「――随分、懐かしい夢を見たもんだ」
この世界に来て幾許かの頃。遊戯さん相手に八つ当たりとしか言いようのない情けないデュエルをした時。今となっては恥ずかしくも必要なことだったと割り切り、遊戯さんへの感謝と共に思い出せる過去の記憶。
それを夢として見ていた俺は、苦笑と共にいつの間にか寝そべっていたらしい状態から体を起こした。
頭上には抜けるような青空が広がり、柔らかな草の感触が地についた手に伝わる。緑と青で彩られた大自然。眼下には湖も望むことができ、どうやら俺は山の中腹のような場所に寝ていたらしいと気付く。
だが、こんな自然豊かで明るい場所などアカデミアが飛ばされたあの地帯にはなかったはず。ならば、ここは一体……。
「気がついたか」
その時ふと後ろから掛けられる声。
思考を一時中断して慌てて振り向けば、そこには何とも意外に過ぎる顔があった。
「お前は――」
俺は驚きとともに目の前の男の名前を呼んだ。
「お前は――ギース!」
短く刈り上げた髪に、どう見ても堅気には見えない人相の悪い顔。単色の迷彩服とでも言えばいいのか、枯草色の戦闘服に身を包んだ壮年の男。
まだ異世界に行く前、SAL研究所の地下でデュエルした――“精霊狩り”とも呼ばれる裏世界のデュエリスト、ギース・ハントがそこにいた。
「お前、どうして……っていうかここは……?」
それらの疑問が率直に出る。
確か俺とのデュエルの後、こいつは自分がこれまで虐げてきた精霊たちに連れられて消滅したはずだ。
ギースの二つ名“精霊狩り”とは、精霊を見ることが出来るこの男がその能力を活かし、精霊を捕まえて好事家に売る仕事を生業としていたためについた名だ。
恨みを持つ精霊は多かったはずであり、ともすれば死んだのではないかとさえ思っていた。
それに、ここは一体どこなのか。少なくとも自然豊かで明るい時点でアカデミアがあった場所ではないようだが……。
恐らく言葉と同様に俺の顔にはそんな疑問が現れているはずだ。そして対するギースはそれを正確に読み取ったのか、にやりと笑って口を開いた。
「へっ、俺がここにいるのは単にあいつらに連れてこられたからだ」
「あいつら?」
ギースが親指で奥を示す。
その先を目で追えば、そこには草原の中で小さな花を手に持って走り回る小さな姿がいくつも見て取れた。そして、その姿は全て俺にとって見覚えのあるものだった。
なにせ、彼らはみんなデュエルモンスターズでカードとして存在しているのだから。
「プチテンシ、キーメイス、ワタポン……あの精霊たちは、あの時の……」
ギースとのデュエルを終えた時に現れた精霊たち。その姿がそこにはあった。
「そうだ。それで、お前ならあいつらを見ていればここが何処なのかなんてわかるだろう、皆本遠也さんよ」
ギースの言う通り、俺は精霊たちを見たことでここが何処なのか既にわかっていた。
彼らはどう見ても実体化して遊び回っている。そして、俺はこの光景に見覚えがあった。現実として見たわけではなく、画面を通して見ただけの世界。
そう、ここは……。
「精霊界……」
「正解だ。ったく、お前が倒れてるのを見た時は驚いたぜ。まさかここでお前の顔を見ることになるとは思わなかったからな」
「……後半についてはまさに今の俺の気持ちなんだが」
「違いねぇ」
くつくつと笑う。
そのギースの笑みに嫌味な様子はなく、まるで憑き物が落ちたかのように感じが変わっていた。
俺が研究所の地下で戦ったギースは徹頭徹尾イヤな奴で、それこそ怒りを覚えるほどだった。少なくとも、こんなふうに笑える人間ではなかったはずだ。
となると、やはりあのデュエルの最後の時が変わった切っ掛けだろう。ギースが精霊たちと共に光に包まれた時、まるで人が変わったように己の過去を話し出した。
あの時の光に、何かそういった効力があったのかもしれない。自分自身を見つめ直させる、そんな効果が。
まぁ考えても真偽はわからない。なら今はそれよりもこれからのことを考えた方が建設的だろう。そう、俺が元の場所に……皆のところに戻る方法をだ。
その意思を新たにし、俺は足に力を入れて立ち上がる。
が。
「……あれ?」
僅かに立ったところで、上手く力が入らずに腰が落ちる。意図せず草原の上に座り込んだ俺は、一体どうしてと我が事ながら呆気にとられるしかなかった。
「おいおい、無理するんじゃねぇよ」
ギースの言葉に、俺は顔を上げる。どういうことだと目で問えば、ギースは肩をすくめて答えた。
「いきなり元のように動けるかよ。半死人だったんだぜ、お前」
「……は?」
半ば死んでたんだよキミ。
そう言われて、一瞬頭の中が空っぽになった。
しかしすぐに呆けている場合じゃないと自分に言い聞かせる。
「……どういうことだ?」
ギースは半死人だったと言った。しかし改めて俺の体を見回してもそんな風に表現されるような怪我は見当たらなかった。
だから、問いかける。今の言葉の意味は何なのかと。
「どうもこうもそのままだ。……しゃあねぇ、んじゃあ今に至る経緯って奴を話してやるよ」
ギースは頭を掻くと、抜けるような青空を見上げた。そして、ゆっくりと語りだす。
ギース曰く、事の始まりは数日前に突然空に黒い穴が開いたことだったらしい。
陽気な青空に突然穿たれたその穴を誰もが見上げ、ギースもまたその穴を注視していると、突然そこから一体のドラゴンが飛び出してきたというのだ。
そのドラゴンにギースは見覚えがあった。なぜならそのドラゴンとは、俺が持つ《スターダスト・ドラゴン》だったからだ。スターダストがいきなり飛び出してきたという。
ギースは精霊世界でまさかスターダストを見ることになるとは思わず、呆然とそれを見上げていたらしい。そしてスターダストはよろめくようにして高度を下げ、やがては墜落に近い形で草原に落ちたのだという。
そこでようやく我に返ったギースは、他の精霊たちと共に急いで現場へ急行。その頃にはスターダストはその身を光と化して消失させており、残っていたのは傷だらけで今にも死にそうな俺だけだった、ということらしい。
「その後、お前の傷は治してもらって、今に至るってわけだ。俺はお前の世話を任されたのさ、知り合いだからってな。感謝しろよ」
「いやまぁ、感謝はするけどさ……」
あの頃はマジギレした相手だけに複雑ではあるが、受けた恩に感謝をしないほど薄情ではないつもりだ。
しかし、スターダストが俺を助けてくれたのか……本当に俺には勿体ない相棒だ。だが、一体どうやって……?
