感染   作:saijya

256 / 432
第10話

「推定一千四十六兆円、一般的にはこのような金額であると言われています」

 

 現実味のない金額に、一瞬だけ斎藤の顔から血の気が引いたのを見て、浜岡が微笑んで続ける。

 

「しかし、日本は借金を円で借りています。良いですか?円で借りているのです。例えば、アメリカからドルでお金を借りている場合、ドルでの返済を求められます。そうなれば、借金の返済など、とてもじゃないけどできません。けれど、日本は通貨発行権があり、様々な問題はありますが、円を作ることが出来る。ギリシャなどのユーロとは違い、作ることが出来るのです。つまり、国債を頭からだした貴方の話しは端から破綻しています」

 

 難しい顔で斎藤が訊く。

 

「ちょっとまて......俺には、なんのことかサッパリなんだが......とりあえず、金がらみということで理解して良いのか?」

 

「それほど、単純ではないと信じたいのですが、そう考えてもらって良いでしょうね......海外からの支援か、なにか......」

 

 浜岡の声が途切れる前に、田辺が油断なく戸部を一瞥すると、満足そうな笑みを浮かべていた。それが少し薄気味悪く感じられる。

 

「......そちらの男性も良いな。一人は論外だが、まあ、どうにでも処理は出来るだろう」

 

 田辺が険しい表情で短く尋ねる。

 

「それは、どういう意味ですか?」

 

 戸部は特に落ち着いた様子もなければ、焦燥もしていない。ただただ、余裕を見せつけるように、鼻を鳴らして口を開いた。

 

「度胸もあり、頭もある程度は回る。申し分ない逸材じゃないか。野田、こいつらは敵であれば厄介だろうが、味方ならば頼もしいとは思わないか?」

 

「......総理、御言葉ですが......」

 

「お前が何を言うか、そんなものはよく分かっているよ」

 

 返事も聞かずに、戸部は掌を広げたまま、田辺の眼前に突きつけた。思わず、眉を曇らせた田辺は、その手を払いのける。

 

「......なんのつもりです?」

 

 不遜な顔付きで、戸部は短く言った。

 

「......幾らだ?」

 

 背後で、野田が鋭く怒声をあげる。

 

「総理!一体、なんのつもりで......!」

 

「黙れ!今は、お前と話してはいない!」

 

 振り返りもせずに、野田の訴えを一蹴しながら、戸部は再び、田辺の目の前に広げた掌を掲げる。知らぬ間に、田辺は握り拳を作っていた。この男が言いたい内容は、充分に理解している。理解しているからこそ、許せないのだ。この戸部という男が求めているものは、浜岡の説明から、海外からの災害支援金、もしくは、それに類するなにかであることは分かる。要するに、国の為ではない。支持率も高い水準をキープしているが、裏では、このような我欲を持ち、傲慢な物言いで他を威圧する。

 田辺は、なんとも面の皮が厚い奴だ、と奥歯を締める。

 本当に恐ろしいのは、檻に入れられた死者ではなく、怨みをはらそうとする怒りでもなく、利己主義に浸かりきった人間そのものなのかもしれない。

 貼り付けられた仮面の奥にあった醜悪な心が透けて見え、田辺は強い吐き気を覚えながらも、昂然と返す。

 

「僕は......貴方のような人間ではない!」

 

 再び、強い皮肉を混ぜたような拍手が、高らかに室内を駆け巡った。口角も下げずに、戸部は歩き始める。

 

「俺とは違うねえ......田辺君、人間の本質ってものはなんだと思う?」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。