亜里沙の背中に、じわりと広がってく涙が皮膚や背骨を通って心臓に届き、身体の奥から噴き出した真っ黒な塊を溶かしながら浸透していく。
亜里沙は、彰一のように何かを成し遂げたか。違う、何もしていない。じゃあ、なぜ死ぬなんて言葉を口にしてしまったのだろう。決まっている。亜里沙は、結局、人に甘えているだけだった。そして今、生きることにすら甘えている。自分が生きていく理由を人に預け、他人の命を奪って死のうとしていた。命を繋ぐことに、自身の全てを使った彰一への明らかな侮辱に他ならない。
亜里沙は、加奈子へ首だけで振り返り、腹部に回された小さな手を握る。
「ごめんね……加奈子ちゃん……」
達也の苦しそうな声がする。
「亜……里沙ちゃん……俺は、取り返しのつかないことをしちまった……俺はいつだって命を掛けれらる……けど、ごめん、それは今じゃねえんだ」
「達也さん……アタシ……なんてこと……」
「俺はこうなっちまって当然だ……」
生きたい、いや、生きていかなければならない。
亜里沙に産まれたそんな気持ちの萌芽、それを改めて抱くには、少し遅すぎた。
東という獲物を捕らえて離さず、貪り続けていた熊の荒々しい咆哮が響く。
三人は揃って身体をすくませた。立ち上がった巨体には、びっしりと血が付着しており、東の体は陰惨を極める状態になっている。
しかし、一点だけ腑に落ちない。達也が亜里沙に組伏せられていた時間、なぜ、熊はこちらに意識を向けても襲ってこなかったのだろうか。達也の疑問など、気にもせず、熊は四つ足になり、新たな獲物を見定める。この状況でもっとも弱っているであろう人間は達也だ。
苦痛に歪んだ声音で達也が言った。
「二人とも逃げ……ろ……」
再度、熊の咆哮が轟いだ、そのときだった。
熊の背後で影が揺らめいた。三人が余りにも現実離れした光景に目を丸くする中、影から伸びた右手が熊の頭を掴んだ。
「よお……この糞獣……人の身体を、散々、好き勝手食い散らかした上にシカトしてんじゃねえぞ?」
※※※ ※※※
あるあるシティの五階まで響いた獣声に三人は足を止めた。途方もない不安を煽る雄叫びに、裕介は手にした銃のトリガーに指を掛けて振り返る。
「……やっぱり、三人とも遅くないですか?」
「ああ、確かにな」
浩太の淡々とした返事に、裕介は噛みつくように浩太の背中に言う。
「確かになって……浩太さん、今の聞いてましたよね?心配じゃないんですか?」
浩太がちらりと横目でみた真一は、荒い呼吸を繰り返している。
「……心配に決まってんだろ。けどな、俺たちはアイツらの為にも先に進まなきゃ駄目なんだ」
あーー、駄目だ
ショックが大きすぎる……