いや、それは後にしよう。それよりも。
「結局、なんで俺の傷は治ってるんだよ? 治してもらったって、誰に?」
そう、その根本的な疑問が解決されていない。
ユベルとの決戦時、俺の体は本当にボロボロだった。短期間で何度も繰り返したデス・デュエルによって、既に限界だったのだ。そのうえでユベルとの闇のデュエルである。
あの時にはもう精神力で無理矢理立っている、そんな状態だったのだから、体の状態など真っ当であるはずがない。
その俺の体が今や傷一つないのだ。さすがに自然に完治したとは考えられない。ならばどうして治っているのか。
ギースは治してもらったと言った。なら、そいつは誰で何者なのか。今ここにいる経緯こそわかったが、そこが全く分からない。
そんな困惑した俺の疑問に、ギースはにやりと笑った。
「今から会わせてやる。お前を治療した奴……この世界の王様にな」
言って、ギースはついてこいと言葉を残して俺に背を向ける。
精霊世界の王……。そのフレーズを聞いて、俺の中にはある存在が浮かび上がっていた。
だが、まだ断定するべきではないだろう。俺は頭を振ると、ギースを追うべく足に力を入れた。
そして、口を開く。
「待て、ギース」
「ああ?」
どこか鬱陶しげに振り返ったギースに、俺は中腰のまま足を震わせて、言った。
「肩を貸してくれ。立てない」
そういやそうだったな。溜め息交じりにそう言うギースの声が、なんだか申し訳なく思える俺だった。
そんなわけでギースに肩を貸してもらって草原と小さな森の中を歩くことしばし。少しずつ体のほうも慣れてくれたのか、自分の足でも立てるようになり、それからはゆっくりながらも自力でギースについていく。
体感では十分ほどになるだろうか。万全の状態ならもっと早く着いていたかもしれないが、ともあれ今の状態での精一杯で辿り着いたのは、草原と森に囲まれた中心地。そこにある大きな岩だった。
見上げるほどに巨大で、三十メートルはあるんじゃないかというほどに大きい。そしてその表面には竜の骨格が化石のように浮かび上がっていた。
そして、その岩の前。俺たちを待っていたかのように佇んでいる存在。それを見て、俺は確信する。自分の予想は間違っていなかったのだと。
「言われた通り連れてきたぜ」
『ありがとう。助かりました』
「ふん、じゃあな。俺はもう行くぜ」
『ええ、またあの子たちと遊んであげてください』
「ちっ」
去って行くギースを見つめる視線には優しさがある。それに反発するように舌打ちを残して、ギースは歩いていった。
そして俺はそのやりとりの間、ずっと目の前の存在を観察していた。
青く艶のある体躯は長く、東洋の龍を思わせる。その背に生える翼は、鳥や蝙蝠のようなそれとは違い、どちらかといえば蝶や妖精を連想させる神秘的なものだ。
細く華奢な腕に、赤い兜のような装飾から背中に流れる緑の鬣。兜の下から覗く輝く大きな瞳が一対、ギースに向けていたそれが俺に向けてゆっくりと動いた。
『はじめまして、スターダスト・ドラゴンを担う少年よ。私はエンシェント・フェアリー・ドラゴン。この精霊世界を統べる王です』
女性的な声で紡がれた彼女自身の名。精霊世界の王という単語から俺がした予想に違わないその名前を改めて事実として認識する。
エンシェント・フェアリー・ドラゴン。
この名前を知らないはずがない。
今の時代よりも幾らかの未来。不動遊星が中心となる物語の中でもトップクラスに重要な役割を持つ存在の一体だからだ。
五千年周期で繰り返される赤き竜と地縛神の戦い。その中において赤き竜の使徒として戦う五体の竜の一体。いわゆるシグナー竜と呼ばれるドラゴンの一体、それがエンシェント・フェアリー・ドラゴンである。
やがては龍可をシグナーとして選び、世界を破滅させる地縛神との戦いに身を投じることが運命づけられている、この世界の存続そのものを左右する一端を担う存在だ。
また、エンシェント・フェアリー・ドラゴンはシグナー竜の中でも人語を操る唯一の存在であり、精霊世界を統べるという役割をも持つ。その意味では、人間世界と精霊世界にとって欠かすことのできない存在であるともいえる。
そういった存在であることから、この精霊界に存在していることはいい。原作でも初登場は精霊界だったことだし納得できる。
だが、なぜ姿を現すことが出来る? 確かエンシェント・フェアリー・ドラゴンは五千年前の戦いにおいて地縛神に封印されてしまったはずだ。そしてその背後にそびえる岩の表面を見るに、あの大岩が彼女が封印されている岩なのだろう。
化石のような浮彫があることから、いまだ封印が解かれていないことが窺える。それがどうして……。
困惑を隠せない俺はしばし動きを止めて思考に耽っていた。しかしふとそういえば名乗られていたことを思い出し、俺は慌ててエンシェント・フェアリー・ドラゴンに向き合った。
「あ、俺は皆本遠也です。……あと、ありがとうございます。傷を治してくれたみたいで……」
ついでに治療をしてくれたことへの感謝も付け加える。
あれだけの傷がすっかりなくなっているあたり、普通の治療がされたわけじゃないはずだ。きっと精霊の不思議な力で治してくれたのだろう。
素直な感謝の気持ちと敬意を込めて、俺は頭を下げた。
それに対して、エンシェント・フェアリー・ドラゴンは厳かに頷く。
『敬語は必要ありません。我が朋友の友ならば、私にとっても友……。そうでしょう、スターダスト・ドラゴン』
「え?」
いつの間にかエンシェント・フェアリー・ドラゴンの視線は俺の後ろに向いていた。
つられるように振り向けば、そこには翼を広げて立つ俺のデッキのエースであり、また相棒でもある存在が佇み、じっとエンシェント・フェアリー・ドラゴンを見つめていた。
「スターダスト……」
俺の呟きにスターダストは一度だけ俺に視線を落とし、そして小さく鳴き声をこぼすと再びエンシェント・フェアリー・ドラゴンに向き直った。
『久しいですね、スターダスト・ドラゴン……。よもや五千年を待たずこうして顔を合わせることになるとは思っていませんでしたが』
スターダストは同意を示すようにくぐもった声を漏らして頷く。
『次の戦いまでついにもう一世紀もない。こうして私が姿を現せるまでに封印が弱まっていることから、地縛神との戦いも近いでしょう。……ですが――』
そこでエンシェント・フェアリー・ドラゴンは俺に視線を戻す。
『それでも、シグナーを選ぶにはまだ早い。赤き竜は何故この時期に貴方をシグナーに選んだのか……』
訝しげに紡がれた言葉。それを聴き、俺はエンシェント・フェアリー・ドラゴンの勘違いに気がつく。
どうやら彼女はスターダストと一緒にいる俺をシグナーであると思っているようだ。
正確には俺はスターダストの所有者であってもシグナーというわけではないのだが、初見の彼女にはスターダストと一緒にいる俺がシグナーに見えたのだろう。
しかし残念だが、俺はそんな大層な存在ではない。その勘違いを正すべく俺は口を開いた。
「えーっと、エンシェント・フェアリー・ドラゴン……でいいのか?」
『なんでしょう』
「たぶん、勘違いしてると思うけど、俺はシグナーじゃない。スターダストは確かに俺と一緒にいるけどさ」
体中どこを探したって、俺に竜の痣なんてものはない。だから、俺がシグナーではないのは確実なのだ。そうエンシェント・フェアリー・ドラゴンに伝えた。
のだが……エンシェント・フェアリー・ドラゴンの怪訝な面持ちは変わらなかった。
『では何故、あなたに赤き竜の加護があるのですか?』
「――へ?」
次にエンシェント・フェアリー・ドラゴンから放たれたその一言に、俺は一瞬何を言われたかわからなかった。
俺に赤き竜の加護? シグナーでもない俺に?
