ではどうぞ!
妖雲異変から数日。
幻想郷を包んでいた何処か暗い空気は少しずつ抜け始め、だんだんと普段の幻想郷に戻りつつある。
博麗神社も相変わらず、参拝客の乏しい状況が続いていた。
「はぁぁ〜……」
机に突っ伏し、空っぽな賽銭箱の中身を想像して溜息が出る。
幻想郷の空気が明るくなり始めても、霊夢が纏う空気だけはどんよりとしている様である。
「……………」
上げていた顔を脱力した様に下げると、ゴンッと額と机がぶつかった。
そのまま顔を横に向けると、縁側から神社の周りを囲う桜の木が見える。
丁度、葉が枝から離れてヒラヒラと舞い落ちる所であった。
「……どう、しよう…」
目を細め、何処か疲れた様な印象を受ける表情でポツリと呟く。
賽銭などのことではなく、もっと重要な何かに思い悩んでいるかの様な表情だった。
そんな状態をどれくらいしていたか、何処かぼうっとしている霊夢にはよく分からなかったが、不意に、聞き慣れた声が彼女の鼓膜を震わせた。
「おーい、霊夢ー!」
「……なに、魔理沙」
「……なに、はねぇだろ。何か用がなくちゃ来ちゃいけないのか?」
「……そうね」
霊夢の素っ気ない反応に、魔理沙は唇を尖らせた。
縁側から上がり、いつもの様に彼女の隣に腰を下ろすと、霊夢の様子を見て、魔理沙は首を傾げた。
「お前…どうしたんだ? 薄く隈も出来てるし」
「ん〜… ちょっとね…」
「大丈夫か?」
「大丈夫……じゃない。 けど、気にしないで」
「いやいやいや…」
"それは無理だろ"と言わんばかりに、魔理沙は頭を軽く横に振るった。
普段からあまり他人の事を気にしない彼女が心配してしまうほど、今の霊夢は疲弊している様に見えたのだ。
それは決して、掃除だとか妖怪退治だとか、そういった事柄によってはありえないと思える程の様子。
第一、弾幕勝負には無駄なくらい秀でている彼女が、そんな軽労働でここまで疲弊するはずがない。
ーーだとしたら、何かストレスでもあるのだろうか?
直情的な性格の魔理沙には、"訊かない"という選択はなかった。
「…なんかあったのか?」
「…まぁね」
「話してみろよ」
「…話しても、多分解決しないわ」
机に突っ伏したまま答えようとしない霊夢。
魔理沙はその姿を不思議そうに見下ろしていた。
ーーなら、言い当てて無理矢理相談させようか。
不器用な魔理沙なりの、親友の為の配慮だった。
辛い事は話せば楽になる。 多少の個人差はあるが、ともかく、話して更に辛くなる者など居はしないだろう。
魔理沙は早速、原因を言い当てるべく頭を捻った。
「んー…、お茶を飲もうと思ったら切れてたとか?」
「違う」
「紫にこっ酷く叱られたとか」
「…違う」
「じゃあ何かグロいものを見たとか」
「ンな訳ないでしょ…」
「なら、弾幕勝負に負けた! コレだろ!」
「………………」
相変わらず突っ伏したままだったが、霊夢は遂に黙り込んだ。
お、ビンゴか?
そう思い、魔理沙得意げな顔を浮かべる。
なら、後は慰めてやるだけだ。
魔理沙は早速、彼女にかける言葉を模索し始めた。
ーーが、掛けようとした声は、霊夢の小さな呟きに遮られてしまった。
「……ら…いで」
「…あ?」
「……探らないで…っ」
「…!」
魔理沙は、絞り出す様に言う霊夢の肩が、僅かに震えている事に気が付いた。
未だ嘗て、彼女がこれほど思い詰めたことがあっただろうか。
それを抜きにしたとしても、親友である魔理沙は、そんな弱々しい姿の彼女に声を掛けずにはいられなかった。
「な、何でだよ。 そんなに思い詰めてるお前を放ってなんてーー」
「いいから…探らないでっ!!」
バンッ!
