行いは、必ず良し悪しに関わらず返ってくるものだ。大きかろうが小さかろうが、受け止められようが、受け止めきれなかろうが関係などない。それが、人の行いというものだ。浅ましいと思うなら思えば良い。だが、これは揺るがない事実なのだ。
浜岡は、そんな田辺の背中を見て、もう、正義感に振り回されているだけだった部下はどこにもいないのだと、一人悟った。
野田は、九州地方に薬物を打ち込んだ人間を乗せた旅客機を搭乗させた日から、後悔の念を誤魔化してきた。吐き気を催す時もあった。それでも、東への憎しみを悪魔の供物として捧げ、人間の心に蓋をしてきた。
難病と呼ばれるウェルナー症を罹患した新崎優奈を被験体として、研究を進めた。その父親をも利用し、九州地方を地獄へ叩き込んだ。すべては野田良子の為に、すべては東を殺す為に、野田は人であることを止めようとした。けれど、田辺に殴られた頬は、確かな熱と鈍痛を伝えてくる。この痛みは、人であるという、なによりの証拠ではないだろうか。
人は人をやめられない。だからこそ、人としてあらゆる痛みと向き合わなければいけないのだ。苦しい時は、人を頼らなければならない。悲しい時は、誰かが傍にいてくれなければならない。助け合うことが出来る、この一点こそが人の生そのものだ。そんな誰でも知っている様なことを、野田は長らく失念していた。
頬に走る熱は、次第に下がっていき、胸に到達する。そこから、全身に柔らかく広がっていくと、右手が震え始めた。視界がぼやけていき、唇の端に塩気を感じる。空が、景色が、眼界を埋める風景が良く見えない。東京の街の喧騒が聞こえてくる。勿論、銃声などではない、死者の呻きでもない、温かな人の肉声だ。多くの音に紛れているにも関わらず、人の声は、これほど澄んでいる。塞いでいたのは、心だけではなかった。野田は、攣縮する声で言った。
「田辺......お前は俺を間違っていると言ったな......」
田辺は静かに、こくん、と頷いた。見えてはいないけれど、ハッキリと分かる。痺れる右腕で両目を隠した野田が続けて訊いた。
「間違いは......正せるものなのか......?」
今度は、首を横に振った田辺が返す。
「貴方がやったことは、間違いなんて範疇を越えています。とても、正せるものではありません」
羽交い締めにしている斎藤に視線を送れば、意図を察したのか田辺を解放した。自由になった田辺は、様々な思索を巡らせていく。