ではどうぞ。
……いえ、この言い方では少々語弊がありますね。正確には、この間に気が付いたのは"違和感"でした。
私は、人々の欲を見ることが出来ます。それは単に心を読んでいるわけではなく、私の高い洞察力と話術によって相手の動きを観察し、そこから相手が何を望んでいるのかを推察するのです。勿論他の事もいろいろと分かりますが、今はいいでしょう。
さて、そんな訳で。
私は人の心の動きを読み取れます。
心の動きとは即ち、感情の変化に直結します。
考えてみれば当然の事でしょう。人は欲求を元に行動を起こす生き物ですし、感情があるからこそ欲が生まれるのです。
私が気が付いた違和感とは、それについての事でした。
そして今ーー戦闘後の観客達を見回して、それは確信に至ったのです。
「……ふむ、やはり妙ですね」
「? どうかしたんですか太子様?」
一歩下がった後ろから、私の従者ーー屠自古が尋ねてきます。
因みにもう一人の従者である布都は、先程私に打ちのめされた河童を起こしに降りています。流石に気絶させたまま放置は出来ませんからね。
「……屠自古、あの観客達に何か感じることはありませんか?」
「観客達? 太子様の戦いに馬鹿騒ぎしていた煩わしい限りのあいつらですか?」
「ま、まぁ……はい」
屠自古の荒んだ認識に少し呆気にとられるも、しっかりと頷きます。
彼女は眼下の人間達を見回してーー小首を傾げました。
「特に変わった所はない様に思いますが……強いて言えば、初期よりも大分淡白になった気がしますね。
戦闘が終わった途端、突然興味を失ったかの様に静かになりますし」
「やはり、そう思いますか」
「太子様もそう感じるのですか?」
「はい。……恐らく、屠自古よりもはっきりと感じています」
淡白ーー屠自古の形容の仕方は、的確に的を射ていました。
そう、まさにその通り。人々は何故か、異変の初期よりも淡白に……心の動きが無くなっているのです。感情が薄くなっている、と言ってもいい。
感情が薄くなっているから、湧き上がる感情は後を引かない。一瞬で湧き出ては一瞬で消えていく。
私の目には、様々な欲が目まぐるしく明滅を繰り返す異常な心が映っていました。
「感情……か」
感情。その単語を聞いて思い出すものといえば、私には一つしかありません。
かつて双也と共に作った、六十六の感情のお面。"希望の面"には確か、私の顔が使われていましたね。
ーー私の推測では、此度の異変の中心にはあのこころという妖怪が存在します。お面の事といい、感情の事といい、それならばある程度の辻褄は合うのです。
しかし、あくまで"ある程度"。私の頭脳を持ってしても解明しきれていない事が、いくつかあります。それが見えてくれば、恐らくこの異変は解決へと向かうでしょう。
ですが……何でしょうか、この不安感は。知らず知らずのうちに深淵への一歩を踏み出してしまっているかの様な、黒い靄が心に掛かっています。
「……屠自古、解決を急ぎましょう。嫌な予感がします」
「! はい、分かりました!」
ともかく、なるべく早く解決へと向かわねば。
予感の正体は何か分かりませんが、それが非常にマズいものである、という確信は何処かにありました。
きっと、この異変はタダでは済まないーーと。
幻想郷に於ける強力な存在ーーそう問われれば、双也には幾人かが思い当たる。
取り敢えず自分は含まないとして、まず初めには、紫。幻想郷最強の妖怪として最も有名、そして事実上でも最強の部類である。
次に霊夢。圧倒的戦闘センスを持ち、それは単なる弾幕ごっこに留まらない。そして伸び代に関しては、双也ですら戦慄する程。
加えて、勇儀や萃香など鬼の四天王、相手を指すら動かさずに殺す事の出来る幽々子、破格の身体的スペックを持ったスカーレット姉妹ーー上げ出せば、案外キリがないくらいに多い。
現実的には誰より強い双也も、望んで戦いたくはない連中ばかりだった。
特にーー絶対に戦いたくない奴が、一人だけいた。
勿論、その者も実力的には彼に劣る。それこそ霊力の半分と三分の一と解放せずに打ち勝つことができるだろう。
ーー違う。彼が戦いたくない理由は、そうではない。
その者の戦いへの姿勢が、その凄まじい覇気が。
双也にとってーーいや、対峙する全ての者にとって、危険なのだ。
そう、その者の名はーー。
「ねぇ、双也。今度はどこに行くの?」
煌々と輝く太陽の下、こころは先導する双也へと尋ねた。
何をするのか、などと言う今更な質問はしない。ここ最近は修行詰めだし、何より彼女自身がそれを望んでいるからだ。
ただ、今まで来たことがない場所だけに気になっただけである。
双也は歩みも止めず振り向かず、簡潔に答えた。
「次の相手の所さ。ただし、今回は霊那の時みたく教えてもらいに行くんじゃない。
「……?」
最後の方がよく聞こえなかったが、取り敢えず納得。でも、教えてもらうのではないなら何をするのだろう?
