犬とお姫様   作:DICEK

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誰が相手でも、雪ノ下陽乃は遠慮しない

「雪乃ちゃん、いらっしゃい」

 

 バスルームから出てきた陽乃は、八幡の懸念に反してちゃんと服を着ていたが、それでもきっちり余所行きという訳ではなかった。ここは陽乃の部屋なのだから当然だが、バスルームに入った時よりもさらにラフな感じになっている。上から三つはボタンを外しているシャツからは、胸の谷間とブラがしっかりと見えていた

 

 昨晩から今朝にかけて、もっと凄い恰好を見ていた八幡にとってはこれでも十分にきちんとしている方ではあったのだが、今日初めてこの部屋にきた雪乃にとっては十分にアウトであったらしい。これ以下はないと思っていた雪乃の視線の温度が更に下がったのを見て、八幡は自分が今針の筵の上にいるのだと自覚した。

 

「姉さん、服をちゃんと着てもらえる?」

「ここは私の部屋ー」

「それでもよ」

 

 眦を釣り上げた愛する妹の強い言葉に陽乃は肩を竦め、大人しく服装を直すために寝室に戻っていく。学校では一番仲の良い静の言葉でも聞かない時があったのに、妹の言葉には素直に従うのか。陽乃の新しい一面を見た八幡は、陽乃を思い通りに動かしてみた雪乃に対し、小さく感嘆の溜息を漏らした。

 

 しばらくして、部屋着をきちんと着てきた陽乃は椅子を引き寄せると、雪乃の前で背中を向けて座った。

 

「雪乃ちゃん、髪をやってもらえる?」

「そこで物欲しそうな顔をしてる比企谷くんにでも頼めば良いじゃない。喜んでやってくれると思うのだけれど」

「髪はだめ。八幡、こういう手先は不器用なんだもん」

「それは解る気がするわ」

「悪かったな……」

「そんな訳で自分でやっても良いけど、せっかく雪乃ちゃんがいるんだしやってもらいたいなって思ったの。ね? お姉ちゃんのお願い!」

「――今回だけよ?」

「やった! 雪乃ちゃん大好き!」

 

 深々と溜息を吐く妹と、喜ぶ姉。対照的な構図である。椅子に座って後ろを向く陽乃の背後に、洗面所からドライヤーを持ってきた雪乃が立つ。髪に櫛を入れられ、気持ちよさそうな声を挙げる陽乃を見る雪乃の目は、部室で見る時とは比べものにならないくらいの優しい表情をしていた。

 

 こういう顔もできるのかと、八幡は内心で感心する。よほど姉の髪に集中しているのだろう。普段ならば視線に気づいてキモ谷君だの悪口の一つも言ってくる頃合いなのに、その気配がまるでない。手持無沙汰になった八幡は、ただぼーっと髪の手入れをする二人を眺めていたが、先にその視線に気づいた陽乃が、雪乃にそっと囁いた。

 

「雪乃ちゃん、八幡が暇そうにしてるから構ってあげて?」

「それは姉さんの役目じゃないかしら。私はただの、部活の仲間よ」

「これを機に仲良くなってほしいなぁ、ってお姉ちゃん思うんだけどなぁ」

「放課後、それなりに親睦を深めているから、心配は無用よ」

「奉仕部だっけ? 八幡がボランティアとか意外だな。そういうの嫌いだと思ってた」

「確かに好きじゃありませんが、まぁ、内申を良くするためですからね」

「世のため人のためって、柄じゃないもんねぇ、お互い」

 

 陽乃の言葉に雪乃も八幡も大きく頷いた。大枠の主義主張にこそ拘りはあるが、三人が三人とも、自分と身内以外は基本的にはどうでも良いという感性をしている。この中では雪乃が比較的マシな部類に入るがそれでも、一般人の『普通』とは大分乖離していた。長いこと友人という友人を作らなかった弊害か、所謂『普通』の感性よりは、八幡や陽乃のものにその感性は近い。

 

「その奉仕部、普段は何をしてるの? 毎日ボランティアしてる訳じゃないんでしょ?」

「依頼があればそれに対応しますが、そうじゃない時は部室で待機してるだけですね。何にも依頼がなければ、月末にでも適当にボランティアをします」

「あー、最初の月はゴミ拾いしたとか言ってたね。そもそも、依頼って来るの?」

「この前はテニスの練習相手をしたわ……比企谷くん、姉さんに何も話してないの?」

「ただ集まってダベってるだけの話をしてもなぁ……」

 

 八幡以上に、陽乃はそのテの行為を嫌っている。それなら、これからのことでも話した方がよほど建設的だと思ったのだ。実際、学校で何があったという話をするよりも、これから二人で何をするかという話をした方が、八幡から見た陽乃は楽しそうなのだ。

 

「でも、雪乃ちゃん以外の二人のことは知ってるよ? まさかあの娘が一緒にいるとは思わなかったなぁ。本当、どの面下げてと思うけど、雪乃ちゃんの友達なら仕方ないね」

 

 陽乃の声に力が籠ったのを聞いて、八幡は結衣が雪乃と仲良しであることに心底安堵した。そうでなければ、同じ部活にいると知られた時点で、結衣に何某かの不幸が起こっていただろう。多少アホなところはあるが、良い奴なのだ。既に知り合い程度の仲ではあるのだし、不幸に見舞われるのはどうにも忍びない。

 

「もう一人は何か面白い娘だって聞いてるけど」

「面白い――のかしら?」

 

