感染   作:saijya

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第20部 罪咎

 人間には、常人と非常人の二種類がある。ほとんどの人は常人であるが、ごくまれに非常人が誕生する。非常人とは、ナポレオンやマホメットなどのように、正義のためなら法をも乗り越え、血が流れることも必要だと考える人種である。非常人は、全人類の救済のためなら、あらゆる障害を乗り越える。非常人は、あらゆる障害を取り除く権利をもつ。場合によっては、邪魔な人間を殺す権利すらもつ。

 田辺は頭の片隅で、そう書いたのは、誰だったろうかと考えた。実に極端な思想だ。人が人を罰して命を奪うというのは、0と100の狭間で悩み続ける人類にとって、最大の問題ではないだろうか。

 

「小さなひとつの犯罪でたくさんの命が救えるなら、それは正義ではなかろうか」

 

 これもまた、作者が同じ小説内で書いた台詞だ。田辺は、これを初めて読んだ時、自分本意なだけの言葉ではないかと思った。ただの選民思想だ。最終的に、どんな場所にいても、時代にしても、人を裁くのはいつだって同じ人なのかもしれない。

 

「......ドフトエフスキーだね」

 

 不意に、ソファの背凭れに腰を下ろしていた浜岡が言った。少し行儀が悪いが、咎める気分にもなれず、田辺は肩を落とした。

 

「......ああ、確か、そうでしたね。罪と罰でしたか」

 

 浜岡は、笑って返す。

 

「あれほど読みづらい小説もなかなかないよ。骨が折れた分、よく覚えてる」

 

 立ち上がった浜岡に振り返ることもしない田辺を見て続ける。

 

「......貴子さんのことを気にしているのかい?」

 

 深く頷いた田辺は、顔を掌で覆ってしまった。すべてを貴子に伝えたことに対して、激しい自責の念に囚われているのだろう。女子高生といえど、社会の経験も薄い。そんな少女が、九州地方感染事件の裏に潜む壮大な復讐劇の渦潮に巻き込まれてしまっている。そして、叩き落としたのは、他ならぬ田辺だ。

 

「僕はどうしたら良かったのでしょうか?やはり......」

 

「今更、それを口にするのは、卑怯だよ、田辺君」

 

 ちらり、と一目見たのは、貴子の自室へ繋がる扉だ。母親の死に関わる殺人鬼の存在、そして、復讐に身を焦がした父親の話、それら一連を聞かされた貴子は、斎藤に付き添われて自室に籠ってしまっている。

 そこまで追い込んでしまっているのだから、間違っても、巻き込まないほうが良かった、などと口が裂かれようと言ってはならない。田辺も、それは理解しているのか、小声で謝罪を述べる。

 

「浜岡さん、罪とは必ず罰を与えられるものなのでしょうか?」

 

 田辺の呟きのような声に、そうだねえ、といつもの独特な口調で返した浜岡が田辺の隣に座り、ソファの骨が僅かな軋みをあげた。

 

「罪は、永遠に消えないものだよ。それだけは間違いない。罪と罰の主人公が......あれだけ正義感の強い青年が、徐々に精神を病んでいく様を見ていると、そう思う」

 

 浜岡は、間を開けつつも、その後にはこう口にした。

 

「けれどね、罰は形を変えるものなんだよ。そして、それには、周囲の人間による助けが必要だ。そうは思えないかい?」




第20部始めます!
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