浩太は、じんわりと汗が滲む手でハンドルをきつく握り直した。もう、あとには引けない。
「5カウント頼む」
今にも口から心臓を吐き出しそうな真一は、恨み言のようになんらかを呟き、諦念の息をついて天井を見上げた。
「5!」
カウントダウンが始まった。浩太の右足は知らぬ間に震えていた。アクセルへ足を置き、深呼吸をしようと息を吸い込んだが、極度の緊張から身体が空気を拒否してしまっている。
「4!」
カウントが進んだ。 クラッチを踏み、チェンジレバーを動かす。いつもやっている簡単な動作が、初めて扱う複雑な機械のように感じた。暴徒が窓やドアに与える損傷が激しくなっていき、ついにはドアガラスに小さな穴が空いた。
浩太は、額を伝う汗が目に入ろうとも閉じることが出来ず、先に発進し餌食となったトラックを見据えている。
「3!」
一つ間違えば、あのトラックのようになるかもしれない。もう嘆声は聞こえないという事は餌食になってしまったと勘えるしかないだろう。アクセルに置いた右足が、まるで自分の一部ではないみたいだ。真一は、内側からドアが破られないようにドアフレームを必死に引きながら怒鳴った。
「2!」
浩太がアクセルを軽く踏んだその時、備え付けていた無線から雑音混じり声が入った。
「おい、誰か聞こえるか!聞こえるなら応答しろ!頼む!」
真一が慌てて浩太の足を上げさせた。間違いない、ノイズが激しいが人の声だ。ひったくるように無線を手にした真一が声を張り上げた。
「おい!今のやつ!まだ生きてるなら返事してくれ!」
「真一!お前、真一か!無事だったんだな」
「この状態を無事って言えるならな!お前は大地か!」
「ああ、そうだ!そっちはどうだ?見える限りじゃ絶望だよな」
「ああ、絶望ど真ん中だよクソ!逃げる事もままならねえし、車体自体が限界だ!」
「分かった!今から74式戦車が砲撃を始める!いいか、生きてこの無線聞いてる奴ら!今から砲撃を開始する!2発!いいか2発だ!撃ちこんだのを確認したら一気に出口に突っ走れ!」
「お前はどうすんだよ!」
「大丈夫だ、こちとら戦車だぜ?今の俺は無敵艦にでも乗ってるみたいなもんだ!どうとでも逃げてやるよ」
そこまで言って、無線は一方的に切られた。
「聞こえてたよな浩太!」
「ああ、間違いなく聞こえてたよ!砲撃の衝撃に備えるぞ」
二人は同時にアクセルペダルに頭がつく限界まで体を丸めた。頭上でドアガラスが破られる音がし、何本もの腕が運転席へと滑り込んできた。大きくなる獣のような咆哮、それは二人の恐怖心を煽るには充分な光景だ。叫び声をあげた浩太の絶叫は一発目の砲弾の着弾によって遮られた。