身を捩り、ハンドルを回す。降り下ろされた腕が直撃する寸前、車体は大きく左に曲がり攻撃をかわす。すぐさま、達也は両手を忙しなく動かし、ブレを修正すると、二撃目が放たれる前に熊の傍らを通りすぎた。
「はっはーー!ざまあみやがれってんだよ!」
達也の高笑いに被せるように、祐介が叫んだ。
「達也さん!スピードあげて!早く!」
バックミラーには、血が混じった大量の涎を滝のように流しつつ、前屈の態勢を保ったまま、四つ足走行で駆けてくる巨体が写っていた。
一般的な熊の走行速度は、六十キロと言われているが、転化した影響で制限が外れているのか、どれだけ自身の肉体を傷付けても、気にも留めていないのだろう、速度がグングンと延びてきているようだ。咆哮をあげながら走り寄ってくる姿は、まさに化物と呼ぶに相応しい。
「駄目だ!これ以上は出ない!」
乗車人数過多の影響か、スピードメーターの長針は、八十を指した時点で、すでに激しく揺れていた。
「こうなりゃ窓から身を乗り出して......」
真一がドアガラスを下ろす前に、浩太が言った。
「馬鹿!スピードは向こうにあるんだ!追い付かれて、お前から喰われちまうだけだぞ!」
「なら、どうしろってんだ......」
「伏せて!」
真一が言い切る前に、阿里沙が鋭く叫んだ。直後、リアガラスに蜘蛛の巣状の皹が入り、まるで、耳元で吠えられたような咆哮が、真一の鼓膜を震わせた。
「やべえぞ、浩太!リアガラスが保たねえ!」
「分かってる!お前は、前だけ見てろ!」
達也へ怒鳴りつつ、シートベルトを外した浩太が、身を捩って銃を片手に振り向くが、皹のせいで全く狙いが定められない。
クソッタレが、そう舌を打つと同時に、遠吠えが響いた。恐らくは、車を殴りつけた後、バランスを崩し、一度止まっていたのだろう。立ち上がる際の重い足音が、巨熊の接近を知らせる合図のように感じる。
「くそっ!一体、どうすりゃいいんだよ!」
握った拳でダッシュボードを叩き、浩太がバックミラーを一瞥する。巨体は、並外れた脚力を使って走りはじめており、追い付かれるのは時間の問題だ。
次の一撃が加えられる前に、熊の速度を落とすか、殺さなければならない。しかし、相手は動物であろうと、死者に変わりはなく、生半可に銃弾を撃ち込もうとも、その勢いを失わせることはできないだろう。突き出された頭部を撃つかとも考えたが、互いに動いている以上は、それも難しい。
「浩太!次の交差点を右折して、宮の町へ入るのはどうだ?あの速度なら、曲がりきれないんじゃねえのか!」
達也が前方に見えてきた交差点と右手の銀行を視界に入れ、そう提案する。ハンドルは手汗にまみれているのか、僅かな光沢を発している。
「駄目だ!宮の町は坂道が多い!これ以上スピードは落とせない!」
「けど、小倉まで、ずっと直線が続いてんだぜ!追い付かれるなら、そっちに賭けてみるほうが......」
「古賀!このまま、真っ直ぐ走れ!佐伯、銃をつかわせてもらうぞ!」