くそっ!くそっくそっくそ!どうしてこうも上手くいかない!いつもいつも、一体どうしてだ!くそお!
新崎は、胸中で叫んだ。
声を出せば、辺りを徘徊し続ける死者に発見されてしまうからだ。たった一人で切り抜けるような人数ではない。坂下大地を囮につかい、どうにか逃げ延びた新崎は、立体駐車場を通り、今は達也が浩太達と再会した寝具コーナーで息を潜めていた。ここだけは、死者の数も少なかったからだ。それは、何故か、そんなことなど、考える余裕すらない。とにかく、生き残らなければならないのだ。寝具コーナーの最奥にあったレジ台の裏で身を縮めて、死者の声に耳をそばだてる姿は、新崎自身がみても、なんとも情けなく写るだろう。だが、自らの親指が千切れそうなほど、強く歯で噛みしめてまで、声を圧し殺す必要があった。
新崎のドッグタグの鎖には、もう一つ、無機質なロケットが掛けられている。
首から下げられたそれを、眼前まで持ち上げると、慎重に蓋を開くと、ぎゅっ、と強く握りこみ、喉の奥で囁いた。
「優奈......優奈......優奈......!」
膨らんだ恐怖心に、意識を失いそうになる。
新崎には、親も親戚もない。なにもなかった。
妻は粗暴で乱暴な夫、新崎に愛想をつかし、新崎優奈を産んで半年も経たずに、どこかへ行ってしまった。だが、それで心を入れ換える筈もなく、挙げ句、子供を施設に放置して遊びくれる日々を送ることになる。
そんなある日、新崎のもとへ優奈が衰弱していると一報が入った。さすがに顔をみせるしかなく、渋々、帰ってみると、優奈は破顔して自分を出迎えてくれた。子供の笑った表情とは、とても特別な力をもつ。まだ、言葉も発っせない赤子がみせた笑顔だけで、新崎はこれまでの自分を悔いた。
自衛官としての成績も上がり、ある程度の信頼も得ることができ、優奈を育てていけるだけの自信が、ようやくついた時、ある異変が優奈に起きていた。
小学校に入学する前に気付いたことは、優奈が他の同級生に比べて、皮膚が固くなっているということだ。そして、顔の皺が随分と目立ち始めた。この時には、既に症状が表れていた。不審に思った新崎が医者から告げられたのは、聞き覚えのない病名と、治療法がない、という言葉だけだった。
目の前が暗くなる。暗澹とした気持ちになる。そんな生易しいものではない。まるで、生きたまま地獄に突き落とされたようだった。いっそ、死んでしまったほうが楽になれるかもしれない。けれど、過去の症例を調べると、優奈の寿命は長くて十八年ほどしかない。早ければ、まだまだ、若くして死ぬことになる。
ましてや、腐りきっているとばかり思っていた自分の人生を、自身を変えてくれた大切な娘だ。心中など、自ら手を加えて殺すなど出来るはずがない。
ウェルナー症候群は、時間、そして、新崎の精神と共に、優奈の肉体を蝕んでいく。