犬とお姫様   作:DICEK

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あっさりと、雪ノ下雪乃は撤退する

「遅いよヒッキーせんぱ、い……」

 

 八幡の声に振り返った結衣は、彼のその姿を見て声を詰まらせた。遅れて振り返った雪乃と姫菜も、八幡の姿を見て同様に固まっている。

 

 それくらいに、八幡の面差しは変わっていた。上等なオーダーメイドのスーツにオールバックに撫でつけられた髪。極め付けはノーフレームのメガネである。度の入っていない伊達メガネだが、本人は悪い目つきを少しでも和らげるつもりで買ったのに、逆に悪い目つきを強調する結果になっていた。

 

 スーツも相まって、その風貌はまさにインテリヤクザそのものである。これで強面の子分でもいたら本職と勘違いされても不思議はないだろう。若すぎるのが違和感と言えば違和感であるものの、そういう業界に馴染みのない人間ならば、そうかもしれないと思わせるには十分な雰囲気があった。

 

 揃って仲良く固まった三人に、八幡は自分の服装を見下ろしてみた。自分が持っている服の中で、文句なく一番上等な服である。金を出したのは陽乃なことが懸念材料ではあるが、今日の目的を考えれば服の来歴は問われないだろう。事実、結衣と姫菜が着ているのは雪乃の借り物である。雪乃の服を結衣が着れるか心配だったが、胸がきついとかそういう残念なことにはなってないようだ。

 

「あぁ。メガネは伊達だぞ? 視力は別に悪くない」

「そこじゃなくて! いや、そこもだけど、それ以上に全体的にヤバいよヒッキー先輩!」

「そうか、ヤバイか……」

 

 実を言えば最初に小町にこの恰好を見せた時も、似たような感想を言われたのだ。ただでさえ怖い感じなのに、正真正銘の本物に見えると。

 

 本物、という響きは悪い物ではなかったが、この場合の本物とは反社会勢力のことを指す。そういう雰囲気が役に立つ時もあるだろうが、小町に真顔で言われた時は流石に傷ついた。これを着るのは、本当にいざという時だけにしようと封印することに決めたのだが、ジャケット着用の店ということで、じゃあこれで良いかと軽い気持ちで着てきたらこの様である。

 

 後輩たちの反応に肩を落とす八幡の救世主となったのは、固まっていた一人の姫菜だった。

 

「凄いですよ! 八幡先輩!」

 

 興奮した様子で詰め寄ってくる姫菜も、ドレスアップしている。これも雪乃の借り物なのだろう。結衣ほど女性的なスタイルをしている訳ではないが、ほっそりとしている雪乃に比べると、姫菜も十分女性的なスタイルをしている。結衣が着れるならば姫菜も着れるのは道理だろう。黒い、落ち着いた色合いのイブニングドレスは、大人し目な顔立ちの姫菜には良く似合っていたのだが、それ以上に、腐った趣味の講釈を延々と垂れる時の顔をした姫菜に、八幡は早くもうんざりとしていた。

 

「どういう超進化ですか! いつもの腐った目つきでもう十分なのに、私の理想の鬼畜メガネに変身してくるなんて! 私を萌え殺す気ですねそうですね! あーもう、今すぐ家に戻ってこの情熱を何かにぶつけないと、もう本当にどうにかなっちゃいそうです鬼畜メガネサイコーヒャッハー!!」

 

 むはーと熱い息を漏らす姫菜の顔を、八幡は鬱陶しそうに押しのける。仮に姫菜に恋する男がいたとしても、この顔を見たら一瞬で冷めるだろう。それくらいに、今の姫菜は酷い顔をしていた。これさえなければ美少女なのにな、としみじみと思う。

 

(まぁ、そういう所も含めて気に入っている訳だが……)

 

 うんざりするし鬱陶しくも思うが、これくらい趣味も人間も腐っている方が割り切って付き合うことができて面白い。陽乃もきっと、同じ意見だろう。早く紹介したいと思うが、今はそれよりも川崎某からの依頼のことだ。

 