ふと思い浮かんだそんな疑問に、こころは少しだけ頭を悩ませる。
しかしその結論を得る前に、思考は何処かへと揉み消されてしまった。
目の前に広がる光景に、心の底から感嘆したのだ。
「……ここは?」
「今日の修行相手のいるところ。"太陽の畑"って言うんだ」
眼前に広がる向日葵、向日葵、向日葵。鮮やかな黄色が太陽光に反射するようで、とても眩しい。
間違いなくこの光景は、今までにこころが見た風景の中で最も鮮烈で眩しく、そして美しかった。
ああ、こんな場所に住んでいる妖怪とは、どれだけ優雅で美しいのだろう。
向日葵たちがどれだけ大切にされているのか、素人目にも一目で分かる。一体、どんな妖怪なのだろうか。
変わらない鉄面皮の下で、こころはひしとそう思った。
「今日はなーー」
目に映る向日葵たちから目を離せないでいれば、不意に双也の声が耳に入ってくる。
視界をそのままに話を聞いた。
「そいつと、戦ってもらおうと思うんだ」
「……え?」
こころの視界に、不敵に笑う双也が映った。
最近の幻想郷が何やら騒がしい、とは、嫌でも入ってくる風の噂だった。
例えその噂を聞かなかったとしても、己の肌でその空気そのものを感じてすらいた。
普段は花に囲まれた屋敷で静かに暮らしている分、少々煩わしいと眉を顰める事もしばしば。
そちらで騒いでいる分
異変に際して例の如く興奮した妖精やら妖怪やら、果てはあまり近付いては来ない人間まで。
その人間達にも僅かな違和感を感じたが、彼女はさして気にも留めなかった。
我が領域に入らば、須らく散るべし。
彼女ーー風見 幽香のモットーである。
そんな訳で、幽香は少々機嫌が悪かった。
自らの手塩に掛けた花々の煌々と煌めく姿を眺めながらの優雅なティータイムでさえ、普段よりも幾分か詰まらなく思う。
全く頁の進まない本、殆ど口の付けられていない紅茶、そして僅かに顰めたその眉が、彼女の気分を実に分かりやすく示していた。
「……ふん」
内容の全く入らない本を閉じ、組んでいた足を下ろす。僅かに感じる足の痺れが、幽香にどれだけ無駄な時間を過ごしたいたかを思い知らせた。
近頃はあまり運動をしていない。故に彼女にはフラストレーションが溜まっていた。欲求不満と言い換えてもいい。
念のための補足だが、ここで言う運動とは即ち、戦闘の事である。ただ体を動かすだけならば、侵入者を蹂躙する際に十分動かしているのだ。しかし、彼女にとってそれは戦闘でもなんでもない。ただの暇潰しに等しい。
無為なティータイムを放り出し、しかし特にはやる事を見出せずにいた幽香は、結局花達に少し早めの水遣りをする事にした。
輝く太陽の下で、向日葵達は元気に咲いている。
耳を澄ませばその声が聞こえてくるようだ。
その声に応えるべく、彼女は水遣りに使う如雨露を取りに家の裏へと歩き始めたーーその時だった。
「よう、幽香」
突然耳に入ってきた声に、珍しくも幽香は驚いた。
強力な大妖怪として知られる自分が気配すら感じず、大声でもない言葉をはっきりと聞き取れるまでに接近させてしまった事実に、一瞬ながら驚愕したのだ。
ーーそう、一瞬。彼女が驚いたのは一瞬で、その後には一切の感情が挟まれなかった。
納得したのだ、その声に。その声の主ならば、自分がそれくらいされても仕方ないと。
振り向いた先にはーーやはり、彼がいた。
「……久しぶりね、双也。気が付かなかったわ」
「気配を遮断して入らないとお前はすぐに襲ってくるからな。予防線さ」
と軽く言ってのけるのは、幽香が生涯で唯一敗北した現人神、神薙 双也。
彼の後ろには見慣れない妖怪が佇んでいたが、幽香は一先ず気にしない事にした。
「……珍しい。スキマ妖怪は来ていないのね。近頃じゃいつも一緒だとか訊いたけど」
「ああ、用事だと。管理者ってのは伊達じゃあないらしくてな」
「そう。まぁどうでもいいのだけれど」
「じゃあなんで訊いたんだよ……」
困ったように息を吐く双也を前にして、幽香はくすくすと笑った。
内心、嬉しかったのだ。
分厚い雲に差した一筋の光明ーーは言い過ぎとしても、このタイミングで双也が訪ねて来た事は彼女にとって僥倖と言うべきである。
何せ、彼がいれば退屈はしないのだから。
何なら、軽く挑発でもして戦闘に持ち込んでやってもいい。彼との戦闘が自分を満たすに十二分である事を、既に幽香は知っているのだ。
しかし、脈絡というものは大切なので。
幽香は心の裏で、"予想が外れますように"と願いながら、
