遊戯王GXへ、現実より   作:葦束良日

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第83話 接触

 

 十代とのデュエルの後。俺たちはすぐに移動するようなことはせず、同じ場所に留まっていた。

 理由は複数あるが、まず一つに休息を取るべきと判断したからだ。十代だけでなく、直前まで覇王と戦っていたジムたちも消耗しているのは変わらない。傷に関してはエンシェント・フェアリーが治してくれたが、精神的な疲れなどは残ったままだ。そのため、全員休んだ方がいいと思ったことが一つ。

 他には、目的ははっきりしていても目的地がはっきりしていない事が挙げられる。目的はヨハンの発見、ひいてはユベルの暴挙の阻止であるが、そもそもヨハンがどこにいるのかわからないため、今のままでは闇雲に探さざるをえない。

 それはいくらなんでも非効率的かつ確実性に乏しいため、まずは何か指針を打ち出すべきだと判断した。そのための時間が必要だということも一つ。

 そして最後に、現在いる前の階層の世界に残してきたらしい仲間たちのことだ。十代が覇王となりこの世界に君臨していた時期は短くない。ならば、彼らはもうこの世界に足を踏み入れているはずである。

 なら、一度彼らと合流した方がいいのではと考えたのだ。そのことを含めて今後の指針をどうするのか、休みながら話そうというのが今ここに留まっている理由である。

 

 ――結果から言えば、その判断は正しかったことになるのだろう。

 

 この場に留まることを決めた約一時間後、この丘に向かってくる三人の人影を認め、俺は片手を大きく天に伸ばして左右に振った。

 向かってきていた彼らは、こちらが大きな反応を見せたことで視点を俺に定める。そして俺とあちらの視線が交わったと思った直後、三人の目が驚きに大きく見開かれた。

 そして、歩いていた彼らはこちらに向かって駆け出した。

 駆けてくる彼らの名前は、丸藤亮、エド・フェニックス、三沢大地。俺が知る限りでは前の階層に残ったのは三沢だけだったはずだが、カイザーとエドも残ったとマナから聞いた時は意外に思ったものだった。

 しかしそんなことは関係なく、俺は三人の顔を再び見ることが出来たことに喜び、僅かな時間の後に丘を登ってきた彼らを笑顔で迎えた。

 

「や、三人とも。久しぶり」

「遠也!」

「無事だったか……!」

 

 カイザーとエドが軽く息を弾ませながらそう言えば、少し遅れてきた三沢もまた息を整えることなく俺に詰め寄ってきた。

 

「遠也……!」

「おう」

 

 返事をする。そんな俺の顔を見るなり大きく息を吐いて、三沢は小さな笑みを見せる。

 

「いや、お前のことだ……生きていると思っていた」

「それは信頼されてるって受け取ればいいのか?」

「当たり前だ。まったく……無事で良かった」

 

 本心からそう思ってくれている。そうわかる笑みと共に三沢が言えば、カイザーとエドもまたそれに頷いてくれる。エドはやれやれとでも言いたげなジェスチャーつきだったが、まぁそれもエドらしい。

 俺もまた、皆に会えて本当に嬉しかった。カイザーやエド、三沢だけじゃない。ジムやオブライエンだってそうだ。

 ユベルに負けてあの穴に放り込まれた時は、さすがに死んだと思ったからな……。

 その時のことを思い出しながら、俺は思う。そのことを考えれば、こうして生きてまた会えたことは望外の喜びであった。

 ジムやオブライエン、十代もまた三人の合流に表情を明るくしている。マナもそうだ。そしてカイザーたちはそんな皆にも目を向け――、

 そして、首を傾げた。

 

「……翔や吹雪たちが見当たらないようだが、別行動でもしているのか?」

 

 当然と言えば当然なカイザーの疑問。

 しかしその質問に対する反応は劇的だった。

 誰もが目線を落とし、先程までの明るさが嘘のように顔つきが沈痛になる。

 そんな様子を見て何も感じないほど三人は鈍くなかった。

 一歩エドが前に出て、十代を見る。

 

「いったい何があったんだ、十代」

「Hey、エド。それには……俺が答えよう」

 

 ジムが十代の前に立ち、エドと向き合う。

 さすがに十代の口から事の顛末を告げさせるのは酷だと思ったからだろう。それには俺も同意だった。

 そしてジムは三人に話し始める。三沢、カイザー、エド。三人を残してこの階層に進んだ自分たちの身に、何が起こったのかを――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 愕然、あるいは呆然と言えばいいのか。

 ジムから顛末を聞いた彼らは言葉もなく、ただ目を見開いて立ち尽くすのみだった。

 

「……翔……吹雪……明日香……」

 

 特に実の弟と親友を失ったカイザーは、三人が死んだと聞かされて大きな衝撃を受けたようだった。

 エドや三沢もまた言葉を失っていたが、カイザーの様子はその比ではなかった。

 エドや三沢にはまだ「本当なのか?」と問いを返す余裕があったが、それもない。しかし、それも当然と言えば当然だろう。彼にとって最愛の弟とも呼べる翔が死んだと聞かされたのだ。その心中は察するに余りあった。

 言葉無く立ち尽くすカイザー。その様子を隣で痛ましげに見てから、エドがこちらに声をかけてくる。

 

