ではどうぞ
第百四十五話 反転
「ッ!!? 何よ、コレは!?」
私が、妖怪の山の山頂より少し下辺りに辿り着いた頃、突然とても激しい地震が起こった。
それはもう、二秒立っていられれば上等、と言うくらいの大地震。
視界はガタガタと揺れ、身体は思うように動かず、何よりーー山頂付近から発する強過ぎる力、そして切れてしまいそうなほど鋭い殺気が、私に行動の自由を許してくれなかった。
「(う…ぐぅ…っ! こんな力を持ってる奴なんて…幻想郷にいたかしらっ!?)」
大気を、大地を、幻想郷を揺れ動かす程の力を持つ者なんて、そうそう居るものではない。
況してや、そんな力を得るに至るまで生き続けられる者が、そもそもほんの一握りでしかない。
揺れは約二十秒ほど続き、その後は、揺れのせいでクラクラする頭の中で段々とそれが治まっていくのを感じた。
「………っ…やっと止まったわね…」
暫く耐えていると、地震は完全に止まった。
身体が動かなくなるほどの大きな力も、感じる程度は少なくなり、息苦しい程の拘束もスルリと解けた。
「………にしても、一体誰がーー!」
ふと、脳裏を掠める一つの空想。
黒いガウンの、彼岸花。
蒼く流麗な、一振りの太刀。
一人の少年が、頭に浮かんだ。
「(…いや、そんな筈ない! 双也にぃは、あんな殺気は……)」
双也にぃは優しい人。本気で殺すような、あんな殺気は放たない。そう信じたい。
信じたい、けど……
ーーとにかく、山頂まで登り切って、確かめないと。
心に落ちた暗い影、そして広がっていく不安を抱きながら、私は少し震える身体に鞭を打って、山頂へと急いだ。
山頂付近になると、何処かピリピリとした空気が私の肌を刺激した。
戦闘には慣れているけど、それはあくまで弾幕ごっこの話。だからこの空気の感じは、眉を顰める程度には嫌だった。
背筋をゾクゾクと撫でるような、気持ち悪さを覚える空気。
とてもじゃないが慣れてはいないし、こんな中に居たいとも思えない。
「………………」ゴクッ
見えてきた鳥居に少しだけ不気味さを感じ、無意識に唾を飲み込んだ。
鼓動も激しい。少しだけ耳鳴りもする。でも、歩みだけは止めなかった。
そして、鳥居をくぐった先で見たのは
「…よう霊夢」
そしてその周囲には、この神社の神と
「…そ、双也…にぃ、なの…?」
「ん? そりゃそうだろ。"俺"は双也だ」
地面の大半は深く抉られ、木々も荒く折り倒されている。倒れている二人は酷く傷付いていて、ピクリとも動かない。後ろの方には、気を失ったらしいあの巫女が倒れていた。
対して双也にぃはーー余裕の笑みを浮かべ、傷付いた様子は何処にもない。
信じたくなかったけれど、あの殺気は彼から放たれていて、手に持つ刀からは……ポタポタと、血が滴っていた。
誰の目にも明らかだ。
あの二神を追い込んだのは、双也にぃである、と。
「な、なんでよ…あんなに優しい双也にぃが、なんで…」
「優しい、か…ふむ、確かに、呆れるくらいには優しいな。でも、"オレ"は仕事をしてるんでね」
「…?」
……なんだか、言っている意味がよく分からない。
何処となく会話が噛み合っていないようなーーいや、彼の視界には私が映っていないかのような、そんな空虚感を感じた。
それに、今彼が放っている雰囲気はーーとても、怖い。
首元に鋭い刃を突き付けられて、今にも首を引き裂かれそうな、そんな恐ろしさを纏っている。
様子が明らかにおかしい双也にぃに、警戒を抱きながら首傾げていると、彼は首をコキリと鳴らして見せた。
「ああそっか、この流れだとお前が次なのか」
「……………何がよ」
「何がって、そりゃ……
ーー"裁き"? 何よそれ。
そう思った、瞬間だった。
「お前の罪は、
生きてる事だ」
「ーーッ!!」
メキッ
お腹に、鈍い痛みを感じた。
ジワジワと、でも急激に襲ってくる痛み。それの前に、私は声を出す事もできず、一瞬視界が暗転する。
そして背中に強い衝撃がきたかと思うと、痛みで出せない声が、肺が押された事によって無理矢理に喉から出ようとする。
でも代わりに、バチャバチャッと鉄臭い何かが口から溢れ出した。
ーーコレは、血だ。
「ぅ……ぁ、ぅ…?」
殴られた、の?
