「田辺さん、コイツはアンタが思ってるような人間にはなれやしねえよ」
涙目になった田辺は、口元を拭ってから松谷へ言った。
「それは、誰にも分から……」
「分かるから言ってんだよ」
発言を強引に断ち切った松谷は、東の死体を股越して鼻を鳴らし、深い皺を刻んだ田辺へと近づいていく。
「こんな偏った奴ってのは、どいつもこいつも石頭ばっかりだ。そういう人間は、いずれ必ず、大きな害悪に成り果てちまう、だったら、ここで始末しておくほうが世の中の為になるってもんだ」
何も返さずに、田辺は近寄る松谷を待っていた。松谷もなんらかの返答があるとは思っていないのだろうか、足を止めることもなく田辺の眼前に立ち、吐き捨てるような言い放った。
「それが世界を保つ為のルールってやつだろ」
「松谷さん……」
田辺は、松谷の目を見て溜め息をつきたい気分になった。
松谷自身は気づいていないだろうが、彼はすでに東に取り込まれているようだ。言動が少しずつ東に似てきている。松谷が周囲の影響を受けやすいのか、東の影響力が高過ぎるのか、東が死んだ今となっては判断がつかない。
そんな事を考えつつ、田辺が見納めとばかりに殺人鬼の死体に目を向けて瞠目した。そこにあるはずの死体が、大きな血溜りを残したまま、消え去っていたのだ。
松谷の行動に意識を奪われていた二人も、田辺の頓狂な顔付きを目にして、ようやく事態に気付いたようだ。そして、数瞬の間の後に、平山が甲高い声で言った。
「先輩!後ろおおおお!」
首だけで振り向こうとした松谷は、違和感がある胸へと流れるように視線を下げる。驚愕の表情をつくる時間もなく、奇妙に隆起した胸部を見詰めた。
「……え?」
盛り上がった皮膚の奥で、胸骨や肋骨が次々と小枝が折れるような音を鳴らし始める。
ぐぐぐっ、と押し上げられていく胸部は、松谷自身が視線を上げても確認できる位置にあり、次第に限界を迎えた皮膚の頂点がゆっくりと裂けていく。何が起きているのか全く理解できていなかった松谷の顔色が急速に褪せていき、皮膚の隙間から赤い筋肉が覗き始めると、泥水を連想させる吐血をするが、それでも、隆起は止まらない。
「が……あ……ああああぁぁぁ……!」
胸部が盛り上がっていくにつれ、松谷の呻きが細くなっていく。弛緩した両腕が痙攣から上下に振られ、やがて隆起の頭頂から紅い岩のようなものが見え始める。よく目を凝らさなければ分からなかったが、それは何かを掴んだままの状態で松谷の肉体を貫いていく拳だった。