「……そんなことがあったとはね……。僕も十代たちについていたほうが良かったかもしれない」

「かもな。けど、残酷なようだが今更だ。……今が全てなんだよ、何を言ってもな」

「ああ、そうかもしれないな……」

 

 ともすれば酷薄ともとれる言い方であったが、それが真理であると理解はしているのだろう。エドは俺の言葉に沈痛な面持ちで頷いた。

 俺の言葉は、同時に俺自身に向けた言葉でもあった。たとえ知識を持っていようと、その場にいなければ何もできない。間抜けにもユベルによって別行動をさせられていた俺が、しっかり十代たちといればこんなことにはならなかったかもしれない。

 だからこれは俺に向けた自戒でもあった。……エドと同じように、俺も自分の不甲斐なさが悔しかった。

 視線をずらせば、そこには翔たちを失った衝撃に晒されたままのカイザーを見つめる十代の姿がある。その内心を読み取ることは出来ないが、しかし想像することは出来た。

 きっとまた十代は自分を責めているのだろう。翔を失ったカイザーの姿を見て、改めて自分の罪を自覚したはずだからだ。

 しかし今回俺はそのことについて何も言う気はなかった。

 エドも三沢も、カイザーでさえ、それでも十代を責めない。本質的に悪いのは暗黒界の連中であったと理解しているからだ。

 もちろん、理解しているからといって感情を制御できるわけじゃない。しかし、十代は彼らにとっても友人以上に大切な仲間だった。その信頼と友情が、十代に感情の捌け口を求めることを良しとしなかったのだ。

 高潔な友情。しかし責められた方が十代にとってどれだけ楽なことか。

 それがわかるから、俺は十代が自分を責める姿を見ても何も言わない。今はそれが十代にとって必要だとわかっているからだ。

 先ほどまでと違い、もう十代が死を意識するほどに自分を追い込みすぎることはない。デュエルを通じてそれがわかっているから、現実から目を逸らすまいとカイザーを見つめる十代を、俺は見守るのみだった。

 そんな俺と十代の姿に何かを察したのか、三沢は十代に顔を向けるも何も言わない。次いで俺を見てきたので、どうした、と俺は三沢に向き直った。

 

「いや……本当のこと、なんだな」

「ああ」

 

 三沢も、アカデミアで苦楽を共にしてきた仲間たちが既にいないという現実を受け入れがたいのだろう。その声には間違いであってほしいという願望が含まれていた。

 しかし俺が肯定すれば、大きく息を吐いて静かに目を閉じた。黙祷を捧げているかのようなその所作。その後に再び瞼を開けた三沢の目に、戸惑いは既になかった。

 が同時にその顔には隠し切れない苦味が混じっていた。

 

「……まったく、度し難いよ俺は。こんなことを聞いたばかりだというのに、俺の頭は“皆が死んだとして次にどうするか”を考え始めている」

「三沢……」

「何があろうと頭の回転だけは止めるな、とはツバインシュタイン博士に教わったことだが……今ばかりはそんな冷血な態度しか取れない自分が嫌になる」

 

 拳を握りこんで俯く三沢の顔に浮かぶのは、間違いなく怒りだった。

 こんな時でも俯瞰的・客観的に物事を捉えようとする科学者然とした思考回路が、三沢を苦しめているのだ。

 それはきっと科学の道を歩み始めた三沢にとって稀有な能力だ。しかし今に限って言えば、それは三沢の心を苦しめるものでしかなかった。

 感情のままに悲しみたくとも、思考がそれを阻み論理的な予定を組み立てていく。自然とそうなってしまう自分自身に、三沢は怒っていた。

 

「三沢」

 

 そんな三沢の肩に、俺は手を置く。慰めようというわけではない。ただ、三沢が決して冷血な人間などではないと俺は知っている。それを伝えたかった。

 

「お前がそんな人間じゃないことぐらい、皆わかってるさ。お前が本当に悲しんでいることだって、きちんと理解している」

「遠也……」

「皆が皆、悲しみに暮れているわけにはいかない。お前はそんな俺たちの中で、一番に先のことを考えてくれている。悲しみながらもな。……だからそんなに卑下するなよ、本当に頼もしいと思ってるし感謝してるんだぜ、俺たちは」

 

 いまだ十代、ジム、オブライエン、マナ、俺の心の中には悲しみがある。そして、その悲しみをきっちり心の中で区別して先のことを考える、そんな器用なことは必要と分かりつつも出来ていなかった。

 三沢は、その必要なことをしてくれているのだ。例えば俺たちが一個の人間だとして、頭がなければその実力は発揮できない。人間は知恵があるから地上を支配できたのだ。その知恵を生み出す頭なくして、どうして動くことが出来るだろう。

 三沢はその頭の役割をしてくれている。俺たちに出来ないことをやってくれている。だから、三沢が自分を冷血漢だと貶めることを俺たちは良しと出来ない。

 俺たちにとって、三沢は間違いなく仲間思いの頼れる友なのだから。

 そんな俺の言葉を聞いた三沢は顔を上げた。

 そして「すまん、ありがとう」とだけ答えて、いくらか表情に余裕を取り戻した。俺はそれにただ頷くのだった。

 そしてカイザーとエドを見る。エドはまだ何とか大丈夫そうだが、カイザーはやはりショックが大きいようだ。未だにどこか茫洋としているその表情を見て、俺は皆に対して口を開いた。

