「うるせえなぁ......」
それが初老の男性が最後に聴いた言葉になった。一瞬、世界から重力が消えたような感覚に覚え、数秒後に凄まじい衝撃が背中から肺へと貫いた。幼い頃に、高所から落下した際に、肺の全ての空気が押し出されるような息苦しさ。
咳き込む暇もなく、聞こえてきた足音、唸り声、そして、腐臭。男性の右足に鋭い痛みが走る。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!」
奪われた視覚、それは痛覚を膨らませる役割を担った。右の肩口、左足、右の太股、腹、最後に眼球、次々に抉り取られていく男性の身体は、徐々に使徒の胃袋に収められていく。唯一男性が救われたのは、奇しくも目隠しのお陰で自分の肉体を見ずに終えたことだけだろう。
「おーーおーー、食欲旺盛なこって......」
木霊する金切り声は、東にとってバックコーラスのようなものだった。音楽を聴いている時、誰しもが好きな体勢をとり、耳を傾けるだろう。一仕事を終えたように、東は煙草に火を点けた。
「カニバリズムは理解できねえが、奴等を見ていると、やってみたくなるよな?安部さん」
一連の一部始終を静観していた安部が、二階の出入り口から現れた。メガネの位置を指の腹で直す。
「昔の映画でありましたね。知っていますか?」
東は、喉を鳴らした。
「ああ、知ってるよ。酷い映画だったよなぁ?いきなり、原住民の住居に侵入したテレビクルーが好き放題やって、最後には住民からの激しい反抗を受けて殺される話だろ?」
「......ええ、その通りです。私は、あの映画を見た時に、これはまるで世界の縮図のようだと思いましたよ。どこの世界にも、弱者と強者に分けられる」
安部は、東の隣に立つと使徒に囲まれた肉片を見下ろした。
「今まで良い学校に通い、将来を安定させることしか考えてこなかった私は、私の世界にしか目を向けていませんでした。世界では、私は弱者に分類されているのだと悟ったのは、ある少女の生涯が書かれた新聞の記事を読んだ時です」
東は、胸ポケットから煙草を抜いて、一本差し出したが、安部は、掌で押し返した。悪態をつきつつ、東は吸っていた煙草を投げ捨て、押し返された一本をくわえる。
「安部さんよお......弱者と強者の違いが分かるか?」
「何かを変えられるか、そうでないか」
安部の返答に、東は両腕を顔の前でクロスさせた。大きなバツマークだ。
「世界において金の力が大きいのは間違いないんだぜ?金さえあれば、子供を売る親だっているんだよ。金の使い方は立場の強い人間が決めるんだ」
長く煙を吐いて、東は安部に顔を向ける。
「公務員は安定を求める為に、さまざまな役割を担う。中には国を守り、市民を守り、国民を守るものもあるだろ?その引き換えが安定した生活だ。だが、下の光景を見ろよ。どこに安定がある?死人になるのは、みんな平等だ。弱者も強者もねえよ。あるとするなら、それはどれだけ金の使い道を決められるかだ」
「少女の命は金に変えられたと?」
東は、くっくっ、と怪しく肩を揺らした。
「それ以外に何がある?弱者、強者に自分を位置付けるのは構わねえけどな......間違えるなよ?今、俺達の環境は金が無くなったことで、弱者、強者の境界が曖昧になってんだからよ」
ちょっとタイトルを変える可能性があります