腹を一発…コレが、拳の威力…?
痛みで頭が回らない。
気が狂ってしまいそうなほど痛くて、悶えそうになる。
それを和らげようと叫ぼうとしても、ゴポゴポと血の泡が噴き出すだけだった。
ーー弾幕ごっこでは決して味わう事のない、鮮烈な苦痛。
頭が回らなければ、腕も上がらない。足は膝を立てる事もできないし、視界はチカチカとして定まらない。
如何にか頭を持ち上げて、その視界が映したのはーー刀を振りかぶって飛びかかる、双也にぃの姿だった。
「………ッ……ゥ…!」
ーーヤバイ。
このまま攻撃を許せば、恐らく真っ二つにされる。 何も出来ずに、終わってしまう。
私は、今にも途切れてしまいそうな意識を如何にか繫ぎとめ、一枚の札を地面に着けた。
「せ、つな…あくぅ、けつ…!」
瞬間、私の下に空間が開き、身体は重力に従って落ちていった。
そこから出たのは、入った場所から僅か10mほどの所。
私が座り込んでいた木は、見事真っ二つに両断され、どころかその後ろ数十本すらも両断されていた。
「甘ェんだよ」
しかしその刹那、私の両方の二の腕は、二つの白い線に撃ち抜かれた。
鋭い痛みに襲われ、思わず手で抑えようとした。だがもう片方も動かなくなっていて、如何にも出来ない。
筋肉は断裂し、腕に力は入らない。辛うじて大幣を手放していない事が最早奇跡だ。
ーーでも、
「破道の七十八『斬華輪』」
流石にもう、避けられない。
腕も動かない。腹も潰れている。足はもう立たない。意識すら、途切れそう。
最早成す術を失った私に、双也にぃの破道が迫る。
きっと、アレを受けたらタダでは済まないだろう。 身体が上下に分かれてしまって、何も出来なくなる筈だ。
ーー悔しい。
何も出来なかった事に悔しさをも感じて、でもどうにも出来なくて。
私は、ギュッと目を瞑った。
「境符『四重結界』ッ!!!」
劈くかの様な鋭い衝突音が、私の鼓膜を震わせた。
そうして驚き、目を開く前に、私の身体は何者かに抱えられ、少しの浮遊感の後に降ろされた。
「………ら、ん…?」
「動かないでくれ、治療が出来ない」
ボヤける視界で見てみると、それは九つの尻尾を持つ九尾の狐、八雲藍だった。
彼女は私にそう言うと、頬に一筋汗を垂らしながら妖術によって私の傷を癒し始めた。
………痛みは中々無くならないけれど、気持ち的には少し楽になった気がする。
首だけ動かして周囲を確認すると、私の他三人ーーこの神社の神二人と巫女ーーが横たえられており、
何時に無く真剣な表情をした八雲紫が私たちを守る様に、様子のおかしい双也にぃに向き合っていた。
「……一瞬で砕かれるとは…相変わらずのようね、あなたは…」
「くくっ…お前こそ、相変わらずオレの邪魔をしてくれるみたいだな、紫」
「…………当たり前でしょう」
……?
紫が、双也にぃを相手に…なんでこんなに、ピリピリしているの?
確かに、様子は違う。
髪は白くなってるし、瞳も眩しいくらいに輝いて、まるで別人の様だ。
何より私を本気で斬り殺そうとした。
さらに言えばーー
彼が放っているのは、
双也にぃは、現人神。人間の面を持つ限り、その力は霊力の筈だ。なのに。
ーーでも、まるで双子の鏡写しの様に、似ている。
容姿も声も、何もかも。殺気と髪、瞳以外はどう見たって双也にぃだ。
一体、何がどうなっているの?