そのことにそんな馬鹿なと一瞬思うが、同時に脳裏によぎった過去の出来事から俺は一概にそうは言えないかもしれないと思い直した。
そう、確かに思い当たる節はあるのである。
一年生の頃、トラゴエディアと幻魔との戦い。その時に感じた背中の熱。あの時、俺は何かに導かれるように《救世竜 セイヴァー・ドラゴン》を引いたし、選んだ。
薄々そうではないかと当時から思っていたが、確信がないため放置していた。しかし、やはりあれは赤き竜の加護だったのかもしれない。
だとすれば、エンシェント・フェアリー・ドラゴンと同じ疑問が俺にも生じる。
シグナーでもない俺に、何故そんな加護が?
……いや、待て。その前に、当時を知らないエンシェント・フェアリーが、何故俺にそんな加護があるかもしれないことを知っているんだ?
「……エンシェント・フェアリー・ドラゴン。どうして、俺に赤き竜の加護があると?」
『あなたがこの精霊世界にたどり着いた時の話は聞きましたか?』
「ああ」
ギースが話してくれたことだろう。スターダストと共に空に出来た穴からこの世界に落ちてきた、という。
俺の首肯を受け、言葉が続く。
『あの時、中空に空いた穴の中からあなたが出てくる瞬間。私は見たのです。スターダストと重なるようにして力を貸していた赤き竜の姿を』
「は!?」
その時に、赤き竜が?
ということはつまり、赤き竜は俺を助けるために出てきてくれたということか?
……そういえば、よくよく考えてみるとギースの話にはおかしな点があった。ここは精霊世界だからスターダストが実体化できたとしても不思議ではない。しかし、ギースは俺がスターダストと共にこの世界に落ちてきたと言った。
つまり、精霊世界に着く前からスターダストは実体化して俺と共にいたということになる。
俺に精霊を実体化させる能力はないし、スターダストにも恐らくないだろう。なら、ユベルに落とされた異次元で、スターダストが実体を持てた理由はただ一つ。外部からの協力に他ならない。
そしてそれを行ったのが、エンシェント・フェアリーの言葉を信じるならば赤き竜ということになる。
しかしそうなると、なぜ赤き竜はそこまでして俺を助けてくれるのか、という話になる。これで三度目だ。赤き竜が干渉してくるのは。シグナーでもないただの人間に、赤き竜が何故手を貸す?
俺はそんな特別な人間はない。何か理由があってしかるべきだろう。
――俺を助ける理由。考えられる理由としては……。
あったか、一つだけ。
「俺じゃなくて、スターダストなんじゃないか?」
唐突な俺の言葉に、エンシェント・フェアリーは『どういうことですか』と尋ねてくる。
つまりは、赤き竜が助けたのは俺じゃない。スターダストのほうだった、ということだ。
「スターダストは地縛神との戦いで必要な存在だ。だから異次元で消えてしまうのを赤き竜は防いだんじゃないか?」
一年生の頃もそうだ。トラゴエディアがいたのは精霊世界。あそこで負けていたら、スターダストのカードはあそこに置き去りとなり、人間世界に戻ってこなかったはずだ。だからセイヴァー・ドラゴンを俺に引かせ、トラゴエディアの勝利に協力した。
そして幻魔戦。そっちは《ワン・フォー・ワン》による特殊召喚だった。だからセイヴァー・ドラゴンを場に召喚した事自体に赤き竜の力は働いていなかったと思う。
だが、セイヴァー・スター・ドラゴンの召喚となれば話は別だ。原作においても、セイヴァー・スター・ドラゴンの召喚時は赤き竜の力が関わっていた。あの時俺はセイヴァー・ドラゴンを選んで特殊召喚したが、赤き竜の助けがなければ、もしかしたらセイヴァー・スター・ドラゴンをシンクロ召喚できていなかったかもしれない。
そしてその結果、デュエルで負けることによってスターダストはあの場で消滅していてもおかしくなかった。となれば、あの時もやはりスターダストを守るためと考えれば赤き竜の介入も納得できなくもないのだ。
「つまり、赤き竜が助けたかったのはスターダストで、俺が助かったのは単にスターダストの持ち主だから……ってことなんじゃないかと」
あくまで推測であり、確信はないが。
しかし、特に何の特殊性もない人間である俺よりは助ける理由に説得力はあると思う。なにせスターダスト・ドラゴンは代えがきかない。そのうえ赤き竜にとっては仲間とも言える存在だ。助けるのは至極当然といえる。
もちろん推測である。が、我ながらこれしかないとさえ思える理由だった。しかし対するエンシェント・フェアリー・ドラゴンはそうは思わなかったようである。
『なるほど、その可能性はあります。しかし――……いえ、憶測を重ねるのはやめておきましょう』
奥歯に物が挟まったような言い方だった。
それが若干気になるものの、しかし俺はそれを意図して気にしないようにする。
それよりも、俺は彼女に聞きたいことがあったからだ。
「ところで、エンシェント・フェアリー・ドラゴン」
『なんでしょう、遠也』
物憂げだった態度を改め、エンシェント・フェアリーが応える。
俺の背の倍ほど上にある顔を見上げ、俺は最も聞きたかった本題を切り出した。
「俺が元いた場所にはどうやったら戻れる?」
それだけが、今俺が知りたいことだった。
本当ならあのまま異次元をさまよい続けて死んでいたのだろうところを、この世界に流れ着いて命を拾えたのは本当に僥倖だ。
そしてそれを為してくれたエンシェント・フェアリーには心から感謝している。本当なら何か彼女に恩を返すのが筋なのだろうが、しかし今はそれよりも優先すべきことが俺にはあった。
いまだユベルによって異世界にあるだろうアカデミア。いや、ひょっとしたらもうアカデミアは元の世界に戻っているかもしれない。
だが、十代たちは再び異世界の土を踏むはずであった。ならば俺は少しでも早くみんなと合流してその力とならなければならない。
特にこの異世界での出来事は十代たちにとっての分岐点ともなるものだ。だからこそ俺は彼らのことが心配であり、それゆえに早く元の場所に戻りたかった。
