まるで、幽界への入り口だ。幽暗とした署内は、真一に二の脚を踏ませる。なにか、切っ掛けが欲しいと思った矢先、現世との境界線のように口を開いた玄関口へ祐介が右足を入れた。床に散らばったガラスをお菓子を踏むような気軽さで靴底で砕く。
「行きましょうか、真一さん」
祐介の立ち直りの早さは、これまでの経験からだろうか。はたまた、それさえも、ルーチンに組み込まれ始めているのか、その判断は付かなかったが、真一はどこか悲しさを覚えた。
学校生活や、友人、家族との触れあいで少しずつ身に付けいくものが、こんな殺伐とした世界の中で学んで良いのだろうか。
真一は首を振って、そんな思考を空へ飛ばす。今は自分の出来ることをやるしかない。
「ああ、案内を頼むぜ」
署内に足を踏み入れた瞬間に、大量の水が入った袋が破裂し、中身が盛大にぶちまけられたかの如く、全身に水気を帯びるような感触が二人を襲った。この世に、瘴気というものがあるのなら、まさにこんな感覚を覚えるのだろう。
まず、祐介は一階の中央に立つと、交通課を指差した。
「まず、ここに武器が置かれて......向こうの取り調べ室前に怪我人がいて......」
記憶を探りながら、口にした場所を指差していく。ひとしきり終えると、祐介は背中を向けていた生活安全課へと振り向き、市民相談課を指差す。
「こちらより、恐らく、そちらの方に武器が多いと思います」
「了解」
短く返した真一は、机に片手をついて飛び越えた。
着地と同時に、水溜まりを勢いよく踏みつけた時と同様に、血溜まりが弾け、真一は眉間を狭める。
机に隠れて見えなかったが、その場は地獄にあるという血の池地獄のような様相を呈していた。反射的に飛び上がり、再び両足をつくが、ぐちゅり、とした感触が足裏に広がり対応出来ずに尻餅をついた。祐介のことも頭に入れてはいたが、手や足に広がる触感と臭いに堪えきれず、胃に残っていた物がばら蒔かれる。数日おきの嘔吐など、初めての体験だった。異変に気づいた祐介も、駆け寄るや否や、机の先、眼界を埋める臓器や死体の数々に目を背ける。
「……こいつは予想以上だぜ……悪い、祐介」
「いえ……仕方ないと思います」
真一は、意を決して奥の拾得物預かり部屋へと顔をあげる。どうやらその場しのぎでバリケードを作ろうとしたのだろうが、攻め入っている死者を相手にそんな悠長な時間も無く全滅したのだろう。その先からは、一段と濃い鉄錆の匂いが漂っていた。