「よお……安倍さん、見ろよ。こいつらは、全員、俺達を理解してくれるようだぜ?」
空に浮かぶ厚い曇が切れて、透明なカーテンのように日差しが漏れていた。ヤコブの梯子というものだ。梯子を登ると天国へいけるとう伝説がある。天にいるであろう安部の足掛かりとなったであろう梯子を見て、東の記憶が引っ掛かた。誰だっただろうか、無頼派と呼ばれる小説家が、空腹という感覚が分からないと書いた。空腹とはなんだろうか。今、東には、まさに空腹というものがない。
恐らく、その作家にとっての空腹とは、満足感だ。隙間なく、余計なものが入る余地もなく埋めつくされていることを指す。意味合いは異なるだろうが、着地した思考を変える必要もない。
見下ろした先には、地面を覆う死人の群れが、例外なく両腕を掲げて咆哮している。それを喜色満面で俯瞰する東に、どのような光景と思われているのだろうか。午前十時過ぎ、これから約一時間後、生者、死者が入り乱れる戦場となるあるあるシティの屋上で、東の笑い声が木霊した。
※※※ ※※※
「達也!さっさとここを抜けるぞ!」
「分かってるっての!」
ぐん、と圧力を増した車内を目掛けて、小倉駅から地震でも起きたかのような地響きを 伴って、死者が飛び出してきた。巨大な蟻塚に棒を突き入れたとき、その数を一から数えるはずもない。
達也は、すぐさまレバーを操作する。
「古賀!後ろからもきてるぞ!」
新崎が声を張った。
魚町のアーケードを闊歩していた死者達をも集めてしまったのだろう。一斉に囲まれてしまえば、目も当てられない。奥歯を噛んだ達也は汗ばむ掌でハンドルを固く握った。
「車に言うことじゃねえけどよ……根性みせろよ!」
その言葉を口にするやいなや、後部座席の重力がはねあがった。続けざまに、下腹にまで響く不快な音がする。急速に下がった車は、容赦なく死者を撥ね飛ばし、踏み潰す。ギャリギャリと空回りしては車体を傾け、路面に乗り走り出す。ひび割れたリアガラスの隙間から入り込んでくる多量の血液により、後部座席は、さながら、屠殺場ともいえる様相を呈していた。
「あと少し……!」
バスターミナルを抜ける直前、達也の呟きは、後部座席の悲鳴にかきけされた。脆くなったリアガラスを、撥ねられた死者の一人が頭から突き破ったからだ。亜里沙が咄嗟に加奈子を抱き寄せるが、その肩を咆哮を放つ死者が無遠慮に掴む。車内に響く獣声は、ナイフを抜いた新崎の一撃により止まる。息を整える間もなく、ナイフを引き抜いた。
「大丈夫か!?」
「はい、噛まれていません!」