 

「もう少し休もう。俺たちには、気持ちの整理をつける時間が必要だ」

 

 その提案に、異を唱える者はいなかった。

 

 

 

 

 再び丘の上で休むことにした俺たちは、申し訳程度に生える草の絨毯の上に腰をおろし、ちらほらと互いの近況を詳しく話し合いながら時間を潰していた。

 たとえば三沢の隣にタニヤがいないこと。俺の知識では一緒にいたはずだが、どうも聞いてみるとタニヤは一層の街に残ったようだった。

 三沢曰く、「俺の護衛をしつつ力を貸してくれると言ってくれたがな。カイザーやエドが一緒だったし、これまでの秩序が崩壊して大変なのは向こうだ。だからあの街で別れたのさ」ということ。

 恩を返す機会を得られないことにタニヤは渋っていたらしいが、街の仲間たちを見捨てることも出来なかったようだ。俺たちに激励を贈りつつ、彼らを守りあの街に新たな秩序を築くために残ったらしい。

 また、そうして話を続けるうちに、カイザーも時おり会話に混ざるようになった。まだ衝撃から抜け切れてはいないようだが、それでも今の状況で何もせずに悲しんでいるわけにはいかないと決意したらしい。

 

「この一連の出来事に決着をつける。それが……翔たちに報いる術だと、俺は信じる」

 

 そう話すカイザーの瞳には隠しきれない悲哀があり、俺たちはただ頷くことしか出来なかった。

 こうして幾らかの時間が過ぎた頃。ふとオブライエンが俺を見て口を開いた。

 

「そういえば遠也。お前はあの後、一体どうしていたんだ?」

 

 その発言に、全員の視線が俺に向けられる。

 オブライエンが言うあの後とは、まず間違いなくユベルによって異空間に放り込まれた時のことだろう。まぁ、あの時以降皆の前に顔を出したことはないのだから当然だが。

 確かに、あれから俺がいかにしてこの場に辿り着いたのかは皆にしてみれば知りたいことの一つだろう。エンシェント・フェアリーのような存在も見ていることだし。

 俺は悩むそぶりを見せつつカイザーに目を移す。今は先程に比べて落ち着いているとはいえ、まだ動揺は残っているだろう。それに十代たちだってまだ十分に休んだとは言えない。あれから数時間しか経っていないのだから。

 なら、まだ本格的な行動に移すには早い。未だ休息が必要な状態であることを考えれば、話す時間ぐらいはあるか……。

 

 そう判断して俺が口を開こうとした――その時。

 

 

『遠也!』

 

 

 マナの鋭い声が飛ぶ。

 どうした、と問いかける必要はなかった。

 何故ならマナが声を荒げた理由は明確に俺の視界の中でも起こっていたからだ。

 

 それは歪む空間だった。そしてそこから徐々に顔を覗かせる不気味な黒い霧。

 俺たちが今いる丘から数十メートル先。空中に突然出現したそれを見て、俺たちはそれぞれ何があっても対応できるように身構えた。

 

「なぁ、遠也。なんだ、あれ」

「わからん。けど、あまりいい予感はしないな」

 

 十代の至極もっともな疑問に答えつつ、俺の視線はその異質な現象から離れなかった。それはもちろん十代や他の皆も同じことだ。一様にその空間を見つめる視線には警戒の色が強く見られる。

 この世界で俺たちの味方とはすなわち俺たちだけだ。だからこそ、警戒は必須である。

 そしてこの階層の明確な敵であった暗黒界は既に滅びた。となれば、残る俺たちの敵といったら、その答えは一つしかない。

 そんな俺の考えに応えるかのように、黒い霧はやがて人型を象る。その姿かたちを見るにつれて驚愕に染まっていく仲間たちの顔を見つつ、俺はそれも仕方がないと心の中で思う。

 何故なら黒からやがて本来の色を取り戻していき、その全容を見せたのは俺たちにとって見覚えのある人物。

 今回皆が異世界に来る切っ掛けとなった一人――ヨハン・アンデルセンだったのだから。

 

「よ……ヨハン!?」

 

 十代が驚きと共にヨハンの名を呼ぶ。青みがかった逆立つ髪、そしてその面貌はどこからどう見てもヨハンその人だった。その身に纏う服装が黒いレザーかつ両腕が剥き出しになっているという奇抜なものであろうと、その容姿だけは間違えようがない。

 驚愕からしかし、十代はすぐに立ち戻る。次いでその顔に広がるのは歓喜の感情だった。なぜならヨハンと俺は、自分のせいで異世界で犠牲になったと十代が自分を強く自分を責める原因となった人間だ。その帰還を喜ばないはずがなかった。

 だが、すぐにその表情に困惑が混じった。何故か。答えは簡単だ。

 ヨハンが空中に浮いていたからだ。

 

「……ヨハン?」

 

 俺たちの間にある数十メートの距離。その間を埋めようと十代が一歩踏み出す。

 しかし。

 

「待て、十代」

「遠也?」

 