赤き竜のことも気になるが、その考察を始めたら長くなるのは間違いない。ならば一番知りたいことを早く知りたかった。
そんな思いを余すことなく込めた俺の言葉に、エンシェント・フェアリーは申し訳なさそうに首を振った。
まるで何かを否定するような仕草。嫌な予感がよぎる。そしてその予感は、一拍の後に現実のものとなった。
『私には、あなたが何れの世界から来たのかわかりません。なので、送り出すことも出来ない。残念ですが……』
一瞬俺は呆けるが、すぐに態度を直す。その可能性を考えていなかったわけではないのだ。来ることが出来ても、戻ることは出来ない。そんなことは俺が何よりよく知っているからだ。
だからすぐに気持ちを落ち着け、今度は今の言葉を踏まえたうえで問いかける。
「……けど、元の世界の場所さえわかればすぐに戻れるようになるんだろ?」
幾分以上に期待を込めた言葉だった。
しかしこれにも、エンシェント・フェアリーは首を横に振った。
『遠也。世界と世界は、いうなれば遠く離れた島と島のようなもの。その間の空間は常に荒れている海のようなものです。そして私たちに船はなく、羅針盤もない』
それは、つまり。
『仮に目的地の場所が分かったとしても、身一つで高波揺れる海へと出るのは無謀です。私としては、とても勧められません。心中察しますが……』
今の俺には元の場所に戻る方法はないということだった。
俺はさすがに何も言うことが出来ず、立ち尽くすしかなかった。
それから少し経って自失から立ち直った俺に、エンシェント・フェアリーはしばらく休むことを提案してくれた。
この世界は彼女にとって自身の庭に等しい。元々が平和な場所ではあるが、もし何かあってもエンシェント・フェアリーの力によって問題が起こることはない。
そのため安心して休んでほしいと言われ……俺は結局それに従うことにした。
それがエンシェント・フェアリーの心からの善意からくる提案であることはわかっていたし、それに実際今の俺に出来ることはあまりにもない。それに未だ全快とはいかない以上、休養をとることは間違いではないはずだった。
だが、それでも諦めたわけではなかった。休むよう言われてから数日……何度も元いた場所に戻る方法を必死に考えてはいる。
が、しかし。俺の願いも虚しく何も案は出てこなかった。
これが三沢だったら何か考え付くことが出来たのだろうか、と何となく仲間内で最も頭がいい友人の顔を思い浮かべる。そしてすぐにそれが益体のない思考であると気付き、俺は溜め息をこぼした。
腰を下ろしている草原から、空に向けて視線を上げる。
憎らしいほどに晴れ渡った蒼天は、鬱屈として俺の内心とは正反対だった。
決してこの世界が嫌いなわけじゃない。むしろ温かく、居心地がよいこの世界のことを俺は好きになっていた。
しかし、今はそうも言っていられない。状況を考えれば、一秒でも早くこの世界から俺は出たかった。しかし、空に浮かぶ雲は俺のそんな焦燥とは裏腹にゆっくりと動いている。
それがまるで、慌てるなと言われているようで、焦りを自覚している俺は何となく反発を覚える。そして直後、雲に対して何を考えているのだと自分の余裕のなさに溜め息をつくのだった。
「よう、シケた面してんな」
そんな時、不意に掛けられた軽薄な声に俺はそちらに目を向けた。
「……なんだ、ギースか」
「なんだとはご挨拶じゃねぇか。っていうか、ここらで人間の言葉話せるのなんざ俺たちかあの王様ぐらいしかいねぇだろうがよ」
『私のことを忘れてほしくないものだな』
聞こえた別の声はギースの横からだった。もちろん俺も気づいている。大人であるギースと比較しても大きい純白の獅子の姿を。
「おっと、そういやそうだったなレグルス。あんたも喋れたっけか」
『わざとだろう、まったく……。なぜエンシェント・フェアリー様はこのような奴に慈悲をかけるのか……』
嘆かわしいとばかりに目を伏せるレグルスに、ギースは小さく笑うだけだった。
このレグルスはエンシェント・フェアリーに仕える従者のような存在である。外見は金色の鬣と純白の体躯が眩しいライオンそのものであり、大の大人と比較しても大きい体と礼儀正しい態度はいかにも従者・護衛然としている。
そして人型ではない精霊としては珍しく人語を操ることが出来る。一応他の場所にも人型のモンスターや人語を解する獣型のモンスターもいるらしいが、少なくともエンシェント・フェアリーの封印されている場所に近いこのあたりではレグルスぐらいしか人の言葉を話すものはいないらしかった。
そしてどうもレグルスとギースは意外と気が合うようだった。少なくとも、俺が見ている分にはそう思えた。
軽薄なギースと厳格なレグルス。凸凹コンビという表現もあるが、二人の場合はきっとそういう感覚に近いのだろう。
今も何やら言い合っている彼らに、俺は苦笑しつつ声をかけた。
「ギースもレグルスもほどほどにな。それより、慈悲をかけるって何のことだ?」
一人と一頭は俺の言葉に掛け合いをやめる。そしてレグルスが改めて俺に向き合った。
『うむ。このたび、このギースを人間界に戻すことが決定したのだ』
「……え?」
思わず漏れた俺の驚きの声を余所に、レグルスの話は続く。
『精霊への偏見も既にない。本人もこれまでの行いを反省している。エンシェント・フェアリー様はここ最近のギースの様子を見て、戻しても問題ないと判断されたのだ』
「けっ、俺はもっと早く戻りたかったんだがな」
『人間界にいる精霊にはいかにエンシェント・フェアリー様といえど十分な支援はできん。ゆえに精査する必要があったのだ。そのために時間がかかった』
「わかってるよ。不満はねぇさ」
「ち、ちょっと待ってくれ!」
ギースの軽口にレグルスが真面目に返す。二人の相性の良さが見え隠れする親しげなやり取りの中で、聞き逃せない事実に気付いた俺は口を挟んだ。
「帰れるのか!? 元の世界に!」
世界と世界の間を渡るのは危険なことではなかったのか。もし世界間の移動が可能なのだとしたら、自分のここ数日の悩みは何だったのか。
