その名前を耳にした瞬間、浩太と新崎以外の表情が、ついに九州地方へ救助がくるのだと一斉に明るくなった。
だが、浩太の懸念は違う場所にある。これまでの経緯を思い返せば、この会話は腑に落ちないところだらけだ。鼻息荒い真一と祐介は、いまにもハイタッチを交わし合いそうですらある。そんな二人を置いて、浩太は静かに言った。
「......なあ、一つ確認をしたいんだが、もしかして、この事件は九州地方以外にも波及してんのか?」
薮の中の蛇をつつかれたような、ぴりついた空気が受話器から流れ始めた。それは、もちろん、新崎も同様だ。
浩太は、新崎を眼界に捉えつつ、続けて短く訊いた。
「どうなんだ?誰でも良い、答えてくれ」
浩太の問い掛けに曇った声音で返事をしたのは、やはり、田辺だった。
「......東京のほうで、僅かに影響がありましたが、他県に及んではいないようで......」
「何故、東京で?ルートを辿るのであれば、山口や広島から派生していくものではないのか?」
「空気感染というやつですかね。そうではなく、感染ルートは他者から噛まれるといった場合のみのです」
「そうか。なら、尚更、東京に死者が出現した理由が分からないな。感染者は誰だ?」
田辺は、まるで試されるような浩太の詰問に対して、どうにか平静を装ってはいるが、考える間を与えられずにいた。それも、矢継ぎ早に投げられる問いは、全て核心をつこうとしている。
やがて、浩太が吐息を漏らしたのちに、心境を打ち明けた。
「田辺さん、これは、俺達にとっても死活問題なんだ。誤魔化さずに言ってくれないか?」
「......何を誤魔化していると?」
「......防衛省でない理由はなんだ?」
「それは、東京にて感染者が現れたという話しで説明がつくのでは?」
「馬鹿言うな。東京に現れたのであれば、WHOが動かない筈がない。だが、アンタはさっき言ったな?東京のほうで僅かに影響がでた、他県には及んでいない......俺にはどうも腑に落ちない」
「それが......」
田辺の反論を遮ったのは、当然、浩太の鋭くも小さな声だった。
「矛盾してんだよ......田辺、アンタ......何を隠してんだ?」
田辺は、電話越しながら、まるで、氷を直接、首筋に当てられたような悪寒がした。 つっ、と湧いた汗が頬を撫でる。しかし、言ってしまって良いものだろうかと懊悩しているのも事実だ。もしも、野田が事件の発端であることを告げれば救助を断られるのではないか、そんな憂慮が残る以上、下手に口を出せない。