犬とお姫様   作:DICEK

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こうして、委員会は動き始める

 

 

 学校という場における委員会という組織の例に漏れず、文化祭実行委員会も各クラスから強制的に人員が選出される。なり手がいればそれで良いのだが、いない場合は壮絶な押し付け合いが始まるのも世の常。総武高校の毎年の風物詩と言えるだろう。委員会には、各クラス男女一名ずつが選出される。総武高校は一学年10クラスあるため、一学年20人。三学年合わせて60人の人員が集まる。

 

 図書委員会や美化委員会など任期が通年である通常の委員会とは異なり、文化祭実行委員会は文化祭のシーズンが始まる前に発足され、後始末が終わると解散される臨時の委員会であるが、臨時とは言え扱う予算は決して少なくはない。

 

 それ故に大きな責任が伴い、内申にもそれなりに色が付くのだが、激務であることは皆が知っているからそれでもなり手が少ないというのが現状である。陽乃は大いにやる気を持って委員長になったが、全体として見えると彼女のようなタイプはレアなのだ。

 

 そんな風にレアに分類される一色いろは本人(・・)の第一目標は、そこで委員長になることである。投票権を持っている60人の内、過半数である31人の賛成を得られればその時点で確定。そうでなくても、立候補者が三人以上であれば、それ以下の人数でも勝利できる。

 

 厳密な話をすれば有効投票率がどうしたとか、さらに細かい規定が生徒手帳にはあるのだが、会長の選出は全員が出席している時に行われるため、今回はあまり関係がない。つまり、立候補した中で最も票を集めた人間が勝つというのは、実際の選挙とあまり変わらないのである。

 

「先輩なら、確実に勝つためにはどうしますか?」

「……なんで俺にそんなこと聞くんだよ」

「え? だってほら、女王様の犬だったんでしょう? そういう根回しとか先輩の仕事だったんじゃないですか?」

「俺が仕えてた会長様は、根回しが必要な程対抗馬がいた訳じゃないからな……」

 

 事も無げに言う八幡に、嘘を吐いていると思ったいろはは彼の顔を見た。自分で思っているほどポーカーフェイスが上手くない彼は、嘘を吐いている時は必ず顔に出る、というめぐりのアドバイスに従ったのである。特に同性に敵を作り易いいろはにとって自分を騙そうとする人間を見破ることはそう難しいことではなかったが、その感性を持ってしても、八幡が嘘を吐いているようには見えなかった。

 

 嘘を吐いていないように見えるのだから、そりゃあ本当のことを言っているのだろう。それを理解したいろはが憮然としているのを見ながら、八幡は小さく溜息を吐いた。陽乃のファンが『なんだそりゃ』と思うのも無理はない。八幡がやっていたのは確定された勝利を更に華やかにするためのテコ入れくらいのものだ。

 

 およそ人気という点で陽乃に追随できる人間は皆無だったし、根回し程度ならば陽乃が普段の生活で当たり前のように行っている。投票が生徒のみで行われ、それに学校の外が介在する余地がないのであれば、どれだけ悲観的に勝率を見積もったとしても、100%以外の数字が出てくることはないだろう。

 

 そんな陽乃と一緒に働いていた八幡からすると、勝負の時が近づいてから動き出したいろはの動きは大分遅い。

 

「まぁあれだ。人付き合いくらい普段から真面目にやっとけってことだな。俺にはとても無理な話だが」

「先輩、友達いなさそうですもんね……」

「お前が言えた義理かよ」

「酷いです先輩。私にも友達くらいいますよ?」

「だったら会長選挙も楽勝だな。その友達大事にしとけよー」

 

 その友達が校外の友達であれば、会長選挙の役にはあまり立たないのだが、八幡はそれを聞くことはしなかった。会話をした感じで何となく、校外の友達であると確信が持てたからだ。クラスにも一応友達はいるのだろうが、会長になろうという彼女を弁者になってまで応援しようという熱意ある友達はいないのだろう。自分のコネだけで今後の選挙も勝てる見込みがあるのであれば、めぐりもわざわざいろはに助け舟を出したりはしないはずだ。

 

 諸々の事情を見透かした上で八幡が軽い嫌味を言ってきたことに、いろはは僅かに顔を顰めたが、その一瞬の後には彼女の思い描く『かわいい後輩』の笑みを浮かべていた。

 

 その切替の早さに、八幡は心中で感嘆の溜息を洩らす。陽乃ならば顔に出すこともしないだろうがそれでも、負の感情を押し込めて自分で決めたキャラを押し通すのは、それ程簡単なことではない。

 

