「けど……」
「裕介の憂慮はよく分かる。だが、この状態の真一を連れて戻れば、逆に足を引っ張ることになるのも事実だ。悔しいが、今やるべきは真一を安全なとこにやることだ」
自分で口にしておきながら、浩太は自嘲してしまう。安全なところなど、この九州地方のどこにあるというのだろうか。裕介は得心のいかない様子だが、ここで口論を繰り広げても意味がないとばかりに、エスカレーターのステップを踏んだ。
「分かりました、それなら急ぎましょう。下手をすれば間に合わなくなるかもしれないし」
「ああ、そうだな」
真一を担ぎ直し、三人は六階へ到着する。相変わらずの円形ホールが続いていた建物内だが、この階から隣接する立体駐車場への連絡通路が現れる。ここで籠城していた生存者、もしくは、東が用意したのかは定かではないが、立体駐車場を繋ぐ連絡通路側奥と、あるあるシティの側の扉には大きな板が打ち付けられていた。上階に死者がいなかった理由はこれだったのかと納得した浩太が真一に声を掛けた。
「真一、少しここで待っててくれるか?」
その問い掛けに対して、真一は悄然とした様子で首を振る。
裕介にとっても意外な反応だった。これほど弱気な真一など想像もしたことがない。狼狽する裕介をよそに、浩太は真一を落ち着かせる為に手を握った。
「大丈夫だ。絶対戻ってくる」
だが、真一は浩太を睨んだ。
怪訝に眉を寄せた浩太は、一瞬、裕介へ顔を向けたが首を傾げられた。訳も分からず、互いが口籠っていると、真一が重い唇を開いた。
「聞こえて……ないのか?なるほどな……俺は死ぬことが確定したからビビッちまってるみたいだぜ……」
白金のような顔で言った真一は、壁に背中を預けて立ち上がろうとするが、死者に噛まれた箇所に力が入らずよろめいた。倒れる寸前、咄嗟に浩太が真一を抱えようとするも、右手を突き出し浩太の動きを止め、乱れた呼吸を整えるように一息つき天井を扇ぐ。
「うっすらとだが……聞こえてくるぜ……もうすぐだ……」
「真一……?」
呼び声に真一は無反応だった。もしかしたら、もう限界なのかもしれない、そう浩太が考え始めた時、背後にいた裕介が声をあげた。
「これ……浩太さん!この音!」
「音……?」
「耳を澄ませてみて下さい!」
言われるがまま、耳に手を当てた途端、確かに音が聞こえてくる。バリバリと唸る回転音、そして、僅かに流れてくる風切り音だ。これは一体、なんの音だろう。いや、こんな音をたてながら上空を飛行するものなど一つしかない。
「まさか……田辺さんが到着したのか?」
浩太の呟きとともに、裕介が身を翻して窓際へと走り、覗き込むように空を見上げた。それから数秒後の午前十一時四十分に、歓喜に満ちた笑い声を出した。