感染   作:saijya

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第9話

 殷賑を極める日本の首都が、崩壊していく様が瞼の奥に映像として流れる。

 六階に到着したエレベーターを降りると、鼻腔をくすぐる日本海の潮の香りがした。風にのって運ばれてきたのだろうか。

 608号室の角部屋が指定された番号だ。インターホンを鳴らし、待つこと数秒、開かれた玄関には懐かしい顔があった。少しばかりふくよかな少女が莞爾として笑う。

 

「いらっしゃい、田辺さん!どうぞ!」

 

 この笑顔を、東京よりも早く、壊してしまうかもしれない。そうしない為にも、適切な距離感を保つべきなのかどうか、田辺には判断ができなかった。

 心が、塑性と脆性の狭間で揺さぶられる。振り子の振れ幅は広がるばかりだ。並べられていたスリッパに足を入れ、田辺は顔をあげた。一直線に伸びる廊下には、寝室であろう部屋が四つある。

 野田の執務室と寝室、貴子の寝室とベッドルームに別けられているみたいだ。リビングは広く、鏡張りの使用なのだろうが、今はブラインドが下がっている。

 白い革のソファに座った田辺は、膝の高さにある大理石のテーブルを見下ろした。あまり良いセンスとは言い難く、貴子が不満そうに言った。

 

「それ、お父さんの趣味みたいで......」

 

 針を含んだような貴子の言い方に、田辺は思わず吹き出した。

 テーブルに並べられていくのは、見たこともない御菓子や、紅茶などの品々だった。反対に座った貴子のマナーは完璧で、田辺は一人感心する。

 

「お父さんから、さっき連絡がありました。もうすぐ帰ってくるそうです」

 

「そう......僕のことは話してますか?」

 

 貴子は、小さく左右に頭を動かした。

 

「いえ、サプライズで喜ばせようと思って伝えてませんが......迷惑でしたかね?」

 

「いや、そんなことはありません。僕も彼が驚く姿は見てみたい」

 

 紅茶を一口啜ると、ハーブの独特な匂いが口の中に広がり、強ばった四肢が、緩まっていく。田辺は、ようやく一息をつけた。

 

「それで、聞きたいことがあるんですが......」

 

 貴子はコースターと一緒にカップを置いた。逸る気持ちを押さえ続けていたのだろう。父親の安否を気遣わない娘はそういない。田辺は、紅茶をもう一口だけ飲んで、姿勢を正した。

 

「どうぞ」

 

「テレビで総理が言っていたテロリストの話しなんですが......本当にそうなんでしょうか?今の日本に対してテロ行為に及んでも、意味がないんじゃ......」

 

「意味がないことはありませんよ。何故なら彼らには、テロを遂行したという事実だけがあれば良いんですから。それだけでも、他国への威嚇は成功です。テロには我々に従わなければ、同じ事をするぞ、そんなメッセージもあります。しかし、僕は今回の事件に対し、テロリストは関与していないと考えます」

 

 貴子はこの短時間で、すっかり塞ぎ込んでしまっていた。ここで田辺が、甘い甘辞でも投げてやれば気を取り戻すだろうが、田辺はあえて動かなかった。そもそも、ここに来たのは、野田に会うためだ。貴子のことは二の次になってしまう。自分の冷たさに嫌気が差した。事務的な、機械的な受け答えのように聞こえる。

 

「それに、もしもテロリストの行為だとすれば、墜落場所が不自然だと思いませんか?世界同時多発テロでは、貿易センタービルや、ホワイトハウスが狙われた。国に対しての重要な場所を狙うのは、常套手段でしょう?」

 

 貴子は、小さく頷く。しかし、表情の陰りはとれない。

 

「それは分かるんですが、不安なんです......私には母親がいませんし、親戚もみんな離れています。もしも、お父さんが狙われたらと思うと......」




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