 俺はそんな十代の前に立ってヨハンとの間を遮った。

 そんな俺の行動に十代は驚き、同時に後ろの皆は警戒したまま俺の行動を見守っていた。

 空中に浮かんでいるのだ。それだけで、ヨハンではないということはわかる。たとえその姿が本物のヨハンと瓜二つであってもだ。

 それに。

 

「……どうやら、その滲み出る性悪さまでは隠せなかったみたいだな」

 

 ヨハンに言葉を向ければ、俯き隠されていた口元が緩やかに弧を描いた。距離は離れていても聞こえているらしい。

 ならば、その正体を早速問い質させてもらおうか。

 

「――ユベル」

 

 その名前を告げた瞬間、背後の空気がざわついた。皆の驚きの声は、やはりそうかと思いつつも、目の前の男がどう見てもヨハンにしか見えないからだろう。一面を見ればそれは正しい。なにせその体自体はヨハンのもので間違いはないのだから。

 ただ俺はその中身が今は別人であることを知っていた。だからこその言葉だった。

 

「……本当にユベル、なのか?」

 

 十代もその外見からヨハンだと信じたかったのだろう。だが、心のどこかでヨハンではないとも思っていたに違いない。どこか確信を込めたような声で確認の誰何をする。

 そして、ヨハンはその呼びかけに顔を上げる。そしてゆっくりとこちらに向かって水平に移動してくるにつれ、明らかになってくるその顔。その目には俺たちが知る優しげな光は欠片も存在していなかった。

 

「……フフ。まったくひどいよねぇ、十代。性悪だなんて、いくら僕でも傷ついちゃうよ」

 

 その口から紡がれた声は間違いなくヨハンのもの。しかし、その内容はヨハンであれば口にしない類のものだった。

 だからこそ、俺の言葉が正しいと確信したのだろう。十代は一気に表情を厳しくさせると、ヨハンの姿をしたユベルを睨みつけた。

 

「ユベル……! お前、またマルタンと同じように……!」

「そうだよ十代。この体はヨハンとかいう奴のもので、僕はちょっと間借りしているだけさ。嬉しいだろう? 何せ君は、こいつを探しに来たんだから」

 

 肩をすくめて小さく笑う。挑発としか見ることが出来ないその態度に、俺は眉を顰めた。十代も、そしてマナもきっと似たような態度を見せていることだろう。

 それは背後にいる皆もそうだろうと思ったが……。突然、大きな声がその中から飛んだ。

 

「ユベルッ! 貴様、よくも翔をッ!」

 

 それは、カイザーだった。冷静沈着で、泰然としたイメージのカイザーからは考えられないような激した声。

 翔、吹雪、明日香。特に関係の深かった彼らを殺されたこと、それにカイザーはこれまでにないほどの怒りを露わにしていた。特に、翔はカイザーにとって何よりも大切な弟だった。

 その翔を失った悲しみは、俺たち以上に深かったのだ。鬼のような形相となったカイザーから、そのことがひしひしと伝わってきた。

 

「君は……ああ、カイザーだっけ? 翔っていうのはあの十代の腰巾着のこと? そうか、確か君たちは兄弟だったね。ご愁傷様」

「――ッ、貴様ぁッ!!」

 

 心底興味なさげに放たれた心無い言葉に、カイザーが激昂してデュエルディスクを構える。

 しかし、そんな肌を刺すような強い怒りを向けられても、ユベルの態度は変わらなかった。「怖い怖い」と肩をすくめてみせるだけで、エドやジムたちがカイザーに落ち着くよう呼びかけているのを笑みすら浮かべて見ていた。

 

「ユベル……お前、なんで急に俺たちの前に現れたんだ?」

 

 このままカイザーとユベルの話を続けさせるのは良くない。そう思った俺は、ひとまずユベルに別の話を振った。

 とはいえその質問自体は本当に疑問に思っていたことなので、話を逸らすだけが目的なわけではなかったが。

 ユベルは俺の問いに、カイザーから顔をこちらに向けた。

 その顔を憎悪に歪ませながら。

 

「……またお前か、皆本遠也。ゴキブリのようにしつこい奴!」

「嫌われたもんだな、本当に」

 

 あんまりな例えに苦笑を浮かべ、しかし油断なくユベルを見据える。

 数瞬睨みあうこととなった俺たちだったが、その時間は向こうが舌打ちと共に視線を外したことで終わりを迎えた。

 それは暗に俺の質問に答える気はないということだろうか。どうでもいいが、ヨハンの姿でそういう態度をとられると違和感がある。あいつは決してこんな態度をとる奴ではなかったからな。

 

「ユベル、お前は俺と話がしたいんだろう? ならヨハンは関係がないはずだ! まずはヨハンの体から出てきてくれ!」

 

 今度は十代がユベルに呼びかける。すると、ユベルは体ごと十代に向き直り、柔らかく微笑んで首を横に振った。

 

「違う、違うよ十代。僕は君に僕の愛の深さを知ってもらいたいんだ。君から受け取った愛を、今度は僕が君に返してあげなくちゃ。だって、愛し合うってそういうことだろう?」

