ではどうそ
「………………」
紫の口から語られた、百年ほど前に起きた異変。
その話に、霊夢は喉が詰まる様な苦しさを覚えた。
博麗柊華……先々代の巫女であり、歴代で最も強かった人間。その事は、霊夢も昔、紫から聞いた事があった。
もう少し詳しく聞こうとしたけれど、悲しそうな表情ではぐらかされたのを覚えている。
……そして、柊華が双也と親しい仲だった事は、双也自身の口から直接聞いていた。
双也が彼女を大切に思っていた事も、殺してしまった事をずぅっと悔いていた事も。
なのに。
「そんなーーそんな事って…ないわよ…」
ずっと悔いていた。
ずっと傷を抱えていた。
ずっとずっとーー耐えていた。
双也の中で何が起こったのか…それは彼女には分からない。でも、それを望んでやる筈は絶対にないという事だけは、確信している。
双也がいったいどれほどの悲しみを背負っているのか。
霊夢はその、片鱗を見た気がした。
何処か暗くなってしまった空気。
それ相応に重い話だったのだから、それは当然なのだが…やはり、それを打ち破ってくれるのは、魔理沙であった。
「うーむ…双也の過去にそんな事があるとは…思ってもみなかったな…」
「…結局、その時の双也さんが、神格化した状態、って事ですよね? …よく百年近くも、それが出てきませんでしたね…」
妖夢の言葉に、ハッとした。
確かに、その通りである。
霊夢だって、その話を聞きはすれどーー聞いたのもつい最近だがーー実際に見た事はない。それは他の皆も同じであり、だからこそ、神格化するとどんな外見になるのかもーーどんな性格になるのかも知らなかった。
もしかすれば、もっと早くから今の様な状況になったかもしれない。
即ちーー双也が神格化して、暴走してしまう、と。
ーーなら、何故?
「それは……柊華のお陰、かしらね」
「……え?」
全員が、そう言った紫の方を向いた。
相変わらず、先々代の話をする時の、寂しそうな目をしている。
「柊華の最後の封印ーー死ぬ間際に、それを
「……それは、神格化を防ぐため…ですか?」
「……そうね」
妖夢の問いに、紫は少しだけ目を細めた。
「柊華の最後の願い…恐らく、それは唯一の友人だった双也の安息だったんでしょう…だからこそ、神格化を防ぐ為に、封印したのよ」
あの時ーー柊華が双也の手の中で息を引き取る直前。柊華は、双也にある封印を施した。
それは言わずもがな、暴走する可能性のある神格化を防ぐ為の封印。
死ぬ間際であり、残り少なかった
ーーそれならば、直接神格化した双也を封印すれば良かったのでは?
…単純な答えである。
それが出来なかったのは、一重に、力がどうしても足りていなかったから。
神格化した双也に対して、一度彼を敵に回せば、その力はどこまででも自分を超えていく。
天罰神としての揺るぎないその力を前にしてしまえば、どれだけ柊華が強くとも、どれだけ強力な技を放とうとも、彼の前には意味を成さない。
ーーだからこそ、
恐らくは、柊華自身だってその封印式は理解していなかっただろう。なにせ、全ての術式を勘に頼ってーー能力に頼り切りで組み上げたのだから。
しかし、そうでもしなければ決して封印は成し得なかった。
神格化した双也相手には絶望的だが、普段の双也だって途方もなく強い。現時点での倫理や理論を交えたところで、力の差が埋まる訳でもない。
ならせめて、まだ望みのある方へ。
柊華が能力を頼って組み上げた封印は、"双也の心専用"と言っても過言では無く、確かに、彼の心の一部の封印に成功したのだ。
「……でも、今回はそれが外れてしまった。きっかけーーというか、彼の中で何が起こったのかは、よく分からないけれど…」
そう言いながら、紫は少しだけ視線を早苗の方へと流した。
決して厳しい視線ではなかったが、それに気が付いた早苗はピクリと肩を揺らし、俯いた。
「……その封印っていうのも、百年近く前のものでしょう? きっとガタが来てたのよ。 今までだって、双也にぃが神格化するタイミングが全く無かった訳は無いはずよ。それを無理矢理押さえつけて、更に時間も経ってしまえば……ボロくなるのも当然よ」
"自分の所為だ"
そんな事を思っていそうな、暗い表情をした早苗を労り、霊夢はそんな事を言った。
神社を壊せ、なんて無理を言ってきた商売敵ではあるけれど、今はこんな状況である。加え、共に暮らしていたのだろう二柱をあんなズタズタにされ、きっと心は疲れ切っているはずだ。
霊夢の優しさを感じ取ったのか、早苗は少しだけ顔を上げ、目尻に溜まった涙を拭うのだった。