顔を俯かせたまま、霊夢は強く机を叩いた。
あまりにも彼女に似つかわしくない行動に驚き、魔理沙はビクッと肩を震わせる。
自分の行動にハッとした霊夢は、少しだけ狼狽えた目を魔理沙に向けた。
「っ…ご、ごめん…」
「…いや、気にすんなよ」
そうは言うが、魔理沙も内心萎えてしまい、俯いてしまった。
霊夢に怒鳴れる事はよくある。
神社に勝手に上り込んだり、勝手にお菓子をつまみ食いしたり。 行ってしまえば日常的に怒られている。
だから霊夢に怒鳴られようと、いつもそう気にはしていなかった。
だが、今回は何か違う。
普段の突発的な怒りではなく、何処か頼みにも似た怒り。
魔理沙は本能で、彼女の"踏み込んで来ないで…!"という言葉聞き取っていたのだろう。
「っ…お、お茶!」
「え…?」
「お茶、淹れて来るぜ。…飲むか?」
「…うん」
気不味い空気に耐えられず、魔理沙は逃げる様に台所へと向かう。
霊夢の横を通り過ぎる魔理沙の手は、硬く拳を握りしめて震えていた。
「(…何も、出来ない…のか?)」
その悔しさに、無意識に歯軋りしてしまう。
これだけ長く霊夢と居ながら、肝心な時に力になれない。
魔理沙は、そんな無力な自分に怒りさえ感じていた。
ーー何が親友だ、これじゃあただのお荷物じゃないか。
異変の時も、魔理沙は親友の助けになる事は出来なかった。
彼女の隣に立って、共に闘うほどの力が無かった。
そして今も、彼女の支えになることさえ出来ていない。
「……くそっ」
お茶を淹れ、自分と霊夢の分を手に持って戻る直前、魔理沙は立ち止まり、少し俯いて吐き捨てる様に呟いた。
あくまで小さく、霊夢には聞こえない様に。
ただーー彼女の悔しさの全てが詰まっている言葉だった。
「(…切り替えろ。こんな悔しさ、霊夢の前では見せられない)」
魔理沙は一呼吸吐き、再び歩き始める。
居間に戻ると、霊夢はまだ机に突っ伏していた。
「ほら、お茶」
「…ん。ありがと…」
少しだけ顔を上げ、軽く礼を言う霊夢。
未だ暗いその表情に、また先程の悔しさが込み上げそうになるが、魔理沙は必死でポーカーフェイスを貫いた。
そして、コト っと湯呑みを机に置いた。
ーー瞬間。
ドウッ!!
近くでとんでもない霊力が溢れ出した。
「……はぁ、またか…」
尋常ではない力だ。
一瞬気が飛びそうになった程強く、濃い力。
至近距離の直撃だったら、普通の人間である魔理沙なんて一瞬で倒れてしまうだろう。
荒々しいその霊力に驚いた魔理沙の肌は、大量に冷や汗を垂らし始めた。
「お、おいこれ……もしかして…」
「……魔理沙の想像通りよ。 今奥で霊力を放ってるのは、双也にぃ」
「ッ!!」
この瞬間、魔理沙は察した。
ーーきっと霊夢の疲弊の原因は、コレだ。
特別勘の鋭い訳ではない彼女でも、これには確信があった。
そしてそれが双也であるなら、霊夢が魔理沙を踏み込ませようとしなかった事にも納得がいく。
予想以上に切迫した状況に、魔理沙は茫然としていた。
「魔理沙…悪いけど、今日はもう帰って」
「な…! おい待てよ霊夢!」
「お願い……帰って…!」
立ち上がり、奥へと消えようとしている霊夢の背中に、堪らず叫ぶ。
だが、霊夢は振り返らぬまま、懇願する様に声を絞り出した。
ーーダメだ。
このまま行かせたら、どうにもならなくなる気がする…!
霊夢の暗い背中、溢れる霊力、この状況。
心をこれ以上なく圧迫するこの空間の中にあって、魔理沙は強くそう思った。
そして同時に、先程の激しい悔しさを思い出した。
ここで何もしなかったら、もうあいつの親友なんて名乗れない…!
あいつの隣にいる事は、一生出来なくなる気がする…!
悔しさか、恐怖か、魔理沙は震える唇で、再び霊夢の背中へと言葉を放った。
「……霊夢、辛かったら私を頼れよ。 これでもお前の事…よく分かってるつもりなんだ」
「………………」
「じゃあ、帰るな。……また来る」
立ち止まった霊夢の背中が横目に後を引く。
それでも魔理沙は振り返って、再び縁側へと出た。
これ以上は何も出来ない。 今の霊夢にしてやれる事は何もない。
ただ、辛くなった時の拠り所になろう。
それが魔理沙の、霊夢の親友としての心構えとなった。
「魔理沙」
ふと、振り返った魔理沙の背中に声が掛けられた。
思いもしなかった声に振り向くと、霊夢が振り返って、微笑んでいた。
「…ありがと。やっぱりあんたは、親友よ」
「……おう」
一言そう返し、魔理沙は箒に跨って飛び上がった。
風に揺れる髪から覗くその表情は、何処か安心した様な笑みをたたえていた。
心の支え、というのは、とても大切な物なのだと強く思う。
挫けそうになった時、折れそうになった時、その支えさえあれば、人はまた立ち上がる事ができる。挑み続ける事が出来るのだ。
人生とは挑戦の連続だ、という言葉を聞いた事がある。
本当にそうだというなら、成る程、心の支えとはまさに、生きる為の必需品なのだろう。