「そのことに、どうしてヨハンが関係あるんだよ!」

「どうしてって、君はコイツに何かあれば悲しむだろう? ああ、もちろん君が愛しているのは僕だとわかっているから、安心して。優しい君は擦り寄ってきたこいつやそこの虫けらを振り払えなかっただけだ」

 

 虫けらってのは俺のことか。

 

「優しい君は、そんな虫にも愛を分けてあげたんだね……。腹立たしいけど、それが僕の好きな十代でもある。それを認めるぐらいの器量はあるつもりだよ。でもやっぱり癪ではあるからね。皆本遠也にヨハン・アンデルセン……こいつらはどうにかしてやりたいとずっと思っていたよ。そうすれば、こいつらに同情とはいえ気を許していた君は、たぶん傷つくんだろうね。――それって最高だろう?」

 

 ユベルはそこまで言うと、楽しそうに笑みを浮かべて大仰に両腕を広げた。

 

「だって、僕は気に入らないこいつらを処分できて、しかも君の心は傷つくんだ! 僕によって! それはまさに君が僕にくれた愛を返すことになるんだよ! 君から受けた苦しみ! 痛み! ああ、それを今度は僕が君に返せるなんて……君と愛し合えるなんて、最高じゃないか!」

「……お前が言っている事が、わからないよ……ユベル……」

 

 こんなに嬉しいことはないとばかりに快哉を叫ぶユベル。それを前にして、十代は悲しげにくぐもった声を漏らした。幼い頃の十代にとっては何にも代えがたい相棒であったはずのユベル。そのあまりの変容に、十代も堪えたようだった。

 そしてその声は隣にいた俺には聞こえたが、ユベルには届いていないようだった。だからだろう、ユベルはいささか興奮したような態度のまま、十代に指を向けた。

 

「さぁ、デュエルをしよう十代! ……と言いたいところだけどね、ここは僕と君が愛を伝え合うにはちょっと相応しくない。目障りな連中も多いしね」

 

 目障りな連中とは聞くまでもなく俺をはじめとした十代以外の人間のことだろう。

 元からそういう奴だと知っている俺はそうでもないが、これまでのユベルの言い方といいムッときた人間は多いようだった。その中でもカイザーは今にも飛び掛からんばかりにユベルを睨みつけている。

 さっきに比べれば落ち着いたとはいえ、その怒りは消えることなくカイザーの心を燃え上がらせているようだった。

 その時、唐突にユベルがパチンと指を鳴らす。すると、その背後に音もなく巨大な扉が出現した。

 ざわりと俺たちの間に動揺が広がっていく。なにせいきなり俺たちの背の三倍以上は背丈がある黒く物々しい扉が現れたのだ。驚かないわけがない。

 そして空中に浮かんでいたその扉はゆっくりと地面に降りていき、地響きと共に大地へと設置された。

 ユベルは俺たちに背を向けるとその扉の前まで飛んでいき、やがて扉の前に立つと軽く押すようにして開いた。どう見ても鉄製であり、そんな程度では開かないように見えるが、何か特別な力が働いているのかもしれない。

 ユベルがこちらに振り返る。

 

「僕は先に行って君を待つことにするよ、十代。僕たちに相応しい場所を用意しておくから、君はゆっくり追いかけてきてほしいな。邪魔な周りの奴らは何とかするからさ……フフ」

 

 それだけを言い残すと、ユベルは再び俺たちに背を向けた。

 

「ま、待て! ユベル!」

 

 咄嗟に十代が呼ぶも、ユベルは小さく笑みを残すだけで足を止めることはなかった。扉の向こうへと消えていくユベル。しかし扉は開かれたままだ。追って来いと、そういうことなのだろう。本人もそう言っていた。

 隣を見れば、十代が決意を込めた目で扉を見つめていた。そこには先程まであった弱さはない。ただ己のすべきことをしようという男の意志だけがあった。

 

「行くのか、十代」

「ああ。ユベルは……俺が決着をつけないといけないんだ」

 

 迷いのない言葉だった。

 今回の事件すべての黒幕である存在、ユベル。その行動の発端は幼い日の十代にさかのぼることが出来る。それゆえに十代は全て自分のせいだと抱え込み、長く回り道をしてきた。

 仲間を失い、覇王となり、ついには自責の念から自らの命すら投げ出そうとした。

 しかし、今の十代は違う。自らに責任があることは自覚しつつ、その責任に見合った為すべきことを為そうとしている。

 なら俺に出来ることなど、一つしかない。

 

「わかった。ならユベルのことはお前に任せる。頼んだぞ、十代」

「ああ!」

 

 頷いて、十代は後ろを振り返った。

 

「みんな、俺はユベルを追って奴を倒す。カイザー……ここは俺に任せてくれないか」

 

 十代の視線が向かうのは、激昂してユベルへと立ち向かおうとしていたカイザーのところだった。

 カイザーは翔を失い、その原因であるユベルに挑発を受け、普段の冷静さとはかけ離れたその激情を爆発させようとしていた。

 その気持ちは誰もがよくわかっていた。俺たちにとって仲間であり、そしてカイザーにとっては何よりも大切な弟である翔の死を、あれほど馬鹿にされたのだ。俺たちだってユベルに対して憤りを感じたが、カイザーの感じたそれはきっと俺たちの比ではないだろう。

