感染   作:saijya

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第2話

 弾かれた掌を見詰めた田辺の腹からは、怒りとは違う感情が沸き上がり、それは、すぐに目頭へと昇った。これは哀しみだ。

 はっきりとした拒絶の意思、紛れもない撥無、それは、どれだけ田辺が身構えていようとも、心根を引き抜かれた挙げ句、捨てられる気分を味あわされたみたいだった。貴子にとっても、それは同じだろう。

 だが、田辺は顔を上げる。彼女の忘れ形見の未来を守り抜く為ならば、自分が払うものなどたかが知れている。本当に大切な物事の本質は、何かを変えることじゃなく、何かを守ることだ。田辺は、弾かれた手を握り、今度は強引に貴子の手をとった。

 

「言ったじゃない!私を助けてくれるって!なら、助けてよ!いま、私を助けてよ!この手を離して今すぐ出ていってよ!」

 

「いいえ、離しません......貴子さん、貴方の父親は立派な方です。それは、僕も充分に理解しています。選挙戦では、頭を下げまくっているくせに、いざ当選したら汚職に染まる議員が多い世の中で、あれだけ全うに、直向きに、生きていた男を僕は知りません!しかし、人は間違いを犯すものです!立場がある者ほど、一つの間違いが計り知れない大きなものになる......それを正すのは......僕らの......貴方の役目でもあります!」

 

「違う!私のお父さんはそんな間違いを犯す人じゃない!」

 

「完璧な人間なんてあり得ない!誰かが隣にいることで、人はようやく一人になれる!辛くとも悲しくとも、その重荷を半分に出来なければ、立つことすら出来ない!それが、人間だ!その重荷を背負えるのは......僕じゃない!野田貴子!誰よりも彼を傍で見てきた貴方だけなんだ!」

 

 田辺の声は、すう、とリビングの壁に吸い込まれていくかのように響くことはなかった。言葉というものは、それだけでは、なんの意味もないものだ。言霊を乗せるには、 気持ちと熱意が必要になる。歯を食い縛っていた貴子の手を離した。田辺に握られた箇所は、確かな熱を持っているのだろう。田辺を見上げた貴子の目付きが、次第に和らいでいき、やがて貴子は俯き加減で口を開いた。

 

「......父が、今回の事件に関わっていると疑った理由はありますか?」

 

 田辺は、困惑の色を浮かべながらも、しっかりと貴子の赤くなった双眸から逃げずに頷いた。貴子の質問は、涙声で続く。

 

「......それは、あの書類からですか?それとも、田辺さんしか知り得ないことからですか?」

 

「......僕だけでしょうね」

 

 そのやり取りを黙ったまま眺めていた浜岡は、つい口を出そうとしたが、言葉を呑みこんだ。

 貴子には、知る権利がある。そして、それは斉藤にも言えることだ。巻き込んでおいて、席を外せとは言えない。しばらく、室内には重苦しい沈黙が流れ、やがて、貴子は元の位置に座り直すと、ソファを掌で示して言った。

 

「訊かせてください、どうしてそう思ったのかを......」

 

「......少し長くなりますが......」

 

「......構いません」

 

 田辺は、一つ大きな深呼吸を置いて、ゆっくりとした動静でソファに座った。まずは、どこから話すべきだろうか。

 いや、悩むべきはここじゃない。あの殺人鬼東と田辺、被害者である野田夫婦の因果関係からだ。田辺が頭を回すべきは、それをどう貴子に伝えるかの一点に尽きる。

 田辺は、もう一度、深く息を吸うと、一言一句漏らさぬよう、唇の動きを確認する子供のように語り始めた。




UA数30000突破ありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
もう感謝の言葉が見付かりません!!なので、とりあえず、いず様を眺めてきます!!
はい、すみませんでした。だけど、本当に有難いです。どうしたらいいんだろう……自分の少なすぎる語彙では、もう表現しきれないくらいに嬉しいのは確かなんですが……
とにかく!本当に!ありがとう!ございます!!

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