 ここまで自分を取り繕うことができるのは、八幡の知っている限りでは陽乃と姫菜くらいのものだ。突出して人間が歪んでいるその二人とは比べるべくもないが、人物評価が辛くネガティブになりがちな八幡をして『まぁまぁ』という評価は、付き合いの浅い女子に対してはおよそ最高に近いものだ。

 

 そんな内心の感嘆を出さずにいると、今度はいろはの方から絡んでくる。学年が違う。性別も違う。おまけに相手は『女王様の犬』であるのに、ここまで物怖じしないのは、ある種の才能だ。『かわいい後輩』の笑みは崩れていない。男を落とすためのあざとい笑顔に、八幡はどこか挑戦的な色を見た。

 

「先輩いじめないでくださいよー」

「事実を言っただけだ。友達大事にできないようだと、俺みたいにぼっちになるぞ」

「それもう完全に嫌味ですよね? あんなに美人の彼女作っておいてそんなこと言うんですもん」

「親しい人間がいないって意味なら、事実には違いないぞ。恋人はいるが友達は一人しかいないからな」

「城廻会長ですよね? あの人もたまに自慢するんですよ。私ははっちゃんの数少ない友達の一人だって」

「唯一の、とは言わないんだな」

「先輩と会長で『友達』の定義が違うんじゃないですか? 私の目から見ても、奉仕部の人達は十分友達だと思いますけどね」 

 

 どうですか? といろはは八幡の前で僅かに屈み、上目使いになる。カットインするタイミング、声音、身体の動きから角度まで、完璧に計算された上目使いだ。鏡の前で虚しさと戦いながら練習したこれは、一色いろはの『男を落とすための必殺技』である。

 

 これでダメならもう打つ手がない。柄にもなく全力で放った必殺のそれは、いろはの執念が神に通じたのか、八幡の鉄壁とも言える防御を僅かに上回った。

 

 八幡は常日頃から、美女美少女を見慣れている。恋人はあの雪ノ下陽乃であるし、奉仕部の面々も一年女子を上から順に集めたかのような豪華なラインナップである。中学の時は不審者そのものだった立ち振る舞いも、今は見る影もない。

 

 場数を踏んで自信がついた。色々あって大人の階段を上ったなど理由はいくつかあるだろうが、レベルアップしたと言っても、比企谷八幡が男であるという事実に変わりはなく、人間、本質的な部分が早々変わるものではない。

 

 防御力が上がった所で男である以上、攻撃をされればノーダメージとはいかないし、それが美少女のあざとさ全開の攻撃ともなれば、せっかく上がった防御力も意味を成さない。恋人が美女だからと言って、美少女相手にときめかない訳ではないのである。 

 

 陽乃を理想とするなら一色いろはという少女は毛色が大分異なっていたが、それでも美少女には違いない。その美少女の渾身の一撃である。動揺し、狼狽えてしまったことを自覚した八幡はとっさに顔を逸らすが既に遅い。

 

 自分の攻撃が効いた。自分でもやれるんだと自信をつけたいろはは、すばやく八幡の正面に回りこんでこれまたお手本のようなドヤ顔を浮かべた。

 

 その顔があまりにもムカついた八幡は、無視を決め込むことにした。一人でさっさと会議室に入る八幡に、待ってくださいよー、といろはも続く。

 

 人の入りはそれなりだったが、会議室に入ってきた人間が比企谷八幡だと知れると、会議室はシンと静まり返ってしまった。良くも悪くも、八幡は総武高校の有名人だ。同級生の三年生や、陽乃と一緒に活動していた所を見たことのある二年は言うに及ばず、どういう人間か伝聞でしか知らないはずの一年も、目つきの悪い一人の男子のことを注視していた。

 

 八幡が悪目立ちしていることに遅れて入ってきたいろはも気付いたが、当の八幡はそんな視線などどこ吹く風とばかりに、ヘルプ人員用の席に腰を下ろす。いろはもそれに着いていこうとしたが、八幡が視線で『来るな』と遮ると、しぶしぶといった様子で自分の席に腰を下ろした。実行委員会の会議は役職が決まるまでは基本、学年、クラス単位で席が決まっているため、一年のいろはとヘルプの八幡の席は離れているのだ。

 

 それからぞろぞろと生徒が入ってくる。望んで実行委員になった者、貧乏くじを引いた者と様々だが、入ってきた生徒は一様に、ヘルプ席にいる八幡を見て、一度驚きの表情で足を止める。それ程、この場にいるのが意外な人間なのだ。

 

