「......の......やろう......!絶対に......行かせ......ねえ......」
息もあるのかどうかも分からない程に細いにも拘らず、彰一は安部の首に右手を添えた。
「ひいいいぃぃぃぃ!」
積もり積もった恐怖が爆発したかのような悲鳴をあげた安部は、包丁を一度手放して、掌で更に深く刃を押し込んだ。
ミリ......ミリ......ミチュ......グチュ......
確かに耳に届く音と、内蔵に到達したであろう重い手応えがある。だが、その度に、喉仏を締める力は増していく。
遂に、安部の精神も限度に達し、まるで子供のように両手で彰一を突き放し、仰向けになったところを、すかさず跨ぎ、馬乗りの態勢をとると同時に、彰一の首を奥歯が軋むほどの渾身の力で握り締める。
「この化物があ!死ね!死ね!死んでくれえ!」
それは、もはや、慟哭だった。
彰一の口から大量の血が出ようと、安部の腕を爪で傷をつけようと、決して弱める真似はしない。
命を奪われる恐怖、命を奪う恐怖、その二つを、安部は本当の意味で知ることになった。彰一の手が自然と床に落ちる。
「か......な......こ......」
死ねない。俺は、まだ死ねない。なのに、なんで自分の身体なのに、動かないんだよ。鈍い思考でも、全身が弛緩していくのが分かる。外にいる死者が揺らし続けるシャッターの騒音も遠退いていく。
彰一が見えているのは、もはや、針の穴のような僅かな隙間だった。
そんな中でも、脳裏を過るのは、加奈子の笑顔、祐介の貫く意思をもつ顔、阿里沙の泣きそうな顔、浩太の頼もしい顔、真一の力強い顔だ。
......みんな、絶対に生き延びろよ......
彰一の眼界が黒一色で覆われた。
安部は、彰一が動かなくなったと確信して、飛び上がるように立ち上がった。しばらく、呆然と彰一の死体を眺めていた安部は、両手を高々に挙げた。
「......勝った......この死闘を制したのは、この私だ!やはり、神の選別は私を選んだ!」
東の助力がなくとも、この場面を乗り切ったことに、昂然と胸を張る男の姿がそこにはあった。確実に、強くなれた。命の躍動を感じる。選ばれし人間は、やはり、神にどれだけ過酷な試練を与えられようと乗り切れるのだ。
理想を叶えられる、そんな高揚感に浸っていた安部は、シャッターの下部から多数の腕が侵入していることに気が付き、興が削がれたような表情で、投げた銃の回収に向かう為に、背中を向けた。