人という字がどうしてこんな形をしているのか、その答えもそこにある気がする。
「(…我ながら、良い親友を持ったものね)」
居間から続く、奥の部屋へ続く廊下。
トボトボとそこを歩く霊夢は、そんな事を考えていた。
いつも勝手に神社に上がるし、勝手にお菓子とかを引っ張り出して散らかすし、普段は迷惑な事この上ない彼女の親友はしかし、肝心なところではちゃんと支えになってくれる。
霊夢自身口に出したりはしないが、魔理沙は間違いなく、彼女の理解者の一人なのだ。
魔理沙は確かに、霊夢の心の支えとなっていた。
だから霊夢は、そんな魔理沙の存在によって"支え"という物の大切さがよく分かっているし、だからこそーー
「……双也にぃ、起きたみたいね」
奥の部屋の襖を開けると、そこには布団から起き上がった双也の姿があった。
ただ、前までの凛々しさなどは何処にもなく、廃人の様に蹲って、霊夢へと怯えた視線を向けていた。
「ひっ……霊夢…く、来るな…!」
「…大丈夫。すぐ楽になるわ」
「…ッ!」
ピッと一枚のお札を取り出す。
すぐに発動できる様、霊力は既に込められていた。
「双也にぃ……」
「やめろ…来るなっ!!」
枕元に置いてある天御雷を手に取ろうとする。
しかし、そうする前に霊夢の弾が刀を弾いた。
弾かれる刀を絶望に満ちた瞳で見つめる双也は、バッと振り返ると、怯えた表情で後退りし始めた。
そしてーー。
「……大丈夫、怖くない」
ピタッ
鱗模様のお札が、双也の額に触れる。
淡い光がスーッと溢れ出すと、怯えていた双也の目はだんだんと閉じていきーー溢れる霊力と共に、眠る様に気を失った。
横に倒れそうになる兄の身体を、霊夢は優しく抱き留める。
そして札を懐にしまうと、その手で双也の手を握った。
……彼の頬には、ポタポタと雫が落ち始めた。
「……どう、すれば…いいの…?」
霊夢の声は震えていた。
「分かんない…分かんないよ、双也にぃ…! どうして、こんな事に…っ」
大粒の涙が、次から次へと溢れてくる。 双也のーー敬愛する兄の変わり果てた姿が、彼女の心に重くのしかかっていた。
「私は、また……仲良く、この幻想郷で、暮らしたいだけなのに…! こんなの…耐え、られないよ…っ!」
昔の優しい笑顔が見たかった。
またバカな事で喧嘩してみたかった。
いつもの様に笑っていたかった。
だから必死になって取り戻した。
二柱の神降ろしなんて無茶までして、双也を取り戻した。
なのに、その双也が彼女に向けた視線は、恐怖のみだった。
彼が目覚めて、初めてその視線を向けられた時、霊夢は無意識に悟った。
ーーこんなの、違う!
ーー望んだ結果じゃない!
元の生活には戻れないだろうという確信。
それを悟ってしまったのだ。悟らざるを得なかったのだ。
霊夢という少女の世界に、双也という兄は欠け替えのないものだ。
ずっと昔から一緒にいたし、小さい頃の思い出といえば、彼無しには語れない。
そんな彼から向けられる恐怖の視線、拒絶の言葉。
それが霊夢には、どうしても堪え難かった。死にたくなるほど辛かった。
「…こんなの……やだよ…」
ズキズキと胸が痛む。頭も痛くて、身体も重い。
霊夢の心は、その重圧に押しつぶされそうになっていた。
ーーそんな時。
「霊夢…涙、拭きなさい」
「っ……ゆ、かり…」
優しげな声と共に、ハンカチが差し出された。
見上げれば、最早ボヤけて殆ど見えはしないが、確かに妖怪の賢者、八雲紫の姿が見えた。
いつもは胡散臭いと警戒する霊夢も、こんなの状態でそんな事が出来るはずもなく。
ただ無言でハンカチを受け取り、顔に押し当てて泣いた。
「ぅ…うぅ…ぐすっ…」
「…私が見ておくから、あなたは休んでなさい」
「…でも…っ」
「いいから。 無理しないで」
ポンポンと優しく頭を撫でる。
その行為と表情に安心したのか、霊夢は小さく"うん…"と頷き、ゆっくり立ち上がった。
「…紫、これ…竜姫様のお札…」
「…ええ、受け取ったわ」
震える彼女の手から札を受け取り、部屋を去っていく霊夢を見つめていた。
お札に視線を落とすと、紫はすぐにお札をスキマにしまい込んだ。
ーー使うつもりはない。 これに頼っても、解決なんて絶対にしない。
本当は破いてしまいたいくらいだった。
このお札はただ問題を先延ばしにするだけだ。
これを続けたって霊夢も辛いだろうし、何より双也が辛いだろう。
それでも破かずにしまい込んだのは、未だ彼女の中に不安があったからか。
超人的な頭脳を持つ紫にも、これから行う事に"絶対"という言葉は決して使う事が出来なかった。
何せーー人の心に関わる事だから。
「…双也……」
布団を戻し、彼を寝かせ、紫はその隣に座ってジッと彼が目を覚ますのを待つ事にした。
急く事はない。どのみち彼が起きていなくては行動を起こせない。
紫はジッと座って、彼を心配そうに見つめていた。
これくらい中身重視で書くと、一話で一万文字くらいは必要になってきちゃいますね。
気をつけようと思います。
ではでは。