ただただ困惑している私を他所に、紫は、双也にぃを睨みつけたまま、言い放った。
「……藍、スキマで送ってあげる余裕も無いから、少しの間だけ時間を稼ぐわ。その間に、みんなを抱えて逃げなさい」
「ッ! 紫様! それではーー」
「早くしなさいっ!!」
珍しく怒鳴り上げた紫に慄いたのか、藍は唇を噛み締めながら私達を尻尾に抱える。
藍の治療のお陰で、身体は動かせないけれど大分楽になった。
私はクリアになった視界でふと、紫を捉えた。
「(………あの紫が、焦ってる?)」
紫の様子は、過去のどんな時よりも切迫していて、いつも余裕で微笑んでいる彼女からは想像できないほど、纏う妖力がチリチリしている。
ーーそれだけ、今の双也にぃが危険だということだろうか。
幻想郷で最も強い、八雲紫が焦るほどには。
「幻巣『飛行虫ネスト』ッ!!」
藍の様子を確認したのか、紫は双也にぃに向けてスペルを放った。
ーーいや、これはもうスペルカードではなく、普通に技の様だ。完全に、双也にぃを滅する気でいるらしい。
対して双也にぃは。
「……変わらないなぁ」
紫の技を、鼻で嗤っていた。
「ぐッ!!?」
瞬間、双也にぃから膨大な神力の衝撃破が放たれる。
一体何をすればこれ程強力になるのか、そんな思いが浮かんでしまう程の神力は、地面に打ち付けるかの様な、あるいはそれ以上の威力で広がり、紫の技を一瞬で吹き飛ばした。
「ッ……まだよっ!!」
しかし、紫はそれに臆することなく攻撃を続ける。彼女にもダメージはあったはずなのに、私達を逃がす為だけに、必死になっている様だった。
妖力弾に加えて、スキマから飛び出す丸い板のついた棒。挙げ句の果てには、沢山の車輪が付いている何か鉄の塊まで。
ただ無我夢中に、双也にぃに行動させまいと攻撃し続けているが、その双也にぃは、実に余裕の表情を貫いている。
あの刀一振りで、紫が飛ばすあらゆる物を斬り飛ばしているのだ。
それどころか、時折斬撃の様なものが紫に飛来し、彼女の身体を傷つけていっている。ーーそのすべてに、不気味極まる妖力が篭っていた。
「紫様っ!」
「藍っ!! 早くっ!!」
「ッ、はい…申し訳ありませんっ!!」
紫の必死な言葉に、藍は涙を飲む様にして言い、空へと飛び出した。
この方面はーー博麗神社だ。
まだ少し痛む身体に耐え、戦闘の行方を凝視する。
最早私にはどう足掻いても付いていけない様な戦闘が、目の前で繰り広げられていた。
すると、未だ余裕の表情を崩さない双也にぃと、目が合った。合ってしまった。
そう思った、瞬間の出来事。
「逃すと、面倒なんだよな」
双也にぃは一瞬で紫との距離を詰めて腹を一閃すると、私達の方へと飛んできた。
……いや、飛んできたというのも生温い。あれは最早、瞬間移動だ。
「ッ!! しまっーー」
「遅ェよ」
一瞬で私達の前に躍り出た双也にぃは、その刀を高く構えて振り下ろす。
藍に迫る蒼い刀身。
暴力的なまでの妖力が宿るその刃が、私達を一気に断とうと迫る。
でも、その刃は、私達を断ち切る事は、無かった。
「ゆ、紫…様…?」
もうダメだと思ったその刹那。
目の前に現れた紫が、私達の盾となって刃を受けていた。
「…やっ、と…捕まえ、たわ」
妖力の迸る刀身で肩口から斬り込まれ、文字通り身体で刃を受け止めている紫は、それでも、双也にぃが次の行動に移る前にその腕を掴んだ。
紫が発する"複雑極まる術式"を感じてなのか、その瞳が散大した。
「ッ、お前、何をーー」
「喰らい、なさい…
「ーーッ!!」
一枚の札を、双也にぃに叩きつける。
するとその札から、理解しようとすれば頭がメチャクチャになりそうな程複雑な式が展開された。
輝く光が束を作っていき、彼を中心に集まっていく。
苦しそうな表情をした双也にぃは、どこか慌てたようにバッ、と紫から離れた。
「うぅ…ぐ…案外…強い術も、使えるじゃねーか…」
「ハァ…ハァ…くたばり…なさい…!」
「そりゃ、出来ない…相談だな…」
光が止むと、双也にぃの身体は八本の杭ーー二つの十字架ーーに撃ち抜かれていた。
彼は苦しそうにしながら、それでも笑みを崩さない。
「フッ…また後で、な、お前達」
「………………」
そう言い残し、彼はフッと姿を消していった。
膨大な神力も、妖力も、もう驚く程に感じなくなっていて、彼が消えた後に残ったのは、死の恐怖から解放されたという安堵と、どこか根深いところまでありそうな、どうしようもなく気になる謎だけだった。
「取り敢えず…博麗、神社に…戻るわよ…」
「!! 紫様っ!!」
あの紫が満身創痍ーーいや、もしかしなくても、圧されていた。私に至っては、何も出来なかった。
やるせなさ、恐怖、不安。
マイナスの要素ばかりが頭を支配して離れない中、傷付いた紫達とともに、神社へと帰還するのだった。
ーー異変は、始まったばかり。
何話でいけるかな…
ではでは。