを一身に引き受けることになるいろはは、より強くそれを感じていた。立候補もサボりも計画的ならば、この後に続くこともまた計画的であるはずだ。南とその一派は何を計画しているのだろうか。

 

 実行委員に立候補する目的は、大きく分けて二つである。

 

 純粋に文化祭を盛り上げていきたいという正道なものか、ポイント稼ぎをしたいという邪なもの。開始早々サボっているのだから前者ではないだろうが、サボっていてはポイントも何もない。

 

「相模先輩の成績ってどうなんですか?」

「真ん中くらいだね。内申が良いタイプでもないみたいよ。先生たちの受けもそこまでではないみたいだから、相模さんが実行委員長になったのに、先生たちもびっくりしてたし」

「じゃあ、何のために委員長に?」

「将来的な内申稼ぎということでないのなら、稼いだポイントは直近で使うつもりなんでしょう」

「まさか会長選挙に出るつもりってこと?」

「その可能性は高い、と判断したまでのことよ」

 

 興味なさそうに、雪乃は言う。立候補するつもりのない彼女にとって生徒会長選挙というのは完全に他人事である。依頼こそ受けたし、受けた以上全力は尽くすが、それは相手がいろはでなくても同じことだ。雪乃の反応が微妙に冷たいことにいろはは地味にショックを受けているようだが、八幡は隼人と視線を交わし、さもありなんと頷きあった。雪ノ下雪乃。確固たる自分を持っておりできる女ではあるのだが、あれで結構人見知りなのである。

 

 さて、人見知りでなく立候補するつもりであるいろはにとって、雪乃の推測は他人事ではなかった。一年であるというのはただでさえハンデであるのに、二年の立候補者が増えることはマイナスになってもプラスになることはない。学年が同じでさえあれば負けないのに……と確信めいたものがいろはにはあったが、固く信じる程度で改変されるほど現実は甘くはない。

 

 そして南が立候補を見据えている可能性があるというのであれば、その対策を立てなければならない。不利になることが解っているのに何もしないのは、ただの馬鹿である。めぐりの話を聞いた限りでは、役員選挙にも実行委員にも興味がなさそうなタイプである。部活はしておらず委員会にも入っていない。ポイントを稼ぐならもっと早くからやっていても良いだろう。

 

 基本的に多くの生徒は責任者をやりたがらない。何かの長になるタイミングは他にもあった。単に思い切りが悪く、出足が遅かっただけであれば恐れるに足りないのだが、共謀して大人数でサボりを決行するあたり、行動力はある。

 

 いろはからすると今現在仕事をサボっている状態こそ南の本質のように見えるのだが、人間見た目が全てではない。何かを目指す理由は、人それぞれだ。いろはが会長を目指す理由も、どちらかと言えば個人的なことである。他人が邪な理由で上を目指したからといって、それを非難する権利はない。

 

「立候補を考えてるなら、最初から一生懸命仕事した方が良くありませんか?」

「人手を高く売る時期を見計らってるんだろ。このまま行けばどういう理由にしろ、仕事が滞る訳だからな。それに自分たちが介入して文化祭を成功させた、って事実だけが欲しいのさ」

「なんて悪質な……」

 

 自分たちで仕事を遅れさせたにも関わらず、遅れを他人のせいにして手柄は自分たちの物にする。八幡の推論はそういうことだ。無論のこと、南がそこまで考えているとは限らないし、そこまで頭が回るのであればもっと効率の良い方法をいくらでも思いつくんじゃないか、ともいろはは思ったが、悪い顔をした八幡が言うと本当にその通りな気がしてくる。

 

「他人事じゃないぞ一色。あいつらが介入して成功させるってことは、それまで滞ってた責任を誰かに取らせるってことだ。その場合、残った人間の中で一番席次が高いのはお前だぞ」

「自分の株を上げて他人の株を下げる作戦ということね。相当に綱渡りな作戦だと思うけど、成功させる自信があるなら悪くない手ね」

「今立候補の可能性があるのは、両方とも今の執行部員だからな。実績のない人間が勝つには、スキャンダルを捏造するのが手っ取り早い」

「……学校の選挙でそこまでやるんですか?」

「学校の選挙だからそこまでやるんだろ。校則読んでみろ。選挙に関する規定は現実にあるものと比べるとびっくりする程緩いからな。やった方が効率が良いならやるだろ。ペナルティも大したことない」

 

 そもそも南がやろうとしているかもしれない行いは、人道的には不味いことでも校則的に明確に罰せられるものではない。無論のこと、その話が広まれば南のイメージダウンは免れないだろうが、そこまで考えての集団サボりだとすれば、その後の対応もきちんと行える自信があるのだろう、と伺える。

 

「不正を推奨してるように聞こえます」

「そういうことをする奴もいるってことだな。大抵の人間は割に合わないと気づいてやらないもんだ」

「でも割に合うなら、雪ノ下先輩も、そういう状況ならやるってことですか?」

「そんなバカな」

 

 その言葉は、今までの八幡のどの言葉よりも確信に満ちていた。自信たっぷりの八幡に一瞬茫然とするいろはに構わず、八幡は言葉を続ける。

 

「あの人こそ、不正からは最も縁遠い人だ。そりゃ根回しくらいはするが、誰とやっても正面から戦って、その上で叩き潰せる人間が、どうして不正なんかするんだ?」

「やりたいからでしょう。あの人はいざとなったら何だってするわよ」

「まぁそうだろうな。付き合わされる人間の身にもなってほしいもんだが」

「でも、そういう扱いが好きなんでしょう? 何しろ犬だものね、比企谷くんは」

「否定はしない」

 

 深いなぁ、と思った矢先、先輩のド変態な言葉を聞いてしまった。しかも本人はその言葉に誇りをもっている風ですらある。これも女王のカリスマの成せる業だろうか。複雑な気分でいると、雪乃と視線があった。一瞬困ったような表情を見せた雪乃は、ちらと八幡に視線を向け小さく肩をすくめて見せた。

 

 困ったものね。無言の雪乃の言葉に、いろはは親近感を覚えた。


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