感染   作:saijya

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第2話

「確か、野田大臣の奥さんじゃなかったか?それに......」

 

 エレベーターの扉が完全に閉まるのと同時に、田辺は眉をあげた。

 

「そう、あのバラバラ殺人の被害者です。公園のゴミ箱から発見された遺体の頭部を見て以来、彼は殺人者を身を焦がすほどに恨み続けています。それは、もちろん僕もですが......」

 

 浜岡は、田辺を横目で盗み見て、煮えたぎるほどの憤懣が胸中で渦を巻いており、それをどうにか堪えているのだろう、と感じた。野田への怒りなのか、殺人鬼への感情なのか、それは今、考えることではないだろう。

 

「当初、報道機関へ一斉にかけられた規制に僕は憤りを覚えると同時に、なんとも不甲斐ない気分になりました。しかし、その規制に了承したのは誰でもない、野田さん本人だったのです。個人的に追い掛けてはいましたが、結果は......」

 

「しかし、君の活躍があったからこそ、殺人鬼は逮捕された。その結果だけでは満足出来ないのかな?」

 

「......浜岡さんは、江戸川乱歩の二銭銅貨を読まれたことはありますか?」

 

 謎を解いたと得意気に語り、相棒に俺より頭が悪いと認めろ、そう迫った男がいた作品だ。散々、暗号について饒舌に話していた男は、結局、その相棒に騙されていただけだった。掌の上で踊らされていたのだ。

 田辺は、殺人鬼を追い掛け、翻弄され、まんまと自身の周辺を探られ、隙をついて奪われた。あまりに惨めな結果ではありませんか、と言いたいのだろう。田辺は力無く笑う。

 

「話しがそれましたね。とにかく、彼は一度思い込んだら、自身を苦しめようとも、必ず遂行する男です。そんなところに僕は憧れ、僕の初恋の女性は惹かれたのでしょう。そして、彼もまた、僕らの事を常に考えてくれていた。そんな一途な彼だからこそ、逃げ場の無い現状に陥った際に、何をしでかすか分からない。だから、僕はどうしても彼の凶行を止めたいんです」

 

 浜岡は声を低くして訊いた。

 

「......野田大臣は、随分と困憊しているのかな」

 

「......ええ、間違いありません」

 

 エレベーターが点滅表示を二階へと上げた。小さな唸りと共に動き出す。

 

「君の動機はよく分かった。いや、分かってはいたつもりだったけど、それは半分だけだったと言うほうが正しいのかな。しかし、君はその友人に罰を下すことになるけれど、躊躇はないんだよね?」

 

「ええ、彼とは決別しています」

 

 その言葉に浜岡は、田辺には気づかれぬように微笑した。言動が矛盾していることに自覚がないのだろうか。田辺らしいといえば、その通りだが、どこまでも甘い奴だ。

 

「浜岡さん?」

 

 神妙な面持ちで田辺が首を傾げている。

 

「ああ、すまないね。さて......田辺君も決意を新たにしたことだし、これからが本番と思って良いのかな?」

 

「ええ、これからです。頼んでいた資料は?」

 

「貴子さんの部屋に見張りをつけて置いてある」

 

 見張り、と田辺が片眉をあげると、エレベーターの扉が開いた。のんびりと降りた浜岡は、田辺へと振り返る。

 

「まあ、気にしなさんな。どうせすぐに分かるし、信頼できる人だよ」

 

 浜岡が言うなら間違いない。そんなことを考えながら、田辺は一歩踏み出す。

 

「では、始めましょうか。僕たちの戦いを」

 

 国という組織を相手に立ち回る。

 待ち受ける数多の困難、途方もないように思えるほど巨大な障害に立ち向かう男達の、戦いの火蓋が切られようとしていた。




予定より遅くなりました
一段落ついたので帰ってきました!!

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