 八幡が『女王様の犬』というのは有名な話だが、その飼い主である陽乃が卒業してから、彼が行事に関わるようなことはなくなった。良くも悪くも波乱がなくなったという意味でもあるのだが、その犬が今、この場所にいる。

 

 それは良くも悪くも、波乱が起こるという意味でありはしないか。犬がいるということは、もしかして飼い主も来るのでは……様々な憶測を持ちながらも、生徒たちは誰一人八幡に声をかけることなく、自分の席に腰を下ろす。この学校で彼に物おじせずに話し掛けることのできる生徒は少なく、奉仕部の人間を除けば、それは一人だけと言っても良いだろう。

 

「こんにちは~」

 

 席が全て埋まるのを見計らったようなタイミングで会議室に入ってきたのは、城廻めぐりである。現生徒会長であり、実質的に雪ノ下政権を引き継いだ女子だ。性格や生徒会運営の方向性など、陽乃と共通するところを探すのが難しいくらいに似ていないが、その共通していない部分で勝負し、その悉くで成功を収めているために生徒からも学校からも評価は高い。

 

 めぐりは会議室を見回し、八幡の姿を見つけるととびきりの笑顔を浮かべて小さく手を振ってくる。それは相手の反応を期待してのものだということは誰の目にも明らかであり、その相手が誰であるのか、会議室の全員が知るところだった。

 

 あの強面の男に手を振るなんて……実行委員の色々な感情がないまぜになった視線が八幡に向けられるが、その八幡は心底嫌そうな表情でおざなりに、それでもきちんと手を振り返した。その事実は実行委員たちをまたも驚愕させたが、そんな連中のことなど知らないとばかりに、めぐりはひとり満足して、うん、と大きく頷いた。

 

 優しくて頼りになる生徒会長さん、というイメージのめぐりだが、実はこれで相当な頑固者である。特に八幡のひねくれっぷりについては梃子でも動かないということがあり、何度八幡が意見をしても絶対にそれを曲げなかった。そこで話が終われば困った友達だな、とため息の一つも吐くだけで済むのだが、これに陽乃が悪ノリしてくるものだから、忠実な犬であるところの八幡としては、めぐりの要望に応えない訳にはいかないのだ。

 

 友達は仲良く、というのがめぐりのポリシーである。あまりべたべたしたくはないという八幡の意見を尊重してはくれるのだが、こういう仲良しっぽい行為については頑として譲らない。ここで手を振りかえさないとめぐりは何の躊躇いもなく陽乃に『はっちゃんが手を振り返してくれなかったんです!』と泣きつくだろう。そうなると陽乃の報復が怖い。人を人とも思わない陽乃だが、あれでめぐりのこともそれなりに大事にしているのだ。

 

「さて、まずは委員長を決めたいと思います」

 

 諸々の挨拶が済んだ後、満を持してのめぐりの言葉に、会議室がしんとなった。ほとんどの人間が息を潜めて他人の反応を伺っているその状況は、いろはにとっては望むところだった。対抗馬は少なければ少ない程良い。ライバルを蹴散らして勝てればそりゃあ気持ちが良いだろうが、自分が誰からも好かれるタイプでないことはいろは自身、よく理解している。

 

 一年で女子のいろはにとって問題なのは、いかに角が立たない形で立候補するかだ。

 

 まず自薦は問題外である。実績のない状態で立候補しても一年生なのに生意気と思われておしまいだ。自分のかわいさには自信があるが、それが女受けがあまり良くないことも十分に自覚している。実行委員は一年から三年まで綺麗に男女均等に分配されているから、仮に男子全員を骨抜きにすることができたとしても、女子が全員反対したら委員長にはなれないのだ。

 

 実際にはそこまで極端なことにはならないだろうけれども、敵を作らないに越したことはない。

 

 つまり、いろはとしては他薦が望ましいのだが、そういう工作を一緒にやってくれる、信頼のおける友達はあまり多くない。八幡に宣言した通りいるにはいるのだが、その友達は実行委員などをやる柄ではなく、この場にはいないのだから仕方がない。

 

 日々顔と名前を売るべく努力はしているが、それでもこの場でいきなり推薦してくれる程、自分を買ってくれる人間はいないと確信が持てる。

 

 一年二年三年と、集まった実行委員の顔を見まわして見るが、交流がある人間はやはり一人もいない。顔に覚えがあるのはヘルプ席に座っている八幡と、上座にいるめぐりくらいだ。総武高校における『陽乃閥』の重鎮である二人は、この場において最も影響力を持っているのだが、委員長選出の投票権を持っているのは実行委員の六十人だけであるため、彼らに投票権はない。

 