その思いから思わず大きくなった声に、レグルスが頷いて答えた。
『ああ。この精霊界とお前たちが過ごしている人間界は表裏一体。言うなれば、ドア一枚を隔てた向こう側だからな』
「じゃあ、アカデミアが飛ばされた世界にも……」
異世界という点では共通であろう俺が戻りたい場所を口にすれば、レグルスは首を横に振った。
『残念だが、お前がいたであろう世界は精霊界側だ。それも、とびきり離れた次元にあったと思われる。もし人間界のように隣接しているなら、あれほど大規模な次元の狭間が生まれることはないはずだからだ』
俺がこの世界に現れた時に生じた穴のことを言っているのだろう。近しい場所であれば、それほどの歪みが生まれて世界に穴を開けることなどなかったはずだとレグルスは言う。
そして、それが俺がいた場所が遠方にあることの証左になるという。それゆえ俺たちが元いた人間界と違ってアカデミアが飛ばされた異世界の場所は特定できないのだという。
特定できたとしても、行く手段がない。レグルスが言う言葉は、どこまでもエンシェント・フェアリーと同じだった。
「……そうか……」
俺は落胆を隠す余裕もなく溜め息をこぼした。
いや、わかっていたのだ。そう都合のいい話はないということは。だが、それでも早くあいつらに合流したいという思いが強かったのだ。
ユベルの件があり、これからの行程には大きな試練がある。特に十代にとっては人生すら変えかねない一大事だ。その時に傍にいられないというのは、あまりにも友達甲斐がないではないか。
それに……。
マナ。
あいつにも会いたかった。泣きそうな顔で穴に吸い込まれていく俺を見ていた顔が思い浮かんで、俺は一層その気持ちを強くする。
無事だと伝えてやりたかった。一刻も早く。
その思いが焦りとなっていることは明白だったが、それでも俺はそんな自分の衝動を抑えきることが出来なかったのだ。
しかし、現実はそう簡単ではない。人間界に戻ることは出来るという。ならば、人間界に戻ったとしよう。
だが、そこからどうする。俺に異世界へ渡る手段などない。戻ったが最後、手詰まりなのだ。それならまだ精霊界にいた方が皆に近しいはずだった。
だが、そこから先に繋がる方策がない。どう動けばいいのかもわからない。
どうする。一体、どうするばいい。
再びそんな思考に没頭しようとした、その時。ゴツンと頭の衝撃が走った。
「いっ……てぇな! 何するんだ!」
頭をぶたれた。それを認識した瞬間、俺は下手人を睨んだ。
握り拳を顔の前で構えたギースは、呆れたような顔で怒りを露わにする俺を見下ろしていた。
「よう、知ってるか? 壊れた電化製品ってのはな、叩けば直るらしいぜ」
「どういう意味だそりゃ……!」
挑発としかとれない台詞に、俺の声もさすがに剣呑さを帯びる。元々あまり良い気分でもなかったところに、理由もなく殴られたのだ。好意的な応対など出来るはずもない。
しかしそんな俺の視線を受けても、ギースは怯むこともなくふんと鼻を鳴らすだけだった。
「どういうも何も、そのままだ」
『ギース、遠也の気持ちも考えてやれ』
険悪な雰囲気になったからだろう。きっかけを作ったギースにレグルスが提言する。
しかし、ギースは頷かなかった。
「いいや、言うね。なぁ、俺はお前のことをもっと熱い男だと思ってたぜ」
「なにを……」
熱い男だなんて、それはむしろ俺よりも十代に相応しい表現だ。それに、そんなことが今何の関係があるというのか。
そう訝しむ俺に、ギースは更に言葉を募らせた。
「そうだろうが。あのお嬢ちゃんが精霊だと知ったうえで、それでも好きだと言い切った男だ、てめぇは。あの時、俺は笑い飛ばしちまったが……」
少し後悔するような表情を覗かせ、続ける。
「今は、すげぇと思うぜ。正直な」
「……ど、どうも」
ギースは真顔だった。茶化すわけでも、からかうわけでもなく、本心からそう言っているのだとわかる。
だが、いきなりそんなことを言われた俺は感じていた苛立ちも忘れて混乱した。そして口からついて出たのはよくわからない感謝の言葉。
ギースはけっ、と悪態をつきつつも笑った。
「だからよ、あん時の熱さを見せろよ。ここでじっと考え込んでんのもいいが、らしくねぇ気がするね俺は」
それだけだ、と最後に付け足して、ギースは俺の胸を拳で小突いた。
軽い衝撃。俺はそれを呆然と受け止めた。
そして目の前にいるギースを見れば、なんともバツの悪そうな表情を浮かべていた。
「ガラにもねぇことしちまったぜ、ったく……。おい、レグルス。俺はもう行くぜ」
『ああ』
先んじて歩き出したギースに、レグルスが追随する。
遠ざかっていくギースの背中。かつては本気で怒り、その感情をぶつけた敵であったが、今のアイツに対してそんな感情は微塵もない。
精霊を慈しむ心を思い出し、人に対する優しさを見せ、そして今こうして俺を励ましてくれたその姿は、敵ではない。
あいつがどう思っているかはわからないが、少なくとも俺は確かな絆を感じていた。
「ギース!」
呼びかける。
それにギースは振り返らなかったが、足を止めた。
俺はただその背中に声をかけた。
「ありがとな! 次に会ったらまたデュエルしようぜ!」
振り向くことはなく、返ってくる言葉もない。しかし気だるげに挙げられて振られた手が、何よりも雄弁な答えだった。
そしてギースはレグルスと共に草原の向こうへと歩いていく。俺はそれを背中が見えなくなるまで見送った。
心の中でもう一度感謝の言葉を呟きながら。
「……――さて」
ギースを見送った俺は、一つ息を吐き出して顔を上げた。
抜けるような蒼天はまるで今の俺の気持ちを表しているようだった。
俺の心に、さっきまであった鬱屈した迷いはない。何も深く考える必要などなかったのだと気付いたからだ。
ただ俺は自分がしたいことをきちんと認識していればよかった。そしてそれに向かって走っていればよかったのだ。
