時刻は、午前十時、記者会見が終わり、集まっていた報道陣が撤退していくなかで、田辺は所属する新聞社へ連絡をとった。電話に出たのは、支局長の浜岡という男だ。いつもの気怠そうな覇気のない声が電話越しに流れてくる。
「......田辺君さあ、連絡するなら携帯じゃなく支社にしてくんない?」
「今、会見が終わりましたよ浜岡さん」
浜岡のぼやきを聞き流し、話を進めるのは、いつもの習慣のようなものだ。この支局長は、何か事件に進展がないと動き出さないことは田辺はよく知っている。
抑揚のない返事が聞こえるまで、間が空いた。デスクからノートとペンを探しているようだ。
しばらくして、浜岡が訊いた。
「で、どうだった?なにか収穫は?」
「残念ですが、ありませんね。テレビは点けていますよね?」
「ああ、それが?」
「どこかの局が現場を撮影してる、なんてことないですか?」
「......いや、無いね。そもそも現場には報道各社は入れない。テレビで流すことなんか出来ないよ」
そうですか、と落胆した声音に、浜岡が怪訝そうに返す。
「どうした?何かあるのかい?」
「いえ、なんでもありません、少しばかり帰りが遅れますが良いですかね?」
「構わないよ。ああ、そうだ。一つ釘を刺させてもらおうかな」
田辺は眉をひそめた。無言で先を促すと、浜岡が楽しそうに言った。
「君の正義感は嫌いじゃないが、それに駆られるあまり距離感を間違えるなよ。物事を観察する時に必要なのは適切な距離をどれだけとれるかだ」
付き合いというのは、ままならぬものだ。近ければ近いほど周りが見えなくなる。遠ざかれば、周りが見える変わりに遠くが見通せなくなる。あくまで記者は、世間で起きた出来事には中立の立場に立たなければならない。そういうアドバイスなのだろう。
「......分かりました」
田辺の曖昧な返事に、携帯電話の向こうにいる浜岡が渋い顔をしていた。きっと理解はしていないのだろうと思いながら、浜岡は笑う。
「あと、清潔な格好を心がけなきゃね。君の姿では相手に不信しか与えないから」
田辺は自分の姿を見直し、苦笑した。
この先輩のアドバイスは、いつも0な100しかないのだ。余計なお世話だとは口にせず、田辺は路上で頷いた。
いつ以来だろうか。これほど癪に障る事件は、と田辺は思い返し、記憶に引っ掛かったのは、数年前に、ある連続殺人犯が東京に潜伏していると情報を得た時だった。周囲からの制止も振り切り、田辺は地道に足取りを辿った。
警察の手伝いもあり、一度は追い詰めたが寸でのところで逃してしまったことを思い出した。それから数ヵ月後に逮捕されたと報告があり、胸を撫で下ろしたが、やはり拭えない感情の揺らぎが心のどこかにあった。
決定!ありがとう御座いました!