 だからこそ、十代もカイザーに声をかけたのだろう。十代にとっての為すべきこと、ユベルを倒すという決意を現実にするために。

 十代の言葉を受けたカイザーは数瞬目を閉じる。そして次のその目が開かれた時には、決然とした光を持って十代を見つめ返していた。

 

「……わかった。ユベルのことはお前に任せよう。十代――負けるなよ!」

 

 最後に感情を込めて紡がれた熱い言葉に、十代は力強く頷いた。

 

「ああ。任せてくれ!」

 

 そうして、十代は再び扉へと向き直る。

 その後ろに立つ皆もまた巨大な扉を見上げた。

 カイザー、三沢、エド、ジム、オブライエン、マナ、そして俺。十代と共に歩む仲間たち。その心にあるのは一様に、たった一つの思いだけだった。

 

 ――ユベルを倒す。

 

 そしてこの悲しみに塗れた一連の出来事全てに終止符を打つのだ。

 声に出さずとも、その思いが一緒であることは不思議と伝わってきた。俺たちは改めてそれぞれがその意志を胸に刻み、このラストデュエルに臨むための心の準備を完了させた。

 

「行くぞ、みんな! これが最後の戦いだ!」

 

 十代が決意を声に出して一歩を踏み出す。

 続いて俺たちもまた足を踏み出し、丘を降りた。そしていよいよ扉に向かおうとした、その時。

 

「待って、みんな! 扉の向こうから、誰かが……!」

 

 はっとした声でマナが呼び掛けたその声に、俺たちの足が止まる。そしてその言葉が示す先へと目を向けてみれば、確かに扉の奥に広がる闇がゆらりと揺れているのが見えた。

 ぼんやりと人の形に揺れるそれは、人影に間違いなかった。しかしだとすれば、それはいったい何者なのか。ユベルということはありえないだろう。あそこまで言った以上は、十代を待っているはずだからだ。

 となれば、目の前の人影は一体。そう考えて皆が警戒を強める。俺もまた同じく警戒するが、その内心は皆とは少々異なっていた。俺には人影の正体に心当たりがあったからだ。

 この時期まで生き残っている人間は少ない。かつて俺が見たこの世界のことを思い出せば、おのずと答えは絞られてくる。

 そう、俺の考えが正しければ、あの人影の正体は……。

 思考の間にも件の人物は一歩一歩こちらに向かって歩を進め、徐々にその姿を露わにしていく。そしてようやく視認が可能になったその姿を見た瞬間、誰もが絶句し一瞬言葉を失った。

 その中で真っ先に自失から立ち直った三沢が、その人物の名前を大きく叫んだ。

 

「お前は――アモン!?」

 

 赤い逆立った髪に、理知的な眼鏡。その面立ちからは想像できないほどに鍛えられた肉体を覆う、袈裟にマントを羽織ったような独特な衣装。

 三沢が呼んだ名の通り、こちらに歩いてくる男は間違いなく俺やヨハンのようにこの異世界で行方不明となっていたであろう男、アモン・ガラムであった。

 直後、ジムの喜びの声が聞こえてきた。

 

What a relief(よかった)! アモン、お前も無事だったのか!」

 

 やはりアモンもまた俺と同じく行方不明となっていたようだ。だからだろう、ジムと同じく一同の顔に一瞬安堵や喜びといった表情が混じる。

 が、その表情はすぐに引き締まることになった。カイザーが放った一言が原因である。

 

「……待て。何故あいつは扉の向こう側からやって来たんだ?」

 

 全員がその言葉にはっとなる。そう、あの扉の向こうはユベルがいる場所へと繋がっている。ついさっき、ユベルが扉の奥へと向かうのを俺たちはみたばかりなのだ。間違えるはずがない。

 ならばつまり、その奥から現れたアモンは……。

 俺たちから幾らかの距離を開けて、アモンが立ち止まる。そして俺たち全員を睥睨した後、十代に目を向けて口を開いた。

 

「ユベルとの約束だ。十代、お前だけは通す。さっさと行くといい」

「What!? アモン、何を言っているんだ!?」

 

 ジムは信じられないとばかりに声を上げる。友情に厚いジムのことだ。今の言葉がアモンの立場を明確にするものであったとわかっていても、それでも一度は友と思った人間のことを信じたいのだろう。

 だが、アモンはそんなジムに首を振って応えた。

 

「わからないか、ジム。僕は今、ユベルとの契約によってここに立っている。つまり、君達の敵というわけだ」

「何故だ……アモン。行方不明になってから、お前に一体何があったんだ?」

 

 オブライエンの問いは、俺も同じく抱いたものだった。

 特に俺はアモンが何故ここにいるのか、そのことに大きな疑問を抱いていた。何故なら、俺が知る中において、アモンはユベルとのデュエルによって命を落とし、この場に来るようなことはないはずだからである。

 もっと言えば、ユベルが来るよりも前に俺たちはアモンに会うはずだった。それが何故こんなことになっているのか。その答えを俺も知りたかったが……アモンは何もその質問に対して答えなかった。

 

「今の僕にあるのは、エコーの思いを叶えるという願いと、この世界の王になるという目的のみ。そのためならば、僕はどんなことでもすると決めたのだ」

「一体何を言っているんだ、お前は」

 