 雪乃は怪訝な顔で首を傾げた。雪乃の前では押しの強いお腐れ様という印象が強く、内面の黒さは形を潜めている。姫菜なりに、相手を選んで『腐って』いるのだろう。クラスでは同じグループに属している葉山達にも、黒々とした内面を出している様子はない。八幡の知る限り、姫菜が全く遠慮をしないのは自分の前だけだった。

 

「陽乃は気に入ると思いますよ。考え方は、俺より大分陽乃に近いんじゃないかと思います」

「そっかぁ、それなら会ってみたいなぁ」

 

 陽乃の声音には、喜色が宿っている。陽乃から八幡へならばともかく、八幡が陽乃に人間を推すのはめぐりに続いて二人目だ。めぐりの時は彼女に押されてという経緯があるから、純粋な推薦はこれが初めてである。あの八幡が、という陽乃の期待は大きかった。

 

「その娘は雪乃ちゃんとはどうなの?」

「部活の仲間、と表現するのが一番近いんじゃないかしら。仲は良いと思うけど、友人と言うには少し壁を感じる気がするわ」

「雪乃ちゃんが壁とか、言うようになったねぇ」

「――私にだって、友人の一人や二人はいるのよ?」

「今でてきた二人だけじゃないって、お姉ちゃんは信じてるから!」

 

 欠片も信じていない様子で微笑む陽乃に、雪乃は悔しそうに俯く。リア充はぼっちを見抜く技術に長けている。リア充の代表のような陽乃は、雪乃から鍛えられたぼっち力(ぢから)を感じ取っていた。友達がその二人だけだというのは、陽乃なりに確信があるのだろう。八幡も、雪乃が自分のクラスでどういう立ち位置にいるのか知らないが、ただだべって過ごすだけの普段は何もしない部活に、出席率が現状100%ということは、他に交流を持つような友人がいないということの証明でもあった。

 

「そ、れ、よ、り、二人はどうしてそんなに他人行儀なのかな? 彼氏と愛する妹の間に壁があるなんて、私は悲しいよ。せっかくだから呼び方を変えてみようか?」

「いや、別に雪ノ下で不自由は――」

「八幡?」

「はい、解りました」

「少しは抵抗したらどうなの!?」

「いや、だってなぁ……」

「こういう時は使えない人ね! 姉さん、私は遠慮するわ。親しみを込めた呼び方をして、本当に親しいと人に思われても嫌だもの」

「そう? なら仕方ないね。今日の私は優しいお姉ちゃんだから雪乃ちゃんに無理強いしたりはしないよ。どうせ、八幡が折れれば結果的には同じことだから」

 

 しまった、と雪乃は尻尾を巻いて逃げようと試みたが、椅子の上で器用に反転した陽乃に腕を掴まれ、背後から抱きしめられた。んー、と声を挙げて雪乃の髪の匂いを堪能する陽乃に、当の雪乃は身震いして嫌悪感を示したが、がっちりと組まれた腕からは抜けられそうにない。合気道を嗜んでいる雪乃だが、陽乃の実力はそれ以上だ。抑え込まれた状態からでは、例え抜けられるとしても手荒なことをしなければならない。

 

 そして、手荒なことをするという選択肢が全く浮かばない程度には、雪乃は姉のことを大事に思っていた。抜けられないと悟って大人しくなった妹に満足そうにほほ笑むと、陽乃は身体ごと八幡に向き直った。

 

「さぁ八幡。雪乃ちゃんのことを呼んであげて?」

 

 天使のような悪魔の笑顔からは、『これで雪ノ下と呼んだら不幸にする』と読み取れた。第一、陽乃に命令された時点で、八幡には選択肢がない。雪乃は全力で『止めろ』と視線で訴えかけていたが、人間にはできることとできないことがあるのだ。

 

「……………………雪乃」

 

 名前を口にするだけで、ここまで恥ずかしかったのは初めてかもしれない。陽乃を呼び捨てにした時以上の息苦しさを感じた八幡だったが、雪乃が感じたのはそれ以上のもののようだった。渋面を作る雪乃の顔は、少しも嬉しそうには見えなかった。当然と言えば当然である。予想していた雪乃の反応に、むしろ安堵していた八幡だったが、雪乃の顔を覗き込んだ陽乃は、全く別の感想を持った。

 

「雪乃ちゃん、嬉しそうにしてるから、これからは名前で呼んであげて?」

「…………善処します」

 

 八幡はそう答えるのが精いっぱいだった。これで学校でもと命令されたら、そうせざるを得なかっただろう。なるべく呼ばないように気を付ければ済む話ではあるのだがそういう時に限って良くないことは起きるものである。姫菜や結衣の前で呼び捨てにする羽目になったら、追求は避けられない。

そういう時に限って良くないことは起きるものである。姫菜や結衣の前で呼び捨てにする羽目になったら、追求は避けられない。

 

「それで、姉さん。今日はどうして私が呼ばれたの?」

「かわいい妹の顔を見たいから、じゃダメ?」

「それならこの人がいない時に呼ぶでしょう? 恋人を自慢したいだけなら、もう帰らせてもらうのだけれど」

「心配しないで、目的はちゃんとあるから」

 

 そう言って、陽乃は今日、一番嬉しそうに笑った。

 

「これから三人で、デートしようか」

 




毎回タイトルを考えるのに一時間くらいかかっているため、次回から普通なタイトルに切り替わるかもしれません。

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