それが可能かどうかなんて関係ない。考えて駄目だったなら、行動しろ。それだけのことだったのだ。
左腕に着けたデュエルディスクを起動させる。モーメントが放つ虹色の燐光が薄らと煌めく中、俺は一枚のカードを手に取った。
「……頼むぜ、《スターダスト・ドラゴン》!」
スターダストのカードをデュエルディスクへと置けば、ディスクがその機能を十全に発揮してスターダストの姿を色鮮やかに形作っていく。
デュエルのさなかとは違い、咆哮もなくその姿を見せたスターダストは翼を広げて滞空するのみで何もしない。戦うべき相手がいないのだから当然だった。
しかしその代わり、スターダストはその目を真っ直ぐに俺へと向けていた。
その目に込められているスターダストの意志とは何なのか。超能力者でもなんでもない俺に、それはわからなかった。
しかし、たとえわからなくても通じ合うものはある。だから俺は心からの信頼を込めてスターダストの目と視線を合わせた。
「――スターダスト」
呼びかける。スターダストは何も言わずにじっと俺を見つめていた。
「俺に、皆のところに行くアテはない。どうやったらいいのかなんてわからないし、ここのところずっと考えていてもそれは変わらなかった」
俺はどこまで行ってもただの人間だ。異世界出身だろうとそれは変わらない。世界の間を移動する術などなく、ただそれでも何か方法はあるかもと希望に縋って考え込んでいるだけだった。
だが、結果は出なかった。ならば、同じことを繰り返していても仕方がない。考える時間は既に終わったのだと俺は知った。
そうだ。知った以上、もうじっとしてなんていられない。
「なら、俺は前に進む! こうしている間にも、十代たちは大変な思いをしているかもしれないんだ!」
俺が知る、有り得るかもしれない未来の知識。そこで十代の身に降りかかる数々の苦難は、十代の真っ直ぐな心すら変貌させてしまうほどに険しく残酷だ。
そしてそれは十代の周囲、仲間たちにも大きく影響する。誰にとっても辛く、救いのない現実が手ぐすねを引いて待っていると俺は知っている。
彼らはそこに立ち向かおうとしている。いや、もう既にその苦境の中かもしれない。
だというのに。
「それなのに、何もできないなんて我慢できない! 十代の身に襲い掛かる苦しみを知っていて力になれないなんて……俺は自分を許せない!」
一人、のうのうとこの平和な世界で過ごしている。忸怩たる思いを抱えながらも、しかしアテなどない俺はただじっとしているだけだった。
当然、俺はそんな自分のことを良しとは思っていなかった。
しかし、一体どうすればいいのかわからなかったのだ。それはギースによって励まされた今でも変わらない。皆と合流できる確実な方法など全く思いつきもしなかった。
けれど、一つだけ。
一つだけ、俺には心当たりがあった。
確証はない。まして、俺なんかに力を貸してくれるのかも。
しかしそれでも、俺はエンシェント・フェアリーが言っていたその可能性に賭けるしかなかった。
彼女が言った確実性の乏しい可能性――赤き竜の加護。
スターダストに出てきてもらったのもその可能性に賭けたからだ。スターダストがいれば、ひょっとしたら力を貸してもらえる確率が上がるかもしれない、とほんの僅かな可能性にも縋る、そんな思いだった。
俺はその小さな可能性に希望を託し、蒼天に向かって声を張り上げた。
「赤き竜! もし聞こえていて、そして少しでも俺のことを気に掛けていてくれるというなら、力を貸してくれ! 何が返せるのかなんてわからないけど……」
俺に特別な力は何もない。重ねて言うが、それは事実だ。返せるものなんて、何もないかもしれない。
しかし、それでも譲れないのだ。
「――頼む、赤き竜よ! 頼むッ!!」
声が枯れんばかりに俺は叫んだ。絶叫に近かったかもしれない。
間違いなく俺の心からの気持ちを乗せた願いだった。あいつらの力になりたい。苦しんでいるのなら、助けたい。仲間として、友として、そして男として。俺自身という存在にかけて願う心からの叫びであった。
だが、思いさえあれば何とかなるというのは物語だけの話だ。現実は辛く、厳しい。
その証拠に、俺の叫びに返ってくるものは何もなかった。一分ほど待っても、それは変わらず。ただ草原に吹く温かい風が俺の肌を撫でるだけだった。
「……駄目、か」
少なくない落胆が声にも表れる。もちろん分の悪い賭けではあったが、それでも期待しない部分がなかったわけじゃない。それだけに、やはりこの結果には落ち込んだ。
赤き竜にとって自らの仲間と呼べるスターダストを介してならばあるいは……とも思ったが、駄目だったようだ。
むしろ何故それならばもしかして、などと思ったのか。自分の浅慮に溜め息が出るほどだった。
だが、駄目だったなら駄目だったで仕方がない。どちらにせよ、可能性は低かったのだ。ならばすっぱり諦めて、次の方法を模索するべきだろう。
「そうだ。何か方法があるはずだ……絶対に」
動き始めた最初の一歩で躓いたからといって、そこで立ち止まるわけにはいかない。皆は俺にとってかけがえのない存在だ。なら、何としても諦めるわけにはいかなかった。
とりあえずはもう一度エンシェント・フェアリーを訪ねることから始めてみよう。彼女ならば俺には思いつかない何かを思いつけるかもしれない。一度は無理だと言っていたが、もしかしたらということもある。
俺は一人じゃないんだ。エンシェント・フェアリーもいるし、スターダストもいる。デッキには俺の仲間たちが眠っている。
きっと、力を合わせれば何とかなる。そう信じて、今は動くのみ。そう決意を新たにして、俺はスターダストを見上げた。
「急に呼んで悪かったな、スターダスト。でもまた頼りにさせてもらうぜ。よろしく――!?」
よろしく頼む。そう最後まで言い切ることは出来なかった。
何故なら、デュエルディスクに取り付けられたデッキが突然光を放ったからだ。
眩しい閃光に困惑しつつ、俺は目を細めてデッキに目を落とす。