「……それで、妖怪の賢者」
「…何かしら」
ふと、ずっと考え込んでいる様なそぶりをしていたレミリアが、唐突に紫に話しかけた。
「その歴代最強と言われた巫女の事は分かったわ……でも、そんな人間がーーいえ、彼女が、最強の妖怪とまで言われるあなたと組んで、それでも勝てないなんて………なにか、理由があるのでしょう?」
レミリアの視線と紫の視線が繋がる。 紫は決して予想外という様な表情はしておらず、むしろ"やはりこうなるか"といった様な、そんな目をしていた。
「……その通りよ」
軽く頷き、話し出す。
「双也の能力は知っての通り……でも、神格化した双也には、更に二つの能力が発現するのよーーそれこそが、私達が双也に敵わなかった理由」
ーー罪人を超越する程度の能力。
紫から語られたその能力の凄まじさに、この場にいる全員が目を見開いた。
天罰神としては妥当ーーそう思いはすれど、相手の全てのステータスを強制的に超える能力だなんて、反則にも程がある。
「…でも、要は双也に罪人だと認識されなければ良いのでしょう?」
その言葉は、眉根を寄せた咲夜の口から放たれた。
"双也に罪人とされなければ発動しないだけ、まだマシか"
咲夜の言葉に、そんな考えが皆の頭に過ぎった。
反則だとは思う反面、咲夜を含め、この場の多くはほんの少しばかりは心を落ち着かせていたのだ。
しかしーー霊夢だけは、違った。
「……罪、人…?」
彼女の頭の中に浮かび上がる情景は、つい先刻…神格化した双也と対峙したその、直後。
ーー
その言葉が、強く強く頭に焼き付いていた。
「そんな…まさか、今双也にぃは……」
生きている者全てを罪人だと認識している…?
霊夢は無意識に、表情を蒼白に染めた。
その様子を見て、彼女が考えた事の全てを察した紫は、暗い表情のまま、小さく頷いた。
「……霊夢の考えは、正しいわ。…あの異変の時の事を考えても、今の双也は恐らく…生きている事自体を罪だと認識している。つまりーー
ーー
"論理的には…ね"
付け足されたそんな言葉は、なんの気休めにもなりはしなかった。
だって、それならどうやって彼を止めろと言うのか。
止めなければならないと言うのは、皆が分かっている。
彼が生きている者全てを罪人だと認識しているならば、尚更止めるべきだ。放っておけば間違いなく、この世界の生きとし生けるもの全てが皆殺しにされてしまう。もしかすれば、この幻想郷自体を破壊して、外界にすら進出してしまうかも知れない。
ーーそれだけは、避けなければ。
「そんなの…どうやって止めれば良いんですか…?」
説得する?
ーー話はきっと通じないだろう。
何処か遠くへ転送する?
ーーそれでは解決にならない。そもそもそれが出来るか分からない。
ならば……戦う?
ーー勝ち目は、無い。
妖夢の消え入りそうな声に、皆の胸が締め付けられた。
現実を受け入れるのが嫌で嫌で仕方なくて。でもどうする事も出来なくて。
胸の痛みか、遣る瀬無さか、魔理沙はきつく握り締めた拳をガンッと畳に叩きつけた。
「何だよ…殺すの、嫌いなんじゃなかったのかよ…あいつは一体何考えてんだっ!!」
「っ……」
あれだけ優しかった双也。
あれだけ楽しそうだった双也。
あれだけ笑っていた双也。
そんな彼の表情が、霊夢の中でガラガラと崩れていく。
その事に耐えられなくて、自然と涙が溜まっていった。でもそれでも泣くまいと我慢するうち、代わりに強い歯軋りの音が鳴った。
「……もう、私達の知っている双也では…ないのかも知れないわね…」
ポツリと、紫はそんな言葉を落とした。
静寂の中に落とされた言葉は、水面に波紋が広がるように部屋に響き、反応はしなかったけれど、皆の心に重しを落すようだった。
ーーそんな、暗く冷たい空気の中
「その通りじゃ、妖怪の賢者よ」
ーー見知らぬ声が響いた。
その声に驚いた面々は、パッとそちらーー博麗神社の庭の方へと視線を向けた。
そこに佇んでいたのは、この場の誰よりも幼く見える、黒髪の少女。
膝裏近くまで伸びた艶やかな髪を先の方で紐に纏め、その水色を基調とした着物と袴に、鱗のような模様が施されている。
「しかし、お前ほどの頭脳があれば、答えなど容易に導き出せそうなものだがのぉ」
見覚えの無いその少女に、皆が不信の目を光らせる。
ただーー声をかけられた紫だけは、違った反応を見せていた。
「な、何故…あなた様がここに…
ーー
少女ーー龍神は、その端正な口元をニヤリと歪めた。
「久しぶりじゃな、八雲紫。幻想郷の危機に、この龍神ーー
遂に登場。
ではでは。