 脈絡のない発言に、エドが眉を顰めながら問い返す。しかしアモンの表情に揺らぎはなかった。

 

「わかってもらおうとは思っていない。王となるには強さが必要であり、そして僕のそれはまだ足りない。ゆえに!」

 

 アモンの指がこちらに向けて突き出され、一人の人間を示す。泰然と立つ男、カイザー亮を。

 

「カイザー! まずはあなたを倒し、そして次にユベルを倒す! そうして最強になってこそ、王は王として完成される!」

「ちょっと待て! ならなんで十代を先に行かせるんだ。お前が言っていることは矛盾している!」

 

 アモンの宣言に、三沢が口を挟む。確かに三沢の言い分は尤もで、ユベルを倒すのが目的の一つであるなら、ユベルを倒そうと考えている十代を行かせるのは目的と矛盾している。

 その点を突くが、アモンは矛盾などしていないと真っ向から否定した。

 

「ユベルは強い。奴に勝つには通常にはない大きな力が必要だ。ならば、行かせたところで問題はない」

「通常にはない、力……」

 

 十代はアモンに力不足だと言われたにもかかわらず、逆に何か心当たりがあるかのように押し黙った。それを訝しげに見てから、再びアモンは口を開く。

 

「問答はここまでだ。僕がカイザーと戦う間、君達にはこいつらの相手をしてもらおうか」

 

 こいつら?

 そう俺たちが思ったのも束の間、アモンの言葉が合図であったかのように背後に聳え立つ扉がゆっくりと大きく開いていく。

 そしてそこからこちらに向かってくるのは、のっぺりとした黒い影のような異形だった。辛うじて人型ではあるものの、時折その形すら揺らいでおり、まるでスライムが無理矢理人型に収められているかのようだ。

 そんな存在が、ざっと見るだけでも数十体。アモンの背後に控えていた。

 

「僕の腕にはかつて、ユベルの力が宿っていた。これはその力を使って作り出した力の残滓だ」

「残滓ってわりには数が多い気がするんだけどな……!」

 

 俺たちは一気に警戒を上げて身構える。それぞれがそれぞれのデュエルディスクを取り出して装備する中、カイザーが突然何かに気付いたのか声を上げた。

 

「待て! あれは……クロノス教諭!?」

「なんだって!?」

 

 カイザーの言葉に、全員が弾かれたようにその視線の先へと目を向ける。果たしてそこにはカイザーが言うように見慣れたクロノス先生の姿があった。

 だがその顔から正気を感じることは出来ず、目の下は隈のように黒く染まり、覚束ない足取りで体を揺らしながら、それでもデュエルコートだけはしっかり装着してデッキに指をかけていた。

 

「アモン! お前、なんのつもりだ!」

 

 十代はクロノス先生までもが異常な状態で、あの異形の中に混じっていることに憤りを露わにしてアモンを詰った。これがアモンの仕業であることは明白だったからだ。

 しかし、アモンは動じることなく淡々と話すだけだった。

 

「僕はただ、彼がエコーと共にいたから彼も利用させてもらっただけだ。恐らく、彼もまたこの異世界への転移に巻き込まれたのだろう」

「エコー? さっきも言っていたけど、それは……」

「君には関係がないことだ。さて、クロノスはデュエルアカデミアでも屈指の実力を持つと聞く。君達は対抗できるかな?」

 

 アモンが挑発するように小さく笑えば、ジムとオブライエンがいきり立ってデュエルディスクを構えた。

 

「侮ってもらっちゃ困るぜ、アモン!」

「俺たちを弱いと思っているのなら大間違いだ」

 

 奮ってそう言い放つ二人だったが、俺はそれが強がりであると気付いていた。なにせ覇王とのデュエルがあったのはまだ数時間前のことだ。この二人は特に怪我がひどく体力も削られている。

 怪我のほうはエンシェント・フェアリーの力で治ったとはいえ、体力までは戻っていまい。事実、その顔には疲労の色がいまだ強く見られた。

 当然、それに気がつかない周囲ではない。

 

「無茶はするな二人とも! 二人は休んでいるんだ!」

「ま、そういうことさ。クロノスは多少厄介かもしれないが、こんな連中は僕と三沢だけで十分だ」

 

 三沢が二人を気遣い、エドはいかにも余裕があるとばかりに肩をすくめてみせる。

 ……って、ちょっと待て。僕と三沢? カイザーはアモンの相手をするとして、誰か忘れちゃいませんでしょうかね。

 

「あのー、エドさん? 一応俺もいるんだけど」

「わ、私も……」

「はぁ?」

 

 俺とマナがさりげなく自分をアピールすると、エドは何を言っているんだこいつらはとばかりに眉を寄せて俺たちを見た。

 

「君たちは十代と一緒に行くんだろう? なんで数に含めないといけないんだ」

「え?」

 

 俺とマナが揃って呆けたような声を出せば、エドは溜め息をついた。そして、横から三沢が苦笑しつつ加わってくる。

 

「確かに俺たちは離れていても切れない絆で繋がっている。だが、やはり仲間が傍にいれば違うものだろう? 十代だって誰かが傍にいる方が心強いはずだ。その役目は、この中で誰よりもお前が相応しい」