「さて、今日はどういう計画で行く? 俺が一人でやって良いって言うなら、そうするが……」

「えー、最初からそういう計画じゃないの?」

「結衣、それじゃ私たちはおしゃれして4Pデートしてるだけだよ? それで良いの?」

「海老名さん、卑猥な言い方はやめてもらえるかしら」

 

 姫菜の言い方に形の良い眉を寄せた雪乃は、少し考えるそぶりを見せてから答えた。

 

「比企谷くん一人に頼るのも悪いわ。貴方には話を早くしてもらった功績があるのだし、ここは休んでくれていても構わないのだけれど」

 

 すまし顔で言うが、要するに『自分たちでやるからお前は手を出すな』ということである。前回のテニスは肝心なところでガス欠になったため、今回は自分で、という思いがあるのだろう。 面倒なことは御免だ、という思いは雪乃と姫菜と共通していると思っていたのだが、雪乃は妙なところで子供っぽい張り合いをする。

 

「いや、雪乃が良いならそれで良いんだけどな。お前らもそれで良いのか?」

「ゆきのんがやるなら私も手伝うよ!」

「私は八幡先輩の鬼畜メガネなところが見たいんだけど……」

「このインテリヤクザにそんなことをさせたら、18歳未満お断りの展開になるに違いないわ。同級生の未来を守るためにも、まずは私たちがやらないと」

 

 うーん、と小さく唸った姫菜は、少しだけ困った顔をした。隠そうと、そして本人は隠していると思えているようだが、八幡にははっきりと姫菜が『この女めんどくさい』と思い始めていると理解できた。まだまだ爆発はしないだろうが、隠そうとしている不満が身体の外に出るようでは、まだまだである。陽乃ならばこういう時、一発で男を恋に落とすような笑顔で隠すだろう。その後、イラつかされた分はきっちりと報復するのがお約束である。

 

 まぁ、感情の化け物たる陽乃と同じ行動をしろというのも無理な話だ。幸い、雪乃は姫菜の不満には気づいていないようだが、今後の円満な関係のためにも注意は必要である。雪乃が視線を逸らしたのを見計らって、八幡は姫菜の後ろ頭を軽く小突いた。振り返った姫菜に、八幡は黙って首を横に振る。自分がうまくやっていると思っている姫菜は、八幡の仕草の意味が解らず首を傾げた。

 

 埒があかない。そう判断した八幡は姫菜の耳元にそっと顔を寄せた。

 

「イライラしてないつもりなら、せめて顔に出すな」

 

 まさか、見抜かれているとは思っていなかったのだろう。姫菜ははっきりと驚きの表情を浮かべ、次いで相好を崩した。そんな言葉を言われたのは、生まれて初めてだったからだ。この腐った目は自分を見抜くことができる。そう思うと、自分の感情を含めた全てのことが些事に思えた。

 

「……了解、雪乃くん。鬼畜メガネな八幡先輩が見れて機嫌が良いから、今日は雪乃くんに従うよ、私」

「そう? それなら良いのだけれど……」

 

 あっさり引き下がった姫菜に釈然としないものを感じつつも、任せてくれるというのならば、それ以上追求することもない。紆余曲折はあったが、満場一致で先鋒は自分と決まると、雪乃は足音も高く建物に踏み込んでいった。

 

 八幡はその後をのんびりと付いていく。その細い背中を見るにそれなりに自信があるようだが、八幡の見立てでは川崎姉はよほど相性が悪いと感じない限り、怯まないタイプだ。そして、それなりに頭も回って弁も立つ。

 

 正直、大上段、真正面から正論で突っ込んでいく雪乃との相性は最悪と言っても良い。このメンバーなら姫菜の空気で丸め込むか、まだ結衣が情に訴えた方が上手く行く気がするが、本人が自分でやると言っている以上、邪魔をするのも角が立つ。後で事態を収拾する面倒を予感しながらも、八幡は黙って雪乃の後ろを歩いた。

 

 目的の、ハイソなフロアについても雪乃は全く動じなかった。

 

 こういう場所に何度も足を運んだことがあるのだろう。スタッフに対する態度も、堂に入っている。半面、庶民丸出しの結衣は、場の空気そのものに飲み込まれていた。そんな結衣の姿を見て、八幡は懐かしい気分になる。

