感染   作:saijya

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第4話

 甲高い笑い声が木霊する。真っ向からの否定の言葉に、邦子は深く頷いて同意を示す。やがて、落ち着きを取り戻した東が小さく言った。

 

「モラルの低下を嘆く前に、やるべきことはあった......それが、この悲劇の鐘を鳴らした。目を逸らした報いを......真実を見る目を持たなかった人間への鉄槌を下すのは、俺達だ」

 

 吐息をつき、靴音を鳴らしながら東が階段へ向かう。

 

「......どちらへ?」

 

 邦子の質問に一度立ち止まった東は、肩を揺らしつつ短く答えた。

 

「空を見てくる」

 

 それだけを残した東の背中を見送った邦子は、眼下に広がる景色に魅せられたように、股間に手をあてがった。止まらない下腹部の痺れが、全身から頭へと登っていく。指を噛んで声を圧し殺すも、笑う膝に耐えられず、ぺたりとその場に踞る。艶のある吐息に混ざり、響いてくる死人の伸吟は、まるで聖歌のように邦子を満たしていった。

自身が壊れていく。けれど、それも今更だ。

 濡れた指を口へ運び、首を回して、再度、東が立っていた場所を溶けた黒目で撫でていき、愛し気に腹部を触った。

 

                 ※※※ ※※※

 

 古い時代の女子が作った縁起物で天地の袋というものがある。天と地の狭間は多彩な華や幸せに満ちており、そこに溢れた幸福を入れて逃がさないように、上も下も縫い付けた袋のことだ。

 酷い矛盾だと、東はくぐもった声で喉を鳴らした。

 人の一生は苦しみ、それは生きている限り永遠に続くものである。だからこそ、悟りを開かなければならない、この教えこそが仏教の基本だ。日本に仏教が伝わったのは、説として六世紀頃、つまりは飛鳥時代にまで遡る。それから千年以上を重ねた現在を生きる者は、不確かなものを信じない。目に見える何か、目に見えない何か、その境界線が曖昧になっている。

 東は、屋上への扉を開く。射し込んだ朝日は、頭上まで登っていた。

 そのまま屋上に出た瞬間、多数の白濁とした瞳が一斉に向けられた。十数人分の視線を受け、東は食傷気味に溜め息をつく。屋上の給水タンクを囲んだ柵から伸びた鎖は、悉く使徒の手首に繋がれている。しかし、そんな中、もともと腕が皮一枚で繋がっていたであろう男性は、強引に腕を引きちぎり、獣声で喉を震わせ、駆け出した。東は大儀そうに正面から右手のみで顔面を鷲掴み、容易く頭蓋を軋ませる。左手で扉を閉めた東は、男性を放り捨て、読経のように語った。

 

「変わらねえものなんざ、この空くれえのもんだな……地面はどうにも混雑しちまってやがる」

 

 ツカツカと靴音を鳴らす。伸吟を響かせ、自由の利く腕を伸ばす様々な使徒達を尻目に、屋上の縁に立った。




すいません、多忙でして更新できず……
そして、まだいけてないという……

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