「人間とはなんだ。こちらが、そう問われた時、こう言いますよ。人間とは心だ!思想、理念、思惑、企み、そんなものを排した人間の根本!それが心であり、それこそが!」
自ら信条を解放し、奥歯を限界まで噛み、喉を極限まで広げ、四肢を突っ張り、青空を仰ぎ、喉が裂けようと、声がでなくなろうと一切構わずにこれまで以上に声を振り上げた。
「俺達!人間というものだろうがあああああああああああああ!」
信条の背中に冷たい汗が吹き出す。肩で呼吸を繰り返す壮年の男は、最後に深呼吸を挟んだ。子供の我儘と切り捨てることも容易い言い分だが、そう易々と捨てきれないのはなぜだろうか。次第に、掲げられていたプラカードがポロポロと下がっていく。その様子に斎藤は息を呑んだ。浜岡の心根が、巨大な大木を倒す光景のように見えたからだった。
やがて、とある男性が、真っ二つに折られたプラカードを右手に歩みでた。蚊の鳴くような薄い声紋で短く言う。
「......なあ、アンタ......」
喉を抑えた浜岡が、掠れた声で咳を混じらせつつ短く返した。
「はい、なんでしょうか?」
震えながら男性が訊いた。
「その......アンタが言っていたことを......実現するとしたら......いや、あれだけ声高に言ってのけたのなら......そんな人を......アンタは知ってるのか?」
そんな問いに対し、浜岡は力強く頷く。
「はい、知っています。彼は一人で戦いを始め、こちらを初めとした多くの味方を得て、巨大な壁を飛び越え、今は九州地方へと向かっています。事実を明るみにし、九州地方にいる方々を救うために、彼は今も戦っています」
言い終えたのち、浜岡は満面の笑みを浮かべた。戦い、と口にした男がするには不釣り合いな笑顔だが、話し掛けた男性は、それだけで胸を撃たれたのだろう。
ゆっくりと、しかし、はっきりと男性が言う。
「......俺はさ、事件が起きてから、一度も笑えないんだ......俺は九州出身で、九州にいる昔の仲間が心配でさ......けど、俺は一人で何も出来ないって......情けない話し、俺だけで出来る事なんてたかが知れてるって勝手に諦めてたんだ......だから......だからさ......」
男性の目頭から溢れだした涙が、タッタッ、と路面を濡らす。集団心理を育む土壌である空気、それを抜くには水を差せば良い。男性の流した水は、確かに、一団の空気を抜きつつある。