ハッチの裏から覗き込む男は、癪に触るにやついた笑みを浮かべている。二人の激情を煽る明かな挑発行為だ。それにいち早く反応したのは、岩神だった。
「てめええええ!」
「待て!岩神!」
新崎の制止も耳には入っていない。岩神はハッチへ向けて拳を突きだすも、男は、ひょい、と顔を引っ込めた。姿は見えないが厭わしい笑い声が聞こえる。
「ひゃーーははは!当たる訳ねえだろうが馬鹿が!」
神経を逆撫でする不愉快な存在に、岩神の堪忍袋は限界を迎えた。新崎を振り払い、車外に出ると、白一色の服を纏った小柄な男が一人いる。ポケットに両手を入れているにも関わらず、揺れる足場をものともせず、戦車を追いかける多数の死人にすら臆してある様子はない。余裕のある態度を崩さずに、男は岩神を舐めるように眺めている。
気に入らなかった。潰された右目、抉られた小指、ハッチから出た瞬間に自分を撃たなかったこと、悪びれずに表情一つ変えない男の全てが気に入らなかった。
岩神は、顎をしゃくって男のベルトに挟まれた拳銃をさす。
「チビよお......舐めてんのか?」
男は眉を寄せると、短く悩んだような仕草をしてから言った。
「ああ、悪い。出てきた奴が想像以上に男前な顔だったからよ。撃つことすら忘れてたわ」
男が言い終わる寸前、岩神が一歩踏み出し、一気に男との距離を潰した。怒り任せの無鉄砲にとらえられるかもしれないが、そうではない。岩神は経験から、男の足元ばかりを注視していた。喧嘩や殴り合いの場面では、つい相手の顔や表情に気を取られてしまうが、それが成り立つのは正式な格闘技の試合だけだろう。純粋な喧嘩では、敵の爪先を見る。
爪先が内側へ向いていれば、岩神は攻めあぐねたことだろう。男の左の爪先は外側に向いていた。つまり岩神の初撃をかわすことに意識を集中させているという意味に他ならない。
岩神の初手は決まっていた。左に避けるのであれば、右のフックを脇腹に突き刺し、踞った所へ顔面への膝蹴り、その後に馬乗りになる。それから先は、のちのち考えれば良い。岩神は、ほくそ笑んだ。自身が受けた苦痛と恐怖を倍にして返してやる。
脳裏に浮かんだビジョンの通り、岩神が放った右拳が男へ打ち込まれる寸前、爪先が更に外側へと捻られた。避けるだけならば、軸となる左足をステップを踏むようにシフト移動させるはずだ。だが、変化があったのは足首のみだ。加えられた動きは、利き脚に勢いを生み出す。
タイミングはこれ以上にないほど完璧だった。呼吸、拳の握り、それら全てが身体と連動していた。
だからこそ、岩神は自分の脇腹に残った重くのしかかるような、不可解な鈍痛に対して反応が遅れてしまう。
もうそろそろ復活できそうです