ぐっ、と野田と繋いだ手に力を込め、田辺は息を吸い込んだ。
「それは、駄目だよ田辺君」
不意に聞こえた浜岡の声に、田辺は喉まで出ていた言葉を呑み込んだ。首を回し、消え入りそうな声量で言う。
「......浜岡さん......僕は......」
「駄目だ。君は、またしても間違えているよ。言っているだろう?何事も、焦点距離を見謝るなと......では、正義と悪の焦点はどこだい?」
「正義と悪の焦点......」
「浜岡さん......少し黙ってはもらえないか?」
野田が浜岡を睥睨する。威圧的な声音に、浜岡は視線を落とした。
「田辺、お前には分かるだろう?苦楽を共に乗り越えたこともあった。理想を語り合った時もな。そんな俺を......」
「......野田さん、僕は仕事とはなんだろうかと考えていた時期がありました」
田辺の両手は両腿の位置で止まった。怪訝に眉を狭めた野田は、ギリッ、と奥歯を噛んだ。
「仕事とは、楽しくもなければ嬉しくもない。ただ、辛いだけだからこそ、僕ら大人は、仕事に何かを求めてしまう。やりがいを、楽しさを、嬉しさを求めてしまう矛盾がある。けれど、それは自分を圧し殺し、人を、そして、自分を傷付けてしまうだけです」
「ならば、仕事をしようとしなければ良い。全うしなければならない理由は、仕事にはない。自分の理念だけを追求すればいい」
田辺は首を振る。
「それでは駄目なんですよ。仕事に楽しさは無くとも、たった一つだけ、昂然と恥じることなく声高に言えることがあるのですから......」
「......それは、なんだ?」
田辺は、野田と目を合わせ、野田とは一線を画した力強い瞳で短く言った。
「誇りです。学校で学ぶ勉強や、仕事で学ぶこととは根本から違う、深く根付いた誇り、それこそが、昂然と恥じない理念の一つであり、僕の、僕だけが持っている焦点です」
背後で浜岡が頷いているような気がした。人それぞれに持っている焦点とは、まさに、こだわりや思想を誇れるかどうかだ。
正義と悪の焦点とは、そこにある。どちらも人によって変わるものだが、だからこそ、どちらも生まれる。野田の場合は、正義でも悪でもなく感情、田辺の場合は、はっきりと正義と口にできる。それこそが、焦点という意味なのだろう。ようやく、自身の焦点が定まった今、何が起ころうとも動じることはない。
「野田さん、貴方には何もない。理念も理想も思念も、矜持すらもだ!怨みや復讐に囚われすぎている。だから、僕は貴方を止める。いや、僕が貴方を止めなければいけないんです!」
野田は、正義にも悪にも成りきれていない。どちらつかずに身を任せているだけだ。それこそが感情に流されているだけ、というのだろう。田辺の言葉を黙ったまま、しっかりと訊いていた野田は、天井を仰ぎ、小さく、そうか、と呟き、懐に手を伸ばす。
引き抜いた手に握られていたのは、武骨で黒い一挺の拳銃だった。
「......本心で言う。これをお前には向けたくなかったよ......」
「......僕も貴方からは、向けられたくはなかっですね」
更新遅れてすいません、仕事が忙しくて……