 

 陽乃に最初にこういう場所に連れて来られた時、自分はおそらくこういう態度をしていたのだろう。

 

 美少女である結衣がやると男性は保護欲を刺激されて仕方がない。事実、陽乃という絶対的な存在を持つ八幡も、今の結衣を見てそんな気分にさせられていたが、そんな仕草を過去の自分がしているところを想像したら、その気持ちも一瞬で冷め、むしろ苛立ちが沸き上がった。美少女ってのは得だなと思いつつ横を見れば、姫菜は物珍しそうにきょろきょろとしていた。

 

 姫菜も庶民には違いないのだが、結衣ほど動揺はしていない。純粋に、好奇心を満たすために観察をしているといった風である。姫菜は姫菜で、やはり肝が据わっている。そんな二人とはぐれたりしないよう目を離さないようにしながらも、八幡は遠目に、さっさと歩いていった雪乃が仕事を始めるのを見ていた。

 

 バーカウンターの中に、川崎姉はいた。女性にしては高い身長、整った顔立ち。おまけに客商売なのに人を寄せ付けまいという雰囲気は離れていても人目を引いた。

 

 雪乃も一目であれが川崎姉だと解ったのだろう。足音も高く歩み寄り部活を開始したのだが、形勢はわずか数秒で決した。遠目にも解る雪乃不利の雰囲気に、姫菜が隣で苦笑を漏らした。

 

「雪乃くん、劣勢みたいですよ」

 

 遠目に見ても、川崎姉に取り付く島もないのが解る。彼女にすれば、バイト先はここである必要はない。ここで働けないのならば他を探すだけで、雪乃に比べればまだまだ余裕があった。対して雪乃は、自分が失敗することなど許せないとばかりに、肩に気合が入っている。元より相性の悪い相手にそれでは、勝てるものも勝てないだろう。

 

 川崎姉に関わらず、高校生がバイトをする目的など金以外にあるはずがない。金銭を得るために労働をするというのは、庶民からすれば当たり前の感覚だが、裕福な家庭で育った雪乃は、いまいちそれがピンときていないのだろう。それがまた、雪乃と川崎姉の会話をかみ合わない物にしていく。

 

 金を都合しなければいけない川崎姉は、多少のことでは自分を曲げたりはしない。始まる前から上手くいかないだろうことは解っていたが、全くと言って良いほど聞く耳を持っていない川崎姉に、ついに雪乃が焦れ出すのを見て、八幡はようやく助け船を出すことに決めた

 

 先日、川崎姉と知り合った時のことが脳裏を過る。

 

 本音を言えばあまり、川崎姉の前に顔を出したくはないのだが、背に腹は変えられない。後輩の尻拭いをするのは先輩の義務であり、陽乃の妹を助けるのは犬の義務だ。

 

「雪乃、交代だ」

「比企谷くん、私はまだ――」

 

 まだやれる。そう言葉を続けようとした雪乃を遮るように、八幡の姿を見た川崎姉は、ぱっと顔を輝かせ、

 

「八幡さん! お久しぶりです!」

 

 そんな、喜色に満ちた声を挙げた。苛立ちと共に雪乃と会話していた時とは、雲泥の差である。

 

 その声を聴いた雪乃は、今まで険悪な雰囲気だったことも忘れて、茫然と八幡を見る。こういう顔をされるから嫌だったんだと、後ろ頭をがりがりとかきながら、八幡は雪乃を努めて無視する形で、言葉を続けた。

 

「元気そうだな。バイトも続けてるみたいだし」

「はい。あれから無事に続けられてます。あぁ、もしかしてそっちのは――」

「俺の後輩だ。それで、俺も同じ事情でここに来た」

 

 ふぅ、と八幡は小さく息を吐いた。音楽の授業の時、クラスメートという名の他人の前で、一人歌わされる時のような嫌な緊張感が、八幡を満たしていた。

 

 だが、歌わなければ歌のテストが終わらないように、言葉を続けないとこの問題を解決することはできない。意を決して、八幡は更に言葉を続けた。

 

