感染   作:saijya

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第9話

 大地は躊躇しつつ、新崎の表情を盗み見た。憔悴からきたのだろうか、随分と窶れているように思える。さすがに、この光景を作り出した責任が勝ちすぎているのだろう、と大地は考えた。ならば、ここで諦めるのも頷ける話だ。時間が経過すればするほど、死者が集まる時間を与えてしまうという焦慮が押し寄せ、そんな短絡的な答にたどり着いてしまった。日常で聞けば、おかしな箇所はすぐにわかる。焦りという魔物が大地から沈吟を奪ってしまっていた。

 大地は、何も言わず、新崎に一度だけ敬礼し、戦車を飛び降りた。向かってきた死者の一人を仕留め、前蹴りで倒し、後続の足止めをする。背中から襲ってきた死者は、新崎の援護射撃に倒れた。

 ......いける。新崎の援護があれば、俺はこの地獄から生還できる。振り返らず進め、信じろ、この時だけでも良い、信じて前だけを見ろ、疑うな。とにかく、止まらずに足だけを動かし続けた。掴まれたら、死者の脆くなった腕ごと強引に引きちぎり、前方に迫った死者には、容赦なく弾丸を見舞った。まるで、その世界に自分だけになった気分だ。ブーツが床を踏む音以外には、何も聞こえない。銃声も、死者の呻きも、自身の咆哮さえも耳に入らない。がむしゃらとは、このことなんだろう。その勢いあってか、出口まで残り数メートルとなった。それでも、大地は足を止めない。止める訳にはいかない。どれだけ前方を死者の壁に阻まれようとも、登りきってみせる。

 そんな大地の足を止めたのは、背後から伸びた死者の腕だった。がっしりと襟を掴まれてはいるが、やはり、大地は構わずに進もうと足を出した。新崎の射撃技術なら、すぐに助けてくれる、そんな思いを抱きながら、更に一歩を踏み出す。だが、一向に死者が身体を引く力が弱らない。嫌な予感に汗が噴き出し、足から力が抜けていき、鼻腔を掠めた鉄錆の匂いに、死者が口を開いていることを連想した大地は、背後の死者を振り向き様に殴りつけ、大地の双眸から光が消えた。

 車上には、誰もいなかった。いるはずの新崎の姿がどこにもなかった。

 

「嘘......だろ......おい......おい!新崎!」

 

 一階ホールの報知器に集っていた死者は、音に寄せられてきていた。ほぼ全ての死者は、銃声も鳴らし続けていた大地を獲物として認識している。大地は、ここで理解することなる。つまり、自分は囮に使われたのだ。少し注意すれば気付けることだった。悔しさのあまり、歯の隙間から嗚咽が漏れた。目の前で仲間を殺され、戦車の操縦を担い、利用されるだけされた結果がこれだ。

 

「ふざけんな......ふざけんなよ、クソッタレがぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 背後から忍び寄った死者の息が掛かると息を呑み、反射的に振り払い銃口を向け、掃射を仕掛けた。だが、無情にも響いたのは、実に柔らかな戛然の音色だった。同時に、大地は数多の死者に押し倒され天井を仰いだ。

 茹だるような熱が全身を駆け抜ける。それは、あまりにも大きな激痛からきたものだと理解するまでに時間は掛からなかった。

 腹を開かれ、腕をもがれ、臓器を放り出されては口に運ばれる。四肢に身体を乗せられ、唯一、動かせる頭を振り回し、大地は金切声を響かせる。涙で滲んだ眼球が一瞬だけ捉えたのは、二階への階段を駆け上がる新崎の背中だった。

 

「ぎいいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 口内に、死者の両手が捩じ込まれ、口角が耳まで裂かれると、大地の叫声は、ぴたり、と止んだ。


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