「それで、何の用かしら。後ろの妖怪絡みなのは、なんとなく分かるけれど」
「さすが、察しがいい。今日のお前の相手は俺じゃなくこいつ、こころだ」
「…………よろしく、お願いします」
促され、彼の背後からおずおずと出て来た彼女、こころを一瞥する。
そして幽香はーー落胆した。
「(……どんな物かと見てみれば……)」
弱い。
双也と比べるまでもなく、当然自分と比べるまでもなく、その妖怪は弱かった。
確かにそこらの中妖怪程度ならば軽く遇らうくらいには実力があるだろう。大妖怪は目前とも言える。
ーーしかし、足りない。大妖怪中の大妖怪である幽香が求める闘争を、彼女が満たせるとは到底思えなかった。
さらに言えば、そんな妖怪をあの双也が連れていること自体が信じられないのだ。
悪態は、息を吐き出すように放つ事が出来た。
「……ふん。そんなチンケな妖怪をこの私と戦わせようなんて、何を考えているのかしら」
「不満か?」
「見れば分かるでしょう? そいつも今までの奴らと変わらない、蹂躙される側の存在。私が相手にするべき妖怪ではないわ。ーー双也、あなたも同じよ」
「……誰を相手にするかなんてのは俺が決める事だ。とやかく言われる筋合いはないさ」
空気が冷りつく。晴天の空の下にあって、この場だけは肌を刺激する程に気温が下がったように感じる。
ひたすらにーー良い空気だった。
苛立ちを込めた挑発の言葉に対してか、双也は口元を不敵に歪めながらも視線を鋭くしていた。
知っている。双也は、誰かを蔑ろにすれば簡単に怒る。
このまま戦闘に入ってしまえば、こちらの望みは叶ったも同然である。
あんな雑魚妖怪の相手などせずに済むーー。
「待って」
ジッと交わされる視線の間に、青い刃が映り込んだ。
そこから視線をずらし、小さな鍔、長い柄ときて、その次にはーー表情の変わらないこころの顔が、映り込む。
幽香が眉を顰めたのは、完全に無意識での事だった。
「っ……あなたの相手をするのは、私。双也じゃない」
「馬鹿な妖怪ね。相手を選ぶのは私の権利よ。あなたが頼んできて、私はそれを断った。それが全てでしょう」
「でも諦めて帰れない。せっかく双也が選んでくれた私の相手だもん、無駄には出来ないよ」
「それはそっちの都合でしょうが……」
「でも」
ーー退屈はさせないよ。
鉄面皮の下で、確かにこころが笑った気がした。
「……何処から来るのかしら、その自信は」
いや、挑発か。
すぐに思い直す。しかし、敢えて幽香はそれを拒まなかった。
弱い妖怪が、格上に対して対等に戦えると宣う。それがどれだけ命知らずな事か。
一般的に、欲望と自尊心に忠実なのが妖怪である。個々に違いはあれど、幽香のそれは特に強烈な物だ。こころの口にしたその言葉は、確実に彼女の自尊心を踏みにじっていた。
"勇気がある"のでもなく、"酔狂"なのでもなく、ただーー身の程知らず。
こころへ向ける幽香の瞳は、蔑みの色に満ちていた。
しかし、だからこそーー。
「いいわ、受けてあげる。その無根拠な自信、粉々に躙り潰してあげるわ」
挑発に上手く乗ってしまった、という事実は理解していた。相手の思い通りとなってしまっている事に苛立ちも感じる。
しかし、幽香にとってそれよりも重要なのは、己のプライドを踏みにじったこの矮小な妖怪を叩き潰し、足蹴にして、侮蔑の瞳で見下ろしながら高笑いする事だった。
なんと強烈な自我だろうか。
何者にも染められず、何者にも揺らされない、決してブレない強固な意志。
双也が恐れる彼女の本質とは、これだった。
「……簡単には、負けないよ」
「どうかしら。それは、私の気まぐれに依るわね」
二人、どちらからともなく空へと舞い上がった。
「な、なんか勝手に話が纏まったな……まぁ、結果オーライと思って観戦するかね。
ーー確かめたい事もあるし」
一人、草原に腰を下ろす双也であった。
久々の幽香さん登場。
✳︎お知らせ
ご愛読ありがとうございます。ぎんがぁ!です。
今回のお知らせは、また投稿間隔についてです。
実は私、今年受験がありまして、本当なら勉強してなければいけない訳です。まぁそれでも何とか今までちまちまと投稿していたわけですが、とうとう執筆が追いつかなくなってきました。
なので、これからは基本今まで通りで行きますが、丁度一週間での投稿が出来ない時があるかも知れません。
なので、更新されていない日があったら"まぁそのうち更新されるだろ"くらいの気持ちでお待ち下さい。
よろしくお願いします。
ではでは。