感染   作:saijya

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第31部 英雄

肉体を開かれ、顔を突きいれられ、あらゆる臓器を噛み千切られる感覚は東としても不快だった。自身の自由を奪われること、それは直接的な殺人と同じだ。そして、なにより、この身体は東でもあり、安部でもある。

神の恩恵を受けていなければ、熊の一撃により事切れていただろう。いや、よしんば耐えきれたとしても肉体を貪られる最中に間違いなく死んでいた。

しかし、結果はどうだ。人間には引けない弦が張られた強弓で放たれた矢のような熊の剛腕を受けた右腕は元に戻り、開かれた腹部も、そこから垂れた臓器も、徐々にではあるが回復しつつある。

死ぬべき所で生き延びる。死ななければいけない事態に直面したとしても生き残る。それは何故か。答えは決まっている。世界が、天が、時代が、時間が、世界の救世主として東と安部を選んだという証左、それこそが答えだ。それこそが本物の英雄であり救世主だ。悦に入った様子の東とは対照的に達也達の表情は凍り付いていた。腹部から臓器は垂れ、顔面の皮が半分剥がされ生々しい赤色が覆っていながら、それでも、尚、生きている。

そんな固まった時間を動かしたのは、熊の雄叫びだった。勢いよく立ちあがり、標的を再び東に定めたようだ。しかし、大口を開けた熊が振り向くと同時に、東が左拳を口内を打ち込んだ。肘まで沈んでいっているところを見ると、恐らくは喉から食道にまで達しているだろう。間を置かず、左足を熊の前足に絡め、埋め込んだ左拳を起点に押し倒す。巨体が崩れるも、左拳は抜かずに右拳を掲げ、容赦なく振り下ろす。ガチャッ、と堅く脳を守る骨を砕く厭わしい音が響き加奈子が短い悲鳴を出すが、四肢をばたつかせ、必死の抵抗を続ける熊の獣声にかきけされた。

熊の抗戦は、胸や露出した臓器などに当たってはいるものの、東は何事も起きていないような気楽さで、再度、右拳を振り上げ、硬めて落とす。

その最中、亜里沙は気付く。筋肉が剥き出しになった横顔の口角が上がっていた。浩太が言っていた怪人が怪物になった、との一言は、本当だったのかもしれない。亜里沙の意識は、東への恐怖で塗り潰されていく。

 

「ば……化け……物」

 

「獣風情が誰を貪ってやがったのか分かってんのかよ!テメエにゃあ、この身体は勿体ねえんだよ!死ねや糞獸がぁ!ひゃーーははははははは!」

 

震える歯列の隙間から、ようやく絞り出した声に応えるように、東の高笑いが木霊した直後、変形した熊の頭部への一撃により、熟れすぎた果実を地面へ叩きつけたかの如く破裂した。


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