「三沢……」

 

 笑って頷く三沢。周りを見れば、エド、ジム、オブライエン、カイザーも、その通りだとばかりに頷いていた。

 三沢は俺と十代、二人の肩に手を置いて、ぐっと力を込めて掴んだ。

 

「行け、十代、遠也! この場は俺たちが引き受けた!」

 

 肩を掴んでいた手を離し、三沢が俺たちの背を押す。一歩、たたらを踏むように皆から離れた俺たちは、振り返ってもう一度みんなの姿を見る。

 そこには、俺たちを信頼の目で見つめる仲間の姿があった。同時に、その目は自分たちを信じて安心して行けと無言で物語っていた。

 なら、その意志に応えるのが俺たちに出来る返答なのだろう。そう思って隣を見れば、十代と目を合った。その目を見て互いに同じことを考えていることを察した俺たちは、同時に頷くと扉に向かって走り出した。

 

「行ってくるぜ、みんな!」

「ここは任せたからな!」

 

 直後、後ろから返ってくる「ああ!」という力強い声。その声に押されるように、俺と十代は扉に向かって進んでいく。

 

「通っていいのは十代のみだ。遠也、君を行かせるわけがないだろう。影たちよ!」

 

 そこに、正面からアモンの言葉が投げかけられる。

 扉までの距離はまだまだある。そして扉を塞ぐように黒い影の群れ。それぞれがくっついて壁のようになっているそいつらに、後ろから突然水の奔流が襲い掛かった。

 

「いけ、《ウォーター・ドラゴン》! 《アクア・パニッシャー》!」

 

 三沢の援護。それによって、水流は壁を貫通して扉の奥へと消え去っていく。一部の影も同時に吹っ飛んでいったが、それによって出来た穴はすぐに塞がってしまった。スライムと最初に評したのは間違いではなかったらしく、うねうねと動いて周りの影が穴を塞いでしまうのだ。

 ちらりと見ればアモンは既にカイザーの元へ。クロノス先生はエドと対峙しており、手が離せそうになかった。

 

「く……《ヴォルカニック・デビル》!」

「《地球巨人 ガイア・プレート》!」

 

 その様子を見ていたのだろう、ジムとオブライエンもどうにかモンスターを呼び出して援護を試みる。しかし、どの攻撃も効果がなかった。ガイア・プレートが前に出て出来た穴にその身を挟みこんでみるも、その隙間を埋めるように影が覆い、結局人が通れる隙間は出来ない。

 もちろんマナの攻撃も通じず、一か八か思いっきりタックルして飛び込んでみたが、跳ね返されて終わった。

 しかし、十代だけは影の壁をすり抜けて向こうに抜けることが出来た。どう識別しているのか疑問だが、十代が通れるならばまずは十代が先に行っておくべきだろう。

 もう一度今度は指で壁をつついてみるが、やはり俺は通してくれないようだ。俺は溜め息をついた。

 

「しょうがない……。十代、先に――」

「遠也ッ!」

 

 行ってくれ、そう言おうとして俺は自分が油断していたことを知った。

 指でつついた壁が突然広がって俺を呑みこもうとしてきたからだ。敵が生み出したものだというのは明らかだったのに、なんて間抜けな。

 スライムってことは体を覆われてしまえば窒息の危険もある。これはまずいと、どうにか後ろに飛びのいてみるが、影は更に俺に向かって伸びた。

 やばい。そう直感するも無理に後ろへと飛んだせいでもう体勢は直せない。

 影が俺の腕を伝って体全体を覆い尽くす。そんな未来を幻視した瞬間――。

 

 

「――……先輩、油断しすぎ」

 

 

 鈴の音のような小さな声が耳朶を打ち、上から降り注いだ闇色の霧が俺の腕と繋がっていた影を引きちぎった。

 その間に俺は転がるように影の壁から距離を取り、十代やマナも離れた俺を追ってくる。そしてすぐに今の攻撃を行ったであろう存在を確かめるべく一斉に上を見上げた。

 そこにいたのは、黒い鱗を鈍く光らせる一体のドラゴンだった。側頭部から平行に伸びる巨大な角、胸部の鋭い目と禍々しい牙が生え揃った悪魔のような顔。このモンスターは元の世界でこそポピュラーだが、この世界では恐らくまだ生まれていないカードだ。

 

 《ダークエンド・ドラゴン》。持っているとすれば、俺を除いては一人しか知らない。

 

 更に驚く事態は続く。突然そのドラゴンの隣の空間が歪み、そこからバイクが飛び出してきたのだ。白いカウルが特徴的な超巨大バイク。それにまたがっているのは、見覚えのある長い金髪の偉丈夫だった。

 

 その姿を見間違えるはずもない。なら、やはりこのダークエンド・ドラゴンの持ち主は――。

 

 そう考えている間に、滞空していたダークエンド・ドラゴンが地面に降り立つ。

 その背に見えるのは、銀色になびくツインテール。その特徴的な髪を持つ少女がひらりと竜の背から降りると、彼女はその眠そうな目を俺たちに向けた。

 

「……ご無沙汰、です……先輩」

 

 そして、なんだか気まずそうに、レイン恵はそう口にしたのだった。

 

 

 

 

 


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