「そう言えばまともに自己紹介をしてなかったな。俺は比企谷八幡。お前の先輩なのは事実だが、まだ現役の高校生だ」

「え…………え?」

 

 混乱している様子の川崎姉を軽く無視する形で、八幡は腕時計を見た。

 

「これから時間取れるか? 休憩の時にでも話せると助かるんだが」

「……はい。じゃあ、十二時には休憩に入れると思うんで、その時に」

「解った。それまでここで待ってる。後ここにマッカン――はなかったんだよな確か……適当にメニュー見て注文するわ。邪魔したな」

「あの!」

 

 そのまま、踵を返してテーブルの方へ歩こうとした八幡に、川崎姉は声を挙げた。自分が声を挙げたことに、驚いたのだろう。八幡が振り返ると、川崎姉はバツが悪そうな顔をして、視線を逸らした。頬は僅かに、朱に染まっている。

 

「いえ、あの、八幡って名前だったんですね。名字じゃなくて」

「確かに珍しい名前ではあるな。俺の他に見たことないし」

「すいません、気安く呼んじゃったりして」

「別に構わねーよ。悪口でもなければ、好きに呼んでくれて」

「解りました。それじゃあ、()()()()。十二時に」

「了解。別に急がなくても良いからな」

 

 それじゃ、と川崎姉と会話を打ち切った八幡を、雪乃を伴って結衣たちの所まで戻った。全員の視線が自分に集中している。説明しろと無言の圧力をかけてくる後輩三人を見渡した八幡は、努めて明るい声で言った。

 

「そんな訳で、時間がかかりそうだから未成年はもう帰れ。夜道は危ないからな。雪乃の家の車に、一緒に送ってもらえ」

「どういうことか説明してほしいのだけど?」

「明日な。ついでに問題はこっちの方で解決しておく。念を押すが、寄り道しないでまっすぐ帰れよ」

 

 事実上の敗北勧告とも言える八幡の言葉に、雪乃は心底悔しそうな表情を浮かべた。部室であれば湯水の如く文句が出てきたのだろうが、ここはドレスコードがあるような場所であり、自分たちは未成年である。何かあったら親を呼ばれる弱い立場であることに違いはない。

 

 事実だけを見れば八幡も未成年だ。雪乃たちがそれを触れ回れば八幡も時間がくれば退店させられるだろうが、そうなると奉仕部として受けた依頼が滞ることになる。報復をするということにだけ着目するならそれでも良いかもしれない。事実、雪乃はその選択肢にかなりの魅力を感じていた。

 

 ここにいるのが自分一人、八幡一人ならば確実にそうしたという自負があるが、近くに姫菜と結衣がいたことが雪乃に理性を自覚させ、衝動的な行動を押しとどめた。それをしても一時的に心が満たされるだけで、誰も得をしないし、何も解決しない。

 

 この場で、最も効率的に事態を収拾できるのが比企谷八幡である。それをかつてない程の敗北感と共に自覚したことで、雪乃は撤退を決めた。

 

「明日、部室で、きちんと報告をすること。それをすっぽかすようなら、依頼にかこつけて後輩の女子をホテルに連れ込んだと姉さんに証言するわ」

「それは、その……なんだ、やめてくれ…………」

 

 そんなことをするはずがないと、陽乃も信じてはくれるだろうが、感情は別のものだ。陽乃の知らないところでその後輩の女子と二人きりになろうとしていることは事実なのだ。場所も誂えたようにホテルに併設されたバーだ。雪乃の言葉も一部事実であることが、その嘘にも無駄な説得力を持たせていた。

 

「それは、取引成立ということで良いのかしら?」

「取引も何も、最初から部活の一環だろ? 俺部員、お前たちも部員。報告するのは当然のことだ」

 

 実を言えば、一人で解決してうやむやにしようとしていたことがあるのだが、陽乃を引き合いに出されてはそうもいかない。雪乃の脅迫に屈する形で、八幡は渋々イエスと答えた。小さな勝利を勝ち取ったことに、雪乃は満足そうにほほ笑む。

 

 

 

「それは良かった。それじゃあ、明日学校で。土産話を楽しみにしているわ」

 

 


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