すると、光を放っているのはデッキの一番上のカードのみのようだった。俺はゆっくりとそのカードに手を伸ばし、そして手に取った。
突然輝きを見せたカード。それは――、
「《救世竜 セイヴァー・ドラゴン》……!?」
スターダストの進化系、セイヴァー・スター・ドラゴンの召喚に必須となるドラゴン族光属性のレベル1チューナー。その姿が手の中にあった。
何故、という思いが湧き起こる。このカードを俺は確かに持っているが、しかしそれは今デッキに入れていないはずだったからだ。
セイヴァー・スターも一年生時の幻魔戦以来、全く召喚していない。このカード自体数あったデュエルで一度も手札に来たことがなかったし、俺自身なぜか引ける気がしなかった。そのため、デッキから抜いていたのだ。
なのに、何故……。不可解な事実に俺は首を傾げた。
その時だ。上空に何か大きな気配を感じ取って俺は顔を上げた。実体がないためか影こそ地表に現れていないが、それでも今目に映っている巨体は迫力と威厳に満ちていた。
長い体躯は赤く不思議な光沢を放ち、炎のように揺らめいている。視界の全てを覆うほどの大きさで悠々と空を駆け、やがてその存在は特徴的な甲高い咆哮を上げてその頭をこちらに向けた。
「……赤き、竜……」
声が震えているのがわかった。
目の前の存在から放たれる圧倒的な存在感。感じられる不思議な印象に、俺は自分が気圧されているのだと悟る。
しかし、決して不快感や圧迫感はなかった。それどころか、どこかこちらを包み込むかのごとき安心感がある。じんわりと心の奥が温められていくような、不思議な感覚。
――これが、赤き竜か。
俺は知識ではない実感として、この時ようやく赤き竜の特別性を知ったのだった。
『赤き竜、なぜここに……』
隣から声が聞こえ、ハッとして横を見ればエンシェント・フェアリーが俺と同じく空を見上げていた。
あまりに赤き竜の存在に圧倒されて、隣に彼女が来ていることにも気がつかなかったようだ。
エンシェント・フェアリーはどうやら赤き竜の出現を感じ取って、その姿がある直下となるこの場所へと向かって来たようだった。
そんな中、不意にスターダストが大きく叫んだ。
空気を震わせる咆哮。驚いて俺とエンシェント・フェアリーがスターダストを見ると、スターダストはその一度の咆哮だけで押し黙った。
そして今度は空から赤き竜の咆哮が響く。それにもう一度空を見上げれば、赤き竜はゆっくりとその姿を翻し、空を悠然と泳いでいく。
やがて大気に溶けるようにその姿を薄れさせていき、気がつけばその姿を見ることは出来なくなっていた。
そうして残ったのは、元の静寂とこの手の中にあるセイヴァー・ドラゴンのカードのみ。
全てが唐突過ぎて頭が混乱している。けれど、何故かはっきりと確信していることがあった。
それは、このカードが今の俺にとって何よりも必要なものであるということだった。
「は、はは……」
『遠也?』
不思議と、俺は自分がどうすればいいかがわかっていた。このカードに込められた意味も、さっきまでの疑問も、今は嘘のように理解できている。
その意味を知って思わず漏れた声に、エンシェント・フェアリーが訝しげに俺を呼んだ。
「スターダスト!」
けれど、俺はそれよりも何よりもスターダストに声をかけた。
すると、スターダストはわかっているとばかりに咆哮を上げて俺に応える。
俺たちの間に疑問はない。ならば、することなど一つだけだった。
俺はデッキのカードを引くと、デュエルディスクに必要なものを全てセットした。俺はこの身を包む感覚が示すままに口を開く。自然と声に力が籠もった。
「集いし星の輝きが! 新たな奇跡を照らし出す! 光差す道となれ!」
デュエルディスクに置かれたのはスターダストの進化を促すカードたち。救世竜がその身を光と変えてスターダストを包み込むと、その姿は徐々に一際大きな姿へと変化していった。
「――シンクロ召喚! 光来せよ……《セイヴァー・スター・ドラゴン》!」
瞬間、身に纏っていた光が爆発するかのように吹き飛び、その中から一回り以上に大きくなった白銀の竜が姿を現す。
白さを増した体表は純白に輝き、その背には二対四枚の翼が雄々しくも美しさを持って存在感を放つ。
シャープな顔つきと洗練された肉体。神々しさすら感じられるその姿は、まさに二年前に俺が頼りにしたスターダストの進化した姿であった。
『こ、これは……スターダストが進化を――?』
エンシェント・フェアリーの驚きの声が聞こえる。ひょっとして、エンシェント・フェアリーはスターダストのこの姿を知らなかったのだろうか。
そういえば地縛神に挑む赤き竜とシグナー竜たちの姿は、スターダストもレッド・デーモンも通常時の姿であった。五千年前のシグナーは彼らの進化を行っていなかったのかもしれない。
ならばエンシェント・フェアリーの驚きも当然のものだろう。見知った相手の新たな可能性に驚くその姿を見た後、俺は改めてセイヴァー・スターを見上げる。
なぜこのセイヴァー・スターなのか。赤き竜は何故セイヴァー・ドラゴンを俺に示したのか。
その答えを、俺は確認もかねて口に出す。
「セイヴァー・ドラゴンは赤き竜の化身。その体には赤き竜の力が宿っている」
『遠也、何を……』
「そして赤き竜には次元を渡る力がある。なら、セイヴァー・ドラゴンにもその力が宿っている」
この次元には時間という意味も含まれる。例えば原作においてパラドックスとの戦いで赤き竜は遊星たちを過去や未来へと運んでいた。赤き竜にとって世界間――距離や時間の隔たりはあってないような物らしい。
そしてセイヴァー・ドラゴンは赤き竜の化身である。そしてその力が宿っているのだとすれば、その力によって進化したセイヴァー・スター・ドラゴンにも。
「セイヴァー・スターにも、その力が使えるようになる……!」
確信を持った俺の言葉に、セイヴァー・スターがその通りだと言わんばかりに空へと向かって嘶く。
それはまるで俺にとって希望の汽笛だった。
これで行ける、マナや十代……皆のところへ!
