顔を伏せた二人の頭上から、死者の伸吟が聞こえてくる。現実を突き付けられたみたいだ。日常は非日常へと擦り変わり、そこから様々な問題が派生していく。その中には、勿論、こういった出来事も起こり得るだろう。分かってはいる、分かってはいるが、心に生じた拭いきれない違和感は空気をいれられた風船のように、大きく膨らんでいく。叩き落とされた地獄の釜は、人からなにもかもを奪い去ってしまう。
浩太は、一つ吐息をついてから言った。
「......どうして、俺だけに話した?」
達也が顔をあげて答える。
「......逃げだってことは理解してる。けど、どうしても勇気が持てなかったんだ。彰一って子が死んだって聞いたとき、俺がこの話をすれば......」
「追い出されるとでも思ったか?」
弱々しく、達也は頷いた。浩太にもその気持ちは痛いほど理解できる。人は、橋が古くなっても燃やすことなどせず、崩壊して落ちるまで放置してしまうものだ。問題の後回し、時の解決、そんな便利な言葉が蔓延る世界において、ある意味では正しい判断なのかもしれない。だが、同時に、ある危険も孕んでいる。発覚した際、築いた信頼関係が吊り橋よりも早く落ちることだ。叩いて渡ることなんか到底できたものではない。
だからこそ、浩太を信じて、達也は話してくれたのだろう。
浩太が危険な吊り橋に、足を踏み込むことがないようにだ。現在の九州地方では、僅かな亀裂や軋轢が死へと直結することになる。
「皆には、話すのか?」
「ああ......当然だ。根拠なんかねえが、そうしなきゃ、俺はお前らと行動なんて出来そうにない......」
その言葉を訊いた浩太は、半ば強引に鞄を取り上げると、自らの肩から提げ、階段を数段登っていき、目を丸くする達也に振り返らず言った。
「根拠なんて不確かなもんは捨てちまえよ。俺はお前が信じて話してくれたってことだけで良い。俺もお前を信じてっからな」
「浩太......」
「......後悔、してんだろ?なら、それで良いだろうが......あとは、お前の問題だ。生き延びて墓でも建ててやれば良いし、その為には、いま、何をすべきか分かってんだろ?」
達也からは見えないが、なにかを我慢している証左のように、浩太の声は明らかに震えていた。いや、声だけではなく肩や両手両足もだ。
正直なところ、達也は冷たい物言いだとは思ってはいたが、それも仕方のないことなのかもしれない。振り返らないのではなく、振り返れないといったほうが正しい。それこそ、浩太の泣き顔を見てしまえば、達也の気持ちの中心は折れてしまうかもしれない。
達也は、階段を数段だけ登り、浩太の背中に声を掛けた。
「お前の言う通りだ。まずは、やるべきことを優先しなきゃいけねえよな......悪かった......」
こくり、と頷いた浩太は、一度だけ仰ぐように顔をあげ、再び、階段を登り始めた。