安部が左足を出した次の瞬間、右足のアキレス腱に鋭く尖らせたナイフを突き立てられたような、耐えがたい痛みが走る。何が起きたのか理解できない。間を開けずに、生温い風が踝を撫で、とてつもない激痛が訪れ、安部は膝を折りかけた。それでも、その原因を無視はできず、視線だけを下げて、耳をつんざく甲高い絶望と戦慄、痛み、どれともとれない声をあげた。
「いぎいいいいいい!」
右足に、しがみついているのは、つい今しがた死亡した彰一だった。必死に、安部の踝からアキレス腱にかけて噛みついている。声に出来ない場面に直面した安部は、何故だ!どうして!と、脳内で繰り返す。
バリ、と妙な音が鳴った。
「ぎゃああああああ!」
もんどりうって倒れた所に、彰一が重なり、獣のような嘯きと、その白濁とした双眸が安部を見据える。それは、どこから見ても、使徒そのものだった。
「うっあ......あああ!うわああああ!」
思考が追い付かない。使徒になるには、早すぎる。それに、安部は彰一の傷を視認した。あれは間違いなく咬傷ではなかった。混乱の最中、彰一の口が喉仏に迫り、咄嗟にはね除けるも、立ち上がることが出来ずに床を這って逃げようとするが、それを鬼気迫る形相で、彰一が捕らえる。
「はな......離せ!くそおおおお!」
抵抗の末、彰一を再度突き飛ばすことに成功した安部は目を剥いた。激しい抗拒の結果、彰一の服が中央から破れた。その袖の下、左腕第二関節の下に、明らかな噛み傷があったのだ。目を白黒させつつ、自身の右足を一瞥する。看板の傷に紛れた本命の跡は、安部を失意の底に突き落とすには充分だった。
「......嘘だ......嘘だ!嘘だ!嘘だあああああ!」
そんな叫びに、使徒へと転化した彰一が呼応するように雄叫びをあげ、安部を追い詰めていく。
ひいひい、と蚊の鳴き声のような、息を吐きながら、安部は匍匐して、ようやく銃を回収し、彰一に狙いを定めた。
短い銃声がモール内部に響き渡った。銃弾は、彰一の額から入り、後頭部を抜け、糸の切れた人形のように、後方へ彰一は倒れる。その光景を見届けた安部の目頭に、熱い涙が溜まっていき流れ始める。
「くふう......うっうっ......ああぁぁぁぁぁ......神よ、これは......あんまりじゃないか......神よ!選んだのは、私だろう!この私だろうが!」
死んで蘇った者に噛まれる。その事実が意味するのは、たったひとつだけだ。
「結局、私は選ばれてなどいなかった。ただ、道化を演じただけだとでも言うのか......」
泣き続ける安部の足から、ドロドロと、濁った水のように流れていた血が、彰一のズボンに僅かに吸われた時、シャッターが爆発でもしたかのような轟音をたてて破られた。
そして、アキレス腱を喰いちぎられた安部は、逃げることもままならない。
「来るな!来るな!来ないでくれえええ!!」
先頭にいた真っ白な服に身を包んだ男が安部の右肩に乗り、鎖骨を噛み砕く。このショッパーズモールに籠城していた人間の一人だろう。次も、次も、また、その次も。いの一番に安部の身体を貪り始めたのは、真っ白な服を着た者達だった。
「やめ......やめやめ!やめおあおああおおおおおお!」
安部の身体は、自らが使徒と呼び続けた死人達に、生きたまま解体されていった。開かれた腹に顔を入れられては、内蔵を引き摺り出され、四肢を強引に噛み千切られる。 理想主義者の最後は、いつだって現実を突き付けられた直後なのだろう。
彰一は天井を見上げたまま、横たわっている。その表情は、穏やかな笑顔のようにも見えた。
次回より第20部「罪咎」にはいります。
ずいぶん前に「今度は一日3P更新します!」って宣言してから、どれだけ経過したことか
俺、頑張ったよ……
彰一、安部……毎日なにかしら書いてるんだから一日くらい何も書かずに休んでもいいよね……?w
……やっぱり不安だから、明日は文章の見直ししてから新章にはいります