「俺が見るに、男には、もう一つの顔が存在した。それは、内側に潜んだ夢見勝ちな向上心だ。ここから、とある傾向が読み取れるが、なにか分かるか?」
端から答えなど期待していないのか、東は、煙草の煙を吐き終えると同時に語り始める。
「それはな、向上心ってやつは、そのまま他者への支配欲に直結するってことだよ。それは、現在社会でも容易く見てとれる。例えば、学校だ。過去や現在、日本のみならず、海外でも教師による事件が多く存在する理由はなんだ?将来を夢見たからには、向上心がなれけばいけない。やがて、その向上心は学校という閉鎖空間内で支配欲になる。それが、理由だ」
「......支配......欲」
邦子の呟きに、東は一度だけ頷く。
「その点を踏まえて、とある話しをしてやる。ザッハー・マゾッホ、マゾヒズムの語源となった男だ。こいつは、生涯、妻となる女へ隷属する誓約書を交わしている。つまるとこ、マゾヒズムは他者による支配への渇望だ。ならば、その支配欲を手っ取り早く得られる方法はなんだ?決まってる、肉体と精神を同時に蝕む過剰な暴力行為だ」
思い至る節があるのか、邦子の呼吸は徐々に水気を帯びていく。生唾を呑み込んだ喉が先を促すように上下する。
「だが、サディズムとマゾヒズムは、決して対とは言えねえ......何故なら、サディズムがマゾヒズムに与える快楽は最上ではないからだ。なら、真性のサディズムにとっての最上の快楽はなんだろうなぁ......決まってる。同じ真性のサディズムを従えることだ」
東の語り口は、徐々に熱を帯びていき、最高潮に達した瞬間、左手で顔面を隠し、右手で腹を抱え、心底、愉快とばかりに声を張り上げた。
「世間の認識はそこからズレてんだよ!マゾヒズムとサディズムが同調する性質な訳がねえだろうが!快楽の度合いが、まるで真逆なのによお!服従を求ている奴を服従させて何が面白いんだってんだ!ひゃーーはははは!」
甲高い笑い声に、邦子の表情がひきつった。何度訊いても、慣れそうにはない。目の前にいる男が何者なのか、なにをしてきたのかを再認識させられる。サディズムとマゾヒズム一つをとっても、そんなことを今まで考えたことなどなかった。何故、このような結論を導きだせるのか、不思議でたまらない。
「そう考えると、一人だけ異質の男が見えてくるなぁ?そう、アルバート・フィッシュだ!あらゆる性的倒錯、なかでも秀でていたのは、マゾヒズムとサディズムの両面、自分で自分を支配し、加えてカニバリスト!さいっこうにイカれてやがる!」