喜びと興奮で俺の顔は今きっとだらしなく緩んでいることだろう。そして俺は一秒ですら惜しいとばかりにセイヴァー・スターの背に乗せてもらうべく一歩踏み出した。
『遠也』
エンシェント・フェアリーの呼びかけ。俺は歩みを一度止めて彼女を振り返った。
『あなたは何故、そこまで元の場所に戻りたいのですか?』
エンシェント・フェアリーはそう俺に問う。
その声には疑問というよりは単純に知りたいという思いが強いように感じられた。
問い自体は俺にとってもはや当然のように答えが俺の中にあるため簡単だ。そして彼女はこの世界に来てすぐに治療を施してくれたし、途方に暮れた俺をこの世界で過ごさせてくれた。その恩にこれで報いることが出来るとは思わないが、少しでも報いることになればと思い、俺は口を開いた。
「ああ、戻りたい。向こうの世界に……いや、皆のところに戻りたい。あいつらと一緒にいたいんだ」
『やはり、人間であるあなたに精霊世界は肌に合いませんか?』
俺はその問いかけに心底驚いた。
「まさか! ここはすごくいいところだと思うし、また来たいと思う。ギースだって俺と同じ気持ちだろうさ」
『私は迷っています。ギースをこちらに招き、彼に精霊と親しませるよう仕向けたのは私ですが……人である彼にとってそれは良いことであったのかと』
エンシェント・フェアリーは僅かに目を伏せた。
『精霊と心通わせたことを思い出してほしい。ギースはその願いに応えてくれました。そして精霊を慈しむ心を持ってくれた。しかし、それは彼から人としての時間を僅かなりとも奪ったからこそ』
エンシェント・フェアリーは続ける。
『元の世界に戻り、人の社会に戻った時。私のしたことは良い事であったのか、と。時おり考えるのです』
元の世界で精霊とは稀有な存在だ。会う機会は本当に少ない。そしてギースのような精霊世界に来てしまった者は、精霊世界にいた時間だけ行方不明になっているはずだった。そういった人が社会復帰をするには、しばらくの時間を要するだろう。
もしかしたら職にあぶれる可能性もある。精霊に関与したばかりに不利益を被るのならば、するべきではなかったのでは。
精霊の王として精霊の気持ちを考えるあまり、人の気持ちを考慮していなかったのではと考えるのだという。
俺はエンシェント・フェアリーの優しさに頭が下がる思いだった。
ギースは精霊を迫害していた。その迫害されていた側が、迫害した加害者に改心を要求するのは当然のことだ。しかしエンシェント・フェアリーはそれは此方の一方的な希望であり、加害者のその後を思えば果たしてよかったのかと気に掛けている。
慈悲深く、そして気高い。エンシェント・フェアリー・ドラゴンはやはり精霊を滑るに相応しい存在なのだと俺は改めて認識した。
「この世界に来てよかった。俺たちは間違いなくそう思っているよ。後悔なんてするはずがない、それぐらいにな」
心からそう思う。俺たちはこの世界に来て間違いなく良かった。
それが心底からの言葉であるとエンシェント・フェアリーにも伝わったのだろう。顔を上げた彼女は小さく笑った。
『ありがとう、遠也。少し、救われました』
釣られて俺も笑みを浮かべた。
「俺なんて、彼女が精霊だぜ。人間と精霊なんて今更だ」
冗談めかして俺が言うと、エンシェント・フェアリーは大きな目を更に開いて驚きを露わにした。
『精霊が……あなたの恋人?』
「そうだよ。だから関係ないのさ、そんなこと」
『そんなこと、ですか……フフ』
精霊も人間も変わらない。俺たちは生きていて、意志を通わせることが出来る。そこには確かな絆があるのだ。なら、それで十分だった。
しかしエンシェント・フェアリーは俺の物言いの何が琴線に触れたのか小さく噴き出した。気になるが、まぁいいかと気を取り直して俺は最初の問いに再び答える。
「エンシェント・フェアリー・ドラゴン。俺は皆のところに戻る。マナや十代がいるあそこに。仲間なんだ、皆」
一緒にいたい。そう思える仲間たち。
そんな大事な仲間に危険が迫っているのだ。ここで行かなくてどうするというのか。
だから行く。そう言い切った俺に、エンシェント・フェアリーは頷いた。
『引き留めてすみませんでした、ありがとう遠也』
「気にするなよ」
『はい。では、行きましょう』
「ああ。……ん?」
今、何か信じられない言葉を聞いた気がした。
俺は再び歩き出そうとした足を止めて、エンシェント・フェアリーを見た。
『どうしました? 行きましょう、遠也』
どうやら、聞き間違いというわけではなかったようだった。
「いや、エンシェント・フェアリー。お前も来るのか?」
『はい。迷惑だったでしょうか』
「いや迷惑ではないけど。けど、この世界のこととかいいのか?」
『この世界は平和で、私がおらずともしばらくは大丈夫です。レグルスもいますから』
確かに、地縛神が復活でもしない限りはこの世界に危害が及ぶなどなさそうではあるが、そういう問題なのだろうか。
頭を悩ませる俺に、エンシェント・フェアリーの言葉が続く。
『それに、私はあなたのことが気にかかるのです』
「俺?」
『はい。赤き竜の加護もそうですが、精霊と愛し合うその心です。精霊と人の関係はいまだ難しい……あなたとその恋人の姿は私の希望でもあります』
マナとのことを出され、俺は何とも気恥ずかしくなった。
「いや、俺とマナはそんな大層なもんじゃ……」
『ええ。あなたにとっては当たり前のことなんでしょうね。けれど、あなたとそのマナという者との関係は私にとって大切なもの。それは変わりないのです』
人と精霊。その双方に関係を持ち、精霊の王までやっているエンシェント・フェアリーにとって、よほど俺とマナのことは関心事であったらしい。
それに加えて赤き竜のこともある。エンシェント・フェアリーのついてくるという意志は固そうだった。
まぁ、俺としても仲間が増えるのは歓迎できることだ。ましてエンシェント・フェアリーは非常に強力なモンスターであり、俺を治療したような特殊な能力があり、精霊でありながら人間と会話できる存在だ。一緒に来てくれるというなら是非もなかった。
「わかった。力を貸してくれ、エンシェント・フェアリー・ドラゴン」
『はい。よろしくお願いします、遠也』
微笑み交じりの声を残し、エンシェント・フェアリーの体を光が包む。そしてその光はやがて手のひらサイズの四角形へと集束していき、光が消えるとそこには一枚のカードが浮かんでいた。
それを俺は大切に手に取る。
《エンシェント・フェアリー・ドラゴン》。そのカードを俺はデッキケースのエクストラデッキの中へとしまうと、改めてセイヴァー・スターを見上げた。
「セイヴァー・スター! 頼む、俺を皆のところに!」
セイヴァー・スターは頷くと、その首を下げて地面に着ける。俺はその首を伝ってセイヴァー・スターの背中に乗る。そしてもう大丈夫だと手でその背を叩いて伝えると、セイヴァー・スターは徐々に空へと浮きあがった。
緩やかに離れていく地面。そして近づいていく空。やがて途中で滞空したセイヴァー・スターはまるで赤き竜を思わせる甲高い声でけたたましい咆哮を上げた。
音が衝撃となってびりびりと伝わる。思わず目を瞑り、そして再び開いた時にはセイヴァー・スターの目と鼻の先の空が割れていた。
そこから覗く紫とも黒ともとれる深淵。俺がユベルによって放り込まれた穴から見えた空間によく似ている。
深淵を覗き込む時、深淵もまたこちらを見ている、か。
どこかの誰かの言葉が思い出され、俺は口の中の唾液を嚥下した。
だが、恐れる必要はない。俺にはセイヴァー・スターもエンシェント・フェアリーも、そして……こいつらもいる。
デッキに触れれば、こいつらの頼もしさに心が安らぐ。そして、俺が今から向かうのは大きな危機に立ち向かっているだろう仲間たちの元だ。躊躇う要素などどこにもない。
俺は一つ深呼吸をする。そして気持ちを落ち着かせると、セイヴァー・スターの背中を軽く撫でた。
「行こうぜ、セイヴァー・スター・ドラゴン!」
俺の声に応えるようにセイヴァー・スターが嘶いて、その巨体が深淵に向かって加速する。
近づく闇。その向こうへと繋がっている俺が向かうべき場所。そう思えば、何も怖いものなど無かった。
セイヴァー・スターが燐光を散らせながら空の狭間へとその身を躍らせる。精霊世界の青空が背後へと急速に遠ざかっていく中、俺たちは闇の中を目的地に向けて全速力で突き進んでいった。