感染   作:saijya

213 / 432
第8話

 安部の思考を絶ちきる一撃が、頬へ打ち付けられ、強烈な鉄の味が味蕾を刺激する。安部自身も、攻撃される度に歯を食い縛る為に左手に力を入れており、その度に彰一の傷口へ指が沈んでいるはずなのだが、勢いが止まらない。

 二度目の拳で、安部は悟る。この男は、穴生で、ひたすら雄叫びをあげながら自衛官を殴り続けた東と同じだ。こちらが、死ぬまで、もしくは、誰かが止めるまで、握った拳を闘犬のように犬歯を剥き出しにして、解くことはないだろう。ここには、安部と彰一の二人しかいない。止める人間なんて、誰もいない。

 

「......これは、死闘だ」

 

 安部が、ポツリ、と喉の奥で言った。

 激しく息を切らせる彰一には、聞こえていないであろう小さな声だ。徐々に腫れが目立ち始め、変形してきた顔面に光る両目が、しっかりと彰一を睨みつけた。絶え間なく続いていた攻撃の手が、瞬きをするような短い時間だけ空き、安部は彰一の腹に据えていた左膝を裂帛の気合いと共に押し上げ、巴投げの要領で彰一を反転させる。遠心力で解放された右手の拳銃で撃つなどせずに、安部は距離を離すことを優先させた。慌てて銃弾を放っても相手を殺すことは出来ない。先程のように、良くて肩を貫くぐらいだ。

ならば、相手の手が届かない場所まで逃げ、そこで撃ち殺せば結果は同じだ。死闘と分かった以上、より優位に立たなければならない。

 口での呼吸も苦しくなった。そんな自覚が頭を過った時、安部の右肩を何かが掴んだ。

 いや、安部はそれがなんなのか、もう理解している。安部は悔しさが滲み出たような声を出した。

 

「くうあああああああ!」

 

「逃がさねえぞ......」

 

 彰一には、時間が無かった。

 網膜剥離の兆候と呼ばれる飛蚊症に似た黒い小さな物が、大きな形を成し始め眼界を漂っている。加えて、咬傷を出発点として、身体を廻り、頭へ登っていく何かも、彰一の体力が落ちれば、比例するように、その速度を速めていく。

 深酒をした日のように、目を瞑れば、直接、目玉を掻き回されたような不快感があり、それに伴う酷い吐き気に襲われていた。

 二人の死闘を焚き付けるかの如く、車のドアを破壊した死者達が、娯楽を楽しむ群衆のようにシャッターを叩き始めた。こちらも、限界が近づいてきているようだ。

 苦し紛れに、安部は銃のグリップを裏拳気味に背後に振るうも、それは虚しく空を切った。殴りあいの場面において、身長による体力の有利は、大きく関係する。それを補っているのは、彰一の経験だった。路上での喧嘩は、先手必勝。それは、荒い言い方をすれば、先に血を流させた側は、勝利が近づいたと勢いを増し、血を見た側は、敗けが近づいたと意識してガードを固めてしまうからだ。要するに、追い詰められた人間の動きは、単調になる。彰一は、それをよく理解していた。深い所で人の心は変わらない。




六時間かけた……一気にあげます

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。