 一色いろはに一票を、と働きかけてくれるならば別だが、話してみた限り、八幡はそこまで積極的に干渉してくる性質ではないし、めぐりもこれ以上の後押しは期待できない。彼女は既に後継者を決めている。それなのに奉仕部に依頼をするに当たり、間に立ってくれたのだからいくら感謝しても足りない。

 

 他薦が望めないとなると、最終的には自薦以外の選択肢はない。こういう場で一年が手を挙げるというのはそれなりに勇気のいることだったが、それも場の空気に依る。土台、面倒臭い委員長の仕事など、やりたい人間の方が少ないのである。

 

 全ての実行委員が自分から手を挙げ、やる気のある人間ばかりだったら委員長選挙も候補者乱立で接戦になるのだろうが、ここにいる人間の半分は、クラスで押し付けられた側だ。彼らが自薦で立候補する訳はないから、対抗馬は残りの半分に限られる。勝つのは半分だけで良い。

 

 およそ容姿という点で、自分に勝る人間はいないことは確信が持てた。見た目だけの勝負ならば、負けはない。後は雰囲気だ。他に候補者がいないなら。一年だけど頑張ります。そういういろはを後押しする雰囲気であることが望ましい。やる気のある人間よふっとべと心の中で熱心に祈りながら、数秒。会議室を沈黙が支配していた。

 

 これはもしかして、といろはの心に期待が持ち上がったその時、悲しいかな一人の人間が自分から手を挙げてしまった。

 

「他にいないなら、ウチがやります」

 

 他にいないなら。いろはが言いたかったセリフを分捕る形で手を挙げたその女子に、会議室中の視線が集まる。そんな中、八幡とめぐりだけは一瞬、いろはに視線を向けた。単に表情を見たという程度のものだろうが、その二人の表情から、彼らも『これは不味い』と思っていることが察せられる。

 

 他に候補者がいないことは、いろはが立候補するための大前提である。席順から察するに、手を挙げた女子は二年である。それに対抗する形で、といろはが手を挙げるには躊躇われる年齢差だ。二年を相手に一年が戦いを挑む。それだけならば誰でもできることだが、これに勝つとなると難しい。

 

 自分より上の学年で立候補があった時点で、いろはの委員長になる目は消えたと言っても良い。これならもっと早くから根回しをしておけば良かったと、心中で歯噛みしながら待っていると、他に候補がいないということでその二年の女子が委員長に選出された。

 

「それじゃあ相模さん、よろしくね」

 

 それまで司会進行をしていためぐりが、委員長に選出された女子生徒、相模南に席を譲る。

 

 改めて見てみると、中々に顔は良い。クラスで一番くらいにはなれそうだが、学年で一番になれるかと言われると難しい……そんなレベルである。他に候補者がいないならと前置きしたとは言え、自分から立候補するのだから野心はあるのだろう。内申点を上積みしたいというタイプには見えないから、八幡の言葉を借りるならリア充サイドの人間ということになるのだろうが、それにしてはどこか気怠さが見える。

 

 いろは以外の生徒会執行部のメンバーは、めぐりが選んだ生徒だ。全員、例外なく真面目で生徒会の仕事にも熱意を持って取り組んでいる。彼らはそれはもうデキる人間っぽい雰囲気をまき散らしているのだが、そんな彼らと比べると、相模はいかにも頼りない。

 

 誰かに背中を押されてという風でもない。存在というか雰囲気というか、南が今ここに立っていることそのものに、強い違和感を覚える。第一印象では、何故立候補したのかすら不思議なくらいだ。

 

「次に他の役職を決めたいと思います。ウチが二年なので、副委員長はできれば一年生にお願いしたいんですけど……」

 

 相模の物言いに、いろはは違和感を強くする。理屈としては間違ってはいないのだろうが、態々違う学年の人間を自分の隣に据えようとは、普通は思わない。立場が下の人間が欲しいのかと思ったが、それにしては堂々と言い過ぎているし、そういう場合は最初から根回しをしておくものだ。

 

 この時点で私がやると声が挙がらないならば、そういう根回しはしてないと見るべきである。まさか本当に単独で、単純に委員長がやりたいから立候補したのか。ますます混乱するいろはに、八幡とめぐりが揃って視線を送ってきた。その意味は良く理解している。委員長になる目はなくなったが、役職持ちになるに、これ以上の好機はない。理由は知れないが、向こうから『副委員長は一年』という条件を付けてくれたのだ。同学年相手ならば奉仕部の美少女レギオンでも出てこない限り、負ける気はしない。

 

 熱意と、明確な意思を持って手を挙げたいろはに、会議室中の視線が集まる。その視線を力に変えて、いろはは笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 


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